ジャンク・ボンド 第二章 15
『…………』
アイザックの話を聞いていたレッドたちは、聞き終わった後も、しばらく何も発せないでいた。
レッドは顔を強張らせ、リュウランゼは言葉の代わりに喉に酒を流し込んでいた。
いや、リュウランゼが酒を飲み込んだ後に、言葉を選ばずに、アイザックに質問した。
「カマキリは死んだんじゃないのか? だったら復讐のためにリュウランゼになりたいっていう、アンタの言葉は嘘になる。それとも別の理由があるってことかい? 俺たちを騙して、何かしようっていうんじゃないだろうな」
その質問にアイザックが、さらに肩を震わせながら答えた。自分の足元を見つめながら。
「それが……。生きていたんです」
「まさか」
「“まさか”ではないんです! 左腕のないカマキリが、人を襲っているという噂があるんです!」
顔を上げたアイザックは、悔し涙で濡れていた。
*
アイザックが過去話している一方で、砕封魔たちは街なかを疾走っていた。
「どいた! どいた!」
テレーゼの腰に提げられた砕封魔が、通りを行き交う人の群れに向かって声をぶつけていた。
それに対しライナスは、「ていうか、なんでこんな抱え方なのぉー!?」と、なぜか喚いていた。
一方振り返った民衆が、「な、なんだぁ!? 女が爆走している? ていうか、ガキ抱えているぞ!」と驚いていた。――その顔を踏み台にして、ライナスを左脇に抱えたテレーゼが跳躍した。「俺を踏み台にした!?」
一方ライナスは彼女の腕のなかで暴れながらも、別の感情が浮かんでいた。
――母ちゃんより硬いなぁ……。
なんで、こんなことを考えているのか自分でも分からなかった。
もしかしたら、温もりを欲していたのかもしれない。ただ、少年はそのことに気づいていないらしい。
ライナスがそんなことに思考を絡め取られていると、協会の建物に到着していた。
なるほど、凄まじいスピードで、疾走していたらしい。
テレーゼが扉を勢いよく開け放ち、いや吹っ飛ばして、なかに突入する。
『!』
突然の大きな音に、なかにいた誰もが出入口に注目する。――しかし、受付だけは、ヨダレを垂れ流しながら台に被さり、夢心地だ。
そんな受付を、テレーゼは力の限り揺さぶった。傍からみていると、首が千切れそうだ。
しかし、受付は驚くことなく、重そうな瞼を開けながら、「……あ。ジャンク・ボンド」と呟くだけだった。
その言葉に、近くにいたリュウランゼたちが一斉に振り返った。「あれが、ジャンク・ボンド……」何故か恐る恐る口にしていた。
しかしテレーゼ、いや砕封魔はそんなことを気にする素振りを見せなかった。受付にさらに詰め寄った。
「昨日、リュウランゼ志望の冴えないオッサン来ただろ!」
「冴えない? あっ。はいはい」受付が、わざとらしく受付台を“ポン”と叩いた。
そんな態度が気に障ったのか、砕封魔が受付の襟を締め上げた。「どこに行った!?」
「うーんと。それならトリニガンの洞窟に――」
受付が言い終わらないうちに、テレーゼが外に飛び出した。
そんな背中を、受付がポカンと口を開けて見つめていた。「……何だったんだ?」と呟いた後、何かに気づいたらしく、突然声を荒げだした。
「扉修理しろっ!」
受付の声が後方で聞こえたが、テレーゼたちは気にせず、一目散に街の出入口である門に向かった。
しかし人混みのなかを走るのは、なかなか骨が折れる。
結局、人の顔を踏みつけ、屋根たちを渡っていった方が速かった。
どこかで、「また、俺を踏み台にした!?」と声がしたが、気にしない。
まるで風になった気分だ。
実際、小脇に抱えられたライナスの顔は、風圧で歪んでいる。「く、苦しい……」
しかし、その風が突然止んだ。
何度か屋根を飛び越えたときだった。
人間の絨毯が、通りに敷き詰められているというのに、急に地面に飛び降り、ライナスを地面に無造作に転がしたのだ。「痛っ!」
強制的に、テレーゼたちの周囲に、空間ができる。みんな、口々に喚いていた。文句がライナスたちに浴びせられている。
「どうしたの! 早く行こうよ!」
痛みに顔を歪ませたライナスが、それでも立ち上がりテレーゼを急かした。
一方テレーゼは、後方を振り返り、刀を構え出した。
「……先に行ってろ」
砕封魔が声を強張らせた。
「一緒に行こうよ!」
「良いから行け! 後で追いかける」
ライナスが、ようやく刀の言っている意味を理解した。
テレーゼの視線の先に、黒尽くめの男が、構えもせずに立っていたのだ。
いや、男は両手を前を出して構えだした。それぞれの腕に鉄甲が装着されていた。
『…………』
そして、しばらく睨み合っていた二人は、まるで呼吸を合わせたかのように、同時に飛び出した。
ぶつかり合う二人。
辺りに耳をつんざくような金属音が――。
刀と鉄甲だ。二つの金属が、まるで獣のように互いを噛み合っている。
驚いて腰を抜かしているライナスに、刀が「コイツは俺の客だ。――早く行け!」と、相手の動向に注意しながら促した。
無言のライナスが、精一杯頷いた。そして、恐怖と混乱で震える足に鞭を打ち、なんとか逃げ出した。
そんな少年の背中目を移し、男が総銀歯を覗かせながら、「良いのか? 逃して。――助けを呼んでもらえなくなるぞ。カッカッカッ……!」と、突然笑い出した。
「ふん。その年で全部銀歯かよ。歯磨き忘れたのか?」
「銀歯? カッカッカッ……!」
敵が突然、テレーゼの右腕に噛み付いた。噛む力が強く、思わず刀を落としそうだった。
多分、テレーゼの“特殊”な体でなければ、食い千切られていただろう。
「硬いな。人間か? お前」
「なるほど。歯まで武器って訳か」
「それだけではないぞ!」
左右の鉄甲から、鋭い爪が伸び、テレーゼの胸を掻っ捌いた。合計一〇本の傷が生えた。
「今度は鉤爪かい。――暗器使いか」
「御名答」と、敵が“ニッ”と笑ってみせた。――瞬間、右つま先がテレーゼの顔めがけて打ち込まれた。
それを、首を後ろに倒すことで回避する――はずだった。気づいたら、顎先に傷がついていた。
よく見ると、敵のつま先にナイフが飛び出していた。
「全身が武器、か」
さらに敵の両足が、テレーゼの体めがけて連続的に繰り出される。
それぞれが、急所を狙うかのように襲いかかってくるので、さっきより大袈裟に避けなければならないが、何しろ人の往来が激しい通り。――自由には回避できない。現に人にぶつかり、睨まれる始末。
「チッ。面倒くせぇな」
砕封魔が毒づいた。そして、屋根に飛び乗ろうと、跳躍しようとしたときだった。
テレーゼの背中に、鉤爪の爪が突き刺さったのだ。
振り返ると、ワイヤーで繋がった爪が鉄甲から発射されていた。まるで飛び道具だ。
そのワイヤーを腕に巻き付け、テレーゼの自由を奪おうとする敵。
テレーゼが刀を背後に滑り込ませたが、ワイヤーは思ったより硬く、なかなか切れなかった。
おかげで、刀身がワイヤーに絡まってしまった。
ワイヤーを引っ張り肉迫する敵。
ナイフの付いたつま先が、何度も彼女の体に突き刺さる。太腿、脛、膝――下半身を中心に傷が増えていく。
膝が折れるテレーゼ。――間髪を入れず、彼女が空いている左手で掴んだ鞘を使い、敵の足を絡ませる。
バランスを崩し、仰向けになる敵。――その喉仏に鞘の先が打ち込まれた。
「!」
敵が苦悶の表情で、咳き込んだ。
直後、ワイヤーを掴んでいた手が一瞬緩み、テレーゼが右手を抜き取った。
そして刀を両手持ちにし、ワイヤーを断ち切った。
「ゴホッ。ゴホッ。……クッ」
ようやく、喉の痛みが消えた敵の眼前に、切っ先を突きつけるテレーゼ。
その姿を視界に入れ、敵が観念したのか、全身の力を抜いた。
しかしテレーゼは、敵の息の根を止めようとはしなかった。
「殺しはしない。アイツに伝えろ。“追って来ても、必ず追い払う”ってな」
砕封魔の言葉に、敵の目が急に泳ぎ始める。
「ア、アイツって、誰のことだか……」
「――この大陸を統べる者のことだよ」
「ふ、ふざけるな!」
核心を突かれたのか、敵の顔色が変わる。
そのこめかみに、鞘が打ち込まれた。
乾いた音がした。
直後、敵が気を失ってしまった。それを確認すると、テレーゼが納刀した。
「さて。追いかけるか」
テレーゼの足は、ライナスを追いかけようと駆け出していた。