第11話 未だ見えぬ結末
「では、このステッキをお持ちください」
アースがそう言って、これまたあの男が所持していた物と似た棒状の物体を僕に差し出してきた。こいつの口から、魔法服と一緒に出てきたものだった。
僕は臭いを嗅ぎながらそれを受け取った。
間近で見てみると、なんともシンプルな、ただの棒だった。掴みやすい以外に特筆すべき点がない物だった。果たして本当に魔力的な何かが含まれているのだろうか? もっとも、ある意味カムフラージュできていいという考え方もあるか。それにもしかしたら、魔法の力を宿すにはむしろ出来る限りシンプルなものの方が好まれるのかもしれない。
「で、これでどうすればいいの?」
「まずは、このまわりを明るくすることから始めましょう。目をつぶり、そのステッキを握り締めて念じてください」
言われた通りに目を閉じる。なかなかに本格的だ。だんだんと興奮が増してくるのを感じる。
客観的に見て、さっきまで見ず知らずの人間に命を奪われかけていた人間の心理とは思えなかった。
ある日突然、非現実的なものを目にすれば、そしてあまつさえその力を手にすることができるかもしれないとなれば、誰もがこうなる、はず。
(このあたりを明るく……このあたりを明るく……)
暗闇の中でさらに目を閉じているわけだから、明るいという概念的なイメージを抱くのはなかなか並大抵のことではなかった。
アースはなにも言わなかった。それだけ集中力を要する作業なのかもしれない。
ふと、姉の顔が脳裏をよぎった。
早くこの状況を打破して、姉と会いたい。僕はいっそう深く念じた。邪魔な思考を排除し、自己を構成する物質の均質化を渇望した。
すると突然、画面が真っ白に染まった。目は閉じたままだ。
「お見事です。マター様」
アースの艶やかな声を聞いて、術が成功したことを察した。
僕は恐る恐る目を開ける。
あたりは、すっかり元の様子を取り戻していた。
世界のどきつい配色とまぶしさに、少し立ち眩みがした。
「これが、魔法……」
「ええ。魔法を扱うのはある程度慣れが必要ですが、基本的に大抵のことはできます。マター様に襲い掛かる暴漢にも対処できることでしょう」
(大抵のことはできる……。本当か?)
別に、この力でなにか悪さをしようという気持ちは毛頭ない。
しかし、このような魔術がこの世に存在して、そしてそれを扱える者が実在するというこの状況を、とても恐ろしく感じた。世界各国が何万と保有する核兵器の存在を、人生で初めて知ったときのように。
「でも、魔法を使えるのは相手もだよね? まだまだ全然不安なんだけど……」
「ええ。もっと魔法を使うことに慣れないといけません。幸い、あのカケルという男はさほど強力な魔法の使い手ではないようですが……」
「そうなんだ……。どうしてわかるの? 初対面じゃないの?」
「私も魔術に精通している身ですから、ある程度は見るだけで察せます」
見るだけで相手の実力を把握できるとは。とても心強そうだ。
「しかし、今は話をここまでで切り上げた方が良いでしょう。さっきまでいた暗闇の世界は、厳密にはこの現実世界とは異なる場所でした。今しがた、マター様の魔法によってこの現実世界に戻ってきた訳ですから、いつまでも魔法のローブを着て、私のような面妖なものと話をしている訳にはいきません」
「あ、なるほど」
もたもたしていると、僕たちの秘密が一般の生徒や教師にバレてしまうかもしれない。
僕はすぐになんとなく異臭のしそうなローブを脱ぎ捨て、まだ着慣れていないちょっといい香りのする女子の制服に身を包んだ。
「私は身を縮めてマター様のポケットの中に潜り込むことにします」
アースは僕の脱いだローブを口の中にしまい、ビーチボールのようにその身をしぼませて、スカートのポケットの中に逃げ隠れた。
「おーい、マター!」
まるで入れ替わるようにして、僕の姉が曲がり角から姿を現した。
(あ、あぶね)
僕は急いで身の回りをチェックする。服装も環境も、一般人から見て違和感のない状態になっているだろうか。
「なかなか来ないから心配しちゃったよ……。今日はもうさっさと帰ろう?」
「ごめん、お姉ちゃん」
「マターの身に何かあったら、私は警察関係者に協力を仰ぎつつ犯人を徹底的に炙り出して二度と日の目を見ることがないように完全に法的・社会的・精神的に抹殺してから心置きなく後追い自殺をするところだったよ……」
「へえ」
危ないところだった。
まあ、この様子を見るに、さっきまでの僕とアースの会話を聞かれていることはないはずだ……。
(いや待て)
僕は制服の襟に手を突っ込む。他にもいろいろな部位を手のひらで叩きながら探していく。
……性懲りもなく、マイクが下着に取り付けられていた。
マターと会話している時はローブを着ていたが、下着は脱いでいない。つまり、マターとの会話がしっかりと録音されているということだった。
(……なんてことだ)
その夜、改めて姉の部屋に入りこんでUSBを叩き割る展開になったことは、あえて記述するまでもない。
女装。魔法。敵。
この学園に入学して早々、僕はとんでもないことに巻き込まれていた。
改めてベッドに潜り込んでみると、いろいろな疑問がふつふつと湧いてくる。
そもそも、なぜ僕は狙われなければいけないのだろう?
あのカケルという男だけではなく、これから様々な人間が僕に襲い掛かってくる。アースの話ではそういうことらしい。
しかし、僕にはなんの覚えもない。理不尽極まりないことだった。
果たして僕は、これからの日々を安全に過ごせるのだろうか?
女装していることはバレないようにしないといけないし、魔法を手にしていることも隠し通さなければならない。バカ姉というストーカーじみた変態からも身を守らなければならない。
考えれば考えるほど、ストレスで胃がハチの巣になりそうだった。
それでも体力の限界が近づいてきて、僕はいつの間にかすっかりと寝入ってしまうのだった。