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ジャンク・ボンド 第一章 1

 目の前に広がるのは、まさしく剣のように鋭く尖った峰々だった。

 この時期は、登山者の吐く息を白くさせるだけでなく、山そのものもまるで嫁ぐ気があるのか、白無垢を纏っている。


  男勝りの剣の山も、冬将軍の前では角を隠す――。


  この季節になると、必ずといっていい程出て来る文句だ。


 「全く。何で俺達が、こんな苦労して登らなきゃいけないんですかねぇ」


  気の抜けた言葉とは裏腹に、十代後半の若者の顔は緊張で強張り、目線を足下から片時も離すことはできなかった。

 何しろ、今歩いているのは綱渡りよろしく、まさしく剣の切っ先の如く、薄く鋭い。そんな尾根を命懸けで登っていたのだ。

 何か喋らないと気が狂ってしまう。


 「……」


  一方、前を歩く女は落下する恐怖などおくびにも出さず、黙したまま、ただ歩みを進めるのみ。その腰に、装飾の一切ない古い刀が提げられていた。無口な女の代わりに、その刀がカタカタと笑っている。


  この大陸では、剣といえば両刃なのに、この“刀”――仲間がそう呼んでいた――は片刃で、反りが入っている。珍しい業物だ。


 だが、若者にとっては興味がなかった。というより、そんな女の後ろ姿に目を向ける余裕などなかっただけだった。滑落するかどうか――それだけが心配だった。


 本当は行き先も目的も事前に知っていたので、結局自問自答しているようなものだった。

 溜息が突いて出た。


「こんな山奥に住む奴の依頼なんて、受けなくて良かったんじゃないですか?」

「……」


 まただんまりか。このお人好しが。


 ――でも、辞められないんだよなぁ……。この仕事。


 足下の鋭い尾根を見ているはずなのに、若者の顔は何故か締まりがなくなっていく。

 意を決して、勢い良く顔を上げた。視界に入るのは、女の尻だ。


 ――いやぁ。目の前にご馳走があるのに、辞められないよなぁ。


 確かに、彼女は魅力的な体型だ。胸は決して大きくはないが、形が整っているのが、服の上からでも分かる。腹筋や背筋も鍛えているから、くびれも出来ているし、その下の臀部も弛んでもいなければ筋肉質でもない。


 要するに男が好きそうな体型だ、の一言に尽きる。


 顔だって、悪くはない。但し、感情を出さないせいか皺が一切ない。見方によっては美人だろうが、別の見方をすれば不気味さが目立つかもしれない。


 しかしこの若者にとっては、不気味さなど微塵も感じていなかった。

逆に、一緒に行って彼女の仕事を見届けろと“協会”から命令されたときは、本当に泣いて喜んだものだ。


 そして今、協会――“ホウセンカ”に依頼してきたという、山奥の村に向かっている訳だ。

といっても仕事内容は聞いていない。「現地で聞け」というのだ。経験上、そういう場合、あまり良い仕事とは言えない。金銭的にも、精神的にも……。


 ちなみに若者の名前は“レッド”。孤児だ。つまり悲しむ者はいない。

要は失敗しても“代わり”がいる、ということだ。


 ――とりあえず何とかなるだろ。

 ――次本気出せばいいや。

 ――俺のこと理解しない皆が悪いんだよ。


 これがレッドにとって、人生を上手に生き残るコツだ。だから、今更孤児だからって悲観するつもりはない。

 第一、目の前のクールビューティーが、バグを退治してくれるから、ただ見届ければいい。尻を見てればいいのだ。役得、役得。


 そして目の前の女は、“テレーゼ”。可愛らしい名前とは裏腹に、敵を倒すのに眉一つ動かさない。仕事は失敗したこともなければ、愚痴も言わない。――という噂だ。実際組むのは初めてなので、本当かどうかは分からないが。


 そんな二人だから、こんな面倒そうな仕事を任せられたのだろう。


 *


 この冬の時期に山に入るなんて自殺行為だ。道も分からないし、下手したら冬眠に失敗した獣に出会うかもしれない。吹雪や雪崩に襲われ、遭難するかもしれない。

 とにかく、危険が一杯だ。それでも、依頼があれば行きゃならない。つらい稼業だ。


「ハァ。ハァ。ハァ……」


 濡れ雪が足に絡みついて、鉛のように重い。

 レッドが怒りを募らせていく。


「……」


 一方テレーゼは、やはり表情一つ変えない。まるで機械のように、規則正しく足を前に出していく。


 ――本当に村の場所分かってんのか?


 テレーゼの尻を見つめながら、レッドの脳裏には不安が浮かんでいた。

 しかし、結局レッドの通り越し苦労に終わった。

 葉が落ち切った木々の間を何度も抜けること、数時間。時には転んだり、雪の割れ目に落ちたり――何とか、依頼があった村には到着できたのだ。

 もう陽が傾いていた。


「だ、はぁー」


 レッドが思わず、地面に座り込んだ。舌をまるで犬のように、だらしなく出している。

 村は雪に覆われ、真っ白だった。

 粗末な木の板で出来た、小屋と呼ぶにも気が引けそうな、ボロボロな建物達は、雪の重みで今にも崩れ落ちそうだった。


 村人はほとんど農業を営んでいるのだろう。鍬や鋤などの農機具が、軒先に立て掛けられている。しかし、それらは全て錆びていたり、折れていたりと、道具の体を成していなかった。


 というより、こんな土地で農業なんて、果たして出来るのか。別の土地に引っ越せば良いような気もするが。それとも出来ない理由があるのか。疑問が尽きない。


 ――なんか、貧乏臭い村だなぁ。金なんか払えるのかね。


 レッドが、やっぱりと言わんばかりに肩を落とした。


「誰だ! リュウランゼを呼んだのは!?」


 今の今まで、村とも呼べぬこの集落に、閑古鳥が鳴いていたというのに。

 急に現れた男の怒号によって一蹴されてしまった。しかも、決して質のよくない金属の農機具をレッド達の背中に突き立てながら、だ。


「何だって!?」


 今度はその声が合図となって、まるで虫の如くぞろぞろと群がってくる始末。とうとう取り囲んでしまった。しかし、その眼孔はよく見ると空虚だった。


 ――相変わらず嫌われ者、か……。


 何度同じ場面に出くわしたか分からないが、溜息だけは禁じ得なかった。

 嫌われる理由はただ一つ――。


“リュウランゼは死神を連れて来る”。


 この大陸に伝わる悪しき噂だ。もちろん死神というのは、たとえに過ぎない。事実は違う。“奴ら”が暴れているところにリュウランゼが現れるのに過ぎないのだ。


 奴らの名はバグ。――人間が勝手につけたもので、総称に過ぎない。特徴や姿形はさまざまだ。

 唯一つの共通点がある。それは人間を襲うことだ。

 そんな奴らを始末するのが、仕事という訳だ。


 しかも意外なことに、その仕事の大半は、依頼から成り立っていることを、大陸の住人達は知らない。知っているのは一部の人間だけだ。

何故か。

 その方が都合が良い人間もいるということだ。たとえば宗教の教祖なら、これを“神の怒り”として利用することができるし、土地の有力者は“自分が解決した”と宣伝できる、という訳だ。


 といっても、この女はリュウランゼの中でも嫌われていて有名だった。そのためか、通り名を“ジャンクボンド”という。

 ちなみにリュウランゼにもその強さに応じて、ランク付けされているのだが、テレーゼはそれ以下――つまり格付けされていないのだ。


 それは弱過ぎるためか、それとも……。


 結局、本当の理由を知る者は誰もいなかった。


 いきなり子供が石を投げて来た。

 「痛てっ!」誰だ。今石を投げた奴は? まったく、どういう教育を受けてるんだか。あぁ。そういう教育か。

 ついでに、切っ先も背中に突き立てられている。

 たとえ錆びれていても、農機具も立派な武器に様変わり。


 一応、こういう状況を想定して、普通なら協会から護身用に武器の一つや二つ支給されてもおかしくないのだが、現実は甘くない。もちろん準備金もない。貰えるのは、仕事が終わってからの僅かな手間賃のみ。


 刃の付いたものは、髭剃り一つだって、凶器になるということで、帝の命で禁止されている。なので闇市しか買えず、値段が無駄に高騰。ましてや、飛び道具なんて、まるで魔法の道具。存在していない伝説と等しかった。

 なので、結局高くて買えないという話。


 ということで、今は丸腰。まぁ。目の前のクールビューティーが助けてくれれば良いが。無理だよなぁ……。


 ――こんなところで、命を落とすとは、何と軽い命だろうね……。


 突然何かが煌いた。足元の雪を反射させたらしい。

 一体、何が……?

 「しに――」

 ――死神。

 多分、こう言いたかったのだろう。


 いつの間にか村人の一人が、首筋に刃を突き立てられていた。


 それだけじゃない。


 その手前に群がっていた村人達が、持っていた農機具の無様な姿を呆然と見つめていた。

 時間差で農機具の柄が、真ん中からバラバラと地に落ちていく。

 他人は気付いていないようだが、レッドの視界の端で、テレーゼが素早く抜刀し、相手の得物を次々に切り捨てていたのだ。


 ――もしかして、助けてくれた……?


 暫くすると、まるで悪魔の仕業だといわんばかり、村人達が口々に喚き散らした。もちろん悪魔とはリュウランゼのこと。

 さらに殺気が満ちていく。周囲の空気が冷たく、張り詰めて来た。

 沈黙がさらに、重力を増していく。


 ――本当だったら、斬り殺されていたっていうのに……。


 村人達は、気付かないどころか、さらに人数を増やして迫ってきた。


 ――命が惜しくないのかね。


 レッドが静かに溜息を吐いた。


 「やめんかっ!」


 その声で、殺意に満ちた目をした村人達の動きがピタリと止まる。直後弾かれたように、それらの首は声の主に向けられた。皆一様に驚きの表情を張り付けて。

 誰かが言った。


「ちょ、長老……」


 その後長老の前では、村人はレッド達に攻撃を加えることはなかったが、その視線はやはり鋭かった。

 どうやら、長老の言葉は絶対らしい。

 しかし、そんなことをいちいち気にしていたら、こんな仕事をしていられない。


「すまんのう。儂が呼んだのに……。中には血の気が多い者もいてな」


 そんな村人の代わりに詫びたのは長老だった。ただでさえ、曲がっていた腰をさらに折って、深々と頭を下げ出した。

 つまり、リュウランゼを呼んだのは長老の独断か。


「い、いや気にしないで下さい。俺達はいつも嫌われていますから」


 レッドが慌てて、頭を下げる長老の顔を覗き込んだ。――しかし、その顔は、謝罪の念とは違っていた。


 ――いや、気のせいだ。そうだ。そうに違いない。

「……!」


 その表情を見てしまったレッドは、驚きのあまり、一瞬自分の顔を遠ざけた。

 まるで、表情が……ない。死んでいるみたいだ。

 い、いや、たまたまだよ。下向いているから、顔に陰が入っただけだよ。白目と黒目の境目が見えにくくなっただけだよ。――レッドは自分に言い聞かせた。

 顔を上げた長老は、深く刻まれた目尻と共に、好々爺よろしく、微笑んでいた。


 ――ほら。気のせいだよ。


 そして、殺気に満ちた視線を背に浴びながらも、家に招いてくれたのもやはり長老だった。


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