第5話 記憶媒体の動作主
「ふんふんふん。今日もお仕事疲れたな~。よーし、USB挿入!」
入学式の夜、自分の部屋でコンポをいじっている姉の背中を発見する。
僕たちは、もしもの時に互いの状況を確認しあえるように、部屋の中を見たり聞いたりするのを防ぐ機能(プライバシー機能)を解除している。
そんなわけで、たとえ姉の部屋であろうと、外から様子を見ることができるし、会話もできる。
「お姉ちゃん。なにやってるの?」
「それはもちろん、日々の疲れを癒すために、可愛い可愛い弟の生声を聞くためよ~」
こちらを振り向くことなく、姉はいそいそとスピーカーを取り出す。
「へえ。それって録音してたやつだよね?」
「そうそう。制服の襟に弟の声だけを拾う特殊マイクを取り付けておいたのさ。ちゃんと録音されてるかなー……。この高音質スピーカーで聞いてみようと思ってね」
「ふーん。僕も一緒に聞いていい?」
姉は部屋を解錠する。
「もちろん! 私の弟にはぜひ私の弟の魅力を細部にわたって徹底的に知ってもらいたいし……て、なにかおかしいような……」
僕は一陣の風のように部屋の中に転がりこむと、コンポにつながったUSBメモリを引っこ抜いた後、両の手で思い切り叩き割った。
「ああ!? 私の血と汗と涙の結晶が!?」
「お姉ちゃん……。こういうことはこれっきりにしてもらわないと……どうなるかわかるよね?」
演出効果のために部屋の電気を消し、バカ姉のひきつった顔に肉薄する。
「は、はい……。もうしません……」
「まったく。マターは起こると怖いんだから……」
夕食をとった後、姉はソファに座ってファッション誌を読んでいた。
「知ってるならストーカーまがいの行為はやめてよ……」
「だって、学園に通うようになったら直接会う機会が減っちゃうじゃん……。マターだって寂しいでしょ?」
「勝手に決めつけないでよ……。だいたい、一緒の学園なんだから会う機会がまったくないわけでもないでしょ?」
「それはそうだけど、マターとは6、7年くらいずっと一緒も同然だったから……」
ふと、姉は雑誌を閉じて天井を仰ぐ。
照明に照らされた姉の顔は、少し物悲しそうに見えた。
「ねえ、マター……。私たちって、本当の姉と弟なのかな?」
「え?」
「……いや、冗談。でも、お母さんやお父さんの記憶がまったくないものだから。普通さ、弟がいるってことは、1年とか2年とか、少なからずお母さんと過ごした記憶はあるはずじゃない?」
確かに、そう言われたらそうだ。
同じ母親がふたりを産んだのなら、姉の方はその母親と一緒に過ごした記憶があるはず……。
「……僕にはよくわからないよ」
「まあそうだよね。気にしないで。それより、友達はできそう?」
僕の学園生活を録音しようとする目論見を知ったときは、なにがあっても自分の交友関係やプライバシーを絶対にばらしたくないと思っていたけど。
「……うん。友達かどうかはまだわからないけど、今日はふたりと話したよ」
なんとなく場の空気が、真実を僕の口から突き出した。
「そっか。それを聞いたら安心したし、お風呂でも入ろうかな」
姉はファッション誌をテーブルに置いて、リビングを出て行った。
憂いや不安の色は、そこから消えていた。
本気で心配してくれていたんだな。
制服にマイクを取り付けて録音しようとしたのも、女子校でただひとりだけの男である僕を心配しての行動だったのかもしれない。
だとしたら、勢いでUSBを叩き割ったりして、悪い事をしたな。
そう思った矢先、僕の視界におぞましい物体が飛び込んできた。
「……これ、ただの女性ファッション誌だよね?」
どのページにも、メモ書きでぎっしりつまった付箋が、びっしりと紙面全体を埋めている。
『4点。彼の細身のスタイルにフィットしたデザインであるが、マターには派手な赤はいささか合わない。スカートが短すぎるのも、かえって減点対象である』
『7点。これは私の想像をはるかに超えた服の組み合わせである。しかし、これはかえって露出が少なすぎるきらいがある。オールラウンドプレイヤーであるマターの服にするにしては少し異質か』
『10点。少しぼーっとしたところのある彼の印象を、却って最大限に拡大解釈させる威力をほこるファッション。これは理屈ではない。特にチラリと見える肩の部分が想像するだけでも最高なのだがここに書くには余白が狭すぎる。最重要購入対象。今度の休日にでも着せよう』
……。
僕は、なにも見なかったことにした。
その日の夜は、なんとなく寝付けなかった。
結局、フィルさんとエンフィさんとは同じクラスになった。
確認をとった訳ではないけれども、やっぱり彼女らは双子なのだろう。
……彼女らと過ごす学園生活は、ひょっとしたら楽しいものになるのかもしれない。
そうだ。
自分だけ性別が違うという理由でいやいや通うよりは、3年間楽しんだ方が良いに決まっている。
そう思うと、なんだか興奮して、いつまでも布団の中をもぞもぞと身体が動いてしまうのだった。
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日付変更の間近、アステリア女子学園の屋上から、夜の街を見下ろす。
街にまばらに分布する光点が、私の瞳や思惑を浮き彫りにしているような、そんな錯覚が襲う。
「……あの枯れ枝め。今更あの過去の遺物を起動させてからに。何がしたいのやら……」
「彼なりの仁義というやつでしょう。もっとも、あれだけの年月が経てば、誰だってあんな性格になるのかも知れませんよ」
「ふん……」
「それより、そろそろ私の出番ではないですか? 善は急げとは言うでしょう?」
私は斜め下に目を向ける。
「……お前はあくまで私の判断に従え。いいな」
その美しい毛並みを撫でながら、私は言い放った。
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「いってきます……」
誰もいない家の中に向かって、覇気のない声を送り込む。
生徒会長である姉は、基本的に僕よりも先に家を出てしまう。
今日も明日も、基本的に僕ひとりでの登校になりそうである。
家を出た後も、歩きながら念入りに身だしなみを手鏡で確認する。
制服は着崩れていないか。髪の毛ははねていないか。時間のない朝に行う一般人の身だしなみチェックなら、だいたいここまでだろう。
しかし、僕の場合は事情が違う。
ちょっとアレな話だが、特に毛の処理には気を配る。まあ、男子生徒ならもともと髭くらい剃るけれども……。
隠せるところは隠して、隠せないところは剃り落とさなければならない。
下着まで女の子のものを身につけなければならないのは、さすがに理不尽だと思ったが。
(……学校、行きたくないな……)
昨日の夜はやる気エネルギーフル充電状態だったのに、朝の身支度でそのほとんどは俄然どこかに逃げてしまった。
女の子の格好に変身するのが、とにかく面倒くさいのだ。余計な気も使うし。
それに、やっぱり慣れない。すーすーするし。髪の毛はふわっとしていてちょっとイイ感じ……いやいや! 違和感がたっぷりだ。
「おお、眼前に無駄におしゃれに気を遣っているご学友を発見!」
「ひゃあああああ!?」
僕は手鏡を背中の後ろに隠して、ゼロ秒で振り向いた。
「おはようマターちゃん!」
「……ああ、フィルさんでしたか。おはようございます」
びっくりした。心臓が気管を通って口から飛び出すかと思った。
「『無駄に』とか失礼なこと言わない!」
「あたっ」
フィルさんの頭に鞄を叩きつけながら、後ろからやってきたのはもちろん。
「エンフィさん。おはようございます」
「……おはよう」
フィルさんの妹さんだ。
「……もうホームルームまで時間がない。そろそろ行かないと……」
「まーまーエンフィさんや。そんなこと言っても仕方ないですぜ。そう言えば、ホームルームもヘルツシュプルング・ラッセル図も、同じHRって書くよね」
「それがなんなのよ……」
「いやいや、重要なことですぜ妹さんや」
この姉妹は、今日もおかしな話題に尽きないらしい。
僕はひとりで笑ってしまった。
「時間がないんでしたら、さっさと学園に向かいましょう」
このふたりと一緒なら、今日も楽しい一日になるだろう。
「……そうだね。マターさん」
「おおう。エンフィちゃんが言うのはどうでもいいけど、マターちゃんが言うなら仕方ないね」
僕たちは三人で、アステリア女子学園に向かった。
……僕がまだ知らない、知る由もない、秘密と謎とを抱えている学園へ。