第39.5話 【アマテラスの長い一日(上)】
私はいま、神鶏の背に乗りシナイ山に向かっています。
久しぶりに乗る神鶏の背は相変わらず乗り心地がよく、ふかふかの羽毛に包まれて、微睡んでいましたところ――
『アマテラス様―― アマテラス様!』
神鶏の声で私は現に引き戻されました。
『トコヨ……御免なさい。私、眠っておりましたか?』
『はい、アマテラス様。少しだけお眠りされていました。かなりお疲れのご様子で…… そのままお眠りいただきたかったのですが、そろそろ到着いたします……』
私の心優しき神使。神鶏のトコヨは、恐縮そうにそう言いました。
『ありがとう、トコヨ。飛び続けている貴方のほうが疲れているでしょうに……』
『もったいなきお言葉』
トコヨの純白の羽毛が照れくさそうに靡いたような気がしました。
『あ!アマテラス様、シナイ山が見えて参りました』
トコヨに促されて遥か前方に目をやると、シナイ山の稜線が浮かんできました。山の端に向かって細い尖塔が無数に聳えているのが見えます。
『あれがヤハウェの御殿ですか。さすがに荘厳ですね。』
私は、初めて見るヤハウェの御殿と高天原にある己の質素な屋宇とを、つい比べてしまいました。
私たち神々が、迫り来る“終末”への対抗策として、これまで長い時間をかけて議論に議論を重ね、周到に準備を進めてきたLOGOS計画。
小さくないトラブルはありましたが、下界と重なり合うように別次元に創り出した新しい世界とReligious Planetというゲーム世界をリンクさせる試みは先般成功しました。
今日は、各地域の代表である最高神達が一堂に会して、LOGOS計画の進捗と今後の方向性などを協議する日です。
この最高神会は、これまで定期的に開催してきましたが、今回は、“預流者の才”のこと…… “水龍グランドレイド”のこと…… 少なからず私に関係する話題が出ることが予想されますゆえ、いまから暗澹たる心持ちです。
『はぁ……』
私は思わず溜め息をついてしまいました。
『アマテラス様、到着いたしました。これより下降いたします。少し揺れるかもしれませんが、ご寛恕ください』
そう言うと、トコヨは大きく羽を広げました。飛ぶ速度が急激に落ちて、私の一本に束ねた長髪がふわっと跳ね上がります。
左右の小翼羽を立て、上手く揚力を制御しつつ、トコヨはゆっくりと優雅に着地しました。今日のために誂えた、私の淡紅藤の袿袴に風が纏わり、裾が少しだけ浮き上がりました。
『少しも揺れませんでしたよ? トコヨ、ありがとうございます』
私は、勤勉な私の神使を労います。
鶏が飛べないなんて誰が言ったのでしょうか? 己の神使の美麗な飛翔を誇らしく思いつつ、私はシナイ山の地面に降り立ちました。
『それでは行ってきます。トコヨは此処で待っていてくださいね』
私がそう告げると、トコヨは伏臥してその場に直りました。
地上に降り立ち改めて見上げると、ヤハウェの御殿は、より一層荘厳に見えました。
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総石造のその御殿は、組積造とは思えないほどの複雑な造形をしていました。
端が見えないほど広大な建物から無数の尖塔が、天空に導くかのように聳えています。建物の外周には側廊があり、そこに渡る斜め上がりの飛梁が建物の意匠をさらに複雑に見せていました。
御殿の入り口はアーチ状になっており、豪奢な彫刻が施された巨大な石扉と上部の狭間飾りが華やかに客人を迎えています。
私が石階段を登って石扉の入り口に向かおうとすると、入り口アーチを支える白大理石の柱のかげから、こちらに向かって声がしてきました。
『これはこれは、アマテラス様。極東より遠路はるばるありがとうございます。お疲れになりましたでしょう』
白大理石の柱に隠れるように畏まって居たのは、四大天使の1柱、ガブリエルでした。
彼女は純白のローブに身を包み、横を編み込みにした長い金髪に百合の髪飾りをつけていました。背にある三対六枚の純白の翼が、光を帯びて誇らしく輝いています。
ヤハウェの神使は、神の似姿を与えられた天使という存在だと聞いています。天使の数は、それこそ星の数ほどあるらしく、ガブリエルはその最上位にある熾天使の1柱だそうです。
実際、天使の序列最上位である彼女から感じる霊圧は、神使のそれを遥かに上回って圧倒的でした。
立場上、ガブリエルの霊格は神獣と同じなのですが、神仏と同レベルと言っても過言ではない霊圧を纏っています。
熾天使は神使の地位にありながら、人間達の信仰の対象になっているというのも頷ける話です。
『ガブリエル、ありがとうございます。出迎えご苦労様です』
『はっ! 間もなく会議が始まりますゆえ、そちらの石扉から聖堂にお入りください』
案内役のガブリエルに伏して促された私は、巨大な石扉を開いて聖堂の中に進みました。
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聖堂の中は、ステンドグラスを通った光が幻想的に空間を彩っていました。円形状の天井は高く、室内の空間は広大。壁にも天井にも見事な彫刻が施されていて、荘厳な空気が聖堂内を包んでいます。
聖堂の中央には、白大理石の巨大な円卓が置かれており、先に到着している他の神々が座していました。
見ると、既にほとんどの地域の最高神達が集まっており、どうやら私が最後の到着だったようです。
今日の最高神会の幹事役ヤハウェの姿はまだありませんでしたが、ゼウスやオーディンをはじめとして、私を除くと14柱の神々が着席していました。いつもはあまり会談に出席しない、イツァムナ、オメテオトルやヴィラコチャといった南米の神々の姿もありました。中国道教の最高神ギョクコウに至っては、確か初参加だったと思います。
錚々《そうそう》たる面子を横目に私は、円卓の空席を見つけて座しました。正面に目をやると、一枚布の正絹の上着を纏った男神がこちらに向かって手を振っています。
ウェーブのかかった長い白髪と豊かな白髭が醸し出す老練な雰囲気と軽薄に手を振る様子が矛盾する彼の姿に、私は思わず顔を顰めてしまいました。ただでさえ軽薄な御仁を不得手としている私は、年甲斐もなく常にちゃらちゃらとしている彼のことが大の苦手でした。
その軽薄な老神の御名はゼウス。これでもオリュンポス十二神を束ねる最高神なのだそうです。
『ピンク色の着物が膨よかな胸によう映えておるわっ! 可愛らしいのぉ、儂のアマテラスちゃんは! ん〜? おいおい、アマテラスちゃん。眉間に皺ができておるではないか? せっかくの可愛らしい顔が台無しで、儂は悲しいぞ!』
――ふ、膨よかな胸? へ、変態っ!
――わ、儂のアマテラスちゃん?
――な、なんたる軽薄さでしょうか!
私はゼウスの馴れ馴れしさに閉口しました。
ゼウスは女神好きで節操がないとの噂も耳にしますし、East Serverの人間をリリプラに導いた“あの日”、私の信徒のひとりに無用な干渉もしてきました。
軽薄な態度に惑わされず、その老練さと老獪さは警戒すべき相手だと見ます。
『……遅参、お詫び申し上げます』
私はゼウスの言は無視して、場に遅参の謝意を示しました。
ゼウスはまだ私に向かって手を振っています。もう本当に止めて欲しいものです。堪らず、手を振る軽薄男神から視線を逸らそうとしましたが、私の目に日ノ本の神の姿が飛び込んできて目路が凍りました。
『えっ⁉︎ タイザンフクン?』
軽薄で不愉快極まりないゼウスの姿ばかりに気を取られいましたが、ゼウスの左隣の席には、確かに日ノ本の神が座していました。
肩まで伸びたおかっぱは、黒漆が濡れたような深く美しい呂色。同じく呂色の長睫毛が童女のような顔立ちとアンバランスに映えています。
美しい童女のような男神の御名はタイザンフクン。陰陽道の最高神にして、生と死を司る黄泉の国の王です。
童のように低すぎる背丈で、その姿が円卓の縁より下に隠れているため、視界に捉えるのが遅れてしまいました。
『アマテラス……僕が此処に居るのがそんなにおかしいかい?』
タイザンフクンは徐に椅子の上に立ち上がると、そう発しました。
童女のような顔立ちと背丈に、深黒色の烏帽子と袷狩衣が似合っていません。そもそも、男神なのか女神なのか分からない見た目にも困惑しかありません。
『いえ、そういう訳ではないのですが…… タイザンフクンはあまりLOGOS計画に興味がないと思っていましたから……』
『ふふふ。まあ、僕にも少し思うところがあってね。初参加だけどよろしくね。アマテラス』
そう言いながら悪戯な笑みを浮かべるタイザンフクンの姿を見て、私は嫌な予感に襲われました。
そのとき――
――ぎいぃぃぃ
私とタイザンフクンの会話を遮るように、翼廊に繋がる石扉が軋む音を立てながら、ゆっくりと開きました。
開いた石扉から円卓のある聖堂に入ってきたのは、人間から唯一神と呼ばれ、絶大な信仰を集める男神。今日の最高神会の幹事役ヤハウェの登場です。
『やあやあ! 皆さんお揃いで。お待たせしました』
ヤハウェはそう言いながら、つかつかと聖堂中央に置かれた円卓まで歩みを進めます。一枚布の正絹に華美な金色装飾を施したヤハウェの神御衣が、歩く度にふわりと優雅に揺れていました。
短く切られた金色の髪も、彫りの深い顔立ちと蒼い瞳によく似合っています。
――それにしても、西方の男神は、何故に浮ついた外見の御仁が多いのでしょうか。
またしても私の眉間に皺が寄ります。
『さてと! 皆さんお忙しいでしょうから、さっそく本題に入りましょうか。先日、3サーバー全てで人間をリリプラに導く儀式が完了して、LOGOS計画も第二段階に入ったわけですが…… 皆さんも知ってのとおりEast Serverで特異な事象が発生しました。先ずは、その件について報告してもらってもよいですか? アマテラス?』
――さっそくきましたね。
ヤハウェから報告を促され、私は思わず身体を強張らせました。
荒れる予感しかありませんが、最高神達の会議の始まりです。