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無口な上司とたい焼き 6


「夕子ちゃん、お茶にしようか」

「はい。藤井部長。今日は何の茶にしますか?」

「そうだね。夕子ちゃんの好きな、ほうじ茶にしようか」

「はい、入れてきますね」

「ああ、ありがとう」


 出版部に異動して2週間。

 あれから、真藤課長に申し訳ないと思いながらも謝る機会もなく、そのまま出版部へ異動した。けれど、そんな私を出版部の3人が暖かく迎えてくれた。藤井部長に、市川さん、そして、もう一人、年齢は二人よりも若く40代後半の男性で柔和な雰囲気の深見さん。

 どんな形であろうと、憧れの出版部に来たのだから、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。真藤課長や立花さんの顔を見なくてもよくなった環境で、私は少しずつ落ち着きを取り戻し、また、頑張って行こうと思うようになっていた。

 そして、どこか締め切りに追われるように仕事をする制作2課とは違って、出版部では膨大な文字に囲まれ、辞書とにらめっこの日も珍しくないけれど、じっくり丁寧に、丁寧に進める仕事がとても新鮮に移った。決して忙しくない訳ではないが、藤井部長はこうやって欠かさず皆でお茶の時間は取るようにしている、おかげでゆったりとした気持ちで仕事が出来ていた。


「いや、しかし制作2課にいただけあって、夕子ちゃんは仕事が正確な上に早いね」

「そんな、私なんか、まだまだです」

 出版部の応接間に集まり、淹れたお茶を配っていると、藤井部長がそう言って褒めてくれた。

「う〜ん、謙虚なところもいいね」

「部長、すっかり鈴ちゃんの虜じゃないですか」

「そういう、深見君もじゃないかね。何だいその「鈴」ちゃんて」

「皆さん名前で呼んでいるので、少し特別感をだそうと」

「相変わらず抜け目ないね。夕子ちゃん、深見君はこう見えて羊の皮を被った狼だからね。油断してはいけないよ」

 そんな藤井部長と深見さんのいつもの掛け合いにも慣れてきた。


「あら、二人とも夕子さんにご執心ね。少し妬けてしまいますわ」

 すると、そう言いながらも、ちっとも妬いた素振りもなく、市川さんが微笑みながらなんとも優雅な仕草でお茶を口にする。

 わぁ、素敵。とても、ほうじ茶には見えない。


「おお、市川君。まあ、まあ、君はこの出版部の永遠のマドンナに変わりはないよ」

「でも、まあお二人の気持ちは分かります。夕子さんなら、うちの息子のお嫁さんに来て貰いたいくらいですわ」

「こ、これ、市川君。余計な……」

「そうですよ、これ以上波風は……」

 市川さんが冗談ともつかぬ感じでそう言うと、他の二人は何故か慌てたようにごにょごにょと口ごもりながらも、何やら訴えかけるような目で市川さんを見ている。


「あら、だって、考えてもみてください。夕子さんに「お義母(かあ)さま」と呼ばれるなんて、素敵じゃありません?」


 二人の視線など物ともせずそう言うと、二人はきょとんとした後、


「確かに、夕子ちゃんに「お義父(とう)さま」なんて呼ばれたら……。ふふっ、いや、これはまいるね」

「私に子どもはいませんが、そうですね鈴ちゃんに「パパ」って呼ばれるのも悪くないですね」

「深見君のは『パパ』違いに、聞こえるがね」


 三人共、思い思いの想像で盛り上がっているが、当の私はさすがに何と返して言いのか分らず、とりあえずお茶のおかわりを淹れた。


 そんな出版部の今日の仕事が終り、帰ろうと廊下を歩いていると、制作2課のフロアは未だ明りが煌々と着いていた。やはりこの時期は忙しいのだろう。ほんの少し除くとみんな慌ただしく働いていた。

 少し身を屈めて、見つからないように後輩の詩織ちゃんを小さな声で呼ぶ。すると、それに気が付いた彼女は声を上げそうになったが、私が人差し指を口に当てて手招きすると、こっそり抜けだしてくれた。


「久しぶり、詩織ちゃん。忙しそうね、大丈夫?」

「夕子さ〜ん、会いたかったです! 全然大丈夫じゃないです〜。立花さんのクレームのお陰で、この忙しいのに夕子さんいなくなるしで、制作2課は今てんてこ舞いなんですよ」


 そう言って、眉を下げ今にも泣き出しそうな顔で抱きついてきた。一応、異動前には自分の手持ちの仕事は終わらせていたが、やっぱり1人いなくなると大変みたいだ。


「ごめんね。私が抜けたから……」

「そんな! 夕子さんのせいじゃ、全然無いですよ」

「ねえ、私今日はもう出版部の方が終わったら、少し手伝おうか?」

「え、それは助かりますが。でも……」

「大丈夫。皆には見つからないように仕事は出版部のデスクでやるから」


「駄目だ!」


 詩織ちゃんとそんなことをヒソヒソと話していると、後ろから急に声を掛けられて、驚いて振り返る。


「っ、織田君?」


 残業続きで疲れているのか、普段の飄々とした感じが今日は見られない。そして、いつになく真剣な表情をした織田君に少し心配になった。そんな私をよそに織田君は話を続ける。


「鈴木、お前は色々と気にしすぎだ。あれもこれもじゃ、中途半端になる」

「どうしたの? 織田君、急にすごくまともに……」

「俺は、もとからこんなんだよ。とにかく、お前は余計な事は考えずに、出版部の仕事に専念しろ。制作2課のことは心配するな。いいな!」

 きっぱりそう言い切る同僚を、呆気にとられた顔で見つめていたが、隣にいた詩織ちゃんがコッソリ耳打ちしてくれた。


「……実は、織田さんこの前の、夕子さんの涙に相当衝撃を受けたみたいで」

「チクんじゃねーよ。青山」

「織田君……」

「鈴木のためじゃねーよ。勘違いすんなよ」

「うん……。でも、ありがとう」

「惚れんなよ」

「うん、それは大丈夫」

「即答かよ」

「あのね、織田君。あれは、心の汗だよ」

「……言ってろ」


 同僚の優しさが嬉しくて、うっかり泣きそうになってしまった。ここで、泣いたらまた心配かけちゃうね。だから、私は思いっきり二人に笑ってみせた。


「私は今の仕事を頑張るね! じゃあ、お先に、お疲れ様!」

「おう、お疲れ。今度奢ってくれよ」

「任せといて!」

「夕子さん、私も!」

「うん。二人も頑張ってね」


 人一倍頑張ってきたなんて思っていたけれど、本当はこんな風に周りの人達が支えてくれていたから、そうしてこれたんだ。


 私、もっと成長したい。


 もっとちゃんと周りのみんなに感謝出来るように。これからは、自分だけが頑張るんじゃなく、他の誰かが頑張れるように、応援してあげれる人になりたい。



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