第15話 少年たちの怒涛たる集い
僕は家じゅうを歩き回り、開けっ放しにしていた窓をすべて閉めていく。
結局、フィルさんはどうやってこの家に入ってきたのだろう。
玄関を施錠するなんてことは毎日無意識のうちにやっていることなので、本当に昨日もきちんと閉めたのかどうかと言われれば、自身をもって首肯できる自信はない。
しかし、仮に閉め忘れていたとしても、たまたまその日にフィルさんが来るなんてことが、果たして本当にありえるのだろうか。扉を閉める方か、フィルさんが僕の家に来る方か、どちらかが毎日行われていることだとしたら、そのふたつが重なる日もあるだろう。しかし、扉は基本的に毎日施錠してるし、かといってフィルさんが毎日夜這いを仕掛けてくるなんてことも、有体に言って考えにくい。
はっきりしない事態の裏側を覗いてしまったおかげで、むしろ僕は悲しい気持ちから少しだけ浮上することができた。
ともかく、僕はパウロに会わなければならない。そのための窓の施錠だ。今日だけは、明日からの日常が映りこんだモニターから目を遠ざけていたい。
僕は自分の身体を埋めるくらいの大きさのショルダーバッグを肩から下げて、靴を履きながら家を出る。
玄関にある鏡の方に、ふと視線を投げかけてみる。
そこには、トレーナーやジーンズを身につけ、つばを悠々と主張するような、野球帽に似た帽子をかぶっている、ある種異常な姿が映っていた。
それが自分そのものの姿だと認識した途端、昨日までの日々が一気にモノクロに映って、思い出話として俎上に載せている光景が僕の目を焦がした気がした。
服装というものは、そんなものだ。180度違う方向性のファッションは、180度違う情緒と美意識と、そして経験とをその人に貸与する。いわば、遺伝子の外側で、ひそかに行われる種としての取引。そのことを、ただただ諦念と清澄とのさなかに感じ取った。
春風が、僕の身体を突き抜けることなく、鳥だけが感じ取れるような流れをつくって、その身を走らせている。
この街の中心には、大きな広場がある。アステリア女子学園のように、人工芝がたくさん植えられた場所で、無数のベンチが円弧を描くように並んでいる。殺虫剤を定期的に散布しているのか、うっとうしい羽虫のたぐいに視界を邪魔されたり、幼虫が身体に触れてきたりすることはめったにない。
中央にはひとつの噴水と、その隣に桜の大木が鎮座している。この桜だけは、人工物なのか自然物なのかわからないらしい。この街を代表するスポットだから、それだけいろいろな説や解釈が飛び交っているわけだ。
でも、実際は人工物か自然物のどちらかであることは間違いない。
(なら、僕はどうなんだろう)
もしこの桜の正体が世間に割れてしまったら、人々は怒号を交わすだろう。裏切られた。私の解釈は正しかった。間違っていた。こんな真実は知りたくなかった。受け入れられない。いや受け入れられる。
さて、フィルさんが選択した動乱は、このうちのどれだろうか。
パウロは僕のメールの返信に対して、またメールを送っていた。この広場で落ち合う約束だった。
僕はベンチに腰を掛ける。平日の午後は通行人も少なく、小さい子供が親に連れられて散歩をしたり、携帯ゲーム機の画面を睨みつけていたりする以外は、視界に入って来なかった。
(ん? 誰かがこっちに向かって走ってくる……)
パウロか? そう思ったが、彼が走っている姿を想像できなかった。彼は基本的に寡黙で、どちらかというと剛毅朴訥といった感じの人間だ。それがなんだ、今僕の視界がとらえている人間は、片手をぶんぶんと振って芝生を蹴り飛ばしながらこちらに向かって全速力で走っている。
「こんにちはー!」
「うわっ」
彼は減速することを知らず、僕の顔に布をぶつけてきた。タオルだった。いかにもアウトドアな人が使ってそうな大層なロゴがついている。
「パウロ……。ついにスポーツ系の人になったのか?」
そうつぶやきながらタオルをどけてみると、そこには小ぢんまりとした少年が立っていた。
「こんにちは! あなたがマターっていう人だよね?」
「う、うん」
明らかにパウロの姿ではなかった。きめ細やかな白い肌が、膝下までのズボンの下から、あるいは首筋から、そのままの意味で白日の下に晒されていた。擦り切れたオーバーオールに身を包んでいた。
声も少し高い。
「どうして僕の名前を知っているんですか?」
「んー? なぜかというと、ボクは君の友達の友達だからね! だからボクと君とは今から友達! よろしく!」
「あ、こちらこそ……」
僕の質問に対して、まるで新体操の動きのようにしなやかに話を繋げていく。アクティブの塊のような人だな。
「あ、ボクの名前はオゼル。オゼルって呼んでほしい!」
そりゃ、それ以外呼びようがないと思うが。
……あれ、オゼルって、どこかで聞いたことのある名前だったような。
「あの、友達の友達って言ってたけど、もしかしてパウロの?」
「そうそう! パウロとは同じ学園でね。君たちの遊びにボクもうっかり吸い寄せられてしまったというわけなんだ」
オゼルがそう言うと、後ろからその本人が姿を現した。
「吸い寄せられたなんて曖昧な表現でぼかしてるが、勝手にこいつがついてきただけだぞ」
オゼルの高い声とは対照的に、岩をすりつぶしたような低い声。僕が慣れ親しんだ声だった。
「パウロ。久しぶり」
「ああ」
パウロは短くうなずいて、僕の隣に腰かけた。オゼルは突っ立ったままだった。だというのに、頭の高さがパウロとあまり変わらなかった。
「ふたりはどんな関係なの?」
「中学の時に一緒だったんだ。まあ仲は一番良かったな」
オゼルとパウロは言葉を交わしていく。パウロが喋っている姿は少しだけ新鮮だ。なにより、オゼルのような明るい人とは全然交流しない人だったから、余計に。
寡黙なイメージも結構薄れている。まだほんの数日とはいえ、学園に通うようになって変わったんだな。オゼルの影響も大きいだろう。まあ、女子学園に通うことになった僕はそれ以上に変わったのかもしれないが。
「中学生の時のマターってどんな感じだったんだ、パウロ」
「ひとつ、語るに外せないことがあるんだが……」
パウロは僕に目配せをした。嫌な予感がする。僕について語るに外せないことなんて、僕が女の子扱いされてたこと以外にない。
僕はパウロに目配せし返す。
頼むから喋らないでくれ!
「中学の時は、マターはよく女の子のように扱われてたな」
パウロの発言が、空を切り裂いた。
あっさりとバラしなさった。
これを聞いたオゼルは、わなわなと震えた。
「よく見てみると……」
オゼルはやにわに僕の両手をとってベンチから持ち上げると、僕の身体をベタベタと触ってきた。
「や、やめてやめて! オゼルやめて!」
「よく見てみると……! 女の子にしか見えないな! それもかわいい! かわいすぎる! 10年にひとりの素材だ!」
突然のべた褒め。僕の選りすぐりの少年風ファッションは完全に意味を成さなかった。
「よし! 今日遊びに行く場所が決まった!」
オゼルは華麗な指パッチンを空に描いてから、興奮を吐き出すように叫んだ。
「服屋だ! マターに似合う服を探す! 20軒は回るぞ!」
「やっぱりいいい!」
服屋巡り……姉からよくされていたことだ。試着室で着せ替え人形にされた数々の思い出が、フラッシュバックのようによみがえってくる。
「そうと決まればまずは一番近い店から回るぞ! みんなこの波に乗り遅れるな! こんな逸材はめったにお目にかかれないからな!」
オゼルは僕とパウロの手を掴んで、一目散に広場を飛び出した。
今日は、旧友であるパウロとの心休まるひとときを過ごすつもりだったのに……。いきなり新しい人が現れておもちゃにされるなんて……。
(ど、どうして僕はこの手の話題からどうやっても逃げられないんだ!)
僕は、何度目かの諦念を心の中で独白するのだった。




