無口な上司とたい焼き 7
それからは、なるべく制作2課の事は考えないように、今の自分の仕事に専念していた。
そして今日も、お茶の時間になると藤井課長の声が掛かった。
「そろそろ、お茶にしようか」
「はい。今日はどのお茶にしますか?」
「そうだね。今日はちょっと甘い物があるから、濃い目の緑茶あたりがいいね」
「甘いものですか? 楽しみです」
お茶の準備をして、四人分を淹れ終ると、藤井部長から差し出されたその紙袋に強い既視感がした。まさか、と思った。偶然かとも思ったけれど、そうじゃないことはもう分かっていた。
でも、中身を見て、その予想は半分当たっていて、半分ハズレていた。そのハズレに思わず笑みが溢れる。
「疲れた時には、甘いモノが一番だからね。ええと、何だったかな? 脳の中のブドウ糖が消費されて……いかんな、老眼で字が見づらい」
藤井部長が何やらメモのような物を隠し持ちながら、それをチラチラ見ながら喋り始めたが、上手く行かないようで。すると、隣の深見さんが藤井部長のメモをコソコソと受け取り代わりに話し始めた。
「鈴ちゃん、知ってるかい? あんこには、ポリフェノールや食物繊維が多くて、ダイエットの……」
「深見君、ダイエットという言葉は言っては……」
「……ああ、そうでした。ショックだな、私も老眼が進んでるみたいで……」
二人のその様子がおかしくて、もう少し見ていたかった気もしたけれど、たまらず吹き出してしまった。
「ふふふ、もしかして、これは真藤課長からの差し入れですか」
「いや、その……」
二人は、慌てて否定したが、市川さんがあっさり白状した。
「実は、そうなのよ。自分で渡せばって言ったのに、変に気を遣ってね」
「ああ、市川さん。だめですって……」
「こんなカンペまで渡して、さりげなく夕子さんに伝えるようにですって」
深見さんから取り上げたてピラッと見せてくれたメモ用紙には、カロリーや疲れた時の糖分摂取の話などがびっしりと書かれていた。
可笑しいのと、嬉しいのと、なんだか胸がいっぱいで、でもせっかくだからたい焼きを一個つまんで放り込んだ。
それは、以前くれた物よりもずいぶんサイズの小さい、ミニたい焼きだった。わざわざ探して来てくれたのだろうか、乱暴に投げつけた言葉でさえ受け止めて気を遣ってくれたのかと思うと、その優しさに胸がじんわりと温かくなった。
「あとで、お礼を言いに行ってきます」
「うん、それが良い」
正直、出版部の三人がどれこまで知っているのかわからないが、その優しい眼差しにとても励まされた。
今ならもう大丈夫。真藤課長にちゃんと、謝りに行こう。
そして、もう一人。
あれから心の片隅に引っかかっていた事を言いに行こう。
「真藤課長。少しよろしいでしょうか」
「鈴木さん!? どうしたんですか、出版部で何かありましたか?」
会議が終りフロアに戻ろうとした真藤課長を呼び止めた。すると、私を見るなり、いつになく真剣な表情でそう言い階段の踊り場に連れられて行った。しばらくまともに顔を見ていなかったので、その迫力顔がちょっと怖かったのは秘密だ。
「大丈夫ですか?」
「いいえ、あの、大丈夫です。仕事は順調です。今日は、たい焼きのお礼をと思いまして……」
「っ! 僕からというのは……、内緒にしておいて欲しいと頼んだのですが」
私がそう言うと、安心したように、けれどたい焼きの件で気まずそうな顔をした。
しかし、そもそもたい焼きから連想する人物なんて、真藤課長以外にいないのに内緒も何もないんだけれど。とにかく、今はそれは置いておこう。
「美味しかったです」
「……」
「すっごく、美味しかったです。ありがとうございました」
「……」クイッ。
真藤課長のその仕草を久し振りに見たような気がした。
「それから、この間ひどい言葉と態度を取ってしまい、申し訳ありませんでした」
頭を深く下げて謝る。
「いえ、あれは僕の配慮が……」
「違うんです。あれは私のただの八つ当たりでした。色々な言葉に振り回されて、勝手に思い込んで……、本当に申し訳ありませんでした」
「鈴木さん、僕は……」
そう言って、もう一度頭を下げた私に真藤課長が何か言おうとしたが、バタバタと階段を駆け下りてくる音がして、二人ともその方向を見た。
「真藤課長、探しましたよ」
「どうしましたか? 織田君」
「15時に約束していた、お客様が少し早く見えられましたので」
「分かりました。すぐに行きます。では、鈴木さん、すみませんが失礼します」
「はい。お時間を取っていただき、ありがとうございました」
お礼を言って、足早に去っていく真藤課長を見送る。
「あれ、俺なんか、邪魔した?」
「ううん。用件は終わったから大丈夫だよ」
そう言って、織田君とも別れた。課長にやっと謝罪することが出来て幾分すっきりしたものの、これで終わってはいけない。もう一人話したい人がいる。
「立花さん、ちょっといいかな?」
「……なんですか」
休憩から戻る彼女に声を掛けると、ちょっと警戒しているような表情をしながらも立ち止まった。彼女に対して、今となってはもう良い感情は抱けない。彼女の言葉に傷ついたし、振り回された。けれどそれも、もう過ぎたことで、これは仕事の先輩として彼女に伝えたかった事があった。
「あのイラスト、とっても可愛かった」
「は?」
「一番最初の仕事で、描いたイラストの事」
「……あ〜、でもあれは」
「確かに、あの時は合ってなかったけど、でも、いつか、あのイラストがぴったり合う仕事が来た時のためにとっておいて」
「……」
「じゃ、話はそれだけだから。忙しい部署だから、大変だけど頑張ってね」
そう言うと、振り返らずに自分の仕事に戻った。
言いたい事は言った!
よし、今日も一生懸命働きますか!




