第30話 【それぞれの胸臆】
タヤユガダンジョンが広がる舌状台地には豊富な地下水が湛えられている。
ダンジョン地下深くまで水の恩恵は張り巡らされており、迷宮の壁や天井から、ところどころ大量に湧き出る地下水が、ダンジョン内に地底川や地底湖を形成している。
6層では、5層の金剛水の間ほどは地下水が湧き出ていなかったが、それでも天井から落ちてくる水滴の地面を叩く音が絶え間なく響いている。
キョウの街への旅に同行することを、既にシータが了承している…?
それを聞いた綠水と以蔵は、会話の流れについて行くことができず、二の句が継げなくなっていた。
ふたりの沈黙は、天井から滴る水滴の音をよりいっそう大袈裟なものにした。
「ところで、クミルファスさん…」
足も口も止まったパーティーの沈黙を破ったのは、シータ本人だった。
「俺はクミルファスさんからお願いされたからキョウ行きを決めたわけではないですよ?
そもそも、俺がクミルファスさんに持ち込んだ相談で、最終的にそういう結論になったわけですから…
むしろ、巻き込んでしまったのは俺の方かと…」
「まあ、それは言いっこなしやで、シータちゃん!
シータちゃんからの相談がなくても、いまのエドの現状にうちもモヤモヤしとったわけやからな!」
シータとクミルファスのふたりで勝手に会話が進む中、綠水と以蔵は完全に置物と化している。
「おい…
ますます意味がわからないんだが…?
どういうことだ?シータ」
やっと問いを発して、置物から脱出することができたのは綠水だった。
「…この旅の出発の朝、俺もお前に“後で必ず説明する”と言ったよな?
覚えてるか?」
「ああ!
もちろんだろ!
ギルドが…クライドが最近おかしいっていう話だろ?」
質問に質問で返してきたシータに対して、綠水は即答してみせる。
「そうだ、その話だ…
俺はな、綠水…
最近のアースガルドの方針、いや、マスターの方針にはついていけないと思っていたんだ」
「方針?
他のギルドに負けるなー!とか、
早く信仰心を上げていくぞー!とか、
そういうギスギスした感じってこと…か?」
「簡単に言うとそういうことなのかもしれないが…
ことはそう簡単じゃない…少なくとも俺はそう思ってる」
そう言うと、パーティーの先頭にいたシータは、止まっていた歩みを再開する。
パーティーメンバーは黙って彼の先導に従った。
キョウへ行くという話の流れから、何故アースガルドの運営方針のことが出るのか分からない綠水だったが、ひとまずシータの後を歩みながら発言を待つことにした。
器用にマッピングをしながら、後ろを振り向くことなくシータが再び語り始める。
「始まりの日以降、大手ギルドはどこも勢力拡大のため躍起になってるよな?
冒険者たちの間で発言力を強めたい、
組織力でリリジャススキルの秘密に迫りたい、
それ自体は、俺も理解できるし、間違っているとも思わない…」
「クライドのアースガルドだけやのうて、どこも勢力拡大のための活動はエグいからなぁ…
知っとるか?
イングリッドのとこなんか、はぐれ冒険者や路上生活の食い詰め冒険者向けの勧誘部隊なんか作っとるんよ?
どこの飲み屋の客引きやねん!て感じやで」
シータの発言を補足するように、クミルファスがアースガルド以外の大手ギルドの動向を引き合いに出してきた。
「そう…
うちのギルドも、似たような勧誘はやっていたし、実際、ものすごい数の冒険者が新たに加入してきた…
例の問答のときに、あの眼鏡女神スクルドのファンになったという連中がこぞって加入するという特需もあったが、他にも資金繰りに行き詰まった零細ギルドを吸収合併したりと、手段を選ばずなんでもしてきた…
いまギルメンは300人を超えている…
たぶん、まだ増えるだろうな」
「300人だって!?」
アースガルドのいまのギルメン数は、綠水の想像を大きく上回っていた。
始まりの日にこの世界に連れてこられた冒険者の数は、East Server全体で5000人だったことを考えれば、その5%を超える人数がアースガルドに所属していることになる。
おそらく、East Serverで最大級のギルドということになるだろう。
「おいおい…
とんでもないことになってるな…
オレ、そんなの全然知らなかったぞ?
以蔵!お前、知ってたか?」
リリプラの世情に疎いのは自分だけなのか…?
と少し不安になった綠水は、思わず以蔵に話を振った。
「うーん
俺もそーいうのぜんぜん詳しくないけど、アースガルドが大きいっていうのはクライドさんから聞かされたよ…」
「あー、そういやクミルファスの店の近くで以蔵も勧誘されてたもんなあ!」
綠水は、このパーティーでタヤユガ遠征に来るきっかけとなったあの日、クライドと以蔵が一緒に居たことを思い出した。
「う…うん
そ、そうだね…」
そう言う以蔵の顔は少し曇っている。
隊列の先頭でマッピングをしていたシータは振り返り、じろりと以蔵に一瞥をくれると、そのままアースガルドの現状語りを続けた。
「単に人員増強を図るだけなら、どこのギルドもやっていることだが、アースガルドは大きく膨らんでいく中で、その組織としての在り方も変えようとしている…
みんなも知ってのとおり、これまでアースガルドは北欧神話系の神を主神としている冒険者なら誰でも加入を認めてきた!
イングリッドのギルドのように、主神をアマテラスに限るといった風な加入条件を定めないことで、アースガルドは大きくなってきたんだよ」
「もちろん、それは知ってるぞ?」
綠水は、さらなる説明を促すように合いの手を入れる。
「ところがだ…
ここにきてマスターは、その組織体制を変革しようとしている…
アースガルド本体は主神を北欧神話の最高神であるオーディンに限り、それ以外の神を主神とするギルメンにはアースガルド傘下のギルドを新たに立ち上げてもらう…
新たに立ち上げるギルドは内部では“ブランチ”と呼ばれ、そこにはギルドの独立性は一切ない!
アースガルド本体が親会社でブランチは子会社と言えば分かりやすいかもな…
つまり、マスターはギルドのホールディングス化を進めようとしているんだ!」
「ギルドのホールディングス化か…
だが、シータ?
それだけで何がおかしいんだ?
むしろクライドはギルドを大きくするために色々と考えて工夫しているんじゃないのか?」
綠水の疑問は実に真っ当だったが、シータは、まだこの先があるのだと言わんばかりに話を続ける。
「なんというか…
上手く言えないんだが…
アースガルドは主神の縛りが緩いのが特徴で、どちらかといえば自由な雰囲気のギルドだった…
それが、いまや完全なる上意下達だ!
マスターは、己の目的のためにギルドを軍隊のような組織にしようとしてるんだと思う…」
「目的…?
クライドは何かやろうとしているのか?」
「ああ…
俺はマスターから直接、ロキブランチのギルマスになれと指示された…」
「お?
サブマスを飛び越してギルマスか?
いくら子会社のギルマスって言っても、それって出世じゃないのか?」
綠水の言うとおり、本来なら喜び祝うべきことなのだろうが、シータの暗い表情はそれを否定していた。
「なあ、綠水…
ロキは北欧神話でどんなポジションか知ってるか?
“北欧神話のトリックスター”なんて呼ばれることもあるみたいだが、結局は巨人族でありながらアースガルド側の神々に寝返った裏切りの神なんだよ…
マスターが、そんな曰くがあるロキを主神とするブランチに求める仕事はなんだか分かるか?綠水?」
「い、いや…?」
「汚れ仕事だよ…
俺はマスターに直接その指示をされたから分かる…
なあ、以蔵…お前も分かるんじゃないか?」
「え?以蔵?」
いままで綠水に向かって語りかけていたシータが突然、以蔵に話を振った。
「…………」
意想外のことに驚く綠水だったが、唐突に話を振られたはずの以蔵本人は、まるで予想していたかのように落ち着き沈黙を保っている。
「俺は、マスターの要請を断った…
マスターは俺を信頼して、あんな指示を出したのかもしれないが、俺にはどうしても受け入れることはできなかった…
以蔵…お前はどうなんだ?
マスターにロキブランチのギルマスの座を打診されたんだろ?」
ダンジョンを進む歩みは止まっていなかったが、鬱屈した硬い空気がパーティーを包んでいた。
「……うん
さすがだね、シータ兄ちゃん…
この旅でシータ兄ちゃんが俺のことを疑って警戒していたのは分かってたよ…
常に俺の動きを注意してたもんね…
あと、全然しゃべりかけてくれないし…」
そう言うと、以蔵はうな垂れたように肩を落とした。
「ああ…
俺はマスター…いや、クライドから俺がロキブランチのギルマスを断るなら“はぐれのサムライ”にあてがあると直接聞かされたからな」
「うん…
シータ兄ちゃんの言うとおり…
俺、ロキブランチのギルマスに誘われたよ…」
既にシータから全てを聞いているであろうクミルファスは、黙ってふたりのやり取りを聞いている。
いまだに事情が掴めない綠水は、思わずふたりに割って入った。
「おいおい!
お前ら何をふたりでサクサク話を進めてるんだ?
結局、なんなんだよ?そのロキブランチの汚れ仕事っていうのは?」
「暗殺…だよ」
「……………」
割って入った綠水の質問に対して、シータは短く、しかしこれ以上なく端的に答えた。
以蔵は綠水から顔を逸らして黙りこくっている。
「なん…だって?」
綠水は絶句した。
「クライドは俺に言った…
自分がこの日本マップで冒険者の頂点に立って、この“ゲーム”をクリアに導くと!
そのために邪魔なものはモンスターであろうとNPCであろうと、そしてたとえそれが冒険者であろうとも排除すると…
その先鋒たる仕事をするのがロキブランチというわけだ」
アースガルドの元サブマス候補は、クミルファスにしか話をしていなかったであろう結論を淡々と述べた。
「はあぁ??
クライドのやつは狂ったのか?
何が冒険者の頂点だ!
何が排除だっ!!
ふざ…けるなよっ…」
綠水は拳を強く握りしめ、静かに激昂した。
「これが、俺がアースガルドを抜ける理由の全て…
そして、クミルファスさんに相談した内容の全て…だ!
俺は、クライドは神の力に憧れすぎて狂ってしまったんだと思っている…
ヤツの狂気を止めるために、俺はクミルファスさんとキョウの街に行くことを決めたんだ!」
シータは全てを語り切ったと言う。
だが、綠水は全く納得がいっていなかった。
…なにが暗殺だっ!
…人を道具かなにかと勘違いしてるのかっ!?
「おい!以蔵!
お前はクライドにどう答えたんだ?」
綠水は、彼から顔を逸らしてうな垂れ続ける以蔵の両肩を掴み、詰問するように揺さぶった。
「…………」
以蔵は無言でされるがまま揺さぶられた。
「以蔵!!」
ーーー暗殺なんかするわけないよ
そう言って欲しくて綠水は必死だった。
「断れ…ないよ…」
肩を掴む綠水の手を払いながら、以蔵が小さく発した。
「クライドさんは、俺がリリプラを始めたばっかりのときの師匠なんだ…
いつもひとりぼっちでインしていた俺に、リリプラの楽しさを教えてくれたのがクライドさんなんだ…
断れ…ないよ…」
少年は目に大粒の輝くものを溜めながら、地面に崩れ落ちた。
シータも綠水も無言になった。
茫然と地面を見つめて座り込む彼にかけるべき言葉が見つからなかった。
断れない…
以蔵は暗殺者としての仕事を受けると言っているのだろうか?
綠水は何か大切なものが指の間からこぼれ落ちるような感覚に襲われる…
だがしかし、やはり以蔵を引き留めるための言葉が見つからなかった。
言葉を忘れたかの如き男性冒険者ふたりを差し置き、クミルファスがずいっと一歩前に出た。
座り込んでいる以蔵に目線を合わせようと彼女もしゃがむ。
「うんうん、分かるで以蔵ちゃん…
以蔵ちゃんは優しいからな!
世話になった師匠からのお願いを断れへんのやろ?
でも、以蔵ちゃん?
暗殺の仕事なんか受けたくないんやろ?
だから悩んどるんやないんか?」
「…………
クライドさんには、考えさせてって答えたんだ…
ねえ…クミ姉ちゃん…
俺、どうしたらいいんだろう?」
「ひとりで悩んでたんやね…
辛かったやろうなあ…
よう言うてくれたで!
うちらが以蔵ちゃんを暗殺者なんかにさせへん!
クライドのやろうとしてることも、うちらが止めたる!
以蔵ちゃんの師匠が間違ったことをしようとしてるんやったら、うちらが止めたろうやないか!!
だから…だからな…
もうひとりで抱え込んだらあかんで!
このアホ以蔵ちゃん!」
クミルファスは座り込む以蔵を優しく、しかし、力強く抱きしめた。
クミルファスに優しく包まれ、以蔵がここまで精一杯に自分の中で抑え込んでいたものが決壊した。
そして少年は大泣きした。
クミルファスの交渉力はエドの街随一と言われているが、これはそんなんじゃない…
仲間を想う彼女の愛情があってのこそだと綠水は思った。
母親にあやされる子供のような以蔵を見つめながら、大切なものを失わなくてすんだ…と綠水は安堵した。
隣に目をやると、シータの表情も先ほどまでの厳しさがない。
きっと彼も仲間が戻ってきたことに安堵しているのだろう。
「おい以蔵!
お前は何をカッコつけてひとりで抱え込んでんだ?
なんで、オレたちに最初から相談しなかったんだ?
この……バカサムライ!!」
暗殺者なんていう黒い道に堕ちずに戻ってきた仲間に対して、綠水は全力で毒づいてみた。
「あははははは!!
おい、バカ綠水?
さっきまで“ひとりで生きてきた”とか気取っていたお前の、どのクチからそんな言葉が出るんだ?
ほんと、こいつらバカだな…
バカ綠水に、バカ以蔵!
こんなバカコンビをエドの街に置いていくと他の冒険者に迷惑がかかる!
お前らふたりは、クミルファスさんと俺と一緒にキョウの街へ行くことな!強制でな!」
シータの毒舌にもいつものキレが戻っている。
「このっ!シータ!
またひとのことをバカバカと失敬なっ!」
綠水もお決まりのツッコミで応える。
これこそが、このパーティーの通常運転!
綠水達は今回の遠征で確実にお互いの絆を深めていっている。そんな気がしていた。
「みんな…ありがと…
俺、みんなと一緒に居たいよ…」
泣き止みかけていた以蔵の目からまた涙がこぼれ落ちている。
「以蔵ちゃん、いつまで泣いとんねん!
キミ、もしかして泣き虫サンなんか?」
クミルファスは以蔵を優しく包み続けたまま、少しだけ毒づいた。
クミルファスにも、
シータにも、
以蔵にも、
仲間に打ち明けられなかった胸臆があった。
図らずもそれがいま開かれ、このパーティーの絆が強くなった。
この仲間といると、
こんな自分でも他人を信じてもいい…
他人に信じられてもいい…
そんな気持ちを持てるようになっていける気がした。
オレはこの仲間を失いたくない!
いま綠水は、自分の気持ちをはっきりとそう認めることができた。
2017/08/01 07:21 文脈微調整