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【8】火焔砲の魔術師 ~念のため「もう遅い」を7回使った~(海雀撃鳥)

「もう遅いよ、魔術師さん。この街の城門は日暮れ前にゃ閉まるんだ」


 城壁に囲われた国の城門で、中年の衛兵が面倒くさそうに言った。

 言われたのは一人の魔術師であった。赤毛で、同じく赤い目を陰気に伏している。襤褸切れめいた煤けたローブに身を包んでおり、年齢以上にみずぼらしく見えた。


 彼らの前では鉄製の門がゆっくりと閉まりつつあった。城壁の外にいる魔物や盗賊から街を守るため、どこの街でも刻限になると門を閉じる決まりとなっているのだ。


「悪いけど、今日のところは城門の外で夜を明かしてくんな。決まりだからよ」 

「……承知した」


 魔術師が言い返すでもなく踵を返した。

 ――その横を一台の馬車が大急ぎで駆け抜ける。


「あーっ! 待って待って! 通りまーす!」


 御者台で馬を操っていたのは、一人の若い女であった。

 伸ばした茶髪を後ろでまとめ、質素な深緑の婦人服に身を包んでいる。裕福な平民、おそらく商家の女主人といったところだろうか。


「ごめんなさい、もう刻限かしら? 行商の帰りに馬がくたびれちゃって……」

「ライラック家の奥様じゃないですか。ちょっとお待ちを、今門を開けます」

「ありがとう。……その方は?」


 女が不思議そうに魔術師を見た。門番がしどろもどろになりながら答える。


「旅の魔術師だとかで……その、もう刻限なので……」

「あら、それじゃあ私も入れないのね」

「あ。いえ……」

「良かった。ならこの方も入れるわよね」 


 どこか楽しげに問い詰める女に対して、門番がたじろぐ。どうやらそれなりの有力者らしい――所在なさげに立つ魔術師に対して、彼女はぱちりと片目を閉じて見せた。


「魔術師さん、お名前は?」

「…………マーシー・ゼムオール」


 魔術師が名乗った。


「マーシーさんね。私ライラ・ライラック、商人をしています――もう遅い時間だし、今から宿を探しても多分見つからないわ。良ければ私の屋敷にいらっしゃいません?」


 ◇


「ごめんねぇ、テンソちゃん。急に無理言っちゃって」

「――まったくですよ。奥様はお人好しが過ぎます」


 手際よくテーブルにティーカップを並べつつ、テンソと呼ばれた小柄なメイドの少女が口を尖らせて言った。

 道中に女主人から聞いた話によると、ライラック家の屋敷の使用人は彼女一人らしい。魔術師は借りてきた猫のようにぽつんと席に座ったまま、所在なさげにメイドの手際を見つめていた。


「でもこの人凄いのよ、魔術師さんなんですって!」

「解りませんよ、我流で一つ二つ(スペル)を覚えただけのボンクラでも魔術師は魔術師ですから。――あなた、どんな魔法が使えるんです?」

「……」


 魔術師が無言で卓上のランプを引き寄せ、灯芯を指で弾く。

 すると――ぱぁん、と破裂音が響き、灯芯の先端に小さな火が灯った。


「まあ!」


 女主人が目を輝かせて拍手をしたが、メイドの視線は冷めたままだった。


「このしょっぱい火炎魔法(ファイアマジック)だけですか? 他に凄く高度な魔法が使えるとか」

「…………いや。人に見せられる魔術は、これが精一杯だ」

「じゃあ魔道具の設計とか」

「……できぬ」

「よく効く薬を作ったり」

「……できぬ」

「ただの穀潰しじゃないですか」

「テンソちゃん、失礼よ。――ごめんなさいね。とっても要領がいい子なんだけど、ちょっと性格きつくって」


 妹を窘める姉のような調子で女主人が言ったが、魔術師は首を振った。



「事実だ。私には何の才もない……人の役に立つようなことは、何もできぬ」



 魔術師が重々しい表情で黙り込んだ。


「どうやって生きてきたんですか? そんな有様で」

「ヴェニヴィディヴィシという国にいた。……だが半年前に滅び、私も全て失った」


 魔術師が短く答え、カップを口元に運ぶ――薬草茶の類らしく、妙に甘ったるい匂いがした。魔術師は飲まずにカップを戻した。


「不慣れな力仕事をしながらいくつかの国を渡った。その日の宿代にも困る日々だ。……何故お主は私のような者に便宜を図り、屋敷にまで上げてくれた? 自分だけ通ることもできたであろう。私が無法者の類だとは思わなかったのか」

「私だって誰彼構わず庇うわけじゃないわ。けど……あなたが捨て猫みたいな目をしていたから、思わず助けてあげたくなっちゃったのよ」


 女主人が母性的に笑った。


「私もね、ちょうど半年前に夫を病気で亡くしたわ。……だから魔術師さんの辛さは、少しだけ解ると思う」

「今も恥知らずな連中が妾にしてやるって言ってくるんですよ」

「……そうか」

「実際、そう悪い話でもないんでしょうけど……夫が遺してくれた財産もあるし、このままテンソちゃんと二人で暮らしていくのも悪くないかなってね。――ふぅ」


 薬草茶をゆっくりと飲んだ後、女主人はぼうっとした視線を魔術師に向けた。


「このお茶、美味しいでしょ。知り合いの商人さんがたくさん贈ってくれたの。……ええと……何の話だったかしら……。そうそう、あなたさえ良かったら、この国にいる間はずっと泊まっていってちょうだい。自分の家だと思って」

「仕事は探してくださいよ。この家の蓄えもそう潤沢じゃないんですから」

「……何から何まで……ありがたい」


 座したまま、魔術師は恭しく頭を垂れた。


 ◇


 それから数日の間、魔術師は朝になれば冒険者ギルドへ通って日雇いの仕事を請けた。一般の魔法使いのような仕事はできないため、もっぱら簡単な荷物運びや掃除をした。そして夜になればライラック邸に戻り、メイドの少女が作った夕食を3人で摂り、眠る。滅びた故郷を発って以来、もっとも幸福な環境であった。


 そんな、ある日――魔術師が仕事から帰ると、明らかに苛立った様子のメイドが中庭に座り込んでいた。


「どうした」

「……」


 メイドが無言で応接間の方を指した。

 魔術師がそちらに視線を遣ると――二人の男が女主人と話しているのが見えた。


 一人は金糸の刺繍が入った豪奢な紳士服に身を包んだ肥満体の男。威勢よく話しながら両手をわきわきと動かし、女主人の身体にぎらついた視線を送っている。

 もう一人は肥満体の男の従者であろう、黒服を着込んだ老執事である。白髪交じりの髪をワックスで完璧に整え、ぴしりと背筋を伸ばして主人の脇に控えていた。


「あの者らは」

「ジャバザ・キャスケット。この辺を牛耳ってる大商人で、亡くなった旦那様の商売敵だった人。……奥様を愛人にしようとしてるんです。あちこちの街に何人も妾を作ってるのに」


 メイドが小声で憎々しげに言った。その視線の先では女主人が愛想笑いを浮かべ、ジャバザの言葉をやり過ごしている。


「人は見かけによらぬというが」

「見かけ通りですよ、あいつは。……妙な薬や魔術を使って人を言いなりにしてる、なんて噂もあるし。でも睨まれたら仕入れができなくなるから、商人は誰も逆らえない」

「ころ――いや。難しいことだな」

「まったくですよ」


 複雑な表情で黙り込んだ後、メイドは続けた。


「旦那様が病気で亡くなって、まだ半年なのに。奥様も明るくしてるけど、最近はぼーっとすることが増えてきて……この暮らしもいつまで続くか……」


 その声は心なしか震えていた。



 それから、また数日。

 魔術師は変わらず冒険者ギルドに通っていたが、働く時間は減った。その分をジャバザ・キャスケットの商会についての情報収集に宛てた。


 それは見ようによっては愚かな行為であろう。だが魔術師にとって脅威となりうる存在の情報を集めることは、もはや身体に染みついて直しようのない習性であった。


 その結果、以下のことが解った。

 曰く、ジャバザは隣街に伯爵令嬢の妻がいる他、あちこちの街に10を超える愛人を作っているとのことだった。見初められた女は最初は例外なく迷惑がるものの、数ヶ月もすれば最初の嫌悪感はどこへやら、喜んで彼に囲われるようになるらしい。それが「魔法で従わせている」という噂の根源となっている。


(だが人間を支配するなぞ、並の魔術師の所業ではない)


 妙な話である――動物や魔物を支配する魔術ならあるが、人を操るほどの高位魔法を使えるのは宮廷魔術師クラス、それもそういった分野を専攻している者に限られる。商人が仕事の傍らに身に着けられるようなものではない。


 噂は噂、ということかもしれないが……メイドや女主人の反応を見るに、女に好かれるような話ができる男にも見えなかった。


(何らかの手段で魔法の効果を高めている? だが如何にして……)


 もう少し判断材料が必要だ。

 魔術師が夕暮れの中を歩いて屋敷に戻った時――事は起きた。



 帰ってみると、屋敷に女主人の姿はなかった。単に出掛けたという訳ではないことは、暗い廊下で一人泣き続けるメイドを見れば解った。


「何があった」

「奥様が……」

「連れ去られたか」


 メイドが泣き腫らした目を擦りながら頷いた。


「今日ジャバザが来て……奥様、いつも通り断るって言ってたのに……急に詳しい話が聞きたいって、あいつの屋敷に行っちゃった……どうしよう……!」

「帰りを待つか」

「もう遅いのよっ! あいつが何か魔術を使って奥様を言いなりにしたんだわ! 権利書か何か書かされたら、この屋敷はあいつの物になっちゃう……私、何もできなくて…………」

「よく解った。お主はここで待っておれ」


 そう言って魔術師は自分の部屋に戻ると、古びた旅鞄を一つ持ってきて、中から布に包まれた板状の何かを取り出した。


「どうするの?」

「お主の言葉が真実ならば、もはや一刻の猶予もあるまい。屋敷に乗り込み、そして」


 魔術師が布を解いた。

 そこにあったのは――乱杭歯と角を持った怒り顔の怪物を模した、黒塗りの鬼面である。魔術師はそれを己の顔に着けると、後ろで紐を結んだ。

 

「……この私に唯一残った取柄(とりえ)をもって、全ての禍根を除くことにする」


 ――鬼面の下、四白眼に見開かれた赤い眼には、怒りと殺意の火が灯っていた。





 キャスケット邸はライラック邸より更に大きく、貴族の館に比べても遜色ないほどの豪奢な建物であった。


「おい貴様。ここはキャスケットの本邸だぞ……!?」


 その正門前。襤褸切れめいたローブを纏った鬼面の人影が暗がりから現れたのを見て、門番の男が後ずさる――直後、視界から鬼の姿が消え去り、代わりに背後にあるはずの屋敷が飛び込んできた。


「責めは地獄で聞く」

 

 隣でぼそりと声がした。

 気が付けば門番は後ろを向いていた――否、首を真後ろに捻じり折られていたのだ。鬼は片腕で正門を開けると、死体となった門番を門の中へと引きずり込んだ。


 それなりに広い中庭には薔薇や苺、香草(ハーブ)の類が栽培されていた。――その中に甘ったるい香りを放つ草の鉢植えを見つけ、鬼が不愉快げに眉を顰める。


(これは禁制品の毒草。効能は確か……理性を鈍らせ、呪いへの抵抗力を弱める)


 鬼はかつて同輩から得た知識を思い返していた。

 元より支配の術とは暗示や催眠に近いものだ。一発で人間を支配するような真似は、余程高位の魔術師でなければ不可能である。だが――こうした薬で抵抗力を下げつつ、何度も繰り返し暗示をかければ、どうか。


 庭を抜け、鬼は屋敷の扉を押し開けた。

 扉の先はタイル張りの床に絨毯を敷いた、豪勢な造りの玄関ホールであった。


「――ジャバザ・キャスケットはいるか!」


 鬼が雷鳴めいた大音声(だいおんじょう)を上げると、一分もしないうちに正面――二階の奥へと続く扉が開き、肥満体の商人と老執事が姿を現した。その後ろには呆けたような表情の女主人の姿が見える。


「夜分に押し入ってワシを呼ぶ! 誰だ、貴様は!」

「あの襤褸切れのようなローブ、少し前からライラック邸に出入りしている魔術師崩れですかな。マーシーとか言いましたか」

「如何にも。……お主が婦人を連れ去ったと聞いて来た」

「ぶふっ!」


 ジャバザが突然噴き出した。


「グフフハハ! 連れ込んだだと? あのメイドの思い込みを真に受けて来たということか! ……ほれ、言ってやるがいい! お主はワシに無理矢理連れ込まれたのか?」


 肥満体の商人が女主人の腰を抱き寄せると、彼女は嫌がるでもなく身をすり寄せ、それから穏やかに笑った。


「勘違いよ、マーシー。ジャバザ様は、素敵な方。私も、家の財産も、彼のお世話になることにしたわ」

「亡き夫の屋敷はどうする」

「引き払うわ。……もう帰って頂戴」


 女主人がぎこちなく言うと、笑顔のままジャバザの胸板に寄りかかった。ジャバザが得意げに胸を張る。

 同時に鬼の両側で扉が開き、家人と思しき男が二人、鬼をつまみ出そうと左右からにじり寄ってくるのが見えた。


「やはり精神支配か。斯様な児戯で人を欺こうとは笑止千万」

「ガハハ、何を言っておるのやら! たった今本人の口から聞いたであろうが、合意の上の話であると! これから正式な財産譲渡の書状を仕立てるところよ! ……もしや貴様、この女に母性でも感じておるのか? もう遅いわ! お邪魔虫は(はよ)う尻尾を巻いて――」


 ド パ ァ ン 。


 耳を聾するがごとき爆裂音と同時に、炎が鬼の両隣にいた家人を貫いて破裂させた。

 細かい肉片が血と共に降り注ぎ、上等な毛皮のカーペットを赤く汚していく。血と人肉の焼ける饐えた臭いが漂い、老執事が反射的に主人を後ろに追いやった。


「なっ……あ……?」

「茶番は終いぞ。私は談判や告発のために来たのではない」


 鬼面の奥の赤い眼が商人を射殺さんばかりに睨んだ。

 その襤褸切れめいたローブが発火し、瞬く間に燃え落ちていく――その下から露わとなったのは、夥しい返り血にドス黒く染まった戦装束である! 


「……お主らを殺しに来たのだ。一人たりとも逃がさぬ」

「もっ……物狂いめ! そのようなことをして許されるとでも!?」

「誰が許さぬのだ。社会か、法か、神か? 何であれ私を止めることはできぬ」

「ならば捕らえて縊り殺してくれる! 出会え、出会えっ!」


 ジャバザが叫ぶと同時に、ホールの各所で扉が開いた。そこから何らかの魔術的紋様を施した板金鎧(プレートアーマー)に身を包んだ男たちが二十数人、ぞろぞろと出て来て鬼を取り囲む。


「グフフフフ! 念のための備えが功を奏したわ。今のがどういう小細工かは知らぬが、そやつらが着ておるのは魔法防御の加護をかけた鎧よ。高い金を出した甲斐があったわ!」

「だったらどうした」


 鬼が面の裏で鼻を鳴らした。

 直後――またも空間に炎が出現。耐魔法鎧もろとも兵士を貫き、その上半身を爆散させる。

 

「なっ……!?」

「我が『火焔砲』の火は魔力の火に非ず。――拳速による空力加熱なり」


 唖然とする肥満体の商人の前で、鬼の右手が一瞬ぶれた。

 同時にドパァンと轟音が響き、空間に炎の軌跡が生まれる――すなわち対魔法鎧を貫いた炎の正体は、超高速の正拳突き!


「なるほど。強化魔法(エンハンスメント)……物理格闘型の魔術師か」


 老執事が得心したように唸った。


「武器や身体に魔力を行き渡らせ、強度と力を増す。さほど高等な魔術ではないが」

「鍛え上げた基礎魔術は生半(なまなか)な高等魔術を凌ぐ。鎧にかけた金が無駄になったな――だが安心せよ、金の心配は今日をもって無用となる。真の地獄を、真の魔術師の(いくさ)を、殺しに人生を懸けた者の業を見せてくれよう……!」


 溶鉱炉じみた怒りと共に、鬼が殺到する私兵の一人へと正拳を繰り出す。


 強化魔法(エンハンスメント)で強化された全身の筋力が炸薬となり、魔力に(よろ)われた腕を撃ち出す。拳が音速の50倍にまで加速。

 速度が衝撃を生み、衝撃が(プラズマ)を生んだ。高熱を帯びた正拳が板金鎧を易々と貫き、衝撃波が肉の中を伝播――肉と骨が四方八方に弾け、鎧を着た人体が水風船めいて爆裂! 血染めの装束が更なる返り血を浴びる!


「旦那様は奥の部屋へ。ここは私が」

「し、しかし……」

「こやつ、只者ではありません。恐らくは宮廷魔術師級の使い手。お早く!」


 老執事が奥の扉へとあるじを追い立てると、年齢を感じさせぬ身のこなしでホールへと飛び降りた。


「まずは名乗ろう、我が名はアルセ・アーホルン。……君も魔術師ならば名乗るがいい。マーシーというのは本名ではあるまい」

「――――マサクゥル・キル・ゼムオール」


 鬼が油断なく構えたまま答えた。老執事が片眉を跳ね上げる。


「なるほど、聞いた名よ。戦争国家ヴェニヴィディヴィシの本意なき生残者ということか。……だが、私もかつては宮廷に出入りした身」

「それが今や婦女暴行の尻拭いか。落ちぶれたものよ」

燕雀(えんじゃく)(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)(こころざし)を知らんや、君のような無軌道に上流社会は理解できまい」


 老執事は取るに足らぬと言わんばかりに鼻を鳴らした。


「キャスケット商会は多くの街で物流を支え、人々の生活を、社会の秩序を守っている。女を十人やそこら玩具にした程度、我々が果たしている義務の重みに比べれば大事の前の小事というもの。我々は一線を弁えている。最大多数の最大幸福だ」

「下らん。何が鴻鵠だ、(さか)った蟇蛙(ひきがえる)とその手下めが」


 鬼が淡々と言い捨てた。


「私のやることは一つ。お主を殺し、お主のあるじを殺す。そののち館に火を放ち、お主らの財産全てを灰にしてくれよう。その上で婦人を連れ帰る」

「破壊者め」


 老執事が腰を落とし、片手の掌をまっすぐ鬼へと向けた。その身体から白い魔力の光が噴き出し、分厚い半球状の障壁を形成する。


障壁魔法(バリアマジック)か」

「然り。わが生涯において、この壁を貫けた者は一人としていなかった」

「ならば私が最初の一人だ。……そして最後となる」


 鬼が身体を沈め、正拳に握った右腕を弓のごとく引き絞った。

 一瞬にしてその姿が掻き消え、立っていた床が放射状に砕ける。爆発的肉薄!


 直後――要塞に巨大砲弾が激突したかのような衝撃! 

 練り上げられた魔力同士がせめぎ合い、魔力で織られた障壁が凄絶な悲鳴を上げる。激突の衝撃波が室内の調度品を薙ぎ倒し、窓の硝子を砕いた。


「ぬぅぅ……っ」


 老執事が唸った。

 紙一重で障壁は持ち堪えた。本来であれば魔法障壁をもう一枚相手の背後に出して挟み込み、そのまま動きを封じて圧死させるところである。しかし!


(――連発!)


 眼前の鬼は息をつくことなく左腕を振りかぶり、二撃目へとシームレスに移行している! 反撃に出る余裕はない!


「ハァァァァーッ!」


 老執事が掠れた喊声と共に魔力を前方へ集中し、一枚目より更に強固な、要塞壁めいた厚さの魔力障壁を形成した。


「お主を殺す!」


 左の正拳が極厚の障壁に着弾。障壁の表面で魔力の光が弾け、亀裂が入る。


「お主のあるじも殺す!」


 右の正拳が極厚の障壁に着弾。更に広がる亀裂。老執事のこめかみに一筋の汗。


「お主らの嘯く秩序を砕き!」


 左の正拳が極厚の障壁に着弾。もはや障壁は崩壊寸前のガラス窓めいた様相……次は耐えられまい。老執事の目に緊張とさらなる闘志が宿る。


「全てを焼き尽くしてくれる!」


 右の正拳が極厚の障壁に着弾……しない! 老執事が寸前で自ら障壁を解除し、回避姿勢をとったためである! 衝撃波と轟音を響かせ、火焔砲が空を切った!


「――獣が吠えよるわっ!」


 老執事は懐から短剣を抜くと、それを腰だめに構えて吶喊した。

 障壁を囮に一撃を誘い、空振りさせ、生まれた隙に短剣を捻じり込む算段!


 しかし――切っ先が到達する直前、鬼は突きの姿勢から軸足を沈め、強引に片脚で跳躍! 今度は老執事の短剣が空を切る!


「何っ……」


 鬼が空中から踏みつけ(ストンプ)を放ち、老執事の手から短剣を叩き落とした。その反作用を利用して自身はさらに跳躍、両脚をコンパスめいて開きつつ前転――その左足が魔力光に覆われ、空中に炎の円弧軌跡を描く! 


「ッ――!」


 老執事はもう一度障壁を展開しようとした。だがもう遅い!


臓物(はらわた)を見せろッ!」


 ド パ ァ ン 。


 超音速のギロチンと化した胴回し蹴りが老執事の左肩を捉え、その胴を袈裟に両断した。切断面から脂の焼けた煙が上がり、タイル張りの床に血と臓物が零れる。遅れて、そこに上半身だけになった老執事がドチャリと落ちた。


「――『火焔砲』は一発限りの大技に非ず、無限に繋がる連撃の一要素に過ぎぬ。受けに回った時点でお主の負けよ」


 床に落ちた短剣を拾い上げて検分しつつ、鬼が言い捨てる。


「……地獄に……堕ちろ……」


 老執事が譫言(うわごと)のように呟き、そのまま事切れた。


「先に行って待っておれ」


 死体の脇を抜け、鬼が二階の奥の扉へと向かう。

 殺戮の舞台となったホールには二十を超える数の焦げ付いた破裂死体が散らばり、ぶすぶすと不愉快な匂いを放っていた。


 ◇


「執事は殺した。命乞いしてももう遅いぞ、ジャバザ・キャスケット」


 二階の奥の部屋、おそらく寝室であろう部屋の扉を蹴破ると、ベッドの上に腰かけて息を潜めていたジャバザが短い悲鳴を上げた。部屋の入口では女主人がぼうっとした表情のまま、何をするでもなく立ち尽くしている。


「ア……アルセまでもが……」

「お主が使ったのは魔物使い(テイマー)の使う調教魔術(ディシプリン)であろう。元来人間に通じるような術ではないが、お主は長期間に渡って毒を盛り、会うたび術を重ね掛けすることでこれを成した。よくも周到に企てたことよ。だがそれもお主の死によって無駄足となる」

「ぬ……ぬああ――っ!」


 ジャバザが苦し紛れに叫び、両手の指を動かして調教魔術(ディシプリン)の魔力波動を放とうとした。

 完全に効かずともよい、この殺戮者の動きを少しでも鈍らせることができれば……しかし術の発動より早く鬼が短剣を投げつけ、右手の指4本を同時切断! 調教魔術(ディシプリン)阻止!


「ぐわあぁぁぁ! ま、待て……大局的な視点で考えてみよ!」 


 ジャバザが出血する右手を押さえながら叫んだ。


「ワシは商会の主、金持ちとしての義務を果たしておる! ここでワシが死んで商会が潰れてみろ、何人が路頭に迷うことか! 侍らせておる女共にしても、ワシの金で生活の面倒を見てやっておるのだぞ! これは一種の社会福祉であって――」

「誰も聞いておらぬわ。問答なら地獄でやれ」


 怒り狂う鬼の声が弁明を遮った。


「私はお主が気に入らぬ。故に殺す」

「な……何たる理不尽! それでは通り魔と変わらぬではないか!」

「如何にも」


 鬼が無慈悲に告げ、鉤爪めいて折り曲げた十指をジャバザの顔面に食い込ませた。


「私の身勝手な怒りによってお主の商会は滅びを迎える。他者の尊厳を踏み躙って顧みぬお主の振舞い、その悪事の積立が満期となって、私という血に飢えた人喰い鬼を呼び寄せたのだ。これぞ因果応報なり」

「ゆっ……許してくれぇ! ワシが悪かった! もう二度と――」

「苦しめ!」


 鉄釘めいて硬化した指がジャバザの顔面から後頭部までを貫き、そのまま頭蓋骨をゆっくりと外側に割り広げていった。左右に引き裂かれていく商人の頭部から血と脳漿がこぼれ落ち、両目がぐるぐると別々の方向に動き始める。

 狂ってゆく視界と意識の中でジャバザが最期に見たものは、乱杭歯を剥き出しにして自分を睨む鬼の面であった。


「お゛お゛――――っごごお゛お゛お゛――あ゛――――っあ゛――――――っ……」


 ジャバザの頭部が柘榴(ざくろ)のように割れて左右に開き、残った下顎からデロリと赤い舌が垂れた。脳を破壊されて統制を失った身体が失禁しながらバタバタともがき、やがて糸が切れたように止まった。術者の死と同時に調教魔術(ディシプリン)が解け、気を失った女主人がその場に崩れ落ちる。


「……」


 鬼は女主人を肩に担ぎ上げると、その場にあったランプを叩き割って油を撒き、部屋に火を着けた。じきに火が回って天井が崩れるだろう。火を消そうとする人間も最早いない。


 失神した女主人を担ぎ、鬼は去った。後ろに炎と殺戮の痕だけを残して。

 

 ◇


 翌朝――原因不明の出火によってキャスケット邸が全焼した事実は、町中の知るところとなった。家主のジャバザ・キャスケットを含む住人全てが死亡した、痛ましい事故として。


「ごめんね、テンソちゃん。昨日ジャバザ(・・・・)さんを(・・・)()った(・・)()倒れちゃったんだって? 全然覚えてなくて……こんなことになるんだったら、昨日もう少し優しくしてあげればよかったかしら」

「あいつの相手をした心労で倒れたようなものでしょうに、何を言ってるんですか。あたしはむしろせいせいしました」

「あら、そんなこと言っちゃ駄目よ」

「……」


 ライラック邸。ベッドで休む女主人とメイドが仲睦まじく話すのを見ながら、魔術師は無言で旅鞄の手入れをしていた。既に恐ろしげな鬼の面は外し、買ってあった予備のローブを羽織っている。

 やがてメイドは「今日は一日大人しく寝ていること」と言い残し、茶を淹れるべく部屋を出て行った。


「……あなたは怖い人だったのね」


 メイドの足音が遠ざかった時、女主人がぽつりと言った。


「……覚えているのか」

「ぼんやりとだけど……テンソちゃんには内緒にしてね。――魔法って恐ろしいわね。ひどく酔った時みたいに何も考えられないまま、あぁジャバザさんの言う通りにしなきゃ、って思ってた。何なのかしらね、人の意思とか心って」

「支配の術とはそういうものだ。お主の落ち度は何もない」


 魔術師が女主人の震える手を握った。

 

「あの薬草茶は処分しておいた。……ジャバザの屋敷で精神を鈍らせる毒草を見つけた。あの茶と同じ、やたらと甘ったるい香りの草だ。奴らはそれを茶葉に刻み込み、商人経由で送りつけたのだろう」

「まあ、そんな……」

「逆に言えば、薬を盛らねば成功せぬような弱々しい術だったということだ。精神を護る魔道具の一つでも身につけておけば、もう同じ轍を踏むことはあるまい。指輪か首飾りがよかろう」

「そうするわ。……随分詳しいのね。マーシーさんは元の国では何を?」

「宮廷魔術師だった。研究者に近い者や薬学に長けた者もいたが、私は戦闘一本鎗」


 魔術師が答え、鞄から取り出した鬼面を撫でた。


「王と国のために戦った。それでよいと思っていた。だが国は滅び、私は殺ししか能のない穀潰しとなった。……盗賊や殺し屋に身をやつすこともできず、かといって碌々(ろくろく)と瓦に()すこともできなかった半端者よ」


 魔術師は自嘲するように言うと、旅鞄を持って椅子から立ち上がった。


「私は殺人嗜好者ではない。だが……やはりマサクゥル・キル・ゼムオールの価値は殺戮の場にしかありはしないのだ。自分自身、それが解る。昨日久しぶりに戦いに身を投じて、それが解ってしまった」

「だからここを出ていく気なの?」

「これ以上居座っても、もはや私の役目はあるまい。お主らの感謝が顰蹙に変わる前に去ることにする。……少しでも恩を返せたなら、よかった」


 魔術師が退室しようと踵を返し、歩き始め――。


「えい」「!」


 その背中から女主人が両手を回し、魔術師をひょい、と持ち上げた。


「若い子が悟ったようなこと言わないの。みんな大なり小なり周りに迷惑かけて生きてるんだから、気にすることないのよ」

「……今はお主もそう言ってくれようが……私は、どこまでいっても……」

「人生の再出発にもう遅いなんて事はないわ。――いいから、もう少し羽を休めていきなさい。旅立つのは、戦いのない場所があるってことを知ってからでも遅くないはずよ。あなたがもっと居てくれるって知ったらテンソちゃんも喜ぶわ」

「……」


 魔術師が黙り込む。――その時ドアが勢いよく開き、盆を手にしたメイドが戻ってきた。盆の上には紅茶で満たされたポットとティーカップが三つ乗っていた。


「お茶が入りましたよ。マーシーさんもご一緒にどうですか……って奥様! 大人しく寝てなきゃ駄目じゃないですか! 言った傍からふざけないでください!」

「ごめんね、テンソちゃん。……ね?」

「……ああ。……ならば、もう少し……もう少しだけ」


 魔術師の少女は控えめに笑みを作ると、鞄を置いて椅子に座り直した。



(劇終)

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