第2話 【挨拶】
いつもどおりの独りの食卓で、必要最低限の食事を済ませる。
食事の後は軽くシャワーを浴びて、Needlesのトラックジャケットとトラックパンツに着替える。
Needlesは緑川お気に入りのブランドだ。
デザインもさることながら、動き易さからReligious Planetをプレイするときには欠かせない装備となっている。
これら一連の作業は、ログイン前の儀式と化しているような気もする。
ハイスペックゲーミングマシンの前に座り、緑川は小さくもなく呟いた。
「ただいま!」
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左利き片手剣
盾なし軽装プレートアーマー
それが綠水の装備。
戦士の外見ではあるが、かなりの軽装と言える。
綠水はReligious Planetでの緑川龍水のキャラクターネームだった。
Religious Planetにジョブシステムはないが、綠水は自らを【魔法剣士】と承知している。
ジョブシステムのないReligious Planetでは、【職業】という概念はなく、プレイヤーは自らが思い描く職業に適したキャラクターを創り上げるべく、様々な考えを巡らせることになる。
私は料理人!
俺は鍛冶屋!
おいおい、戦う気はないのかよ…
綠水を呆れさせるほど横道に特化した個性的プレイヤーも少なからず存在していた。
Religious Planetでは、レベルアップ時にアビリティポイントとスキルポイントが得られる。
アビリティポイントを6つに区分された身体能力ゲージに振り分けていくことは【ステ振り】と呼ばれる。
バイタリティ(体力)
ストレングス(力)
インテリジェンス(知性)
アジリティ(敏捷性)
デクスタリティ(器用さ)
ラック(運)
どれを捨て、どれを強化するのか。
取捨選択は人生の常であり、それでこそ個性は生まれるものだと綠水は理解している。
アビリティポイントと対になるスキルポイントは各種スキルを習得していくためのポイントなのだが、ここでの取捨選択も、この世界での生き様を定義する重要なものとなる。
料理人はライフスキルに分類される【調理スキル】にスキルポイントを振る。
鍛冶屋はライフスキルに分類される【スミススキル】にスキルポイントを振る。
綠水はバトルスキルに分類される【マジックスキル】【ウェポンスキル】【エンチャントスキル】を重視しているからこそ、自らを【魔法剣士】と承知できている。
【スキル振り】とはまさに職業選択の自由なのである。
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ーーーポォーン
軽い電子音で目覚める。
綠水は、日本マップ東部最大の街である【エド】を活動拠点としている。
目覚めたのは【エド】に数ある宿屋のひとつ【からすや】の一室。
小窓から薄っすらと光りが差し込んでいる。
どうやら【エド】は、ちょうど朝になったところのようだ。
Religious Planetは、ゲームサーバー内に作られた世界だが時間の概念がある。
Religious Planetの世界は常に存在し続けており、この世界には時間が流れていると言える。
独自の時間管理エンジンで制御されているということらしいが、その演出は“現実”を超えるほど“現実的”だと綠水は感じていた。
日が落ちれば暗闇が辺りを包む沈黙の時間が訪れ
日が昇れば明光が世界を照らす躍動の時間が復活する
24時間どんなときも人工の灯が落ち切ることのない現実世界よりも、この世界のなんたる現実的なことか!
当たり前のように徹夜でプレイする綠水は、自分に言えた義理ではないなと苦笑しつつも、このゲームの時間管理エンジンを素晴らしいものだと感じざるを得なかった。
「おはよう」
2階の部屋を出た綠水は、宿屋の帳場で忙しくバタつく少女に朝の挨拶をした。
「おはようございます。
綠水さん、お早いおでかけですね
今日もご無事でお出かけくださいね」
NPC少女は可愛らしい笑顔で応えた。
【からすや】は安宿だが、この看板娘の人柄を好んで定宿とする冒険者も多かった。
「ありがとう、さくら
今日は冒険者会館でセーブするつもりだから、からすやには戻らないと思う」
綠水は、NPC少女の【さくら】に今日の予定を伝えて宿屋を後にした。
『ただいま』に『おはよう』
なんでもないただの挨拶で、
綠水は、確かに生を感じていた。