4話 旅立ち
いきなり、ドアを開けると中でユリちゃんが更衣の真っ最中などと言った問題を防ぐためにぼくは一応玄関の扉をノックした。ユリちゃんのことをまだ知らないラピスちゃんが不思議そうな顔でぼくを見てきたけれど、習慣の一つだとでも捉えられたのか、特に何かを聞いてくるということはなかった。
「…………」
家の中からは、何も反応がなかった。もしかすると、寝ているのかもしれない。普通の人ならば、出かけているという可能性もあるけれど、ユリちゃんはどうしてだか物凄く外を嫌うので、それは恐らくないだろう。
「入らないの?」
流石に黙っていることに限界を迎えたのか、ラピスちゃんがそう訪ねてきた。
「もちろん、入るよ」
ぼくは短く答えて、扉を開けた。すると。
「ラズリ君! おかえりー!」
ユリちゃんが元気いっぱいにぼくに飛びかかってきた。ぼくは飛びかかってくるユリちゃんをギリギリのところでなんとか回避する。しかし、ユリちゃんはそれでも止まることなく、そのまま後方の人物に向かっていく。
「え? 何? え? ちょっ……きゃっ」
ラピスちゃんの短い悲鳴が聞こえてきた時には、すでに遅くユリちゃんとラピスちゃんは激突した。
「いたたっ。勢いつけすぎちゃったよ。って、あれ? どうしよう。ラズリ君がいつの間にか美人な女の人になっちゃってる!」
ユリちゃんが、なんだか間抜けなことを言い出した。彼女には、ラピスちゃんとぶつかる寸前にぼくの姿が見えなかったのだろうか。見えなかったにしても、どうして第一にぼくが女になったという発想が出てくるのか分からない。普通なら、他の人が訪ねてきたとかそういう発想になると思うんだけれど。
「もう、いきなりなんなのよ。ちょっと、この子。あなたの知り合い?」
ラピスちゃんはユリちゃんとは反対に意外と落ち着いていてぼくに視線を向け、そう訪ねてくる。ラピスちゃんの目の奥にはなんだか恨みのようなものが込められていた。恐らく、ぼくがユリちゃんを避けてしまったことを怒っているのだろう。ぼくは視線をラピスちゃんとなるべく合わせないようにして答える。
「まあ、そんなところ。詳しい話はまず家の中に入ってからしようか」
ぼくはそう言って、玄関へと入る。
「あっラズリ君、後ろにいたんだ。話って何? それとこの人はだあれ?」
「ユリちゃんにも後からちゃんと説明するよ」
それから僕たちは家に入り、ユリちゃんにラピスちゃんのことや事のあらすじを説明した。
「ふーん。なるほどねー。十一世界かー。今は外の世界ではそんな危険な存在が出回っているんだねー」
大体の話を聞き終えて、ユリちゃんは何かを納得したような態度を見せる。
「十一世界以外にも危険度だけでいうならどうにかしたい連中はいっぱいいるけれどね。まあ、私があのむかつく王様から依頼されたのは十一世界のことだけだから他の連中はどうでもいいわ」
「そのラピスちゃんの話を聞くと十一世界を倒したところで何も変わらないように思えるけれど」
「確かに十一世界を倒したところで何も変わらないけれど、何もしなければそのうち世界が滅ぶでしょうね」
ラピスちゃんが当然で当たり前のことかのように言った。
「散歩して返ってきたかと思うとずいぶん壮大な話と可愛い女の子を持って返ってきたものだねー。ところで私はここで誰よこの女!とか言っておいたほうがいいのかな?」
「ユリちゃん、それは全員がきちんと自己紹介をした後に言われると、ユリちゃんがただの記憶力が悪い人になってしまうよ……」
実際、ユリちゃんは今まで生きてきた中のどこまでを記憶しているのだろうか。案外、半分以上のことを忘れているかもしれない。
「それにしても、死なない少女、ね。初めて見たわ。そんな幻のような存在が本当にいるものなのね。ということは子供のように見えて、年齢は私よりも上ってことなのかしら?」
「精神年齢は五、六歳で止まっているようだけれどね。正直、詳しい年齢はぼくにも嫌がって教えてくれないんだ」
「女の子に年齢と体重は聞いちゃいけないんだよ!」
「こんなふうにね」
年齢も不死身で歳を取らないとなると、たいして気にならないような気がするけれど。それにしてもラピスちゃんの年齢の方が気になる。若そうに見えて、意外とぼくよりも年上だってケースも考えられるわけだし、あまり下手な態度を取ると、また蹴られかねないから注意しておこう。
「まあいいわ。とりあえずあなたにこれからのことについて説明するわ」
ラピスちゃんがぼくの方を向いてそう言った。
「あなたって、私とラズリくんどっちのこと? 名前で呼んでくれないと分からないよー」
ぼくはそんなことを思いもしなかったけれど、どうやらユリちゃんはそうではなかったらしく、不服そうに訴える。その訴えに対するラピスちゃんの反応を意外なもので、なんだか動揺が表情に現れている。
「な、名前なんてどうでもいいのよ。ほらあなたよ、あなた」
そう言ってラピスちゃんはぼくの方を指差す。
「名前を呼び合うのは大事なことだよ! だからちゃんと名前で呼ばないと!」
「うっ、ら、ラズリ」
ラピスちゃんは案外早く根負けして、頬を赤らめて恥ずかしそうにしながら、ぼくの名前を呼んだ。
「ふーん」
「な、何よ」
「いや、ラピスちゃんも一応女の子なんだなって思っただけだよ」
「後で覚えておきなさいよ」
ラピスちゃんの氷のように冷たい視線がぼくを襲った。これはもしかすると、後でまた蹴られるかもしれない。蹴られるだけならまだいいが、あまり後のことを考えるのはやめておこう。
「はあ、それより私が言うのも何だけれど、ユリはいいのかしら?」
ラピスちゃんがぼくから、ユリちゃんに視線を移して問う。
「ん? 何がー?」
「私たちはこれから十一世界を倒すために長い旅をすることになる。それで、ら、ラズリはあなたの側にいなくなるのよ? 運が悪ければラズリは死ぬかもしれないわ。だから、その……止めたりしなくていいの?」
「おー、意外と優しいんだね。でもラズリ君が決めたことを私が止める理由はないよ。それにいつかラズリ君は外の世界を見に行くって言い出すと思ってたから。ラズリ君の命は私のように永遠じゃないんだから、私なんかがラズリ君の自由を奪うわけにはいかないよ」
「例えそれが死を早めることになっても、かしら?」
「それはラズリ君が十一世界に負けるかもしれないってことを言ってるの? あり得ないね。そういえば、この近くにあるムートの街で武を競い合う大会がそろそろ開催されるんじゃなかったっけ? その大会でラズリ君の実力を確かめてみるのもいいと思うよ」
「心配しなくとも最初の目的地はそこと決めていたわ。こう見えて、私のお金もそろそろそこをつきそうなの。だからあの大会は賞金も出るから今の私たちにとっては最適な場所なのよ。ラズリ、分かったかしら? 最初の目的地はムートの街よ」
「了解、と言ってもどこであろうとぼくには結局未知の世界だから」
「それもそうね」
ユリちゃんがいうにはぼくはこの森で赤ん坊の頃に捨てられていたらしい。それをユリちゃんが拾い育ててくれたのだ。だから、ぼくは外の世界のことはユリちゃんに聞いた程度しか知らない。後は本で読んだ程度の知識しかない。今まではユリちゃんさえいてくれればいいと思っていたから、外の世界を知ろうともしていなかった。
「あっラズリ君、ラズリ君。ちょっと耳貸して」
ユリちゃんがそう言って顔をぼくの右耳に近づけてきた。そしてラピスちゃんに聞こえないぐらいの小さな声で。
「その大会では右手を使わずに戦ってみてよ。きっとラピスちゃんびっくりするよ」
「流石にそれは無理だと思うけれど……」
「何の話かしら?」
「何でもないよ! ちょっとした別れの挨拶だよ。流石に人前では言えないようなことだったからさ」
「そう、ならいいわ」
ユリちゃんの誤魔化しにラピスちゃんはどうやらすんなりと納得したようだ。ぼくは人前で言えないような別れの挨拶とは何だろうと考えてしまったけれど。
「それじゃ、早速出発するわよ」
「え? 今から?」
「当たり前でしょ! こうしている間にも十一世界による被害は広まっているかもしれないのよ。あんまりのんびりもしてられないわ」
「疲れていたんじゃなかったの?」
「そんなのラズリが私を担いで行けば済む話よ」
人遣いが荒かった。
「いってらっしゃい。二人とも」
「いってきます」
「いってくるわ」
こうしてぼくたちは旅に出た。果たしてこの先にはどんな世界が待ち受けているのか、楽な道なのか、茨の道なのかも分からない。若干の不安と、期待を抱きながらぼくは君の隣を歩く。




