無口な上司と行列
「真藤課長、先週はごちそうさまでした」
「真藤課長、金曜日はありがとうございました」
月曜日の朝、制作2課のみんなは出社するなり、お礼を述べに課長のデスクに出向いていた。ちょっとした行列にもなっている。
初めて見るその光景に、金曜日の飲み会が有意義だった事が分かって、何となく嬉しくなる。
ちなみに、体調が悪く参加出来なかったが、お見舞いでバナナを貰ったので、私もそのお礼を言いに行列に加わる。
「真藤課長、ありがとうございました」
私の順番になり、お礼を言う。他の人に詮索をされると困るかもしれないと思い、バナナの事は伏せたけれど、何の事かは分かるはず。すると、真藤課長は何やらジロジロと私の顔を睨んで……いや、顔を眺めていたけれど、しばらくして納得したように頷いた。
「?」
よくは分らなかったけれど、そのまま自分の席に戻ると、後輩の詩織ちゃんが出社してきたところだった。
「おはようございます。夕子さん。わ、すごい、行列ですね」
「おはよう。みんなが金曜日の飲み会の、お礼を言いに行ってるみたい。詩織ちゃんも、早く並ばないと始業時間になっちゃうわよ」
「そ、そうですね。一人で言いに行くにはまだちょっと緊張しちゃうから、今のうちにみんなと一緒に言ってきます」
詩織ちゃんに軽く手を降り、仕事のスケジュールを確認しようと、パソコンを立ち上げていると、後ろからバシンと肩を叩かれた。だから、痛いよ。
「おはよう、鈴木。いや〜金曜日はマジありがとな。うお、今朝はすごいことになってんな」
「おはよう、織田君。飲み会楽しかったみたいね」
「そうなんだよ。つっても、仕事の話ばっかだったんだけどな」
「やっぱり……」
「でもさ、こう、何となく何時もの真藤課長と違うというか、ほんの少しだけど話しかけやすかったような……。あと、最後の方に声掛けらて、何か話したんだけど、ちくしょー、酔って覚えてない」
「へー、そうなんだ」
真藤課長は、織田君と何か仕事以外の話をしたのかな。
「じゃ、次の飲み会の時も、課長誘うのは任せた」
「え、どうして? たぶん、普通に誘えば来てくれると思うよ。私じゃなくても……」
「いや、男の俺よりも、一応女性の鈴木の方が確率高い気がする」
「一応って、何よ。ほら、織田君も早く行かないと」
「そうだな、じゃ。……あと、顔色良さそうで良かった。もういいのか?」
何というか、こう見えてこの同僚は色々器用なだと思っている。織田君の、こういうさりげなく聞いてくれるところは見習いたい。
あれ、もしかして、さっき真藤課長がジロジロ見てたのは、私の顔色を心配してくれていたのかもしれない。なんて……うっかり期待をしてしまいそうになった。
「……うん。もう平気。ありがと」
「また、飲みいこうぜ」
◆◇◆
「良く出来ていますね。次も、期待しています」
「は、はい。ありがとうございます」
「真藤課長、ここの部分が気になるのですが……」
「問題ありません。このまま進めてください。大丈夫です」
「あ、ありがとうございます」
あれから制作2課は、真藤課長フィーバーに湧いていた。今まで仕事に関してのやりとりはなんの問題も無かったけれど、飲み会をきっかけに、ほんの少し話しかけやすい雰囲気になったのか、皆の質問が増えているようだった。
それに対して、真藤課長の受け答えも何だか柔らかくなっていて、うっかり感動してしまう人も少なくはなかった。ギャップ萌えみたいな感じだろうか。
「はあ〜……」
「夕子さん、どうしたんですか? また体調が……」
「あ、詩織ちゃん。体調はもう戻ったから大丈夫。ただ……」
なんでだろう……。最初は、みんなに真藤課長はそんなに怖くない事を知ってもらいたいと思っていたのに、いざそうなると何だかちょっともやもやする。
「ううん。さ、今日も仕事頑張ろう!」
「はい!」
このよく分らない感情を振り払うように、目の前の仕事に目を向けた。
月初めはほぼ予定通り順調に進む。定時退社も出来るようになり、残業続きで荒んだ部屋の片付けも始め、ほとんど元通りになっていた。
そして、残業している時は、コンビニのお世話になりっぱなしだったけれど、スーパーが開いている時間に帰れるようになると、買い物をして自宅でちょこちょこ料理もしていた。
生活が充実するそのかわりに、真藤課長との奇妙な交流がぱったりとなくなってしまった。仕事上のやりとりはあるけれど、バナナの時みたいなとりとめのない感じの話は皆無だった。
きっかけがない……。いや、正直に言うと、ひとつだけある。
「あのバナナはどこで買ったんですか?」
「何て言うバナナですか?」
「真藤課長もバナナ好きなんですか?」
……。怒涛のバナナ攻めだけど。
でも、なんか聞けない。
こんなことでと思われるかもしれないけれど、ちょっと意識してる自分もいて、話しかけづらくなっていった。
私だって残業がないほうが嬉しいけれど、真藤課長とのほんの少しのやりとりが、何だかほのぼのしていて、くすぐったくて、そのひとときに自分で思っている以上に心地よさを感じていたのかもしれない。