8話 美しき殺人鬼
宿屋の部屋のベッドでぼくは何だか寝付けずにいた。たくさんのことが一日で起こり、疲れているはずなのに楽しみなことがあって眠れない子供のようにぼくもまた眠れないでいた。
「ラピスちゃんはもう眠ったかな?」
流石のぼくもラピスちゃんと同じ部屋に泊まるほどの非常識ではなく、ぼくとラピスちゃんは今別々の部屋に泊まっている。と言っても隣の部屋なので行こうと思えばいつでもいくことはできるのだが。しかし、ラピスちゃんも今日はたくさん歩いて疲れているだろうし、休ませておく方がいいだろう。
特に何か目的があった訳じゃない。ただ単純に風にあたりたくなって、ぼくは部屋を後にすることにした。もう十二時は回っているというのに、宿屋の人たちはまだ掃除やら、朝ご飯の仕込みなどをしているようだった。ぼくはなるべく気を遣わせないようにとっとと外に出る。幸い、誰にも声をかけられることなく外に出ることに成功した。
夜の街は、昼とは違った賑やかさがあった。
しかし、それは店の中から聞こえてくるもので、外を歩いているものは数人ほどしかいない。
ぼくはなるべく静かなところを求めて歩いていく。しっかりと帰れるように道は看板などを目印にして覚えながら歩く。そして気がつくと周りはとても静かになっていた。
一瞬、ぼく以外の人間が消えてしまったのかと錯覚する。しかし、当然のことながら、人が消えているはずもなく、簡単なことでぼくが路地裏に迷い込んでしまったというだけだった。っていうか、早速迷子になってるし。
「こんな暗闇で一人なんてあまり美しい行いとは思えませんわね」
背後から透き通った声が聞こえてきてぼくはその声の主が誰なのか分かりつつもゆっくりと声のしたほうを振り向く。そしてぼくの想像通り、そこにいたのは暗い夜とは対照的な白い髪、そして真っ白なウエディングドレスを華麗に着こなしているデンファレの姿だった。夜ともなると少し冷えてもおかしくないはずなのに彼女に寒そうな気配は一切ない。
「誰ですか? あなたは?」
ぼくはとりあえず知らないフリをして誤魔化す。
「あらあら。嘘はよくありませんわよ。 昼間にわたくしのことを情熱的な眼で見つめていたではありませんの」
どうやら、気付かれていたらしい。しかし、情熱的な目で見つめていた覚えはないのだが。
「はあ、そりゃあ、街中であんな殺気を放たれたら、いやでも眼に入りますよ。もう一人の金髪の男の子はいないみたいですけれど、どこに行ったんですか?」
「あれは単なる品定めですわ。美しい人物がいるかどうかのテストみたいなものですわ。ちなみにミクロには席を外してもらっていますわ。貴方のそばにいたお嬢さんも今は就寝中のようですし。これで二人っきりでお話ができますわ」
デンファレさんが不敵な笑みを浮かべる。この人、ラピスちゃんにも気付いているのか。もしかすると、ミクロという少年はラピスちゃんのところに。
「心配しなくてもそんな卑怯な真似はしませんわ。貴方は知らないかもしれないですけれど、貴方はわたくしの求めていた美しさのもっとも近いところにいますのよ? その貴方を簡単に汚すなんてことはしませんわ」
「あなたはいったい何者なんですか?」
「ふふ。わたくしはデンファレ・リアーゼ。ただの美しき殺人鬼ですわ」
殺人鬼。人殺しの鬼。その言葉はどうしてだか、ぼくの胸に違和感なくすんなりと入ってきた。しかし、殺人鬼というものはもっと狂気に満ちているものだと思っていたけれど、実際に眼にしてみると、少し変わっているところはあるものの、全くの別次元というわけでもない。と、冷静に考えていたものの、今の状況はとても冷静ではいられない状況だということに気付く。眼の前にいるのは殺人鬼。そしてその殺人鬼がわざわざ会いにきたということはその理由はたった一つしか思いつかない。ぼくを殺すこと。それがこの殺人鬼の目的だ。このままこの場で戦うか、逃走を試みるか迷っていると、デンファレさんはそんなぼくを見て優しく微笑んだ。それは殺人鬼としてではなく、一人の女の人として。
「安心していいですわ。貴方はまだわたくしに殺される条件を満たしてはいませんわ。まだ貴方はわたくしに殺される美しさには値していない。ただ今回は貴方とちょっとお話をしてみたかっただけですわ」
そう言って、デンファレさんはこの場から立ち去ろうとする。その立ち去る姿も美しいという表現が似合う感じだった。立ち去る姿を眺めていると、デンファレさんは突然立ち止まってこちらに向き直った。
「そうでした。大事なことを忘れるところでしたわ。貴方、名前は?」
「ラズリです。誰も殺したことのないただの人間ですよ」
「ふふ、今はそうでも貴方は近いうちに必ず人を殺し、鬼と化しますわ」
「…………ぼくもそう思います」
ラピスちゃんの話を聞く限り、世界を崩壊させうる可能性を秘めた十一世界相手だ。殺さずに止まる相手とも思えない、だからぼくは世界を救うために十一世界を殺さなければならない。そんなものは英雄でも勇者でも何でもない。偽善者とも呼べない。ただの殺人鬼とさほど変わらない。
「それにしても、貴方のような人に出会えるのだから、やはり世界は美しいですわね」
「この短時間でぼくの何を知ったつもりになっているのか知りませんけれど、ぼくは貴方のような殺人鬼がいるのだから、やっぱり世界はつまらないと思いますよ」
それから、デンファレさんから返ってきたのは、微かな笑みだけで、言葉は返ってこなかった。デンファレさんがぼくの横を通り過ぎて歩いていく。
しばらくして美しき殺人鬼は闇の中へと消えていった。もしかすると、夜の街で殺人を行うのかもしれないとも考えたが、デンファレさんも一応大会参加者だ。
まさか、自分から失格になるような真似はしないだろう。まあ、そう言った常識が通用しないからこそ、殺人鬼なのだろうけれど。
しかし、闇の中に消えてしまった彼女をもう一度見つけるのは至難の技だし、ぼくの記憶が正しければ、デンファレさんには殺しをする上でのルールがあったはずだ。
確か、美しいと思った相手しか殺さない、だったか。つまり、ぼくにできることはデンファレさんが自ら作り上げたルールに従ってくれることを祈ることぐらいだった。
そこで夜の風がぼくを襲う。すぐに宿屋に戻るつもりだったぼくは自分が薄着だったことに気付く。
寒気がして、ぼくは早足に宿屋へと歩みを進めた。
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