無口な上司とバナナ 2
今夜も刻一刻と時間は過ぎてゆき、ふと気づけは、制作2課のフロアで残業しているのは独身の真藤課長と、同じく独身の私、2人だけになっていた。
いつもではないが珍しい事でもない。もちろん他の社員も数人残っている時もあるが、仕事の虫のような2人にとっては必然的な結果とも言える。
月末にもなると、常に何らかの締め切りに追われている状態である。会社の信用にも関わるのでとにかく納期は厳守だ。
その多忙さゆえ制作課から異動する者も多く、常に人材不足という現状に、咄嗟の対応が入るとどんどん予定がずれ込んでいく。みんなスケジュールとにらめっこしながら、少しでも遅れた部分を取り戻しておきたいと頑張っている。
そして、私の場合は、その上でさらに可能な限り進めておきたいという思いが強すぎて、仕事をしているといつの間にかこんな時間まで会社に残ってしまっているのだ。慎重なのは良いけれど、先の事を考えすぎてしまうのも困りものだなと自分でも思ってしまう。ちなみに、真藤課長は部下を残して帰るタイプではないし、もともと定時に帰れる時でも、常に残って仕事をしているので、仕事人間なんだと思う。
それに私は、比較的会社から近いマンションなので、終電を逃した場合でもなんとかなっている。そういえば、真藤課長ってどうやって通勤しているのだろう。そんな事も知らなかったことに、今更ながら気がついた。
いつものように会話もなく、もくもくと仕事を消化していく。しばらくして、ターンッと勢い良くreturnキーを押して一息つくと、真藤課長に声を掛ける。一緒に働いているので慣れているとはいえ、やっぱり今もどことなく、この無口な課長には緊張してしまう。
「真藤課長、少し休憩に行っても大丈夫ですか?」
「……」
無言で一つ頷いた。
特に急いでいる場合以外は、休憩は各自の判断で取っている。一応、今は二人きりなので真藤課長に了解を得て席を離れた。
「おや、夕子ちゃん。今日も残業かね?」
「藤井部長! お疲れ様です」
休憩室に向かう途中、後ろから声を掛けられて振り返ると、出版部の藤井部長が居た。ただ、出版部と言っても、うちの会社では書店で売るような商業誌を制作しているのではなく、個人的に本を出したいという方を相手にしている。
ちなみに、この出版部の責任者である藤井部長は定年をとうに過ぎているのだが、社長に請われて、こうやって今も勤務している。私は入社当時、配属先の希望に出版部と書いて出していた。希望通りとはいかなかったが、社内イベントの時には、色々なお話を聞かせてもらい、何かにつけて気にかけてくれていた。
そして、社会人になってなかなか名前で呼ばれなくなった今では、藤井部長に「ちゃん」付けで呼ばれると、ちょっと気恥ずかしかったりもするけれど、本当は嬉しかったりする。
「お疲れ様。こんな可愛いお嬢さんを夜遅くまで、働かせるなんて困った会社だね。今度、社長にガツンと言ってあげよう」
「ふふ、藤井部長ったら、お願いします」
「2課と言えば、真藤君だったね。どうかね? 彼は真面目で仕事の出来る男なんだが、ちょっと厳しいところもあるだろう。何より、無口でいつも険しい顔ばかりで、愛想が良くない……」
「確かに、あまりお話をする機会はありませんが、仕事に関しては、分かりやすく指導してくれますし、何かあってもフォローをしてくれるので、安心感があるというか、私はとても尊敬しています」
「そうかね。夕子ちゃんにそう言ってもらえると、真藤君も助かるだろう。おっと、今から休憩だったかね。あまり根を詰め過ぎてもいけないよ」
「ありがとうございます。藤井部長はお帰りですか?」
「ちょっと忘れ物をしてね。取りに戻ったんだ。いや、歳は取りたくないね〜。それじゃあ、夕子ちゃんを前に申し訳ないが、先に失礼させてもらうよ。お疲れ様」
「お疲れ様です。お気をつけて」
藤井部長を見送ったあと休憩室に行き、自販機で飲み物を買い一口飲んで、伸びをする。
「んー。ちょっと腰にきてるかも、肩も凝ったなあ」
そのまま、何回か体をひねったり、軽いストレッチを終えると、スマホのチェックをしたり、ぼーっとしたり、いつも10分程度の休息をとっていた。
そういえば、残業している時に、真藤課長が休憩に行く所を見たことがない。さすがに私がデスクに居ない間くらい、息抜きをしていると思うけど、今までここで一緒になった事とかはなかった。
藤井部長も言っていたが、よくあんなにも仕事が出来るなぁ。本当に、凄いな。なんて思いながら、残りを飲み干すと、「よし、私も!」と気合を入れなおして自分の席に戻った。
けれど、私はこのあと意外な物と対面することになる。
バナナが置かれていた。
「へ?」
戻って来た自分のデスクを見て、休憩に行く前には無かった意外な物体に、思わず変な声が出た。
思わず瞬きを繰り返してみたけれど、いくら見直しても間違いなく私のデスクの上に、一本のバナナが置かれていた。