無口な上司と紅茶 6
キーボードを打つ音だけが、制作2課のフロアに響いている。
さっきまでいた織田君が帰り、真藤課長と2人きりになると途端に辺りが静かになったような気がした。特に今日は、例の合コンの日だということでいつも以上に騒がしかった……張り切って仕事を片付けていたからかもしれない。
「あの、鈴木さん」
「はい。何でしょうか」
「……」
「?」
真藤課長に呼ばれたので、新しい仕事かと思いデスクに赴いたが、眼鏡をクイ、クイと押し上げるだけで、なかなか用件をきり出さない。不思議に思いながらも、何も言わずじっと待っていると、ひとつ咳払いをして、やがて話し始めた。
「いつも残業が多くて、申し訳なく思っています。しかし、スケジュールも予定通り順調に進んでいますし、時間にも余裕があります。その……行かなくても良いのですか?」
「え、どこにですか?」
「……」クイッ。
「……」
「プライベートに口を出すつもりではありませんが、織田君が……に、いえ、その何か鈴木さんを誘っていたようでしたので」
「ああ。その件でしたら、織田君には悪いですが、断ったので行かなくても大丈夫になりました。ただ……」
「ただ? どうしたんですか、やっぱり……」
「いえ、実は……今日は合コンの誘いでして、私が断ったかわりに、市川さんが参加してくれる事になったのですが、ご本人は楽しみだと言ってくださったのですが、やはりご迷惑をおかけしてしまったんじゃないかと思いまして」
ゴンッ! と鈍い音がした。
目の前の真藤課長が急に机に突っ伏したので、びっくりして慌てて声を掛ける。
「だ、大丈夫ですか?」
「ええ、ちょっと急に眩暈が、いえ大丈夫です。そう、ですか。市川さんが……」
最後の方は何か言っていたが聞き取れなかった。それよりも私は真藤課長が心配だった。眩暈なんて……、今までそんな事はなかったけれど、普段あれだけ仕事しているのだから、疲れが蓄積されているのかもしれない。
「あの、少し休憩しませんか? そうだ、市川さんにいただいたお菓子があるのです。一緒にどうですか?」
「市川さんに?」
「はい! びっくりしないで下さいね。これ、この前課長が差し入れしてくれたクッキーと同じなんですよ。でも。市川さんもどこで売ってるか教えてくれなかったんです。よっぽど隠れ家的な名店なんですね」
「っ!」
そう言って、包を差し出すと、何故か焦った様子で眼鏡を押し上げていたが、とりあえず私が用意したお茶を一口飲むと、ホッと一息ついた感じだったので良かった。
「でも、市川さんにかわってもらって良かったです……」
「……?」
私がポツリとそう呟くと、真藤課長が少し首を傾げる。
「いえ、実はもともと合コンとかは苦手というのもあるんですが、知らない男性とお酒を飲むより、なんか真藤課長とこうやってお喋りしている方が、私は楽しいです」
ゴンッ! と再び、鈍い音がした。
「だ、大丈夫ですか?」
「ええ、またちょっと、眩暈がしてしまって」
2回も眩暈を起こすなんて……やっぱり、仕事のしすぎだ。
「真藤課長、今日はもう帰ったほうが……あ、でも、今すぐに運転は危ないかもしれませんね。少し横になりますか?」
「い、いえ、本当に大丈夫ですから……」
「でも、何だか顔も赤いですし」
そう言って課長の顔を覗き込むと、慌てたように顔を逸らす。
「や、やっぱり、今日はもう帰ります」
「はい。それが良いと思います。あ、私残って仕事やりますので、かわりに出来る仕事があったら言ってください!」
いつも制作2課を引っ張って行ってくれているんだから、こんな時は少しでも役に立ちたいと思って、張り切ってそう言ってみたが、真藤課長は少し考えこんだあと、静かに口を開いた。
「いえ、大丈夫です」
「それよりも、鈴木さん!」
「はい」
「……」
「?」
「あの、送りますので……」
「え?」
「僕も、鈴木さんと話すのは楽しいと思っていますので……一緒に帰りませんか?」
「え、あ、あの……はい」
真藤課長の誘いに、すごく恥ずかしくなったが、でもそれを断るなんて出来るわけない。二人で無言のままデスクを片付けながら帰り支度をする。たぶん、いま私、真藤課長と同じように顔が赤くなっているかもしれないと思いつつ、先を歩く真藤課長の後をついて行った。
いま、振り返られると困る……。