第36話 【グランドレイド〜その3】
「アイ……ちゃん……」
力なく崩れ落ちたクミルファスは、土煙りの中で弾け飛んだ紫色の結晶を眺めながら呟いた。
「まさか……
アインスウィルさんまで……」
綠水も茫然と立ち尽くしている。
「いや、待て!あれは?」
土煙りをじっと見ていたシータが声を上げた。
彼の声に促され、土煙りの先を見やると、矢継ぎ早に発動される緑色のヒールエフェクトが目に入ってきた。
「アイ姉ちゃん、無事だよっ!」
以蔵の歓喜の声で、クミルファスも綠水も我に返った。
水龍の攻撃が炸裂した場所には、必死で体勢を立て直す聖壁の乙女の姿があった。
土煙りが晴れたそこには、イングリッドの姿もある。
落ち着いて確認すると、水龍の凶撃を被弾し生命を散らしたのが、主壁パーティーの3人と、その隣に位置どっていた副壁パーティーの2人というのが見てとれた。
5人はいずれも天照騎士団のギルメンだった。
被弾しつつも、HP全損をギリギリのところで免れたのは主壁パーティーではイングリッドとアインスウィル、そして天照騎士団の壁職。副壁パーティーではイツキと天照騎士団の壁職という有り様だった。
アインスウィルとイツキは、鬼気迫る表情で生き残った戦力にヒールを重ねがけする。
誰もが一度のヒールでは安全圏に届かないほどHPを削られていた。
そんな彼女達を嘲るように、水龍が再びかま首をもたげた。
『その発動前行動は周囲攻撃だ!
アインスウィルさんは障壁を!
副壁のふたりは、逃げろっ‼︎』
綠水は、凍てつく息吹発動時の轟音にかき消されないように、今度はGROUPチャットを使って指示を飛ばした。
「ダメです!間に合いませんっ!」
イツキの悲痛な声が響く。
ターゲットを固定していたイングリッドを中心に、水龍の凍てつく息吹が再び炸裂した。
爆心点に居たイングリッド達、主壁パーティーは、綠水の指示に従ったアインスウィルの聖なる障壁の発動が間に合い、何とかノーダメージで済んだ。
対して、副壁の二人は三度の連続被弾に耐えきれず、大きく吹き飛ばされて地面に叩きつけられた。
イツキと天照騎士団の男性冒険者は、強かに全身を打ちつけられ、動けなくなっていた。
二人のHPバーはレッドゾーンを割り込み、軽く撫でられるだけで全損に至るほど風前の灯火だった。
「イツキ!待ってて!」
アインスウィルがイツキに駆け寄り、連続ヒールを施す。
そのとき、水龍の尻尾が瀕死の男性冒険者に向かって無慈悲に振り下ろされた。
ーーぐしゃ
大きな虫を潰したときのような嫌な音を立て、男性冒険者は紫色の結晶となって弾け飛んだ。
死亡エフェクトで消え去る前に派手に飛び散った彼の血が近くで倒れていたイツキの頬にかかり、彼女の知的で端正な顔立ちを赤く染めた。
「い、嫌ぁぁぁああ!」
イツキの悲痛な叫び声が広間に広がる。
「怯むな!
クラレンス!パーティーを組み直すぞ!」
イングリッドは、位置どりの妙で幸いにも被弾を免れた、もう一組の副壁パーティーのリーダーを指名すると、自身はユーザインタフェースを展開し、素早くパーティー解散コマンドを起動させた。
「はっ!団長!」
クラレンスもギルマスに続いてパーティー解散コマンドを起動する。
イングリッドとクラレンスはそのまま、3組から2組に減った壁役パーティーを素早く再構築する。
新たに主壁にはイングリッドの下、生き残ったアインスウィルと天照騎士団の壁職に加え、イツキとクラレンスの副壁から天照騎士団の壁職1人が補充され5人体制とした。
副壁はクラレンスの下、天照騎士団の壁職3人と真理の扉の回復職という5人体制に再構築した。
クラレンスの副壁パーティーに配属されている真理の扉の回復職は、イツキの実の妹で名をイオリと言った。
その実力は、アインスウィルとイツキに次ぐギルドのナンバー3と言われている。
姉と同じく少し銀メッシが入った黒髪をポニーテールに束ねる彼女の外見は、どこか上品で大人しい雰囲気だったが、その芯の強さはギルド内で定評があった。
壁パーティーの再構築を完了させたイングリッドは、単身で水龍の懐に飛び込み、再び悪意の絡みつく蔦を発動させた。
水龍からのヘイトがイングリッドに集中する。
「我ら天照騎士団に敗北の二文字はないっ‼︎」
そう高らかに宣言したイングリッドは、続けざまに火力パーティーに指示を飛ばし始めた。
「ファーガス!
貴様は残った魔法職3パーティーを指揮して遠距離攻撃でありったけの魔法をぶち込めっ!」
「仰せのままに!」
「エルバート!
物理職は貴様のパーティーしか残っておらん!
近距離攻撃で限界までDPSを上げろっ!」
「はっ!この命にかえても!」
イングリッドは、綠水達を除く全パーティーに総攻撃の指示を出した。
偉大なる天照騎士団のギルドマスターは、一気に畳み掛けるつもりに見える。
「「「オオオオォォォォッ‼︎」」」
ギルマスに鼓舞された天照騎士団のメンバーは、雄叫びを上げ、水龍に総がかりの特攻を見せた。
集る小虫を払うかのように水龍が振り回す尻尾の凶撃は、イングリッドが全て受け止め、アタッカー達が近距離と遠距離の双方から攻撃を繰り出す。
主攻部隊のDPSはどんどん上がっていく。
「おい、イングリッド!
まだ水龍のHPは全然削れてないぞ!
総攻撃は早すぎる!愚策だっ!」
一連のイングリッドの総指揮を黙って見ていた綠水は、我慢の限界とばかり、止めに入った。
「だまらっしゃい!
この攻略部隊のリーダーは私であるぞ!」
イングリッドは水龍の攻撃を凌ぎつつ、一層尊大な態度と声で綠水を怒鳴りつけた。
しかし、人の生命に関わることだけに、綠水もここで引き下がる訳にはいかない。
「リーダーとか関係ない!
あんた、水龍の行動アルゴリズムを把握できてないだろう?
全滅させる気か、イングリッド?」
綠水から暗に指揮の不手際を指摘されたような気がして、イングリッドは更に激昂する。
「馬鹿がっ‼︎
信仰心のない貴様には解せんだろうが、我らには主神アマテラスのご加護があるのだっ‼︎
水の神の神使ごときに遅れをとるはずがなかろうがっ‼︎」
イングリッドは居丈高に仁王立ちして、自信満々に発した。
「守護者の極みッ‼︎」
イングリッドがスキル発動を叫び上げると、彼の全身が金色の光に包まれた。
イングリッドが発動させたのは、全MPを費やし、2分間絶対的ヘイトを維持するスキルだった。
発動中、術者はスタン状態となり、さらには敵味方問わず物理攻撃も魔法攻撃も、そして回復魔法やアイテム効果すら受けつけないという完全無効化のスキル。
ディレイタイムが5分という、使い所が限られるスキルだが、壁職にとって最後の手段と言うべき強力なスキルだった。
水龍の猛攻を仁王立ちしたまま全て受け止め無効化しつつ、金色のイングリッドは威嚇するように綠水を睨みつける。
「イングリッド……あんた……」
綠水は、イングリッドの眼に狂気が宿っているように感じ、寒気がした。
最早、彼の発言と姿は、狂信者のそれにしか見えなかった。
綠水はイングリッドを説き伏せることを諦め、主攻部隊の個々に対して生存のための最低限の情報を投げかけるしかなかった。
「聞いてくれ、みんな!
水龍が大きく首をもたげた後にくるアイスブレスは周囲攻撃だ!
タゲられている者の周囲も被弾するから警戒しろ!
もうひとつ!首を大きく横に払った後にくるアイスブレスは範囲攻撃だ!遠距離攻撃以外のパーティーにはタゲ関係なくダメージくるぞ!
他にもあるかもだが、現時点で見てとれたのはこれだけだ!
死にたくないやつは、自分の頭で考えて動けよっ!」
必死の叫びがどれだけの者に響いたかは分からなかったが、綠水は現状でやれるだけのことはやった。
「士気がさがるわ!
綠水、貴様は黙っておれい!」
イングリッドが綠水の警告を一刀両断すると、それに呼応するかのように、筋肉質の大男がずいっと一歩前に出てきた。
大男は天照騎士団の幹部で、副壁パーティーのリーダーを任せられているクラレンスという冒険者だった。
「鉄壁の砦‼︎」
クラレンスは敬愛するギルマスの尊大さを真似るようにスキル発動を叫び上げた。
スキルによって、クラレンスの物理防御と魔法防御が基礎値から50%底上げされる。
さらに、彼の手にはレア防具が握られている。
渦巻き紋様が特徴的なそれは、【ハヤテの楯】というレア防具だった。
リリプラのレアアイテムには、
秘宝級
伝承級
神話級
神器級
の4等級があるが、【ハヤテの楯】はレイド戦でしか得られない伝承級の防具だった。
【ハヤテの楯】には物理防御と魔法防御の基礎値を50%上げる効果があり、先にクラレンスが発動させたスキルと合わせると、彼の防御力は倍にまで跳ね上がっている計算になる。
クラレンスは、所謂ガチムチタンクと呼ばれるプレイヤーだった。
「綠水とやら、不動の鬼の二つ名を持つ俺が壁をするのだから、安心して黙っておれっ!」
クラレンスは傲然たる態度をもって部外者を威圧してくる。
「うわぁ……
なんや、あの筋肉ダルマ……
イングリッドのトコは、なんでみんなして、ああも偉そうなんや?」
クミルファスが苦虫を噛み潰したような表情で呟く。
「変な二つ名だねぇー
一回も聞いたことないしー」
以蔵も呆れたように筋肉質の冒険者を遠巻きに眺めている。
綠水も色々とツッコミたいことが満載だったが、そもそもクラレンスという冒険者に会ったことがなかったし、彼の実力の程も知らなかったので、あえて声に出すことは控えた。
「ーーまあ、さっき伝えた敵の行動アルゴリズムは忘れないでおいてくれ」
それだけ言って綠水は発言を止めた。
無益なやり取りを終えた綠水は、仲間達の方へ向き直る。
「オレたちは、このまま背面からいこう!
イングリッドの守護者の極みの効果が切れる前に削れるだけ削るぞ!」
「イングリッドのヤツ、なにがアマテラスのご加護や……
ありゃ完全に狂信者の目つきやで……
エドに帰ったら、どついてでも目を覚まさせんとな」
クミルファスが左の手の平に右拳をぶつける仕草をしながら言った。
「イングリッドには悪いが、この攻略部隊の戦術は完全に破綻してる……
個々が最大火力をぶつけて短期戦でいくぞ」
綠水は意を決して黒剣を握り直す。
「クミルファスさん、もう一度バフお願いします」
「あいよ!いくでっ!」
シータに促され、クミルファスはバフ回しのためヴィーナを奏でる。
無限の夜曲
神速の円舞曲
綠水達パーティーをクミルファスが奏でる旋律が包み、スキルエフェクトが次々と光り輝く。
「あと、クミルファスさん……
俺には攻撃力ブーストのバフもお願いします」
シータが少し言い難そうにクミルファスに頼んできた。
「え?あれは防御めっちゃ下がるで!
牛頭馬頭と違ごうて水龍にはアカンやろ?
一撃確殺で喰らうやんか!」
頼まれた方は、まさかとの表情で驚く。
「いや、俺のステ振りとHPだと、ブーストしなくても被弾したら終わりだと思います……
どっちにしろ、俺は避け続けるしかありませんから」
にこりと微笑みながら言うシータ。
「…………」
クミルファスは無言で頷き、ヴィーナを奏でる。
「武力の協奏曲」
一定時間、防御力を犠牲にする代わりに攻撃力を大幅ブーストする旋律を奏でた後、クミルファスはシータの両肩を掴んだ。
「シータちゃん……
無理したらアカン!絶対やで!
死んだらアカンねんで!」
クミルファスは涙ぐんでいるようだった。
「わかってますよ……
俺たちはまだ、キョウでやることがありますもんね!」
シータは、クミルファスを安心させるためなのか、柄にもなく拳を握る仕草で気合いを示してみせた。
「守護者の極みが切れたらまたタゲ飛びする!
急ごう!いくぞっ!」
「「「応っ‼︎」」」
パーティーリーダーの号令で各個遊撃すべく散開!
最初に猛攻の口火を切ったのはクミルファスだった。
「嵐の交響曲」
「雷の交響曲」
「疾風の交響曲」
「吹雪の交響曲ッ!」
高速でヴィーナの弦を搔き鳴らし、四つの異なる音律の調べを連続で奏でる。
四元属性の攻撃魔法が四方から水龍を囲むように炸裂し、凄まじ破壊音がびりびりと広間の空気を揺らした。
さすがの神使も一瞬たじろいだように見える。
「百世不磨の罪咎を拿捕せよ暴風!
暴風の檻」
神速の魔導師が高らかに唱え上げると、水龍の周りに暴れる風の牙で編まれた檻が現れる。
シータがパチンと指を鳴らすと、風牙の檻は水龍の身体を切り刻みながらその体積を縮めた。
『ガアァッ‼︎ゴオォアアァァァア‼︎』
水龍は長い身体を蜷局を巻いて畝らせ、この世のものとは思えないほどの凄まじい喚きを上げた。
地べたを畝り悶絶する水龍に息をつかせる間もなく、神速の円舞曲で神速の域まで達した以蔵の秒間六連撃が炸裂。
壹の太刀‼︎
貳の太刀‼︎
參の太刀‼︎
肆の太刀‼︎
伍の太刀‼︎
陸の太刀‼︎
水龍の蒼い鱗を以蔵の日本刀が縦横に斬り刻むと、真紅の飛沫が吹き上がり、辺りに降り落ちる。
「舞刀衝撃波ッッッ‼︎」
最後の斬撃に円弧の衝撃波を叩き込むと、以蔵はその反発加速波の反作用に乗って高速で敵の間合いから離脱した。
以蔵が六連撃を叩き込むのを確認し、綠水は黒剣から他の剣に換装をした。
選んだ武器は、普段は使わない銀の剣。
「やれやれ……
これ、高いんだよなぁ……」
強度や切れ味でいうと武器に適した素材とは言えないが、銀には魔力を増幅する力がある。
ただ、貴金属である銀は貨幣の原材料になっているほど高価であり、それを武器に使うというのは、ある意味、ミスリルやオリハルコンやアダマンタイトという超高級金属を使用するよりも贅沢だといえる。
「風よ…劔を捲き込めっ!
エリアル・ファング‼︎」
「風よ…天へと誘え…
エリアル・レインフォース…」
風属性のエンチャントスキルで銀の剣と自身の身体を強化した綠水は、足下で唸る空気の渦に乗って超高速で水龍との間合いを詰める。
以蔵と綠水の高速スイッチを見失わず目で追えた冒険者が、果たしてこの広間内に何人いたことだろうか?
綠水は、以蔵が斬撃を重ね斬り裂いた鱗の部分に寸分違わず狙いつけて、風に乗ったまま力一杯に銀の剣を深く突き立てると、そのまま手を離し、高速のバックステップで間合いを広げる。
綠水が突き立てた銀の剣の位置を慎重に確認しつつ、シータは次のスキルの発動に入る。
「天空を震わす雷よ…
物理を遊離せしめし電よ…
我が命を糧に示現せよ雷電っ!
荒れ狂う雷電ッ‼︎」
術者の頭上で示現したプラズマは、その力を解放する場所を探すように暴れながら、綠水の突き立てた銀の剣めがけて疾走する。
鼓膜が破れるかと思うほどの炸裂音をたて、シータが渾身の魔力を込めた雷電が銀の剣に落雷した。
高い導電性と高い魔力増幅性を持つ銀を喰らい、雷電が破壊的な閃光を放つ。
直撃雷は暴力的に増幅され、銀の剣が貫いた切り口から水龍の体内に入って暴れる!
『ギャシャアアァァァァァッッ‼︎』
生きたまま切り裂かれる獣の断末魔のような叫びを上げ、水の神の神使が宙を舞いながら悶え苦しんでいる。
レイドゾーンの空気がびりびりと破れ裂けんばかりに震える。
流れるように鮮やかな、以蔵と綠水とシータのコンボで水龍のHPバーは一気に5分の1削れた。
「ーーす、すごい」
アインスウィルは、思わず感嘆の声を漏らした。
「ーーれ、連続技だと」
ファーガスは、今まで見たこともない光景を目の当たりにして、羨望なのか恐怖心なのか分からない衝撃で全身を鷲掴みにされていた。
「いける!いけるぞ!
あいつらがいれば倒せるぞっ!」
主攻部隊の誰かが涙ぐんだ声で歓喜しているのが聞こえてきた。