無口な上司とたい焼き 3
「おはようございます」
「おはようございます。真藤課長」
「鈴木さん、少しよろしいですか」
「? は、はい」
出社するなり、課長にそう言われ、不思議に思いながらも後に続き空いている会議室に入り促されて、椅子に座るといつもより少し眉間のシワが深くなったような真藤課長が、ひとつ咳払いをすると本題を切り出した。
「出版部に異動? ですか……」
「はい。確か鈴木さんは入社当初、出版部への配属を希望されていましたね」
「ええ。ですが、人材が少ない制作課の方で頑張って欲しいという事で、最初は制作1課へ、それから2課への配属になりました」
時期はずれの急な異動の話に戸惑いながらも、真藤課長に聞かれるままそう答えた。
「実は、出版部の藤井部長の方から今度新しく入る仕事において、誰か一人回してくれないかと要望がありまして、今回は短期間の異動となりますが、……もし鈴木さんの希望があれば出版部への正式な配属になるよう、可能な限り尽力します」
「ち、ちょっと待って下さい。人出が欲しいと言うのは分かりますが、制作2課もこれからさらに忙しくなる時期なのに、急に異動なんて……どうしてでしょうか。もしかして私何かしてしまったのでしょうか……」
確かに心のどこかにいつかは出版部へという気持ちもあるけれど、私は制作2課が大好きだ。みんなと一緒にこれからも仕事をしていきたいと思っている。だから、今すぐ2課を離れる気はない。それに、今の事情を聞いても、短期とはいえ異例の事だと思う。
「いえ、鈴木さんがどうという事は一切ありません。確かに今制作2課からあなたに異動されるのは大変ではありますが……。普段の仕事ぶりを見て、藤井部長からも是非にという事だったので、とりあえず、今回短期間ではありますが、これは鈴木さんにとってもチャンスではないでしょうか」
「……それは、もう決定事項という事でしょうか?」
「決定ではありませんが、鈴木さんには前向きに考えて欲しいと思っています。1週間後また改めて返事を伺いますので、お願いします」
「……わかりました」
そうは言ったものの、ちっとも理解は出来なかった。わざわざ忙しい制作2課から人材を提供するなんておかしい。
それに、ほんの少し自惚れた言い方かもしれないけれど、何で「私」なのかと思ってしまった。真藤課長は見込まれた上での異動という話だけれど、それが本当なら素直に嬉しいけれど、だからこそ余計に腑に落ちない。
だって、もし本当にそうなら、それこそ私が今抜けるのは2課にとっては困る事になるんじゃないのか?
いつも一生懸命仕事して来たのに、頑張ってきたのになぜ「私」なの? これから繁忙期というこのタイミングで、それに出版部を希望しているのは私だけじゃない、先輩の中にもいるのだから。
いくつも浮かぶ疑問は、いくら考えても分からなかった。もう一度、真藤課長に本当の理由を聞いて見たかったけれど、さっきの対応を見て、ここ最近の真藤課長とは違う感じで、これ以上聞いても、たぶん本当の事は答えてくれないと思った。
自分のデスクに戻ると、すこし心配したような顔で詩織ちゃんに声を掛けられた。
「夕子さん、大丈夫ですか? 課長から何か……」
「ちょっとね……、ううん。大丈夫。さ、仕事、仕事。」
とりあえず、考えるのはあとだ。今は、今の仕事に集中しよう。
◆◇◆
「鈴木……、おい、鈴木!」
「え? あれ、どうしたの織田君。それに詩織ちゃんも」
「いや、お前今日昼も食べずに、仕事してたから……」
「私も、今朝の夕子さんの様子がちょっと気になってしまいまして……」
「二人とも……」
いつの間に定時を過ぎていたのか、二人に声を掛けられるまで気付かないほど仕事に集中してしまっていた。というか、集中していないと落ち込んでしまいそうで怖かった。
「よし、とりあえず、飲みに行くぞ」
「え、でも、仕事……」
「もう、そんだけやってたら充分だよ」
「行きましょう。夕子さん」
「……うん。わかった」
どうやら異動の話を聞いてから、どこか様子のおかしい私を心配してくれたようだった。今は二人のその気持が沈んだ心に染みわたる感じがして嬉しかった。
ちょうど、真藤課長は席を外しているみたいで、顔を合わせず退社出来そうで、その事に今の私はホッとしてしまっていた。




