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Twins of Dark Matter  作者: 梅衣ノルン
PERIOD 1
8/23

第8話 眼球へ滑り込む悪夢

 四時間目の授業まで無事に終了したのち、僕とフィルさんとエンフィさんの3人で食堂に向かう。


「……食堂って、どんなところだろう」


「さ、さあー。どんなところなんでしょう……?」


 エンフィさんが口にした当然の疑問を、僕は笑って受け流すほかなかった。


「すっごく広い場所だったぜエンフィさんや。あとうどんが美味しかった。お前も食うがよい」


 僕の苦し紛れのレジストも虚しく、フィルさんが既に食堂に立ち寄ったことをあっさりとばらした。


「一時間目に来なかった理由はそのためか……。おおかた、マターを無理やり連れて行ったんでしょ」


「だって、授業の途中に入るなんて男らしくないんだもん」


「おいバカ姉。あなた自分の性別がどっちかちゃんとわかってる?」


 フィルさんがもし男だったら、僕としてはある意味、非常に助かるのだが。現状、この学園に男が僕しかいないのがこの上なくプレッシャーだ。自分自身の一挙手一投足を、一瞬一瞬の間隔で見張っていないといけないこの緊張感といったら、ない。


「とにかく早く入ろうよ、お二人さん」


「わかりました……って、あの人は……?」


 ここから少し離れたところに位置する食堂の入り口付近に、頭の片隅に記憶されている人型のビジュアルが浮かび上がっている。


 どこかで見たことがあるその姿は……。


(午前中に強面たちと一緒にいた人だ……)


 外見で真っ先に目を引くのが頭部。見たこともない大きなカチューシャで短髪をまとめあげている。黒くてシックなそれはいかにも高級そう。他のみんなが着ている制服と、他のみんなが履いている上靴という汎用の鋳型に比較して、どうも頭部だけ「お嬢様」っぽいと直感的に思った。もしかしたら、普段着では服や靴も高級品を身につけているのかもしれない。


「……どうかした? マター」


「いえ、なんでもないです。……あれ、フィルさんはどこに?」


「バカ姉なら真っ先にうどんの列に……」


 それは、なんと返したらいいのか。人の好物にケチをつける趣味はあいにく持ち合わせていなかったので、黙る他なかった。


「……私たちはこっちに並ぼう?」


「は、はい」


 エンフィさんが僕のゼロ距離先を通り抜けて先導する。透き通るようにきれいな深海色の瞳が細部まで見えたが、それもつかの間の具現だった。あと、女の子らしい匂いがした。


 確かに自分は女の子っぽい外見なのかもしれないが、瞳の色や髪の匂いなんかは、おそらく一生真似できない領域だろう。


 一瞬だけ、女子校に通っていてよかったと感じてしまった自分を、禅の心で吹き飛ばした。


 食堂にできた長い行列を、エンフィさんとふたりで並ぶ。


 入学したての生徒たちから、既に順応した上級生たちまでが、順番に自分の食べたいものを調理師に言っていく。


「……あの」


「……なに?」


「……いえ」


 お互いに言葉がないこの状況が、緊張感を時間軸に沿って肥大化させた。


 な、なにか話さないと……なんて思っているうちに、あっという間に僕たちの番が来ようとしていた。


「マターは、何を食べるの?」


「はい!? も、もう僕たちの番ですか!?」


「いや、もうすぐ……」


「ああ、すみませんすみません! まだですよね……」


 挙動不審が前面に出すぎて、今の僕は完全に怪しい人みたいになってる。


 エンフィさんは表情一つ変えずに冷静でいるというのに。


 フィルさんとは早くも話し慣れた段階まで来たけれど、エンフィさんはまだ少し慣れない。まだ知り合ってから2日しか経っていないので、これも当然かもしれないが。


「えーっと、何を食べましょうか……?」


 場を取り繕うために言葉を探していると、ある手がかりを思い出した。


 僕は昔から、周りから女の子のように扱われてからかわれることが多かった。


 自慢じゃないが、中学生の時は何かを勘違いした男子生徒から告白されたこともある。もちろん自慢じゃないが。


 学校では常にそんな感じだったし、家に帰ると今度は姉の着せ替え人形大会が勃発、僕の男としてのアイデンティティを守るベールは一日単位で剥奪されていった。


 そういった状況が弾力のあるクッションのように反発して、僕は内外の区別を問わず「男らしさ」を求めていくようになった。


 体育の時間はスポーツに燃える少年のように活動的に振る舞い、男性ファッション誌や少年マンガを学校に持ち込んでこれ見よがしに読んだりした。


 そして、好物はハンバーグとカレーということにしておいた。


「マター。ほら、もうじきに私たちの番だよ」


 壁に貼られたメニューが良く見える位置で来た。確認してみると、あるではないか。野菜炒めや焼き魚の隣に、ハンバーグという文字が。


 僕のアイデンティティ確保のために、もうこれ以外に選べるものはない。


 なんて考えると、エンフィさんがもう料理を受け取って前方に進んでいる。


「おい、そこの人。何を食うか言わねえか」


 ここで退いてはいけない。調理師のおっちゃんに促されたので、僕は全身全霊を込めて言い放った。


「ハンバーグを、く、ください!」


「あーすまん。今日はもうねえよ。つい今さっき売り切れた」


「ありがとうございます! ……って、え?」


 え、ハンバーグがもうない? 僕の唯一の自己同一性ドーピングアイテムが売り切れですか? この日本社会で?


「しゃーねーから、美少女のあんたの為に俺が今日の昼食を決めてやる。はい野菜炒め。上級生たちからも人気があるからそれでも食って元気出せ」


「あ、ありがとうございます……」


 しかも、おっちゃんに美少女だと評価されるおまけがついてきた。


「ついさっき売り切れるなんて、まあ運が悪いと思うことにしよう……。あ、エンフィさんはなにを選んだんですか?」


 エンフィさんに追いついた僕は、そう問いかけてみる……。


「……え、私? ハンバーグだけど……。私ハンバーグ好きだから……」


「そうですか」


 なるほど。これは考えるまでもなく当たり前のことだが、ハンバーグが好きな女の子はこの世にごまんといる。


 つまり僕がハンバーグを頼んだところで、なんの男らしさにもならないというわけだ。


 というか、今の僕はむしろ徹底的に女の子らしく振舞って、性別がバレないようにしないといけないので、ますます愚の骨頂である。


(なにやってんだ、僕……)


 ちなみに、中学時代にやっていた、自身を男として表現する数々の行為は、「マターちゃん、無理に男の子っぽく振舞おうとしてるところが逆にたまらなくかわいい~」という一言で評価される始末であった。


「どうせ僕が女の子の方がみなさん喜ぶんでしょ……。ならもういいですよ女の子で……」


「? なにか言った?」


「いえ……すみません、ただの戯言です。気にしないでください……」


「そ、そう……。地の底から這いずり出てきた脱獄者を思わせるように低い声だったけど、大丈夫? なにかあった……? あ、もしかして私がハンバーグを取っちゃったからそれで売り切れちゃったとか……?」


「あ、なるほどそれで……、あ、いえ、なんでもありませんので……」




 昼休みが終わると、午後の授業が始まる。


(あれ……あの人、さっき食堂で会った人だな)


 食堂で出会った例のお嬢様(推測)は同じクラスの人だったらしい。教室の最前列に座っていた。


 周りの生徒と同じように教科書を開いて、同じようにホワイトボードに書かれた内容をノートに写して、同じように授業に耳を傾けているが……。


(あんな怪しい団体を引き連れるなんて、やっぱり怪しい……)


 紅一点……というわけではないが、あのスーツの団体の中では明らかに浮いていた。


 マフィアの類でないなら、SPかなにかだろうか。どちらにしよ、あの尋常じゃない威圧感からいって、常識からはあまりにもぶっ飛んでいるなにかだと思われる。


(……あれ、なんだ、あのシミ)


 ふと空を仰ぐように天井を見ると、白い光の中に黒い点がいくつか見えた。複数の点が、太陽の黒点のように現れては消え、消えては現れを繰り返している。


 そういえば、入学式の日も、同じような現象を目にした気がする。


「あ、あの、フィルさん」


「んああ、なーにー」


「あの蛍光灯、なにか黒い点のようなものが見えませんか?」


「……黒い点? なにが?」


「ほら、あそこですよ」


 僕はフィルさんの方へ身体を傾けて、大げさに人差し指を黒い点へ向けて示した。


「……いや、見えないけど」


「……え?」


「マターちゃん、もしかして疲れてる? マターちゃんはかわいくていいコだと思ってるけど、やっぱり、うどんを食べない人は皆そうなるんだね……」


「そ、そうですか……」


 なんか微妙に失礼なことをため息交じりに言われた気がするが、問題はそこではない。


(フィルさんには、見えてない?)


 僕の幻覚だろうか? それとも……。


 なにか、妙な胸騒ぎがした。


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「……お、なんかかわいい娘がひとり、こっちを見てますよ……って、なにをしているんです?」


「……なるほどな。おい、お前。もうじきに出番だ。用意しておけ」


「な、なんですか? 特定できたんですか?」


「お前が今見ているモニタの奴だ」


 白衣の男が、乱暴にモニタの中央に映る人間を指差した。


「……はえー。まあ原理はよくわかりませんが、とりあえず荷物だけまとめておきますかっと」


 そう応答した獣は自分の体長の数倍の大口を開き、長机の上に積まれたいくつかの荷物をいとも容易く飲み込んだ。


「いいか、よく聞け。あくまで目的はパーマネントとの戦い……というところだ。そこんとこをはっきりとさせておけ。いいな」


「はいはいはいはい。わかってますよっと」


 獣は紫の毛並みをひときわ輝かせて、室外へ出ようとする。


 白衣の男が、最後に一言だけつぶやいた。


「……期待しているぞ、アース」

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