これが異世界転移なら殺したの妹じゃね?
のんびりお楽しみください。
ビルの隙間から見える月は格別に美しい。
コーヒー缶を片手に眺める。これ以上に美しいものはないと思っている。
「あぁ、今日も疲れた」
ビルの屋上で一人、スーツ姿の男は呟いた。
錆びれたフェンスに身体を預け、星空を眺める男は、齢30歳の独身貴族だ。
「うまい」
男はまた、コーヒーを口にする。
時刻は一時を回り、帰るための電車も次の日に備えて眠りについている。
男にはもう帰る手段が残されていなかった。
「寒くなってきたな、息も白い」
夏の夜は昼に比べると肌寒く、夏服のスーツでは寒さに耐えるには難しい。
「さて、そろそろ眠るか。明日もはや、い……」
男はそう言って、この寒空の下、覚めることのない眠りについた。
「やあ、起きたね」
男が目を覚ますと、目線の先に、あの日見た星空と比べ物にならない程、美しいプラチナブロンドの髪の女性が立っていた。目線を外せないほど整った容姿に、清楚で純白ドレスを纏った女性がそこにはいた。
「綺麗だ……」
「あはは、開口一番にそれかい?まぁ、ボクが美しいのは当たり前さ」
照れることもなくそう言った女性は、自慢することもなく喜ぶこともなく、当たり前のことだと言い放った。
唖然とする男だったが、女性の背後を見て気づいた。
そこがビルの屋上ではないことに。
そこは見たこともない植物が生え、美しく気高い花が咲き誇り、満天の空は虹色のオーロラを纏っていた。
どこまでも続く木々の群れは男の荒んでいた心を包み込み、静かに癒しを与えた。
きれいな空気がさらに心を穏やかにした。
落ち着いた男は目の前の女性に視線を戻す。
女性はそれを暖かな笑みで包み込んだ。
男は心を許され、もっともな疑問をぶつけた。
「ここは?」
「ここはね、君達のいうところの天国さ」
女性はまた、なにを当たり前なことを、と笑った。
「なぜ?」
「なぜって、わからないかい?君はね、亡くなったんだよ。あの星空の下でね」
そう言われて男はハッとする。
「そう、君はあのまま永遠の眠りについたのさ。苦痛のない寒空の中、一人寂しくね……でも、ボクはいいと思うんだ。あんな綺麗な世界を最後に見られて。綺麗だったろ?」
女性に言われて男は目を細めた。
「そう……ですね。確かに私には贅沢すぎる死だった」
「ええ、だからいいじゃない。ボクは好きよ。あなたのそういうところ」
「ありがとう。天国というところがどんなところか知りませんが、このまま成仏できるのでしょうか?」
思いきりのいい彼は直ぐ様、死を受け入れた。
そして、死という終わりを得られた彼は満足げにそう言った。
「成仏、できるよ。でもね、ボクは君に褒美をあげたいんだ」
女性は彼の良さを知っているからこそ、ある提案をする。
「君にはボクが創ったもうひとつの世界でもっと温かい死を迎えて欲しいんだ」
「これ以上にない贅沢な死があるのでしょうか?」
男はあの死が限界ではないのか、となんの疑いもなく言った。
「あるさ。だから、君にはその贅沢な死を見つける旅に出掛けて欲しい」
「旅?」
「そう、旅さ。もちろん、旅のお供はつける。君には次の人生で大切なものを手にいれる。そしてそれを守るには力が必要だ。こっちにきて」
女性は男に微笑んで手招いた。
手を引かれ、進んでいくと、そこには陶器のような美しい白の神殿があった。
「ここはね、運命の采配をする神殿なんだ。ここで君の力を選定する」
「力?」
「そう。さ、この水晶に手を触れて」
男は女性に言われるがまま、その水晶に両手を置いた。
すると、水晶は紋様を描きながら光り輝き、神殿全体をも光で包み込んだ。
「これは……?」
「うんうん、君は良いものをもっているね。やっぱり一人は寂しいもんね」
女性はまた微笑んだ。
光が収まると、紋様は浮かび上がり、一つの黒い球体へと変わっていった。
「これは?」
「君の力さ。受け入れてくれ」
男は球体に手を伸ばすと、球体は形を変えて男の手を飲み込んだ。
「な、なんだ、これ?頭に何かが流れ込んでくる……こ、れはなんだ?」
男は頭を抱えてしゃがみこんだ。
「ふふ、それはいい能力だよ。けど、それはあの世界では異端だ」
「異端?」
「うん、行けばわかるけど、君はボクのお気に入りだから教えてあげる。それは空間を統べる力さ。それも強大だ。その力だけで君は世界を手にいれることができる。けど、君にはそんなことをする野心がない。だから、安心しているよ。それが君のような人に渡ることに」
女性は何かを企むように微笑んだ。
「あぁ……そうか。これはこういう力なのか……」
男は次第に送り込まれてくる情報を理解していった。そしてその能力が彼女の言ったようなものだと大まかに納得した。
「情報が組み込まれて理解できるようになったでしょ。それで君はどうする?」
「貴女にいわれた通り、旅をします」
この力は一つの場所にとどまっておくには危険が伴う。
そう考えた男は、女性の言葉に従うことにした。
「そう。ボクは君に頼みたいことがあるんだ、聞いてくれる?」
「なんでもおっしゃってください」
「ありがとう。実はね……君にはボクの世界の教会を滅ぼして欲しいんだ」
女性の願いはあまりにも突拍子な話だった。
「教会をですか?」
「そう。ボクを奉ってる教会」
「どうしてですか?」
奉られているのなら、普通なら守って欲しいと思うが、女性の話を聞き、男は理解する。
「腐ってるからだよ。彼らはボクではなく金と欲のみを信仰している。そんな教会にも信徒はいるけど、上層部は腐りきっている。だから、教会を潰してくれ」
「私にできますか?」
「できるさ。だって君は、前世であらゆる手段を使って妹を殺した犯人を社会的に抹殺してるじゃないか」
女性の言葉に男は頭をかいた。
「知っていたのですか?」
「ボクはね、気付いてると思うけど神なんだよ」
「そうですよね……」
「うん、だから君のことはなんでも知っているんだ。お願いできるよね?」
女神は威圧的に言った。
男もまた、観念して頷いた。
「仰せのままに」
男は女神に跪いて頭を垂れた。
選定も終わり、あとは男を送り出すだけとなった女神は男に最後の言葉を送った。
「君には世話になる。だから一つだけ願いを聞こうと思っている。なにかあるかな?」
「妹を殺した犯人を地獄に送ることと、妹に「愛してる」と伝えてください」
「二つとは贅沢だね。でもお気に入りだから許しちゃう。けど、妹には自分で伝えるといいよ」
「え?」
「あはは、これでボクとはお別れだ。来世では幸せになってくれよ」
女神が手を振ると、男の身体が砕けたホログラムのように分裂していった。
そして、男は言葉を発することもできずに次第に消えていった。
女神は消えていく男の頬に手を触れると、愛おしそうに微笑みかけ、こう言った。
「いってらっしゃい、お兄ちゃん」
そして、男はチリも残さず、その場からいなくなった。
残された女神は名残惜しそうに、そのチリを眺めたあと、後ろから近付いてくる人影を見つけ、男に見せたことのない満面の笑みを浮かべた。