無口な上司と手紙、そして…… 2
「はあ〜、仕事が終わってしまう。夕子ちゃんがいなくなってしまう」
「どうです? 鈴ちゃんこのまま出版部に来ては」
立花さんと話してから数日経った。出版部の仕事も残すところあとわずか。一応この仕事が終われば、制作2課に復帰することにはなっている。最近仕事が進むたびに、藤井部長と深見さんがそうぼやくようになった。
「そう言っていただけて、嬉しいです」
お礼を言うと、それまで黙っていた市川さんが口を開いた。
「あら、社交辞令ではないのよ。そろそろ、この出版部にも新しい人が入って来ないとね」
「そうなんだ、夕子ちゃん。これは少し真面目な話なんだけどね。本当に来る気はないかい?」
そう言われて胸が熱くなった。自分の頑張りが認められたような気がして、その上、必要とされるなんてすごく嬉しかった。
「藤井部長、私は……」
出版部は、入社当時から希望していた部署だ。そこの部長から直々にお話をいただいてとてもありがたくて、心が揺れたのも事実だ。
でもだからこそ、このまま行く事は出来なかった。
「とてもありがたいお話です。もし、正式な辞令があれば喜んでお引き受けしたいと思います。けれど……これはただの私のわがままとして聞いていただきたいのですが……。出来れば一度、制作2課に戻りたいと思います」
「というと?」
「今回の事で、心残りがあるからです。後悔や反省すべき点が多くて、このままここに来てしまうと、制作2課の事をいつもどこかで気にしてしまい中途半端な気持ちのままになりそうで……。なので、もう一度、制作2課でちゃんと頑張って後輩を育てて、心置きなくここに来たいと思っています」
「やれやれ、真藤君の下でバリバリ働いてきたからか、輪をかけて真面目になってしまって……。そういう頑張りやなところが夕子ちゃんの良さだけど、責任感が強すぎてあまり何でもかんでも背負い込んでは、いけないよ」
そう言いながらも、藤井部長はニッコリと笑っていた。他の二人を見ると同じように笑っている。
「部長、今回は振られてしまいましたね」
「あら、でも夕子さんがもっと素敵な女性になって戻ってくるという事でしょう? 二人とも見たくありませんか?」
「ふむ。確かにそれは楽しみだね。こりゃ当分引退は出来んね」
「そうですね。その時の、真藤君の顔も見てみたいし」
市川さんの言葉に、部長と深見さんがそれぞれ頷く。そして、藤井部長が最後にこう言ってくれた。
「夕子ちゃんが出版部に来るまで待ってるから、ぞんぶんに頑張っておいで」
「はい! 頑張って今度は骨を埋める覚悟で出版部に行きます」
「あら、素敵な後継者が見つかって良かったわ」
「ええ、鈴ちゃんが来て、部長がいなくなれば、両手に花ですね」
「何か言ったかね? 深見君」
そのいつものやりとりを見て、笑ってしまった。すると、そんな私を見ながら小声で三人が何やら呟いていたが私には聞こえなかった。
「でも、仕事に真面目すぎるのも困りものだね」
「ですよね……このままでは二人とも仕事人間まっしぐらですよ」
「夕子さんのせいではありませんよ。そもそもこいうことは男性の方から……」
『……ここは、ひとつ我々が』
◆◇◆
今日の分の仕事を終え、帰り支度をする。出版部の他の三人もそうだった。すると、市川さんに声を掛けられた。
「夕子さん、帰り際にごめんなさいね。私少し用事があって、代わりにこの書類を経理に持って行ってくれないかしら」
「はい。大丈夫です」
そういって受け取った書類を持って経理課にむかう。
ふと、制作2課の前を通ると、まだ明りがついていてそっと覗いてみると、真藤課長がやっぱり一人で仕事をしていた。
声を掛けようか迷ったけれど、そのまま静かにその場を離れる。まだ、この気持ちを言葉にする事は出来なかった。
そのまま経理課に書類を持って行き、帰りにふと休憩室に寄る。制作2課にいた時は、残業の時はいつもここで休憩してたなぁ。なんて、思い出していると少し懐かしくなって、残業でもないのに飲み物を買って一口飲んでみた。
そういえば、あの日こうやって休憩から帰ったら、デスクにバナナが置かれていた時はびっくりしたな、それがすごく美味しくてまたびっくりして……。
思い返せばそれがすべての始まりだったのかもしれない。
紅茶が出てきた時は、苦手だって素直に言えなくて、でもそのあと初めて真藤課長の車に乗って……。
(もう……、なんで……)
さっきから、思い出すのは真藤課長の事ばかり……。
好きだと想うだけでいいの?
ずっと、このままでいいの?
あれから、心の中で何度もそう問いかけている。
けれど、答えは出ないまま。
それに、正直、立花さんの事で落ち込んでないと言ったら嘘になる。後悔を残して、反省もこれからという今の私が、告白してもいいのだろうかという気持ちがあった。
もっと成長して、もっと頑張って……。
でも、それってどこまでなんだろう?
いくら考えても、やっぱり答えなんか出なくて、残りを飲み干すと、いつまでもこうしているわけにもいかないし、おとなしく帰ろうと思い出版部に戻る。
すると、出版部での私のデスクの上に、封筒と小さな箱が置かれていた。
呼吸が一瞬止まった。




