第21話 曇天のもと交差する雫
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廊下に漏れ出る厳かな雰囲気を、肌で感じ取る。
男女入り混じった会議の声が、重なり合い響きあっている。
それらの声は、生徒会室から聞こえてくる。そこには生徒会長であるカナさんの声も混じっていた。
生徒会室から最も近く、かつ死角になっている階段の側で、私はしゃがみ込んでいた。
(この紫の毛……。微弱だけど、人ならざる気配がする)
カナさんと会うために、前に姉と生徒会室に行ったときに拾ったものだ。新鮮な魔力が付着しているのを感じ取り、私はそれをポケットにしまっていた。
魔力の気配は、微弱であるほど恐ろしいものだ。魔法に長けた人種は、自分の魔力を感知されないようにするために魔力を抑える、といったことをよくする。
(どこかで出会ったことがあるような魔力な気がする……けど、いまいちよくわからない)
どんな種類の魔力にも、それを扱う者の仔細な情報を孕んでいる。どういったことをするための魔法なのか、どんな地域で用いられているものなのか、誰が作りだした魔法なのか、などといったものだ。優れた魔法使いならば、それらのほとんどを抜き取ってしまうことも可能だ。
しかし、私にはせいぜい、「これが何らかの魔力の残存であることには違いない」というレベルまでしか分からない。扱う者が誰なのかもわからないし、どんな種類の魔力かも知ることができなかった。
だから私は、今朝姉よりも早く登校し、ここにいる。他に何か、この毛について手がかりがないかを探るためだ。
見たところ、明らかに人の毛ではない。小動物の毛であると考えるのが妥当そうだ。
(……まだHRまでには時間がある……。よし)
私は静かに目を閉じて、一瞬のうちに頭の中にある像を浮かべる。その瞬間、波紋が広がるように周囲が急速に光と声を失っていった。
シンと静まり返った、夜の学園。しかし、動かしたのは時間ではなく、空間だ。私は今、さっきまでいたアステリア女子学園生徒会室前とは決定的に違って同じ場所に位置している。
魔法を扱える者専用の通り道と言っていい。
もしかしたら、この空間の中なら、何か手がかりが見つかるかもしれない。しかし、実際は、空間そのものが持つ魔力の場に邪魔されて、目的の魔力を感知するのは現実世界よりも難しくなる。
それでも、何か少しでも見つけられるかもしれない。
私は堂々と、真っ暗な廊下を歩いていく。視覚ではすぐ傍の壁をとらえることすら叶わないが、壁からにじみ出る微弱な魔力を頭の中で像として浮かび上がらせることによって、明るい場所で目から入る情報と実質同等の情報を手にすることができる。
したがって、慣れればこの空間では目をつぶって歩くことも可能だ。むしろ、そうした方が魔力の緩やかな勾配を感じ取りやすい。
慎重に歩みを進めつつ、神経を研ぎ澄ませて微かな気配を感じ取る。
あの日、カナさんは、弟の姿を見つけるのに苦労したと言っていた。その原因はおそらくこの空間にある。何らかの要因でマターがこの空間に紛れ込み、まるで神隠しに遭ったような状況が作り出されたのだろう。
この紫の毛が、マターが関わっているかもしれないと考えると、決して放っておいてよい問題ではない。
しかし、廊下を歩いても歩いても、魔力的な違和感はまったく見つけられなかった。
この空間にいても、当然現実の世界では普通に時間が流れている。もうそろそろ教室に向かわないといけない時間だろう。
私はこの空間から脱するために、脳内で現実世界の像を浮かび上がらせようとした。
「おや……。そこにいるのは誰ですかね?」
その時、すじ雲状の魔力の濃度変化が、私の背中を撫でまわすのを感じた。
振り返る。
「おお……あなたでしたか……」
旧友と再会した喜びを表すように、大きくうなずきながら近づいてくる影があった。
それは、スラっと伸びた身体つきで、宝石が散りばめられたローブに身を包んでいる男性だった。そのローブが魔力を引き出す役割を担っていることは明白だった。
「おや、身構える必要はありませんよ。お嬢さん」
「……あなたは誰ですか。それに、どうやら私のことを知っているようですが」
私は相手に気づかれない範囲で少しずつ後ずさりながら、ローブの男と対峙する。
「知っていますとも。あの男のもとで育てられたお嬢さん方のことはね」
「な……」
この男は、私とバカ姉の父のことを知っている。ダヴァさんのことだ。
ダヴァさんにとってこの男は、味方としての知り合いか、敵としての知り合いか……。
「名前はなんというのですか」
「おやおやお嬢さん。人の名前を軽々しく聞き出そうとするとは。それがアステリア女子学園流の御挨拶ですかな」
「今この場において、私はこの学園の生徒である以前に、魔法使いです。あなたもそうでしょう」
「これは痛いところを突かれましたな。その通りだ」
私はこの男の魔力から、周辺情報を探る。私の持っている紫の毛が放つ魔力とは異なる性質のものだということがわかった。毛と比べると情報の抜き出しが楽だったあたり、決して高位の魔法使いではないはずだ。
「ここであなたと出会ったのも完全なる偶然であることですし、本来私がお嬢さんとお話ししたいことも特にないわけですが……。ここで会ったのも何かの縁と言うことで、ひとつ質問してもよろしいかな?」
「質問の内容によっては、認めましょう。しかし、先にあなたの名前を教えてください」
「よろしい」
この男の放つ魔力は、どこか自分の波長が合う感覚がする。
「私はカケルといいます。以後お見知りおきを」
ダヴァさんとの約10年間の会話に、一度として挙がったことの無い名前だった。
「質問というのはですねえ……。あなたの持っているそれのことですかな」
カケルが語尾をはっきりさせないままそう言い切ると、手に持っている杖を振り回し魔力の波動を解き放った。
私はそれを瞬時に把握して、本能的に後方に飛び避ける。
鞄から千切れた塵のような微小な布の破片が、カケルの懐にゆったりと移動した。明らかに自然ではないその動きは、カケルの放った魔法によるものだった。
「私の鞄に入っている何かを、盗ろうとしましたね?」
視覚ではまったく捉えられない魔力の濃度変化を察知したことで、彼の魔法の矛先を知ることができた。
「おや。良い動きをなさる。あなたの魔力も相当に高いようだ。先日出会った少年とは比較になりませんな」
カケルのその言葉を聞いた瞬間、私はこの場において初めて冷静さを失った。
「少年と出会った!?」
「失礼。少女と呼ばなくてはなりませんでしたな。なにせ、男性用のローブを着ていたもので、どうも男というイメージが強くてよくない」
「その人は、誰です!?」
バラバラに散らばっていたパズルのピースが、ようやく繋がりを見せ始めたのを感じる。カケルが出会った少女の正体は、マターである可能性が高い……!
「教えたいのは山々なんですがねえ……。そろそろ始業時間であるものですから……。学生はきちんと授業に出席するのが義務なんですからねえ。そして、教師もね」
「待て……!」
カケルはマントを翻すと、その次の瞬間にはもういなくなっていた。
「……どういうことなの」
カケルは教師なのか? この学園の? いや、そんなことよりも……。
(マターはこの男と会ったことがある……? そして、ダヴァさんとも……。でも、ダヴァさんの方はおそらくこの男のことは知らないはずだ……)
繋がりかけたピースが、またしても不明瞭に濁る。彼が私たちのうち誰と味方のつもりで、誰と敵のつもりなのかすらよくわからない。
それに、カケルはさっき、鞄の中の何を盗ろうとしたのだろう。
(でも、マターがこのことに何らかの形で関与していることは、多分確かだ)
友達が危険なことに関わっている。それは居ても立ってもいられない事態だ。
特に私みたいな、友達作りの下手な人間にとっては。
このことについて、もっと深く調べる必要がある。マターやカナさんに詳細を話すのは、もう少し後の話だ。
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