第32話 【舌戦】
何故か、いつでも尊大な振る舞い。
何故か、誰に対しても居丈高な態度。
そんな彼のことを、綠水は常々苦手に感じていた。
しかし、それでいて、それなりに付き合いの長い綠水は、彼が仲間想いの男であることも密かに認めていた。
そんな男が、金剛水の間でギルメンを見捨ててダンジョンを先に進んだということが、綠水にはどうしても信じられなかった。
「イングリッドォォォ!!」
綠水は、観音開きの巨大な扉前に集結している冒険者集団に駆け寄った。
集団の先頭に、短めの金髪で180cmを超える体格の男性冒険者の後ろ姿が見てとれた。
ギルドの幹部らしき連中と打ち合わせをしている天照騎士団のギルマス、イングリッドその人だった。
「ん?
おお、綠水ではないか!
あいかわらず一匹狼を気取ってソロでもたもたしているお前が、こんな所に何の用だ?」
天照騎士団のギルマスは、自分に駆け寄る綠水に気づいて振り返る。
「おい!イングリッド!
金剛水の間のあれは、なんなんだ!?」
イングリッドの言を無視して、綠水は詰め寄った。
「おいおい、いきなりなんだ?
金剛水の間がどうしたというんだ?」
何事もなかったかのように恍け顔をするイングリッドに、綠水は歯軋りをした。
「何を恍けてやがる!
あんたのとこのギルメンが死んでたんだぞ!?」
綠水は、思わずイングリッドの襟元を掴んだ。
イングリッドの周りに取り巻いていた幹部達が俄かに色めき立ち、腰の剣に手をやる。
イングリッドは、取り巻き達の殺気を黙って右手で制した。
「ああ……
ブランドンたちの隊のことか……
そうか、あいつは天晴れにも使命を果たし切ったのだな」
イングリッドはそう言うと、襟元を掴む綠水の手を払い、芝居掛りに目頭を押さえてみせた。
「諸君!
ブランドンたちは、主のためにその命を散らし、見事に殉教の高みに至った!
彼らの信仰心で、我らが主の威光はさらに力強く輝くことになるだろう!
アマテラス万歳っ!!」
『アマテラス万歳ぃぃっ!!』
ギルマスが犠牲者を殉教者と讃えると、天照騎士団のギルメン達はそれに応じて腰の剣を抜き、天に向けて高らかに掲げた。
万歳三唱が響き、鳴り止まない。
彼らの士気が高まっていくのを見せられて、綠水は薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。
「綠水ちゃん!」
駆け出した綠水にパーティーメンバーも追いついた。
クミルファスが綠水の肩に手をやる。
「な、なんでこんなに盛り上がっとるんや?」
クミルファスは状況が掴めない様子だったが、綠水は彼女に答えることなくイングリッドへの詰問を続けた。
「殉教だと?
ふざけるなよ!イングリッド!
なんで、あんたは仲間を見捨てたんだ!?」
「ふっ……
綠水、お前は何も分かってないな……
見捨てたのではない!
ブランドンは、自身の役割を果たしたのだ!
奴の魂は、あの時あの場で、我らを先に進ませるために最後の輝きを放つ宿命だったのだ!
その宿命を邪魔することができようか?
否!!できるはずがないっ!」
「あ、あんた……
何を言っているんだ?」
狂っている。
綠水は心底そう思った。
「それとも、ブランドンはお前になにか恨み言でも託したのか?」
「…………」
確かに、金剛水の間であの男は満足そうに逝った。
恨み言などない様子だった。
イングリッド達も犠牲者を出したことに、後悔の念も恐怖心も持っていない。
むしろ、士気が高まっている。
綠水にはイングリッドを問い質す言葉がもう見つからなかった。
「もういいかね、綠水?
我らは、パーティー再編成で忙しいのだよ」
そう言うとイングリッドは、再び綠水に背を向けて幹部達と打ち合わせをしだした。
イングリッドとのやり取りを黙って見ていたパーティーメンバーが綠水の傍らに集まってきた。
「イングリッドのやつ……
アマテラスへの傾倒がとんでもないことになっていると、一部で噂だったが、ここまで狂信的になっていたとはな……」
シータは何か生理的に受けつけないとでも言いたげな表情で吐き捨てた。
「うちをタヤユガ遠征に誘いにきたときも、目つきがヤバいとは思っとったんやけど……
人死にまで出しといてあの態度は、尋常やないな……」
クミルファスもイングリッドの後ろ姿を見ながら、苦々しい表情で発した。
「…………」
ギルメンを護るべき立場の人間の豹変ぶりを見て、綠水には怒りや悲しみや残念さといった様々な感情が渦巻いていた。
「まあ、イングリッドのアホは放っといて、
とりあえず、カナちゃんの情報を仕入れなアカンな!」
クミルファスは、そう言いながら辺りを見回す仕草をした。
そのとき、女性冒険者が綠水達に声をかけてきた。
「綠水くん?綠水くんなの!?」
見ると、そこにはアインスウィルと彼女のギルドのギルメン4人の姿があった。
「アインスウィルさん!
やっぱりイングリッドに同行してたんですね!
ご無事でよかった!」
金剛水の間の惨劇を見てから、綠水の中で懸念事項だったひとつが解消され、彼は心底胸をなでおろした。
「私たちは無事!
でも、まさか、綠水くんとこんな場所で会えるなんて!」
アインスウィルは、心配無用とばかり元気に告げる。
「アイちゃん!よかった、無事やったか!
めっちゃ心配したんやで!!」
綠水に続いて、クミルファスも胸をなでおろした。
友の生存確認ができて歓喜のクミルファスは、がばっとアインスウィルに抱きついた。
「クミっち!
クミっちも来てたんだね!」
先ほどまでの殺伐としたやり取りから一転して、アインスウィル達を中心に同窓会のような和やかな雰囲気が流れた。
「なあ、アイちゃん!
ここに来るまで、女の子の冒険者がひとりでおるのを見んかったか?」
クミルファスは抱きついた手を解くと、アインスウィルの目を見ながら真剣な表情で尋ねた。
「んー
金剛水の間だけは混乱してたから自信ないけど、それ以外では誰も見てないかなぁ……」
アインスウィルは手を頬に当て、少し考える仕草でクミルファスの問いに答えた。
「さよか……
ならええねん……
おおきにな、アイちゃん!」
きょとんとしているアインスウィルから離れて、クミルファスはパーティーメンバーの所に歩み寄る。
「カナちゃん、レイドゾーンの中におるかもしれんで……」
クミルファスが小声でそう告げると、パーティーメンバー達は承知していたかのように無言で頷いた。
「綠水ちゃん、ちょっとうちに任せてくれるか?」
そう言うと、クミルファスはつかつかとイングリッドの方に向かって歩み寄る。
「ジャマするで、イングリッド」
「ん?
おお、これはこれは、エドの街を牛耳る敏腕経営者殿ではないか!
我らの誘いを断っておいて、まさかタヤユガに来てるとはな」
「しょうもない芝居はええねん!
あんさん、さっきうちのこと気づいとったやんか」
クミルファスは刺々しく言い放った。
イングリッドは、改めて綠水達の方に目をやり、シータと以蔵を見た。
「預流者の才がふたりに、はぐれ冒険者もか……
何とも雑種パーティーだな、クミルファス?
さしずめ、女王さまと愉快な仲間達といったところか?
はははははは!」
「妙な小芝居はええ言うとるやろ?
イングリッド!うちはなあ、あんさんにクレームあんねん!」
人を小馬鹿にしたように笑うイングリッドに対して、クミルファスは語気を強めた。
「ほう?クレームと?
これは異な事を」
イングリッドは肩をすくめるようにして両手を広げる。
赤と金の二重線で日照を意匠した純白の重装鎧がカチャリと白々しい音を立てた。
「とぼけんなよ?
金剛水の間のことや……
雑に狩り散らかしといて自分らだけ逃げるつーのはどういう了見なんや?
後続に押し付けるにしても牛頭馬頭6体つーのは、いくらなんでも行儀悪すぎひんか?
一匹ぐらい掃除していけや」
クミルファスはイングリッドの目をギンと見据えて静かに凄む。
これは交渉モードのときの彼女だ。
「我らが金剛水の間に入ったときはすでに6体湧いてたのだ……」
「牛頭馬頭が自然に6体も湧いてたってか?
そりゃあ、ちょっと不自然すぎひんか?」
「そんなことを私に言われても知らん……
嘘は言ってないぞ?」
「ふーん、まあええわ……
とりあえず、そういうことにしといたるわ」
二人のギルマスの静かなる舌戦に、周りの冒険者達は誰ひとりとして声を上げられなかった。
ダンジョン内の空気が張り詰める。
「いうても、あんさんら牛頭馬頭相手に何人死なせたんや?」
「ブランドンも逝ったということだからな……
天照騎士団のメンバー11人が主のために殉教したことになるな……
だがそれも、大事の前の小事だ!
真の偉業には犠牲はつきもの!!
殉教した奴らも喜んでいるだろう」
「はっ!笑かしおる!
なにが殉教や?
どこぞの新興宗教の教祖サマ気取りか?
イングリッド、いまのあんさん怪しすぎるで!」
何か考えがあるのだろうか?
完全に喧嘩腰になっているように見えるクミルファスの姿に、綠水はそう思った。
「しかし11人もタヒらせたんかぁ…
牛頭馬頭でそんだけ苦戦したあんさんらが、まさかグランドレイドに挑むとか言うつもりやないやろな?」
綠水の心配をよそに、クミルファスは更に煽りを加速させる。
「まさかもなにも、我らは踏破の黒瑪瑙石碑に名を刻むことを目的としてここに立っている!」
リリプラのレイドでは、最初にそのレイドをクリアした冒険者の名前が、踏破の黒瑪瑙石碑に刻まれることになっていた。
それは、グランドレイドでも同じ仕様だと思われる。
踏破の黒瑪瑙石碑はレイドゾーンの入り口で、永遠にファーストクリアの偉業を達成した者達を讃え続ける。
リリプラがゲームであった頃から、踏破の黒瑪瑙石碑に名を刻むことは、トッププレイヤー達にとってこのうえなく誉れ高いことだった。
そして、今となっては、本当に命がかかっている訳だから、その栄誉は以前の比ではなくなっている。
「踏破の黒瑪瑙石碑なぁ……
そりゃあ大した目的やけど、イングリッド?
牛頭馬頭ごときで苦戦したあんさんらにグランドレイドはちと荷が重くないか?」
クミルファスは、彼の誇り高き目的に対して、見下すような笑みを浮かべて返す。
「あんさんらが放置して逃げた牛頭馬頭やけどなあ……
うちらは4人で全滅させてきたんやで?
あんさんらとうちらでは役者が違うつーのを認めて、ファーストアタック譲ってくれへんかなあ?」
「4人で牛頭馬頭6体を全滅させただと?」
クミルファスに役者が違うと断じられ、イングリッドの顔色が変わる。
それを見て綠水は、プライドの高いイングリッドが決して認めたくない事実を突きつけファーストアタックを譲らせようとしているクミルファスの真意を理解した。
クミルファスは、レイドゾーンの中にカナがいる可能性が高いと判断し、天照騎士団の戦闘にカナが巻き込まれることを懸念したのだろう。
しかし、このやり取りで、イングリッドが素直にファーストアタックを譲るとは到底思えない。
ーーなんとかならないか
思考を巡らせる綠水の目に、クミルファスが後ろ手に何かのサインを送ってきているのが見えた。
手のひらを横に振り、「行け」と促すような仕草だった。
「ふっ……笑止!
諸君らが牛頭馬頭6体を全滅させただと?
そんな作り話をしてまでファーストアタックが欲しいのかね?
何度も言わせるな!
ファーストアタックは譲れない!
先にレイドゾーンの入り口に辿り着いた者に選択権があるというのが、我々冒険者のルールだろうが?」
イングリッドは、綠水達パーティーが牛頭馬頭を全滅させたことを信じていない。
作り話だと一刀両断してきた。
そのとき、クミルファスの「行け」の後ろ手サインが一層激しくなった。
そのサインに応じて、綠水もイングリッドとの交渉に参戦した。
「イングリッド、頼む……
オレたちの目的はグランドレイドのクリアではないんだ……
あんたも聞いていると思うが、この6層で遭難している女性冒険者の救出をしたいだけなんだ!
ここまでのエリアで彼女を見つけることはできなかった……
ということは、レイドゾーンの中に閉じ込められている可能性が高いんだよ!
オレたちを先に行かせてくれ!」
綠水がそう発言すると、クミルファスが後ろ手に「オーケー」のサインを送ってきた。
「ほう……
あの甲斐性のないギルマスの依頼を受けたのか、綠水?
つくづくお人好しなヤツだなあ、お前は」
くくくっと笑いながらイングリッドが言ってきた。
「おい!タクトさんを侮辱するなよ?
彼はギルマスとして真剣にカナさんの身を案じていたんだぞ?
タクトさんは天照騎士団にも頭を下げてカナさんの救出を懇願したんじゃないのか?
その依頼を無視したあんたが、なんでココにいるんだ?」
仲間を案じるギルマスを、仲間を平気で犠牲にしたギルマスが侮辱する。
それが我慢できず、綠水は思わず語気を強めた。
「あそこは確かアミダを主神とする人間が集まったギルドだったな……浄土信仰か……くだらん!
そんな腑抜けた信仰の異教徒を助ける義理が私にあるのか?
いや、ないっ!
この日ノ本の冒険者であれば例外なく日照の最高神アマテラスに帰依すべきだろうが?
綠水!お前もいい加減に目を覚ませ!!」
「目を覚ますのは、あんたの方だろう!」
尊大極まるイングリッドの発言に綠水の怒りは臨界点に達しかけていた。
「まあまあ、まあまあ!」
一触即発の二人の間にクミルファスが割って入ってきた。
後ろ手には、もう一度「オーケー」のサインを送ってきている。
「綠水ちゃんの言うとおり、うちらの目的はレイド攻略やないんよ!
カナちゃんを救出したら、すぐに縮地門で脱出する!
せやから、なんとか先に入らせてもらえへんかなあ?」
先ほどまでとは打って変わって、クミルファスは、柔らかな口調で交渉を再開した。
「…………いや、ダメだ!
クミルファス、お前は女の救出だけを目的としていないだろう?
グランドレイドの情報収集もあるんじゃないのか?」
一瞬、考えた様子に見えたが、それでもイングリッドの気持ちは変わらなかった。
「そりゃ、情報収集も考えとるで?
でも、うちらが無事に脱出できたら、その情報は一番先にあんさんらに提供するつもりやで?
もちろん無償や!
ファーストアタック譲ってくれるんやったら、それくらいの礼はせんとな」
「…………」
クミルファスの提案にイングリッドの発言が止まった。
損得勘定、秤にかけている様子に見える。
「どうや?
お気に召さへんか?
それなら、もうひとつ提案があるんやけどなあ……」
クミルファスは意味深に言い止めて、勿体つけるようにイングリッドの反応を待つ。
「……なんだ?
言ってみろ」
「うちらがあんさんらの攻略戦に力を貸す!
ちゅうんはどうや?
もちろん、無償でええで」
「なんだと?」
「ファーストアタックを譲ってくれるなら、レイドゾーンの情報提供をする……
まあ、斥候役ちゅうわけやな!
で、ファーストアタックを譲りたないんやったら、うちらのパーティーを攻略戦に組み込む……
11人も欠けたままやと正直キツいんちゃうん?
あと言うとくけど、うちらが牛頭馬頭全滅させたんはマジやからな!
どうや?どっちを選んでも、あんさんには得しかない提案やと思うけど?」
クミルファスは、ここが交渉の山場とばかり畳み掛けた。
「…………」
イングリッドは腕組みをして、無言のまま長考に入った。
その姿こそが、クミルファスの提案を無視できないと捉えた何よりの証拠だった。
「あとな……」
長考するイングリッドに対して、クミルファスは静かにつけ加える。
その声にはいままで聞いたことのないような凄みがかかっていた。
「これでも、あんさんが両方ともノーと言うんやったら……
うちらは力づくで押し通るつもりやからな……
その辺も含めて、よう考えて答えや?」
眼光炯々を通り越し、殺気のこもった鋭い視線で、クミルファスは告げた。
「……くっ」
イングリッドは完全に気圧された。
彼の背中には冷たいものが流れていた。
「ふ、ふはははは!
たかがひとりの女冒険者にそこまで必死になるとは、滑稽だな!
では、慈悲の意を込めて、諸君らがこの神聖なる攻略戦に参加することを認めようか!」
あくまでも居丈高にイングリッドが告げた。
「さよか……
おおきにやで、イングリッド」
クミルファスは鋭い眼光で射抜いたまま、イングリッドに礼を言った。
「く、くれぐれも足だけは引っ張るなよ!」
そう言うと、イングリッドは気圧されたことを悟らせたくない様子で踵を返し、クミルファス達から離れる。
綱渡りではあったが、舌戦を制したクミルファスと綠水は、拳を合わせて勝利を喜んだ。
綠水達パーティーは攻略戦を望んでいた訳ではなかったが、カナ救出のためには、こうするしか他なかった。
「20分後にパーティー編成会議を再開する!
それまで各自休憩をとっておけ!」
イングリッドは、アイテムバッグから砂時計を取り出して地面に置くと皆にそう命じた。
偉大なるギルマスの雰囲気を精一杯に醸し出したイングリッドの尊大でよく通る声がダンジョン内にこだました。
2017/07/16 13:29 脱字訂正