元カレ、飛び蹴り
「俺と仕事、どっちが大事なんだよ?」
そんな台詞は、ドラマか小説の中だけだと思っていた。
現実に、しかも男性から言われるとは思ってもみなかった。
一生懸命仕事のやりくりをして時間を作って、約束の時間ぴったりに、息を切らせながら待ち合わせ場所に着いた私に、すでにその場に来ていた彼はそう言った。しかし、今までの事を振り返ると、私も強く言い返せなくて、逆にそう言われても仕方ないのかもしれないとも思っていた。
「遅いんだよ」
「ごめんね。仕事が忙しくて。でも、約束の時間には……」
素直に謝ったけれど、そのあとの言葉が彼にとっては「お決まりの言い訳」として聞こえて、気に入らなかったんだろう。彼は苛立ったように、文句をぶつけてきた。
「お前、今まで何回約束すっぽかしたか、覚えてる? 7回だよ、7回。約束の時間だって、ギリギリじゃなくて、せめて5分前には来るのが、普通だろ」
最近は、せっかく約束通りに着いても、会った途端こんな風に過去の事を持ち出されて怒られるのも珍しくなかった。
確かに、約束を直前にキャンセルしたことや遅刻も何回かある。それは、本当に申し訳なく思ってるし、その都度、誠心誠意謝ってきた。
けれど、こっちだって就職して半年、仕事を覚えて、ついて行くのに必至なのだから、少しくらい事情を理解してくれたって良いじゃないのかと、わがままにも思っていた。
それに、キャンセルしたのは事実だけれど、いつも約束の1時間前にはちゃんと連絡していた。残業になったから今日のデートを別の日に改めて欲しいと何度も謝ってお願いしたら、それでも「待ってるよ」と物分りの良い事を言ってくれたので、その言葉に一度甘えてみたら、めちゃくちゃ不機嫌になってしまった。
だから、それからは慎重に予定を決めて、最近は遅刻もキャンセルもしないように努力してきた。けれど、そうは言ってもやっぱり仕事ばっかりで、デートの約束そのものが激減している状況ではあるのだけれど。
「お前、仕事、仕事で俺の事なんて、どうでもいいと思ってるだろ? それになに? 髪だってボサボサだよ。もっと、余裕持って来いよ。あ〜あ、仕事ばっかりで、可愛げなくなったな〜」
「……」
どうでもいいなんて思ってないよ。
会いたいから、仕事も頑張ってデートの時間作ってるんだよ。
好きだから、ハイヒールを履いてても、痛むのを我慢して走って来たんだよ。
大学の時から付き合ってきた彼氏。
普段から、自立した女性がいいとか、将来結婚するなら共働きがいいとか、言ってたのに、いざ私が就職して仕事が忙しくなると、励ましたり、労ったりするどころか、ちくちく嫌味ばかり。
「ちょっと忙しいからって、生意気になって……」
振り返ることもなくさっさと歩き始めて、まだ、ぶつぶつ言っている彼の後ろ姿を見ると、もう我慢の限界だった。
こっちだって必至に頑張ってるのに。
こんなに努力しているのに。
私ばっかり、仕事とデートのやりくりが大変で……。
もう、嫌だ。
おもむろにハイヒールをその場で脱ぎ捨てると、ふつふつと湧き上がってきた怒りのままに、私はタタタッと助走をつけて彼の背中に、飛び蹴りした!
「っ!」
ビクッと体が動いた拍子に目が覚めた。
「夢か……」
はあ、と大きなため息をついた。朝から嫌な夢を見てしまった。今日も仕事だというのに、過去の失恋を夢に見るなんて縁起悪いなと思いつつ、ベッドから起き上がる。
とりあえず、テレビをつけてタオル片手に洗面所で、洗顔と歯磨き。シャコシャコ歯ブラシを動かしながら、さっきの夢を思い出して、なんか段々ムカムカとしてきた。
実際には、彼とは普通に話し合って別れたのだけれど、最後まで文句を言われ続け、あの時本当に飛び蹴りのひとつでもしてやればよかったと思いながら、口を濯いだ。
もう、デートだなんだと恋愛は面倒だ。
私には、幸い打ち込める仕事がある。
手早く化粧と着替えを済ませ、カバンの中身と戸締まりをチェックする。玄関でパンプスを履いて、鏡でもう一度、最低限の身だしなみのチェックをしながらひとこと。
「今日も、頑張って行ってきますか」
最近、こんな独り言が多くなった事けれど、もう気にもならなくなった。