2話 頼りない承諾
世界を救え、そんな言葉が他の誰でもないぼくに向けて放たれる日が来ようとは思いもしなかった。ぼくにとって、世界なんてどうでもいい。ぼくの心にあるのは世界を救うだとか、世界が幸福になればいいだとか、世界の平和だとか、そんな希望の感情じゃない。かと言って、世界の崩壊や破壊などという支配的感情がぼくの心に巣食っているというわけでもない。それではいったいぼくは世界をどんなふうに考えているのだろうか。世界をどうしたいと思っているのだろうか。そんな目的も、目標もないぼくが世界を救う?それこそ救えない話だ。きっとぼくは世界どころかたった一人の人間すら救うことができないだろう。
「世界を救うっていうのは具体的にどういう意味だい?」
別に世界を救いたいという感情がぼくの心に芽生えたわけではないが、ぼくが世界に、あるいは人生に退屈しているという少女の言葉は全くの的外れというわけではなかった。だから、これは単純に興味と好奇心、ぼくの中の世界はどうやったら面白くなるのか、少女の言葉だけでも聞いておくのも悪くはない、とそう思ったのだ。
「意外ね。私はてっきりあなたなら、即座に否定して立ち去りそうなものだと思っていたけれど」
「心外だね。ぼくがそんな薄情な奴に見えるのかい?」
まあ、立ち去るという考えがぼくの頭をよぎらなかったわけではないけれど。しかし、それでは少女の正体、少女が何を企んでいるのかが分からないままだ。ユリちゃんに危険が及ぶというのは今となってはここにぼくが残る理由づけに過ぎない。ぼくは今この少女を知りたいのだ。この少女の存在を知りたいのだ。完全に相手の口車に乗せられている感じだけれど、ぼくはそれを分かっていても、どうしてだか悪い気がしない。
「まあ、人は見かけに寄らないということにしておくわ。さて、あなたがした質問についてだけど、正確には世界を救うというよりは世界を殺すと言ったほうがいいのかしら? 十一世界……あなたはこんな言葉を聞いたことがある?」
「聞いたことないね。世界は一つだろう?」
「これは簡単に言うなら、世界につけられた名称じゃなくて、人につけられたものよ。まあ、私も全ての情報を持っているわけではないから、中には人外も混じっているかもしれないけれどね。とりあえずここでは、十一人ということにしておきましょうか。世界を滅ぼしうる可能性を秘め、十一の宝石の名を名乗る十一人。ガーネット、アメシスト、アクアマリン、ダイヤモンド、エメラルド、パール、ルビー、ペリドット、サファイア、オパール、トパーズ。彼ら彼女らを皆が十一世界、とそう呼んでいるわ」
興味本位で聞いた話だが、何だか壮大な話になってきた。話の内容から察するにこの十一世界をどうにかするということになりそうなんだけれど。正直に言うと、とても嫌だ。外の世界では今そんな危険な存在達がいるのか。
「随分と大袈裟な話だね。十一世界なんて名前からして大したことなさそうだな」
意味もない見栄を張ってみた。
「念のために言っておくけれど、まず、十一世界の討伐を二人の人物に依頼したわ」
「ふーん、結果は?」
「最初に依頼したのは、僅か八歳の時に魔王を倒した伝説を持つ勇者よ。こいつは十一世界の話を聞いた途端に……逃げ出したわ」
「…………」
勇者にも恐れるものはあるということか。しかし、八歳にして魔王を倒したってことは相当の実力を持っているはずだ。そんな勇者が逃げ出すなんて十一世界どれほど強いんだ。
「そして次に候補に挙がったのが、誰よりも剣の才を持つとされる剣姫よ。だけど、剣姫に依頼する前に剣姫は突然、突如として姿を消したのよ」
「それはつまり、剣姫もまた逃げ出したということかい?」
「いいえ。単純に剣姫が姿を消しただけなら、そういう話で終わりで良かったんだけれどね。最後に剣姫が訪れると言っていた街が問題でね。その街は十一世界の一人、ガーネットによって終わってしまった街なのよ。ガーネットの能力によって街の住人は一人残らず姿を消しているわ。能力、と言うよりは現象、と言ったほうが正しいのかしら?運命、なんて言う変わり者もいるわね。生きていればいつか死ぬ。朝が来れば夜になる。出会いがあれば、別れがある。そんな当然で必然のことのように、存在しているものが消える。何の前触れも、何の予兆もなく、ガーネットはそこにある」
そんな何かの災害や何かの間違いのように言われる人物相手にどう戦えばいいのだろうか。ってどうしてぼくは十一世界と戦うことを前提に思考を巡らせているんだ。ぼくがどれだけ考えたところで勝てるわけがない。負けるに決まっている。
それにしても終わってしまった街とはこれはまた物騒な言葉だ。しかし、勇者は逃げ出して、剣姫は姿を消したか。要するに、人類の希望ともいえる存在が二人も抵抗も出来ずに無力化されてしまったわけだ。そんなことをやって退ける存在達にこの少女は現在、挑もうとしているということか。
果たして、この少女は死ぬのが怖くはないのだろうか。恐怖や不安をこの少女は感じないのだろうか。死なない少女、永遠に終わらない少女であるユリちゃんでさえ、死ぬのは怖い。何回死のうと、何十回死のうと、死ぬあの瞬間だけは好きにはなれない。慣れることはない、とそう言っていた。ぼくだって死ぬのは怖い。死ぬのは嫌だ。だから、ぼくは早いところ本心をこの少女に伝えなければいけない。世界を救うのなんて嫌だって。ぼくにはそんな力も資格もないって。しかし、それを伝えたら少女はどうする?次に十一世界に対抗できそうな存在を探すのか?だけど、今の話を聞いて戦いたいなんていう奴がいるのだろうか?そんな奴いるわけがない。見つかるわけがない。
「ひとつだけ聞きたい」
「なあに?」
「君は死ぬのが怖くないのか?」
ぼくのその問いに少女は微かに笑う。
「何を言っているのよ。そんなの怖いに決まっているじゃない」
当たり前のことを聞くな、とでも言いたげに少女は答えた。
「だったら、どうして……」
「それが私の運命であり、宿命であり、使命だからよ」
「それら全てから逃げ出した勇者がいるんだろ?」
「そうね。確かに勇者は逃げたわ。だけどあなたは逃げない。私はあなたを信じさせてもらうわ」
何を言っているんだこの少女は。ありとあらゆる困難から、ありとあらゆる選択から逃げてきたぼくが逃げない?ぼくが世界を救う選択を、ぼくが十一世界と戦う選択を本当に選ぶと思っているのか。
「ぼくを信じることに何の意味があるんだ?」
「大した意味はないわ。そうしたほうが面白そうだからよ」
ぼくにとって退屈な世界。ぼくにとってつまらない世界。それをこの少女は少しでも楽しもうとしている。
「君と一緒にいれば世界は本当に面白くなるのかな?」
「約束してあげる。あなたを退屈させないと。さあ、どうする?この場から逃げる?それとも……」
「はあ。分かったよ。どうせ、暇だからね。君に付き合うことにするよ」
ぼくは何の信念も何の覚悟もなくそう答える。困っている人を見ると見過ごせないような善意がぼくにあるとは思えなかったけれど、案外、ぼくはそういう優しい人間なのかもしれなかった。ぼくは自分が少女からの依頼に了承したことが意外だったけれど、少女はぼくが断らないことを最初から理解していたかのように、ぼくの答えに少女はただ純粋に笑うのだった。




