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ジャンク・ボンド 第二章 5

 大股で遠ざかる彼女の姿を視界の端に入れながら、思わず正座した足を崩したレッドが、体の痛みに顔を歪ませる。「たく。俺はなんて不幸な男なんだ」


 彼が思わずぼやいた一言に、砕封魔が相槌を打った「不幸か。違いねぇ」


 そんな二人の耳に、言い争う声が飛び込んできた。


 一人の少年が、「ねぇ。オジサン、リュウランゼになるにはどうしたら良いの?」と、背を向けた店員に話しかけていた。


 一方、話しかけられた店員は振り返り、「オジサン? 俺はそんな年じゃねぇぞ。ガキ」と、自身のズボンの裾を掴んだ少年の腕を解こうと、ジタバタと足を動かし続けた。


 食事もろくに摂っていないであろう、少年のか細い腕が、店主が蹴って解こうとする度に、仰々しく振り回されていた。


 そんな少年の袖を引っ張りながら、血相を変える一人の男がいた。


 「ね、ねぇ。別の人に聞かない? ――“ライナス”君」


 「自分の息子に、“君”付けするなよ。気色悪い」


 「気色悪くても良い! 早く逃げよ! でないと――」


 父親の言葉が、突然の鈍い音で遮られてしまった。


 視界の端で、何かが吹き飛ばされていくのが映り込んだ。


 実は、ズボンの裾を掴まれた店主は怒りを露わにしながら、勢いよくライナスの腹部を蹴り上げていたのだ。


 「ライナス!」


 まるで物のように地面を滑っていく息子の名を、父親が必死に呼んでいた。


 「お前のようなヤツが、リュウランゼになれる訳ないだろ。店の邪魔だ!」


 「う……」


 しかし店主の言葉を聞いている余裕はなかった。あまりの苦しみに、ライナスは腹部を押さえて、蹲って唸り声を上げるだけで精一杯だったからだ。


 徐々に唸り声すら出せず、呼吸すらままならない少年に対し、店主が“馬鹿馬鹿しい”と言わんばかりに、唾を吐き捨てて立ち去ろうとした。


 その背中に、怒りと恐怖が混じり合ったような言霊が投げられた。


 「わ、私の息子に何をする!」


 一人の男が、顔全体を涙でクシャクシャにしながら、しかし、それでも息子を庇うようにして、前に立ちはだかったのだ。


 一方、振り返った店主は「何だぁ? このオッサンは」と怒気を孕ませた。


 店主の鋭い睨みに、こちらも負けまいと父親は睨み返したが、結局怯んでしまった。

 両目がバタフライしている。いや、溺れている。それどころか呼吸も荒くなり、救難信号を出せずにいた。


 「わ、わ、わ……私が、あ、あ、あ、相手――になっちゃっても良いかなぁ。なんて。ハハハ……」


 もはや、自分で何を言っているのか分からなくなっていた。


 そんな父親を見下ろし、店主が下卑た笑みを浮かべた。


 「へぇ。オッサンが俺の相手をするってか?」


 一方、痛めつけられた少年は、自分を守ろうとする父親のことを呼ぶだけで精一杯だった。「父ちゃん!」


 「……」


 父親の背中は、振り返ることはしなかった。しかし、恐怖で小刻みに震えていた。


 そんな二人に対し、痺れを切らした店主が、父親の脇腹めがけて蹴りを入れようと、足を振り上げた。


 「!」


 思わず目を瞑る父親。――しかし聞こえてきたのは店主の「痛ぇっ!」という声だった。


 「……?」


 父親が恐る恐る目を開けると、自身の足をさすりながら涙目になる店主がいた。


 そんな店主に対し、自分が窮地に追い込まれているのを忘れ、父親が慌てて近づいてしまった。


 「ど、どうしたんですか?」


 一方店主は地面に転がり、悶えていた。


 「“どうしたんですか”じゃねぇだろ! お前、腕に何か隠してんだろ!」


 父親が、店主の言葉に一瞬訝しげな表情をしたが、自分の左腕に目を移し、納得した。


 「べ、別に何も隠してなんか。――あ。私、義手なんですよ」


 「この野郎。立派な凶器じゃねぇか!」


 怒りのやり場をどこに持っていいか分からない店主が、再び殴ろうと飛び掛かった。

 しかし、腹部に何かが当たり、結局地面に転がってしまった。


 どうやら父親の“お手上げ”をしたタイミングが重なり、両手の拳が腹部に叩き込まれたらしい。


 「りょ、両手かよ……」店主が勝手に燃え尽きた。


 「大丈夫ですか!」と駆け寄ろうとする父親――その両手を、店主の片手がすかさず掴み上げた。おかげで父親の体が宙に浮いてしまった。


 「な、何ですか!?」と、父親が徐々に浮き上がっていく自身の体にキョロキョロと目を移しながら、声を上ずらせていった。


 一方店主は、「五月蝿ぇ!」ともがく父親を制止しながら、空いた拳でその脇腹に何度もボディーブローを叩き込んでいく。


 「……! ……! ……!」


 その連続した鈍い音がする度に、父親の顔から表情が消え失せ、生気が逃げ出していく。

 悲鳴の代わりに、叩き込まれる度に肺から酸素が強制的吐き出されていった。酸欠とともに、意識が薄れていくのが分かったが、どうすることもできなかった。


 「父ちゃんを離せっ!」


 店主の体を必死に叩くライナス。――しかし、店主の一蹴りで簡単に飛ばされてしまった。


 こういうとき、世間は冷たいものだ。いや、世間から外れた闇市の人間なら尚更か。


 親子が一方的にやられているというのに、周囲の人達は助けてはくれなかった。ただ、通り過ぎるだけ――。


 自身の無力を知り、ライナスの顔が涙に濡れる。そして口を開いた。「誰か、助けて!」


 だが、一人の少年の声で歩みを止める者も、振り返る者も、ヤジを飛ばす者すらいなかった。他人のことに無関心の人間しか、ここにはいないらしい。


 「くっ……!」


 ライナスは、悔し紛れに地面の土を力一杯握った。


 その時だった。――店主の体が吹き飛ばされたのは。


 「……?」


 突然地面に投げ出され、意識が朦朧とする父親は、何が起きたのか分からず、ただ酸素を目一杯吸おうと呼吸を荒くするだけで必死だった。


 そんな父親の視界には、一人の男が立っていた。しかし、何処か様子がおかしい。自分が握っている剣に話しかけていたのだ。


 「何てことしてくれたんだ!」


 「面白ぇから、良いじゃねぇかよ」何故か剣から声が出ている。


 奇妙な光景だった。一人と一振が、人目をはばからず――というか、親子を無視して――勝手に喧嘩を始めている。


 「何が“面白い”だ! 俺の体がもたないだろ!」


 「おめぇの代わりなんか、いくらでもいるだろ?」


 一方、呼吸を整えた父親はというと、目の前の奇妙な喧嘩をしている――ように見える――レッドに、何とかお礼を言おうとしていたが、どうもタイミングが合わず苦労していた。


 「あ、あのー」


 しかし、一向に気づいてくれない。


 一方で、レッドが刀に怒りをぶつけていた。


 「はぁ!? 俺がいなければ、何も出来ないクセに」


 「あ、あのー」何処か遠くで父親の声が聞こえた気がした。


 「何言ってやがる。この“指示待ち”人間が!」


 今度は、父親がレッドの前で大袈裟に手を振てみる。「もしもーし」


 しかし気づいてくれない。それどころか、彼の後ろに現れた顔の真っ赤な店主にも気付いていないようだ。


 息を荒くした店主が、レッドのことを睨みつけていたのだ。

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