第35話 【グランドレイド〜その2】
リリプラは戦闘システムにヘイト制を採用している。
戦闘時、プレイヤーキャラクターにはそれぞれヘイトと呼ばれる数値が与えられ、敵モンスターはヘイト値が一番高いプレイヤーを攻撃するように仕組まれている。
ヘイト値は、特定の行動や条件により増減するため、これをコントロールして戦うことは、ヘイト制MMORPGの醍醐味のひとつと言える。
基本的には、大ダメージを与えることでヘイト値は増加し、逆に大ダメージを受けるとヘイト値は減少する。
他には、攻撃の手数を増やすことや強力なスキルを発動することでもヘイト値は増加するし、直接ヘイト値を増減させるような特殊なスキルもあった。
これらの規則を利用して、特定のプレイヤーに意図的にヘイトを集中させることをヘイト管理と言い、討伐に時間を要する大規模戦闘では特に戦術の中心に据えるべき重要事項と言える。
意図したプレイヤー以外にヘイトが移り、ターゲットが飛ぶことは【タゲ飛び】と呼ばれ、戦術を破綻させる主要因だと多くのプレイヤーが忌み嫌う事象であった。
ヘイト管理の目的は、高HPで高防御力の壁役に敵のターゲットを固定することにあるのだから、壁役はヘイトを増加させる行動を行い続け、それ以外の回復役や火力役は壁役からヘイトを奪わないように立ち回らなければならない。
つまりは、ヘイト管理は全プレイヤーの責任で行うべきもので、タゲ飛びは何も壁役ひとりの責任という訳でもない。
そうは言っても、多くの壁役はタゲ飛びを自身にとって恥ずべき事柄であると考えており、それを綠水に指摘されたイングリッドもやはり、顔面紅潮させて絶叫した。
「貴様!どこを向いている!
貴様の敵はこの私であろう!」
イングリッドは、自身に恥をかかせた水龍に向けて、悪意を最大限に込めたスキルを発動させる。
「悪意の絡みつく蔦‼︎」
鋭い棘を持った蔦が術者から無数に伸びて水龍に絡みつく。
蔦に引っ張られるように、水龍はシータ達に向けていた身体を強制的に反転させられ、主壁パーティーの方に向き直った。
ヘイトを奪ったことを確認したイングリッドは、火力パーティーのリーダー達に指示を飛ばす。
「ファーガス!
何を遠慮しておる!
もっと攻撃魔法をぶち込まんか!
エルバート!貴様もだ!
一撃離脱で斬り刻めっ!」
「「はっ!団長!」」
指揮官の命を受け、火力役の6パーティーは代わる代わる攻撃を再開する。
イングリッド達の主壁と副壁2パーティーも火力役にターゲットを奪われないようDPSを上げていく。
主攻部隊が再びターゲットを固定できたことを確認しつつ、綠水は傷ついた自身のパーティーメンバーの側へと駆けつける。
「大丈夫か?ふたりとも」
慌ててヒールをかける綠水だったが、彼のヒール量もやはり本職ヒーラーに及ぶところではない。
HP回復薬を併用することでやっと、シータとクミルファスのHPバーは安全圏にまで回復した。
「綠水、こいつのブレスは周囲攻撃のようだ!
タゲられていた俺だけじゃなく、クミルファスさんのHPもまとめて削られた!」
膝をついていたシータは立ち上がりながら、身をもって受けた敵の攻撃を分析した。
「ああ、見ていた……
被害範囲は、タゲられている者を中心に半径5メートルの円内ってとこだな」
「そんなとこだったな……
それと、一撃のダメージが予想以上だ!
壁職以外は直撃を喰らえば確実にHP全損するだろう」
レイドボスは、通常のモブモンスターと異なり、特殊なアルゴリズムで行動することが多い。
高い被ダメの周囲攻撃は、水龍の特殊性の氷山の一角に過ぎないと推察できたが、その一角だけをもってしてもレベル50台の冒険者達には重過ぎるものだった。
綠水もシータも無意識に表情が暗くなっていた。
「そもそも、レベル60のレイドボスに挑むこと自体が無謀やんな……
うちなんて10もレベル差あるさかい……」
普段ならこういうときに景気良く振る舞うはずの、絶対的ムードメーカーの言ですら沈んだものになっている。
「ですね……
しかも水龍はただのレイドボスじゃないですし……」
シータがそう言うまでもなく、綠水達パーティーの誰もが圧倒的な絶望感に包まれていた。
ーー縮地門で一旦離脱するか?
綠水の頭に撤退の二文字が浮かんだが、それを選択してしまえば、いまは囮として氷漬けで生かされているカナの生命の保証はないだろう。
タクトとの約束と仲間の生命を天秤にかけたとき、最終的に仲間の生命を選択することに、綠水の中で迷いはなかった。
だが、その選択の引鉄を引くタイミングが難しすぎる。
「みんな……
最悪の場合、縮地門の使用は各自で判断しよう……
最後の最後は、自分の生命を最優先にしてくれ」
綠水は、パーティーリーダーとしてメンバーにそう指示するのが精一杯だった。
綠水の心中を察して、パーティーメンバーの誰もが無言で頷く。
「よし!
ここからは出し惜しみなくいくぞ!」
綠水は無理を承知でパーティーメンバーを鼓舞しつつ、イングリッド達主攻部隊に向き直り発する。
「イングリッド!
遊撃部隊はガンガンいくぞ!
そっちはタゲ固定大丈夫か?」
「誰にものを言っている、綠水?
諸君らこそ、足を引っ張るなよ!」
甘く見るなとばかり、イングリッドが即答した。
「上等ぉ!」
綠水は黒剣をぎゅうと握りしめる。
「いくぞ!
以蔵、シータ、クミルファス!」
「いっくよー!」
「みんな……死ぬなよ!」
「いっちょ、やったるかぁ!」
各々が自身の弱気を吹き飛ばそうと気を発する。
「ガンガンいきや!みんなぁ‼︎」
無限の夜曲ァ‼︎」
ミンストレルがヴィーナでMP継続回復の範囲旋律を奏でる。
シータと綠水はすかさず魔法発動に入った。
「天空を震わす雷よ……
物理を遊離せしめし電よ……
我が命を糧に示現せよ雷電っ!
荒れ狂う雷電ッ!」
「いくぞっ!
サンダァーアロォォォー!」
バフがけから間髪入れず、クミルファスも攻撃の旋律をかき鳴らす。
「雷の交響曲ッ‼︎」
それは、金剛水の間で4体の牛頭馬頭を一撃で屠り切った三人の雷撃の再現だった!
今回はそれに合わせて以蔵も攻撃スキルを乗せてきた。
「いっくよー!
舞刀衝撃波ッ‼︎」
サムライは乱舞するように高速で一回転して、円弧の衝撃波を雷撃に合わせて弾き飛ばした。
四人の攻撃スキルが同時に水龍を捉えると、空気を掴んで引き裂くがごとき炸裂音がレイドゾーンを揺らした。
『ゴアァォオオォ……』
初めて水龍が苦痛に喘ぐ姿を見せる。
HPバーは、誰もが目視で確認できるほどの量が削れている。
「お、おいおい、なんだこの攻撃力は⁉︎」
魔法職アタッカーのリーダーを務めるファーガスは、綠水達パーティーの火力を目の当たりにして、信じられないという表情を見せた。
「はぐれのサムライが、なんという火力だ……」
物理職アタッカーのリーダーを務めるエルバートは、日本刀を愛用してサムライを自認していたが、同職の少年が放った舞刀衝撃波の破壊力を見て驚嘆を隠せないでいた。
「ちっ……
これほどとは……」
イングリッドが固定していたはずのヘイトバーは、一瞬で飛びかけるほど大きく揺らいでしまっており、それが壁職にとっては最大の屈辱だった。
「よ、よっし!
いける!いけるぞっ!」
天照騎士団の誰かが、綠水達パーティーの攻撃力を目の当たりにして感じた手応えを口にした。
その刹那、水龍が低い姿勢で大きく首を横なぎにするのが見えた。
「イングリッド!やばい!
何か来るぞ‼︎」
レイドボスの初めての行動パターンを見てとり、直感的に特殊攻撃がくると感じた綠水は、主壁パーティーに最大警戒を促した。
ーーぐいん!
水龍は半円弧を描いて横なぎに払い切った首を、同じ軌道で逆側に戻すように再びなぎ払ってきた。
往路の横なぎと違い、復路は鋭い牙を露わにして大口を開いている。
ーーゴォオオオッ!
水龍の口の中の冷気が空気を喰らう音がしたかと思うと、凍てつく息吹が容赦なく冒険者達に襲いかかってきた。
直撃必死と誰もが諦めかけたその瞬間!
「聖なる障壁‼︎」
綠水の直感にいち早く反応していたアインスウィルが辛くも無効化魔法を発動させた。
アインスウィルの大盾から生じ出た聖なる光は、冷気の凶撃を打ち消して、主壁パーティーはノーダメージで水龍の特殊攻撃を凌ぎ切った!
ーーかのように見えた
ーーいや、主壁パーティーは確かに凌ぎ切っていた
「ーーえ?
どうして?」
敵の攻撃の無効化に成功したはずの聖壁の乙女の耳に、決して聞き慣れたくない“あの効果音”が聞こえてきた。
ガラスを割ったときの音……
それは、リリプラでは死を告げる恐怖の音……
アインスウィルが慌てて振り返ると、主壁パーティーの隣にいた副壁パーティーと、少し後方にいた火力パーティーから紫色の結晶が複数弾け飛ぶのが見えた。
「死亡エフェクト……?
そんな……どうして……?」
アインスウィルは、我が目と我が耳を疑った。
「た、ターゲットは飛んでいないぞ……?」
イングリッドからはいつもの尊大な態度が消え去り、茫然自失して、只々膝を震わせている。
「りょ、綠水ちゃん……
あれも周囲攻撃なんやろか?」
クミルファスは、綠水の袖を掴みながら聞いてきた。
その手が小刻みに震えているのが伝わってくる。
主攻部隊と反対側にいた綠水達には水龍の攻撃は全く及んでいなかったが、それでも士気を削ぐには十分な衝撃だった。
遠目に14人分の紫結晶が弾け飛ぶのが見てとれたのだから……
「いや、周囲攻撃のときとは水龍の発動前動作が異なっていた……
それに被害範囲も違う……
あれは、範囲攻撃だと思う」
綠水は、クミルファスの不安を煽らないよう、できるだけ平静を装いながら分析してみせた。
「被害範囲は、水龍が首を横なぎにして描いた半円弧の延長線上だろう……
範囲内にいた副壁パーティーの2人、前のめりに位置どっていた物理職アタッカーの2パーティー全員、計14人が散ったようだ……
主壁パーティーはアインスウィルさんの障壁で護られていたから助かっているが……
最悪だ!」
高速戦闘で動体視力が鍛えられている神速の魔導師から、より詳細な分析が補足された。
「周囲攻撃に加えて、範囲攻撃もか……
最悪だな」
ついに、この攻略戦で犠牲者が出た。
綠水は、パーティーリーダーとして、いよいよ撤退の選択を迫られているように感じていた。
「立て直します!」
そう力強く発したのは、被弾した副壁パーティーに配属された、イツキという真理の扉のサブマスだった。
黒髪に少し銀メッシュの入ったショートヘアーと知的な黒縁眼鏡のアンバランスさが魅力的な女性冒険者だった。
イツキは、まず自身、続いて辛うじてHP全損を免れたパーティーメンバーの3人に対して、残HPの少ない者から最適な順番で素早くヒールをかけていった。
素早い状況判断と的確なヒール回しは、さすが回復専門ギルドと名高い真理の扉のサブマスといえる。
真理の扉のサブマスが見事な立て直しを見せると同時に、水龍は非情にも、続けざまに次の攻撃体勢に入っていた。
水龍は主壁パーティーに狙いを定めると、大きくかま首をもたげる発動前動作に入った。
「周囲攻撃くるぞ!
イングリッド、副壁パーティーを回避させろっ‼︎」
綠水は精一杯の大声で警告を発したが、水龍の口の中の冷気が空気を喰らって巻き起こす渦の轟音でかき消される。
「ブレスくるぞ!
アインスウィル、障壁いけるか⁉︎」
綠水からの警告が届かなかったイングリッドが見当違いの指示を出す。
「ディレイタイムがまだ30秒以上あります!
再詠唱できません!」
そう答えるアインスウィルの表情は悲痛に歪んでいた。
リリプラのスキルを上手く使いこなすための仕様上のポイントは【詠唱時間】と【ディレイタイム】にあった。
リリプラでは、スキルを指定してから発動するまでの待機時間は【詠唱時間】と定義され、スキル発動後に同一スキルを再詠唱できるようになるまでの待機時間は【ディレイタイム】と定義されている。
まず、【詠唱時間】中は移動はできるが、原則として攻撃や他スキルの発動はできないという制限を覚えておく必要がある。
シータのように【多重詠唱】のパッシブスキルを取得している場合は重畳的にスキル発動をすることも可能だが、【多重詠唱】がそもそもレアスキルであること、そして、【多重詠唱】の発動条件がアジリティ(敏捷性)に極振りであることから、彼と同じスタイルを採る冒険者は少数派だった。
他には【詠唱時間】中に被弾してノックバックを被った場合には、詠唱が中断されるというペナルティもある。
また、【ディレイタイム】中は移動も攻撃も他スキルの発動も可能だが、待機中の該当スキルは【ディレイタイム】経過後しか再詠唱できないことも重要なポイントと言える。
これらの仕様は多くのMMORPGで採用されているもので、プレイヤーの誰しもが身体に染みついて覚えている程度のことではあったが、それがいまのリリプラではなかなか上手くいかない。
“本当に生命がかかっている”だけで、簡単にできていたことも、憐れなほどにできなくなる……
それは、いまこの世界に生きる全ての冒険者が感じている、ある種の真理だった。
アインスウィルの聖なる障壁は、魔法無効化という強力なスキルだけにディレイタイムは2分と驚くほど長かった。
それをポンポンと発動させよと言うイングリッドこそが、そもそも非常識だったのだが、期待に応えることができず、聖壁の乙女は責任感に苛まれた。
「ーーイングリッドさん、すみません」
「ちっ!
ターゲットは私が固定している!
諸君らは私の後ろで待機!
アインスウィルは回復を頼むっ」
アインスウィルの謝罪に応える余裕がないイングリッドは、自身のパーティーメンバーに指示を出すのが精一杯だった。
「それじゃあダメだ!
それは周囲攻撃だ!早く散開しろっ‼︎」
綠水の必死の訴えも虚しく、水龍の周囲攻撃が主壁パーティーに直撃する。
地面が割れたかと思うほどの爆音が轟き、爆心点から土煙りが舞い上がった。
「アインスウィルさんっ!」
綠水は顔面蒼白で叫んだ。
「え……?
アイちゃん……
うそやろ……」
綠水の横で、クミルファスが両手を口に当てながらへたり込む。
遠巻きに見ているしかなかった綠水達の目には、土煙りの中で弾け飛ぶ5つの紫結晶が映っていた……




