第16話 新たに開花せし文明
僕の周囲を、狭苦しく小さな壁が囲っている。
とある場所に存在する量産型の小部屋。その部屋には、鏡という今の自分の姿を確認できる装置と、カーテンという自分の身が他者から視認されるのを防ぐ防衛機能が備えられている。
既に多くの人間が何回も使ってきたであろう由緒ある室内は、なにかの花の香りが漂っており、床や壁は目に優しい薄桃色の花柄で彩られている。
僕はそんな場所で、上も下も服を脱いだ状態で、別の一組の衣服を手に持ったまま、呆然と立っていた。
(どうしてこうなった……)
当初、僕はパウロとふたりで、予期せぬアクシデントが原因でできた午後の空き時間を過ごすつもりだった。そして、パウロは、僕にこのような状況を強いるような人間ではない。
「おーい、まだー? はやく着ろよー!」
男子にしては高い声が催促の手を伸ばし、僕に残された選択肢を鷲掴みにして目の前に提示する。
何を隠そう、僕が今いる場所は、デパートの中にある聞いたこともない名前の女性用洋服店……の中にある試着室である。なんだなんだ、女性の服屋の試着室は花の香りがするのか、それともこの店だけなのか……。知る必要もない世界を知ってしまった。
「オゼル! 僕はこんな服、絶対に着ないからね!?」
オゼルから聞いた「こんな服」の詳細↓ うろ覚えで列挙してみる。
ホワイトオーガニックコットンTシャツ……純白で清純そうだ。
アプリコットカーディガン……アプリコット色をしたカーディガンである。アプリコットってなんだ?
マリンストライプフレアスカート……カーディガンとは対照的に青っぽいスカートである。膝が見えるくらい短い。
レースのリボン……身につけ方が本気で分からない。
靴は高いので、なし。下着類はなにがなにやらさっぱりなので省略。あ、オゼルが気を遣って小さめのカップのを持ってきてくれたらしいです。以上。
……うん、よくわからない。僕は女の子のファッションのことなんて無知同然だが、それよりも男のオゼルがこれらの服をしっかりと仔細に及ぶまで説明を加えていたことの方が疑問だ(そのほとんどが左耳から右耳に通り抜けていったが)。
姉からこの手のことでさんざ振り回される可能性は百歩譲って認めたとしても、どうして男からこんなリクエストが飛んでくるのか甚だ疑問である。
「まだー? まだー? まだまだまだまだまだー?」
「まだまだまだまだまだです!」
カーテン越しに行われる言葉のバレーボール。
この場所には、オゼルに半ばどころか完全に強引に連れてこられた。パウロも黙ってついてきている。否定も肯定もしないあたり、ひょっとしたらパウロも僕の女装姿を期待しているのかもしれない。
無力感と自棄のやんぱちとが更衣室の中で胡乱にはびこる。とにもかくにも腹をくくるしかない。
僕は急いで下着を身につけ、Tシャツにそでを通し、スカートを履き、カーディガンを羽織る。不本意ながらも、女子の制服を着た経験持ちなのでだいたい着方は瞬時に理解できた。リボンだけは即席で検索して身につけ方を調べた。
一連の動作に乗せて鏡をのぞいてみる。そこには生まれ変わった僕が立っていた。
(これが、僕か)
何度目かのため息をつく前に、僕は自分で驚愕していた。そこに立っているのは僕ではない。僕に似た、別の何者かといってもいい存在なのだった。
「……あの、着たけど」
鏡をいつまでも直視するのが、なんだかためらわれた。僕は思い切ってカーテンを開放する。
「……おお、新鮮だ」
オゼルが僕の、いや、とある女の子の私服姿を、瞳の中にしまい込もうとするようにまじまじと見つめる。人でごった返しているデパートの喧騒をよそに、試着室の付近は言葉をどこかに置き忘れてきた観客たちが詰め寄る小劇場の様相を呈していた。
「新鮮? オゼルとは、今日初めて会ったばかりなのに」
「それでも新鮮だよ。こんなにかわいい女の子を見たのは本当に久しぶりだ。なにせ、学園の時はまわりには男しかいないからね」
「でも、関わっていないだけで、学園にも女の子はいるでしょ?」
「いや、いないよ」
「いない? どうして?」
黙って上着とスカートとに交互に視線を配っていたオゼルは、大きめの一歩分だけ詰め寄ってきた。
「ボクが通っている学園は、男子校……。ムーンテリア男子学園だからさ。もちろん、パウロもそうだよ」
「ムーンテリア男子学園?」
そんな名前の学園があるのか。
オゼルの説明によると、そこはアステリア女子学園とはバスで数十分程度離れた場所にある男子学園であり、ふたつの学園はほぼ同時に開校されたという。それぞれが異性と触れ合わない環境下にいるからこそ、互いが互いに惹かれあう部分があるらしく、両者とも男子校・女子校であるけれども出会いの機会が多いと評判であるらしい。
教師の異動もある。行事や研修に共同で参加する機会も多数設けられているそうだ。
そして、オゼルがなによりも強調していたことが……。
「エターナルボーイズっていう、今いろいろと世間をにぎわせているアイドルグループがあるのは知ってるだろ? あれ、メンバーの全員がムーンテリア男子学園の生徒なんだ。今から10年ほど昔、エターナルボーイズが発足したけど、当時は全然知名度は高くなかった。それが、ムーンテリアが開校してメンバーが全員その学園に進学するようになってから、にわかに知名度が上がりだしたんだ」
オゼルの口調は、興奮で震えていた。まあ、なんとなくアイドルとか好きそうではあるけれども。
「エターナルボーイズ……。あ、確か入学式の時に……」
「え、入学式の時に?」
「いやいやいや、何でもないよ!」
ま、まずい。入学式の時に彼らが来て歌を披露した、と口を滑らせそうになった。そんなことを言ってしまったら、僕がアステリア女子学園に通っていることがバレてしまう。入学式にアイドルが来る学園なんて、そうそうない。まして、この手の話題に詳しそうなオゼルの手にかかれば……。
「……ふーん」
オゼルは少しジト目になって僕を見つめてきた。
手遅れだっただろうか……。確かに、話の切り方が不自然すぎた。
「……て、話が逸れすぎ逸れすぎ! 今はマターの女の子の姿を観賞する時間だよ! さあさあパウロ、そんなところに隠れてないで出てくる!」
パウロは、店の敷地外ギリギリの部分に突っ立っていた。そりゃ、普通の男子なら、女性向けの洋服売り場なんてあまり居心地の良い場所ではないだろう。僕の立場からは、「僕の方がもっと大変だったんだぞ! なんならお前も試着室の中に入ってみるか!?」とひとこと言ってやりたい気もしなくもないが。
パウロは、無理やりオゼルに連れてこられる。そして、僕の頭の先から足のつま先までを、二巡、三巡と首の動きだけで見た。
「ど、どうなんだ……?」
僕はパウロに尋ねてみる。言ってから、まるでデートかなにかで彼氏に自分の容姿を評価してもらうシチュエーションみたいだな、と思った。
「……そうだな……」
パウロがどう答えるか、まったく想像できない。中学時代は仲は良かったけれど、彼の考えていることはいまいち把握できない領域が大きい。うーん、どっちなんだ……。でもまあやはり男としては、「まったく似合っていない」と一蹴してほしいところだ。頼むぞ。
パウロの口が、重力に振動されながら、重く開かれる。
「よく似合ってるんじゃないか」
完全に期待外れの方の返事を引き当てた。




