プロローグ 入学式前夜
乙女ゲームものです。
途中まで書いてずっと頓挫してたのですが、以前投稿していたものと色々混ぜたらものすごくカオスになりました。
コメディ寄りですが、イチャラブもがっつりしたいと思ってます。
それでは少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
――この世界に生まれ落ち一番初めに違和感を感じたのは「名前」だった。
日谷葵。
その自分の名前を始めとして、おれが住んでいる東京近郊の町である夕坂町。隣に住む幼馴染に、おれが通う中高大一貫校の凉川学園学校内で面識はないもののたまに聞く有名な生徒達の名前等々に、おれはずっと妙な既視感のようなものを抱えながら十五年間生きてきた。
『おれ』は知らない筈なのに、『知っている』。
『知っている』筈なのに、それが何なのかは分からない。
日々そんなモヤモヤとした気持ちだけが心の奥底に芥のように降り積もり、その気持ち悪さに辟易していたおれに答えが提示されたのはいよいよ明日に高等部の入学式を控えた春休み最終日の夜の事だった。
「やあ、葵、これうちの母さんから。夕飯のお裾分けだって。」
時刻は十九時過ぎ。
ピンポーンと来客を告げるインターフォンが耳を打ち、玄関のドアを開けた先に立っていたのは、身長は百七十センチ前後、細身だけど均整の取れた体を白のシャツにグレーのカーディガン、ベージュのチノパンというシンプルだけど落ち着いた服装に包んだ少し色素の薄い飴色の髪に少し眦の下がった髪と同じ飴色の柔和な光を宿した二重で切れ長の瞳とスッと通った鼻筋に薄い唇が特徴的な眉目秀麗という言葉がピッタリな端正な顔立ちのどこか腹黒い、隣の家に住む幼馴染――天海涼哉だった。
「涼哉! って、お裾分け?」
にこりと人の良い笑みを浮かべた幼馴染に首を傾げ、彼が持っている大ぶりの器を覗き込めば美味しそうな肉じゃががたっぷりと入れられている。
それはおれの高校入学を機にそれまでの電話やメール、無料通信アプリのLINKを通してのやりとりだけでは堪えきれなくなったらしい母さんがイギリスに単身赴任中の父さんの元に行き、自宅である一戸建てで絶賛一人暮らし中であるおれにとって久しぶりの手料理だった。
「おばさ、じゃなくて。杏希さんの肉じゃが!! おれ、杏希さんの肉じゃが好きなんだよね。ありがとう、涼哉、杏希さんにもお礼を言っといて!」
しっかりと味が染み込んでいる事が一目で分かる大きめに切られたじゃが芋がたっぷり入ったそれに思わず瞳を輝かせ、笑いながらどうぞと差し出されたそれをありがたく受け取る。
少し温かい器に頬が緩むのを抑えきれず伝えれば、涼哉にぽんぽんと頭を撫でられた。
「分かった、伝えとくね。あ、と言うか丁度ご飯時に来ちゃったけど、葵もしかして夕ご飯中だった? だとしたらごめんね?」
そう眉を下げた彼にううん、と首を振る。
「そろそろ食べようかなぁって思って準備してたところ。だからおかず増えたの本当嬉しい。特に煮物系は一人だとなかなか作らないから。あ、良ければ上がってく? って言ってもおれ今言ったように今から夜ご飯だし、大したお構いも出来ないけど。」
「じゃあお邪魔しようかな。一人で食べるご飯は味気ないだろうしね? 僕のとこはもう夕飯終わってるから話し相手になってあげるよ。」
「…………ありがとう、涼哉。大好き。」
そのまま少しだけ体をずらして尋ねれば瞳を細めた彼のその心遣いが本当に嬉しくて、素直に思ったままを伝えたら「何いきなり口説いてるの。」とべしりと額をはたかれた。
……うん。地味に痛かったけどふいっとおれから視線を逸らした涼哉の頬が僅かに赤くなっていて、そんな彼を見たのは久しぶりだったから、よしとしよう。
「へぇ。おばさん達、基、千早さん達元気なんだ。」
「うん、一昨日LINK来たよ。二人でロンドン生活楽しんでるって。」
LINKのトーク画面が表示されたスマフォを涼哉に見せ、食後の一服のお茶を飲むとほぅ……と息を着く。
あの後。
家に上がった涼哉はおれがせめてもと入れたコーヒーを飲みながら、本当におれが夕ご飯を食べてる間ずっと話し相手になってくれていた。
「へえ、凄いね。ビッグ・ベンにロンドン・アイにエディンバラ城。それに大英博物館。あ、本場のオペラ座の怪人も観たんだ。」
スマフォの画面をスクロールしながら話す彼に少し苦笑しながら頷く。
ちなみにそれらはイギリスに行く時に母さんが鼻息も荒く「ここに行くためにイギリスに行くのよ!」とさえ宣言していた場所で、「俺に会いたいとかじゃないのか。」と地味に凹んでいた父さんには密かに同情した。
そのままお茶も飲み干し、ぱんと手を合わせる。
「ご馳走様でした。あ、器は洗って明日返しに行くから。」
「そんなの気にしなくていいのに。千早さんに頼まれてる事もあって、母さん葵の世話焼きたくて仕方ないみたいだからさ。」
「だーーめ。」
さすがにそこまでは甘えられないし、と断って自分の食器と肉じゃがが入っていた器を纏めて流しに置けば、あ、そう言えば。とまるで世間話でもするかのように涼哉が切り出した。
「ねえ、葵は『恋する日々は∞!』っていうゲーム覚えてる?」
「……は? 『恋する日々は∞!』?」
突然過ぎる問いに訝し気に涼哉を見遣ると、言った本人は軽く瞳をすいっと細めただけで、それ以上続けようとはしない。
考えろって事か、と口内で呟き彼に背を向けた状態のまま手持ち無沙汰にスポンジを手に取り食器を洗い始める。
……『恋する日々は∞』……。
何だろう、その名前もあの妙な既視感同様、どこかで聞いたような……。
カチャカチャと微かな音を立て食器を洗いながらも記憶を掘り起こしていれば、ふと一つのパソコン用ゲームのパッケージが脳裏に浮かび、ああ、と呟いた。
「……あ、思い出した。『恋する日々は∞!』って、あれだよね。おれの……妹の麗奈と、涼哉が大ハマリしてた乙女ゲーム。……前世の話だけど。」
「――正解。」
最後にそう付け足せば涼哉が瞳を細めたまま口元を僅かに吊り上げた。
『恋する日々は∞!』略して『恋ゲ』。
アニメ化は勿論の事、小説化、コミカライズ化、映画化、果ては舞台化などしていないものはないんじゃないかというくらい様々な媒体で展開し、そのどれもで大ヒットしたパソコン用恋愛アドベンチャーゲーム――所謂乙女ゲームだ。
創立二百年と言う歴史を持つ中高大一貫校であるマンモス校の高等部に主人公が外部入学してくるところから物語は始まり、そこから巻き起こる恋愛を中心とした様々な要素が練り込まれた日常劇というありがちだけど分かりやすい設定に魅力的なキャラクター達、さらには有名声優陣によるフルボイスに加え、主人公となるキャラクターの名前は勿論の事、容姿まで細かく変更可能というカスタマイズの多様性もユーザー間では大きな話題となっていた。
……うん、あくまでも前世の話なんだけど。
――そう、突拍子もない話だけどおれと涼哉には前世の記憶がある。
前世のおれ達も今世と同じように家が隣同士の幼馴染兼同級生で、それこそどこへ行くにも何をするにも一緒だった。
当たり前に一緒に大人になれると思ってた。
そんなおれ達が揃って死んだのは高校に入学してすぐのゴールデンウィーク。
交通事故だった。
折角のゴールデンウィークだからと二人で映画を観に行った帰り道、交差点で歩行者用の信号が青に変わり、信号待ちしていた人達の流れに混ざって横断歩道を渡り始めた瞬間、一台の車が急発進したかと思ったら、そのままこっちに向かって……っていうのがおれの前世の最期の記憶。
その後の事は何だかあやふやではっきり覚えてない。
それに比べたら涼哉はもう少し詳しく覚えているみたいだけど、話してくれた事はないし。
おれも自分と大切な幼馴染が死んだ時の話なんてあまり聞きたくないからそれでいいかなって思ってる。
……それと。もし、必要があれば涼哉はきっと話してくれるし。
それが何の因果か、同じ世界に転生した上、また幼馴染として再会した時は「どんだけ腐れ縁だよ。」と笑い合った後、お互いにしっかり抱きしめ合って二人で号泣したのも今ではいい思い出だ。
それに、またこうして一緒に生きて日々を重ねていける事は素直に嬉しかったし。
「で? その『恋ゲ』がどうしたの?」
いまいち話の意図が分からなくて尋ねれば、彼がおや、と瞳を瞬かせる。
「あれ? ここまで言ったら気付くと思ったのに。じゃあヒントその一。『恋ゲ』の舞台になった架空の町の名前覚えてる?」
「え? え……っと? 何だったっけ。確か、夕……なんとか町? 東京近郊にあるって設定だったよね? 夕日が綺麗に見えるスポットがあって、そこで何かのイベントがあったような……。」
眉を寄せ記憶を辿りながら答えれば背後にいる涼哉の雰囲気が僅かに変わった気がした。
「……涼哉?」
「や、そこは覚えてるんだなーって。ちなみにあるキャラの攻略ルートに入るとそこで告白イベントがあったんだよね。あ、町の名前は夕坂町ね。」
「…………え?」
夕坂町?
その奇妙な符号の一致に一瞬手を止める。
「ね、りょ……」
ざわりと胸がざわつき、彼の名前を呼びかけると、それを遮る様に続けられた。
「ヒントその二。主人公が転入してくるのは学校の名前は?」
「……え……。あ、それは覚えてる。凉川学園だよね。凉川の『凉』の字がさんずいじゃなくて……」
そこまで答え今度こそ食器を洗う手をぴたりと止める。
…………待って。
だって、それは。
――っこれ、何かおかしくない?!
「っ、涼哉っ!!」
手に泡まみれのスポンジを握ったままバッと振り返る。
すると、ああ、と呟いた彼がカタリと椅子から立ち上がりおれへと近付いてきた。
そのままぐいっと腰を引き寄せられ、閉じ込めるように抱きしめられる。
「っ、涼哉、も、もうやめよっ? 前世の事今更あーだこーだ言っても……!」
おれより十センチ背の高い彼の腕の中で必死にそう言えば、顎を軽く掴まれ、彼の飴色の瞳としっかり視線を合わせられた。
「――駄目。ヒント、三つ目。……僕の、フルネームは?」
「な、何言ってるの? 天海涼哉、あまみりょうやでしょ? ……っ! や、涼哉っ!! お願いっ、やめよ!! 何か凄い怖いっ! やだ、やだああ!!」
どくどくと心臓が早鐘のように脈を打つ。
震える声で必死に叫ぶけど彼におれを開放する気はない事なんて明白だった。
「…………ごめんね、葵。でも、時間がないんだ。明日、僕らが高等部に入学したら、きっとそれは始まっちゃうから。それまでに、君には理解してもらった方が良い。……最後のヒント、だよ。葵、君の……。君の前世での妹だった麗奈がお気に入りだったキャラの名前は?」
「――――っ!!」
涼哉のその言葉に大きく目を見開いた瞬間、脳裏にある『名前』が過って。
それで全てを理解した。
…………ああ、そっか、そうだったんだ。うん、それなら分かる、既視感、あるはずだよね……っ。
「……っ、ひの、たに、……っあおいっ……。」
刹那ぼろりと溢れた涙に涼哉の顔が痛ましさでくしゃりと歪んだ。
「っ、ねえ、おれっ、ゲームのキャラなのっ? ゲームのキャラに生まれ変わっちゃった、っの?」
「……うん。そして、僕もね。葵は『恋ゲ』僕と麗奈の話を聞くくらいでプレイはしてなかったし、その麗奈も『あまみりょうや』は攻略してなかったから君が気付かなかったのも当然だけど。」
「……ッ……おれ、誰かに、作られた存在なのッ? この世界も全部、二次元の、ッ、偽物の世界なの?」
「それは違うよ、葵。例えこの世界が作られた世界であっても、今、君はこうしてここにいる。生まれて、今生きてるだろ? ここが僕たちにとっての現実だって事は間違えようのない事実だよ。」
もう意味が分からなくて、ただ泣きじゃくるおれの涙を涼哉が親指で何度も拭ってくれる。
その温もりが全部全部偽物だとは認めたくなくて、ぎゅっと彼にしがみついた。
「っ……涼哉は、いつから気が付いてたのっ?」
「……この世界に生まれた時から、かな。僕は『恋ゲ』をプレイしていたし。……あまみりょうやなんて名前になれば、『あれ?』って思うよね。」
「っなら、何でおれに言って……!?」
その言葉にバッと顔を上げ涙声でさらに叫べば涼哉に頬を撫でられた。
「確証が持てなかったんだ。」
「……っ、確証?」
「そう。ここは僕が知っている『恋ゲ』とはところどころ違っていたから。例えば、僕の名前は天海涼哉な訳だけど。『恋ゲ』のキャラ名は『天満涼也』だった筈だし、ゲーム内では妹が一人いた筈なのに僕は一人っ子だしね。それは、葵も一緒。君の名前は日谷葵だけど、キャラ名では『日谷蒼生』だ。それに、確かに蒼生は一見女の子のような容姿を持っているどちらかと言えば庇護欲をそそられる弟ポジションの王子様キャラだったけど。ここまで完璧な女顔ではなかったし、葵は王子様ってキャラでもないしね。」
「……っ何気に、馬鹿にしてるっ?」
そりゃおれは王子様じゃないし、背も百六十二センチでぴったり止まっちゃってる典型的なモヤシっ子だし、毎朝鏡見るのが憂鬱なくらいには女顔だけどさっ!
そう瞳を眇めて彼を見遣れば、そんな事ないよと涼哉がくすりと笑いおれの背をぽんぽんと叩く。
「それに、日谷蒼生の両親は日本にいるしね。そう言う小さな相違点は他にもあって、それを考えるとここを『恋ゲ』の世界って判断するのは早急過ぎる気がしてさ。今まで、葵にも言えなかった。ごめんね?」
涼哉の言葉に小さく首を振り微かに眉を寄せる。
「……っ、でも、ならここは、何なの? 『恋ゲ』の世界じゃないの?」
「ん~~……『恋ゲ』によく似た、僕達が元いた世界とは別の世界か、あるいは。」
「……あるいは?」
「……何らかの『バグ』が発生した『恋ゲ』の世界かな。」
「……『バグ』。」
「うん、それが『恋ゲ』と呼べるかどうかは分からないけど。ただ、ここが『恋ゲ』に何らかの形で関係する世界なら、確実に必要な人物がいるでしょう?」
朗々と話す涼哉のその言葉にひゅっと息を飲む。
そうだ、ここが『恋ゲ』の世界なら。
物語を始まらせ、進めていく人物が必要だ。
その人物がいてこそ全てが始まり、そしていずれは終わっていく。
元の世界ではプレイヤーと呼ばれていた者達の、その画面の中での分身とも呼ぶべきキャラ。
「…………主人公。」
「その通り。」
おれの呟きを拾い上げた涼哉が何かを考えるように唇に指を押し当てた。
「『恋ゲ』の主人公である女子高生――月岡悠美は名前も容姿もカスタマイズが可能だったけど、一応デフォルトはあった。それに凉川に高校から外部入学してくる生徒なんてそう数は多くない上に、彼女はかなり目立つ存在だから会えばすぐに分かると思う。」
「……それって……」
「そう。明日の入学式ではっきりすると思うよ。――明日の入学式で彼女を見つけたら、ここは間違いなく『恋ゲ』の世界だってね。」
「ッ…………!」
ぎゅっと涼哉の胸元の服を握りしめたおれに彼が僅かに苦笑した。
「……葵。」
「……だって。涼哉は怖くないの? もし、本当にそうだったら。明日彼女に出会ったら。おれ達、どうなっちゃうの? 彼女に、強制的に惚れさせられちゃったり、するの?」
「『恋ゲ』でのハーレムエンドは一番の難関エンドだよ。あれ、保健教諭まで惚れさせなきゃいけなかったし。あと、選択肢間違えるとすぐに誰かのヤンデレが発生するっていうプレイヤーにとってはトラウマルートだったし。」
「…………涼哉。」
おれの不安をよそにあっけらかんと言われ、僅かに脱力する。
ってか、何でそんな話になるのさ、もう。
「あはは、ごめん。でも、そう言う訳だから、フラグさえ立てなければよっぽど大丈夫だと思うよ? それに、どれがフラグかは僕が教えられるし、そうしたら回避も出来るでしょ。」
任せておいて!とどんと胸を叩いた涼哉の顔を思わずまじまじと見遣る。
……何だろ、このすっごく頼りになるはずなのに、幼馴染の知りたくない一面を見ちゃったような気持ち。
……ああ。そう言えば涼哉って、前世でおれや麗奈が呆れるくらい『恋ゲ』やり込んでたっけ。
自分も男なんだけど、『恋ゲ』のキャラ達は魅力あるし、それにストーリーがどのルートも面白いとか言って、全ルート、全エンディングクリアしてたような……。
「……葵? 何か失礼な事考えてない?」
おれの心を読んだかのように腹黒い笑みを浮かべた涼哉に首が取れそうな勢いで首を横に振る。
「か、考えてないっ! 考えてないよ!?」
「そう、ならいいけど? とりあえず、明日から頑張ろうね、葵。」
「――うん。」
そう頷くとバレないように小さく息を吐く。
……何だろう、凄く不安。
――と言う訳で。とにもかくにもそんな感じで春休み最後の夜は更けていったのだった。