第2話 姉妹との出会い
「……すーすーする」
人工的に植えられた満開の桜がそこかしこに見られる、そんなちょっとおしゃれな都会の風景を埋めるように、たくさんの人間が練り歩いている。
いたずらに吹いてきた春風に反応して、短い髪の毛とスカートの裾を押さえる。
そんな快い早朝の空気のなかに訪れた、記念すべき女装登校デビュー1日目。
早くも帰りたい。
それはもう、帰宅部魂に燃えた中学生のように、熱烈に。
なんというか、帰りたいという欲求がたくさん湧いてくるというよりも、むしろそれ以外の欲求が何ひとつ浮かんでこないという表現の方が正しいと思えた。
ある意味、今の僕は帰巣本能に恋をしてしまった。
というわけで、それにふさわしい、憂いのため息をひとつ。
(スカートの下から風が当たる……!)
姉からよく女装されていたとはいえ、その姿を白日の下へ晒したのは、今日が初めて。
悪夢以外の何者でもない。
しかも、問題はそれ以外にもある。
ただひたすら前だけを見て歩く人間たち。
家の近くはまだマシだが、学園へ近づくにつれ、その人数は飛躍的に増加し、やがて横断歩道を埋め尽くす勢いにまで達する。
またそこから学園へ近づけば、さすがに人は減るんだけれど。
まあとにかく、統計学的に、僕の性別がバレてしまう確率も、飛躍的に増加してしまうはずだ。
……憂いのため息を、今度はふたつ。
僕の愛しの帰巣本能に、ますますフォーリンラブをかましたくなってくる。実は、前世で僕は自分自身の帰巣本能と恋に落ちていたんじゃないかと本気で思う。
入学式という晴れ舞台にふさわしいこの春風たちは、それこそ文字通りどこ吹く風という具合に、僕の自尊心を通り抜けては消えていく。
(あーもう、こうなったら!)
僕は、歩行者の群れめがけて、全速力を出してダッシュした。
それこそ、身を前に進めようとするよりも、むしろ背景を後ろへ追いやろうとするくらいの勢いで。
バレるのが怖かったからというのもあったが、実のところ9割方やけくそである。
あっという間に歩行者の群れを突破した。
拍子抜け。
背景に映る人間たちは、今度は黄と紫のグラデーションと化す。
たくさんの女子生徒たちが初々しい制服に身を包んで歩いているのを見て、ああかわいらしいなあと他人ごとのように感慨にふけっていると、すぐに自分も同じ格好をしていることに気づき、マイハート天気事情は曇天の空模様を呈した。
とりあえず、アステリア女子学園までもうすぐだということを、知らせてくれる。
「エンフィ! 校門までダッシュだよ!」
「な……! 待てバカ姉! スカートがめくれかけてるぞ!」
「はやくきたまえー!」
「ああ、もう……! まったく……」
僕の隣を、騒がしくふたりの女子学生が走り去っていった。
バカ姉と言っているあたり、後ろから追いかけている黒髪の女の子の方が、妹なのだろうな。
たいへんな姉をもったものである。
……少し同情した。
(あ……)
姉の方――金色のロングヘアの軌跡を残していった――のスカートのポケットから、何やら布のようなものが落ちた。
ハンカチか何かかと思って拾い上げてみたら、それはまったく予想外の物体であった。
(御守り……?)
歴史の教科書か何かで見たことがある。正面に「御守り」と書かれてあるそれは巾着のようなもので、クッションのような肌触りであった。
ひっくり返してみた。
無作法にも極太のマジックペンで、こんな書き込みがされていた。
『これは肌身離さず持っておきなさい。いざという時のために、あるいは、なんらかの事故が起きたときに、必ずお前を助けるであろう。父より』
(……なんか、ものすごく大事そうなんですけど……)
とりあえず、この人のお父さんにも同情しておいた。
でも、ちょっとだけ文字に見覚えがあるような、ないような。
ちょっと失礼かなと思いながらも、それをしっかりとポケット(もちろんスカートの。この事実を改めて確認してしまいさらに気が沈んだ)の奥にしまい込んだ。
「ここが、アステリア女子学園……」
第一印象。女子しかいない。
こんな当たり前のことが真っ先に目に飛び込んでくるとは、なるほど僕は情趣を解さないたぐいの人間であるようだ。
でも、僕にとっては切実。とっても。
第二印象。黄金色。
透明のガラス張りが建物の多くの表面積を占めているのは確かだが、そこに人気ベーカリー工場もかくやと黄金色のアクセントが散りばめられていた。
朝日を乱反射して、ほんわかとした温かさを提供してくれている気分になる。
できればこんな奇怪な格好でない時に、じっくり見たかったものである。
第三印象。広い。
姉からさんざん広い学校だと言い聞かされてきたのだが、やはり実物を見ると違うな。
横にも広いが、縦にも広い。
外国人に、「ここは高層ビルが立ち並んだオフィス街ですよ」と紹介しても、何の疑いもなく信じ切ってしまうだろうな。
「何階建て?」というよりも「何十階建て?」といった具合に、首をかしげてしまう。
まあ、それにしても。
(こんなところで、3年間を過ごすのか……)
なんというか、僕の知っている日本と違う。
ニュースとかでよく見る、全国民の共通認識下における近未来化モデルの権化であるように思われた。
ほけーっとその雄大な景色を眺めていると、突風のような風が吹いて、スカートがめくれ上がった。
女の子ものの下着(口に出すのも恥ずかしくて死んでしまう)が露わになる。
「ちょっ」
なんで今日はこんなに風が強いんだ!
僕に対するいじめか!
地球さんが自ら重い腰をあげて、女子校にこっそり入学しようとする男子生徒を撲滅しようとしているのか!
いまだ校門の前でこんなくだらないことを考えていると、ある女子生徒が僕の脇を通り抜けて敷地外へ出て行った。
僕と同じ赤いリボンを付けていることから、新入生のひとりだと推察された。
「お、御守りさんや~。怖がらないで出ておいで~」
道路の真ん中で、四つん這いになって探し出す。
ぱんつが見えそうなので、茜色の空のただ中をたった一羽で飛び立つ鳥のように華麗に視線をそらした。
(金色の髪の娘……。さっき見た人かな?)
僕は、スカートのポケットに入れた御守りを取り出す。
「雰囲気台無しなおせっかいも甚だしい注意書きが書かれた御守りさん~。返事をしておくれ~」
予想は今、確信に変わった。
それにしても、えらい言われようである。
重ねて同情した。
これ以上彼女のお父さんの悪口が世に放たれる前に、僕は彼女に話しかけることにした。
「あの、すみません。御守りってこれのことでしょうか?」
「……ん。お、おお。これだよこれ」
振り返って立ち上がり、僕の手にある御守りを手に取ると、快活な笑顔を作ってそう言った。
まぶしいばかりの金色のロングヘアが、彼女の明るい性格を照らし出しているように思える。
身長は、僕よりも少しだけ低いくらいだった。
英国かどこかのお嬢様だと言われても、納得してしまいそう。
そんなお嬢様っぽい彼女が、シルクハットをかぶり直すような仕草をして、こんなことを言うのだった。
「ご協力感謝するー! ありがとう、名もなき少年!」
(ひやあああ!? 嘘!? もう男だってバレた!?)
「ごめんなさいごめんなさい悪気も色気もなんにもないんですー!」
どこだか分からない方角へ、僕は一目散に逃げだした。
少年と言ったってことは……。やっぱりバレてるよね!?
『どっからどう見たってただの女の子だよ』とは、我が姉談である。
(全っ然信用ならんじゃないかこのバカ姉ー! 現代っ子の第二次性徴というものを侮りすぎだよー! バカー!)
スカートの裾を押さえることなく、女の子走りに注意を払うことなく、逃げまどう。
気づいたときには、学園の敷地に入りこんでいた。
「……少年というのは冗談で、まあとにかく、どうもありがとうございまし~! ……て、あれ? もういない……?」