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無口な上司と紅茶 2


「タオルと保冷剤持ってきたので……」


 そう言って戻ってきた真藤課長は、私の手や腕にかかった紅茶をタオルで拭いたあと、赤くなった部分に保冷剤を当ててくれた。


「大丈夫ですか? 鈴木さん」


 こくりと頷く。心配してくれているのに、あまりの恥ずかしさに、うつむいて黙ったままの私。


「すみません」

「……」

「あの、持ち上げられなかったのは鈴木さんがどうとかということではなく、ここ数年仕事ばかりで、せっかく入会したジムにも行けない状態でして、すっかり筋力が衰えてしまって」


 真藤課長はまったく悪くないのに、謝ってきた。そして、いつもとは違いとてつもなく喋ってくれている。ただ、それだけ私に気を遣ってくれているという事だけれど、課長が話せば話すほど、なんだか自分が情けなくなってきてしまった。


「……」

「……」

「紅茶、苦手だったんですね」


 確信をついた言葉に咄嗟に首を横に降る。

 けれど、それが嘘だということはすでにバレている。


 嫌だ。これだから嫌なんだ。

 変に意識してしまうと、こんなささいな事さえ言葉にするのをためらってしまう。最初から、素直にちょっと苦手だと伝えられたらこんな事にはならなかったかもしれない。

 けれど、そう言ったら、もう二度と課長とのこういう機会がなくなってしまうんじゃないかって思うと、言えなかったのだ。


「無理をしなくても……」

「……でも、苦手だって言ったら、課長はもう私に紅茶を入れてくれなくなるんでしょ?」

「え?」

「そしたら、課長と喋るきっかけがなくなるから……」

「……」

「私、もっと課長と、ほんの少しでいいから、バナナの時みたいに、喋りたい、です」

「……」


 自分でも何言ってるんだろうと思ってる。

 会社で、上司相手に、こんな事……馬鹿みたいだと思う。


 けれど、本当の事だった。

 何でかな……ほんの一言、二言でも真藤課長と仕事以外の話せるこのひとときを、なくしたくないと思ってしまった。


「とにかく、今日はもう帰りましょう。その格好で電車はあれでしょうから、送ります」

 私は、恥ずかしさと迷惑をかけて申し訳無く思っていたが、断ることなんて出来るはずもなく、うつむいたまま頷く。少し身なりを整え、仕事のデータの保存をして課長に促されながら、制作2課のフロアを後にした。

 エレベーターに乗り込むと、課長は地下1階のボタンを押す。たしか駐車場のはずだったから、課長はもしかして車で通勤しているのかな。けれどそう思っても、今の私から話しかけることは出来なかった。


 そのまま課長について行くと、黒い乗用車の助手席を開けてくれた。

 一瞬、紅茶を零した服で乗るのをためらったけれど、真藤課長が大丈夫というようにうなずいてくれたので、乗り込んだ。


 車の中に入るとふわりと、課長の匂いに包まれたような気がして、急にドキドキしてしまった。

 そして、運転席に乗り込んだ真藤課長は、何も聞かずに私のマンションの住所をカーナビに入力した。

 操作しているその細い指先を見て、また心臓が跳ねてしまった。

 そんな視線に気づいたのか真藤課長の指がピタッと止まると、ちょっとためらいながら呟いた。

「あの、鈴木さんの住所はお見舞いの時に、いえ、その時も、……その不正使用とかは一切していませんので、安心してください」

「……大丈夫です」

 私に聞く前に入力したことを言っているのだろう、正直、そんなことより真藤課長の指を見て悶えていたのがバレなくて良かったと思っていたので、別になんとも思わなかったが、確かに個人情報の取扱には慎重にならなければいけないが、私はお見舞いとても嬉しかったけれど。


 車で会社を出たものの、車内はシンとしていた。運転中に話し掛けるのも気が引けたし、せっかくの紅茶もこぼしてしまい……そして、何よりさっき「課長とお喋りしたい」なんて言ってしまったので、もう何かどう思われているのか怖くて、大人しくしていた。


「リンゴは、好きですか?」


 真藤課長がふいにそう聞いてきた。


「え?」

「いえ……」

「あ、あのリンゴは好きです!」


 急な質問に一瞬何のことかわからなかったけれど、ハッとして課長の言葉に被さるように返事をした。


「あ、すみません。何か言いかけてましたよね?」

「いえ、大丈夫です。では、ミカンは好きですか?」

「はい。ミカンも大好きです」

「……」

「……」

「僕は、仕事以外の事を喋るのは得意ではないので、会話といっても咄嗟には、こんなことくらいしか思い付かないのですが……」


 その言葉に、胸がきゅぅうと苦しくなった。

 迷惑をかけたのは私のほうなのに、仕事には関係ないお喋りをしたいなどといった、こんな訳の解らないわがままを真摯に受け止めて、課長なりに応えてくれようとしてくれたのかと思うと、どうしようもなく嬉しくなった。


「……あの、私、紅茶は苦手ですけど、紅茶入りのクッキーとか、ケーキとかは好きです」

「そうですか。先に、好きか嫌いか聞けば良かったと反省しています」

「いいえ、とても嬉しかったです」

「……」

「……」


「あの、もしかして真藤課長は紅茶がお好きなのですか?」

「はい。いつもはストレートですが、たまにミルクティーを飲みたくなる時があります」

「……」

「……」


「リンゴ……」

「?」

「僕もリンゴは好きですが、アップルパイが苦手です」

「どうしてですか?」

「果物を煮たり、焼いたりしているのがどうも……」

「もしかして、干しぶどうとかドライフルーツもですか?」

「ええ、果物はそのままが好きです」

「私もなんです。同じですね」

「……」

「……」


 ぽつりぽつりと会話しては、無言になり、唐突に再開したり、かといって、気まずいとかという感じでもなくて、普通に自然にほんわかとした雰囲気が車内に流れていた。

 ふいに私のマンションまでがもっと遠ければ良かったな、なんて思ったりもしたけれど、遠くなると通勤が大変だなと、どこか冷静に考えてしまうのが、社会人の悲しい性かもしれない。

 ナビの案内が終了して、道路脇に車を止めてくれた。


「今日はすみませんでした。送っていただいてありがとうございます」

「いえ、こちらこそすみませんでした」

「……」

「……」

「お疲れ様です」

「お疲れ様です。では、また明日」


 そう言って、車から降りドアを締めると、お互い軽く会釈をして、課長は車を出した。それをほんの少し見送ってから、部屋に帰った。




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