第4話 永久の始まりへの祝歌
「入学式は別々の列に並ぶみたいだから、いったんお別れだね。それじゃ、また後でね、マターちゃん!」
本部棟の3階まで上がる道すがら、フィルさんが僕に向けてそう言った。
「あ、はい……」
また後で、か。
淡い充実感に似た、そんな言葉にならない嬉しさがこみ上げてくる。
「100年くらい経った後に、お互い変死体の状態でまた会おう!」
「ふざけたこと言ってないで早く列に並ぶ!」
「はーい」
フィルさん姉妹は最後まで騒がしさを保ったまま、ふたりで一緒に体育館に入っていく。
僕も職員さんの指示に従って、講堂の外で所定の列に並ぶ。
前後左右に肉薄する生徒たち。
彼女らが新しい季節に心躍らせているその間に、僕は違うベクトルの緊張に縛られて、額から、背中から、大量の汗が止まらずにいる。
高い人口密度に考慮して稼働されたらしい空調も、今の僕には効かない。
ここで僕の性別がバレたら、フィルさんとエンフィさんにどう思われるだろうか。
「え、マターちゃんって男の子だったの……? これはすでに2000年だか3000年だか昔に廃止された我が国の死刑制度の復帰がワンチャンありえるのではなかろか。とりあえず、さっきつないだ手を石鹸でよく洗っておこ」
「別に女装そのものは個人の勝手だけど、女子校に通うのはなんというか……。もう子供じゃないのに、やっていいこととダメなことの区別もつかないんだね……。なんというか、もう、救いようがないよね……」
(ひえええええ。想像したくないけど想像してしまうううううう。想像が想像を呼び込んで不安が減速を知らずに膨張を続ける……)
「あの……」
「なななななななんでしょう!?」
「もう前の人が入場してます……」
「あ……」
僕は我に返った。
すでに僕の前に並んでいた人が、講堂に入場している。僕が立ち止まっているせいで、僕より後ろの人がせき止められているようだ。
「す、すみません……」
僕はとにかく、女子校の入学式に参列せざるを得ないのであった。
(……あれ?)
照明が、不自然に黒ずんでいるような……。
さっきも、芝生の隅っこが同じように変色していた覚えがある。
「あの……さっさと入ってほしいんだけど」
「す、すす、すみません! もうしません!」
僕は疑問をいったんわきに置いて、駆け足で講堂に入場した。
「……人が多い」
都内随一の大きさをほこる学園だ。そんな学園の全生徒が集められている訳だから、この氷塊のような規模の人の群れにも納得がいく。
講堂がとても狭く感じる。実際は、これでも全国指折りの規模のサイズではあるようだが。
床下に収納できるタイプの鈍色のチェアが画一的にずらりと並び、それぞれに新入生が腰を落ち着けていく。
他の女の子たちに倣って、スカートの裾を押さえながら着席する。
男性と女性では、座り方のマナーも異なるのだとか。
男性は肩幅に足を開いて、にぎりこぶしを作って座る。女性は足をそろえて手を重ねて座る。
この違いを、今日ほど強く意識した日もなかろう。
幸い、座り方の手本は周囲360度、見渡す限り無数にある。
「電子機器類の電源をお切りいただくよう、お願いいたします……」
クリアな音質の放送によって、厳粛な式の始まりを告げるような、規律の整った静寂が一瞬にして立ち現れた。
空間に塗られた鮮やかなグラデーションが、一気にベタ一色に還元されたみたいな感じだ。
とにかく、今の僕が望むことは、ただひとつ。
僕の性別がバレる前に入学式が終わることだ。
ある女性の声をきっかけにして、ついに入学式が始まる。
「……ご起立ください」
僕は、よし来たと言わんばかりに、勢いよく起立する。
「……校歌の斉唱です」
僕は、そのくらい任せろと言わんばかりに、これまたクリアな音質で流れてきた前奏の間に曲のテンポの調子を把握しながら、式次に印刷された楽譜に目を落とす。
……が。
(み、みんな声が高い!?)
それもそのはず。教師以外は女の子しかいないのだ。
試しに目立たない程度に声を出してみるが、さすがに僕の声は女の子の平均に比べればずっと低いし、明らかに浮いている。
(いきなり難関だよ……)
下手に声を出せば僕の性別がバレるリスクが不必要に高まってしまう。ここはおとなしく口パクで乗り切るべきのが正解だ。
しかしそこには、あらかじめすべて謀っていたと言わんばかりに、強力な伏兵が潜んでいた。
(お姉ちゃん……なんでこんなにこっちを見つめてるの!?)
生徒会の皆さんが座る場所の近くに、生徒会長である姉が凛と立っている。
こちらをしっかと見つめながら、なぜか右耳に手を当てている。
そこはかとなく嫌な予感がしたので、僕は口元から下を手の感触だけを頼りに調査してみる。
……制服の襟の裏側に、超小型のマイクが取り付けてあった。
「ふえぁ!?」
素っ頓狂な声を出してしまい、右隣の人にチラ見された。
(す、ストーカーだ……。ストーカーだよ。自分の姉がストーカー……)
僕の校歌を聞くためだけに取りつけられたのか、それとも僕の学園生活のようすをずっと傍受するために取りつけられたのか。どっちか知らないし、知りたくもない。
(こ、このバカ姉が……! どうしてくれよう……!)
この異常行動こそが、弟愛が過ぎた人間の末路である。
改めて姉の方を見やる。遠目でも分かる。いつまでも歌わない僕に対して、「はやく歌えよ」と催促している目だ、あれは。
と、とにかく歌うしかない――
教師陣の自己紹介も終わり、入学式のプログラムも後半に入る。
女性の校長が壇上でなにやらおめでたいおめでたいと連呼なさっているが、半ば放心状態の僕の耳には半分くらいノイズに変換されて聞こえた。
(フィルさんやエンフィさんと話してた時も、全部お姉ちゃんに聞かれてたんだよね……)
しかも、さっきあった生徒会長のあいさつの間も、チラチラこっちを見てきたし。
今も、鋭い眼光を認知できるほどの圧倒的な圧力を感じている。
防衛本能と帰巣本能が熱いマグマのように煮えたぎる。今すぐに姉の胸倉をつかんでいろいろと問い詰めたい。それはもういろいろと。そして姉が自らの罪の意識を持ちそれについて猛省したことを確実に把握した後に遠い共学の学校へ転校したい。
なんて考えていると。
「みなさーん! 学園生活を楽しみにしてますかー! ここからは、俺たちエターナルボーイズのパフォーマンスでみんなの疲れを癒していきたいと思います! それでは一曲目……」
いきなり大きな声が室内を反響して聞こえてきたものだから、耳がキンキンした。
……というか、いきなりなんだろう?
壇上に焦点を合わせると、カラフルな衣装をまとった青年が10人ほど見えた。遠目で見てもビシビシと伝わってくるくらい、みんな圧倒的なスタイルの良さだった。
(え、もう入学式が終わったの? ……いや、これも、もしかして入学式の行事のひとつ?)
いつ設置したのかわからない、いかにも音質の良さそうな巨大なスピーカーから、大音量でポップスが流れ始める。
悔しくて涙流れそうな時でも ボクたちと一緒に歌おうよ
鏡の向こう側にはほら 永遠の世界が待っている
たとえ大事な記憶が薄れても たとえすべてを失っても
またやり直せるさ ボクたち宇宙の始まりから
耳を優しく包み込んでくるアイドルたちの歌声。ずれすぎて役に立たない手拍子の嵐。立ち上がって歓声をあげる女生徒たち。
地面さえ震えているようだ。あまりの騒ぎに、そのうち講堂の壁や天井さえ破れてしまうのではないかと、不安さえある。
アイドルを呼べるほど、金持ちの学園なのだろう。にわかに納得できないが……。
それにしても、このエターナルボーイズというアイドルグループ、聞いたことがあるな。
発足したのは10年ほど昔。ちょうどその時は僕やお姉ちゃんの面倒をみてくれたおじさんがいて、そのおじさんがつけたテレビで見たのが初めてだった。
なんでも、たった数か月で人気ナンバーワンアイドルに成長したとか。当時の女の子たちの話題はとにかくエターナルボーイズ尽くし。その分、いろいろスキャンダルやら癒着やらといった疑いがかけられることもあったらしい。
ともかく、ただのアイドルグループではないということだ。
めいっぱい背伸びをした生徒たちのせいであまり見えないが、教師や生徒会の人たちもアイドルの踊りや歌っている姿に夢中で、僕の性別がバレる心配はまったくなさそうだ。
……約一名、それでも僕の方を見つめてくる人がいらっしゃるが。
「これにて、アステリア女子学園の入学式を閉会いたします。生徒並びに保護者の皆さんはご退場ください……」
それでも、まあ、とりあえず無事に終了した。
やたら精神的に疲れる入学式が。
……いっそこれが卒業式ならよかったのに……。