第26話 【牛頭と馬頭〜その1】
---ヒィ!ヒヒイイイイィィィィン
馬の頭をしたモンスターが大きく嘶いた。
馬鹿でかい大鉞を両手に握り、こちらに向かって歩み寄ってくる。
大鉞からは血が滴っている…
きっと、天照騎士団の誰かが犠牲になったときのものだろう。
---ブモオォオオオォォォォオオオ
牛の頭をしたモンスターも吠え猛り、無数の棘のついた金棒を振り回している。
馬の頭をもつ異形と牛の頭をもつ異形が人間を蹂躙する地獄の光景…
綠水は、いつか見た悪夢のことを思い出していた。
「こんなに湧いてたん…か…
うちの運も当てにならんな…」
クミルファスが震えながら嘯く。
「1体ずつならまだしも…
ちょっとヤバいかな…」
綠水の頬を冷たいものが伝う。
「クミルファスさん…
金剛水の間の先まで抜けたことあるんですよね?
出口通路の場所…分かりますか?」
シータは牛頭馬頭から視線を外さず、クミルファスに尋ねた。
「ああ…
マッピングしとるで!
この先に壁から流れ出とる水が川になって注ぎ込んでる地底湖があんねん!
湖上に祠があってな…
天井から水が滝みたいに落ちてきとるんやけど、その滝の後ろに隠し通路があんねん!」
パーティーメンバー達は、クミルファスが指差す方向を見た。
先に、かすかに地底湖が見えている。
「まだ、かなり距離があるな…」
綠水はごくりと喉を鳴らした。
「俺が隙をつくる!
一気に駆け抜けよう!」
シータはゆっくりと歩み寄ってくるモンスター達に向き直り、両手を広げた。
「ファイヤアロー!!」
シータの左右の手から現れた炎の矢がモンスターどもに向かって高速で飛ぶ。
---ドドドドッ!ドゴオォォッ!!
12本の炎矢が牛頭馬頭の足下の地面に命中し、大きな破壊音とともに土煙りが舞い上がる。
モンスターどもが一瞬怯む。
「いまだ!走れ!!」
シータの掛け声で、パーティーメンバー全員が地底湖に向けて駆け出す!
---グオオオオォォォォオ!!
逃ぐるが一の手!とばかりに迷わず遁逃を選択した獲物達を見て、牛頭馬頭どもが怒りの咆哮を上げた。
「後ろを見るな!
このまま駆け抜けるぞ!!」
綠水達は地底湖を正面に見据え続け、全力で駆ける。
背後には獣の唸りをあげ、恐ろしい勢いで迫り来る牛頭馬頭どもの気配を感じる。
---ヒヒイイィィィ!!ブォルルルルルルゥ!!!
そのとき、ひときわ体の大きい1体の馬頭が大気を揺るがし嘶いた!
巨躯の馬頭は手にしていた大鉞を頭上で二度!三度!と回転をつけ、獲物に向かって投げつけた。
---ブオォン
大鉞がありえない大きさの投げ斧と化し、綠水達を襲う。
---ドッゴオォォォンンン!!
脇目も振らず駆け抜けていた綠水達の眼前で、地面が巨大投げ斧に抉られて爆ぜる!
無数の岩石が弾け飛び、大きく舞い上がった土煙りが綠水達を包んだ。
遁走を決め込んだパーティーの足が止まる。
「くっ!
み、みんな!大丈夫か!?」
綠水は土煙りを右手で払う仕草をしながら、後続のパーティーメンバーの安否を確認すべく振り返った。
「!!」
大鉞を投げつけてきた馬頭が、身軽になった体躯で驚異の跳躍を発揮した。
獲物との距離を一瞬で詰め切り、丸太のような腕をクミルファスに向かって振り下ろそうとしている。
「クミルファス!
危ない!!」
綠水は、振り下ろされる凶腕を黒剣で弾くべく、馬頭に向かって飛びかかるが距離が足りない…
「くそっ!足りないっ!」
綠水の視野には刀を伸ばす以蔵の姿も映ったが、これも届きそうにない距離だ…
そのとき!
神速の魔導師がその高い敏捷性を活かして馬頭とクミルファスの間に立ちはだかった。
「石の棘!!」
すかさず、超短文詠唱の地属性魔法を発動させる。
---ズガガガガガガガゴゴオォォォ
詠唱に応じて、シータの足下から天を貫くように無数の岩石の棘が伸びる。
---ドス!ドスドスドス!!ドスドス!!!
クミルファスに襲いかかってきた巨躯の馬頭の腕は何本もの岩石の棘に貫かれた。
---ガッ!グ…グカゴオォォォ
巨躯の馬頭は、よろけて、たたらを踏んで後ずさった。
「堪忍!シータちゃん…
追いつかれてしもうた…」
クミルファスを囲むように全員が集まり、パーティーは体勢を立て直す。
「クミルファスは始まりの日以降、ほとんど戦ってない…
無理しなくていいからな!」
「おおきに…綠水ちゃん…
せやかて、そうもいうてられへんやろ!
足手まといになるんは、いややねん!!
うちも…腹ぁ括っていくでっ!!」
両手でパンッ!と頬を叩いて気合いを入れ直すと、ミンストレルは高音から順に4本の弦をはじいて奏でた。
「無限の夜曲!!」
青いスキルエフェクトがパーティーメンバー全員の身体を包む。
「よっしゃ!
これで10分はMPが尽きん!
いくで!!みんな!」
彼女が奏でたのは、MP継続回復の範囲旋律だった。
「ありがとう!クミルファス!!
あと…オレとシータには、ギリギリまで聖なる賛美歌は要らないから!
オレらのHP回復よりも、以蔵への強化系を優先してくれ!」
綠水はパーティーリーダーとしてミンストレルに指示を出した。
「わかっとる!
以蔵ちゃん!ガンガンいくでっ!」
「うん!
クミ姉ちゃん!よろしく」
以蔵は、どの主神にも帰依していない、いわゆる“はぐれ”の冒険者だ。
“はぐれ”ゆえに、彼に神仏の加護は届かず、彼自身の手持ちのスキルはほとんど何もない…
つまり、以蔵は純粋に刀技一本で自分を鍛え上げ、ここまで生き残って来たのだ。
そんな彼の刀技が強化系の魔法や旋律でブーストされれば…
この死地を脱することができるか否かは、以蔵の刀技にかかっている!
それはパーティーメンバー内で言わずもがなのことだった。
「以蔵ちゃん!
うちの旋律、よう聴いてや!」
ミンストレルの奏でる旋律がサムライに降り注ぐ。
「神速の円舞曲!」
一定時間、攻撃速度と回避速度を2倍に跳ね上げる旋律。
「武力の協奏曲」
一定時間、防御力を犠牲にすることで攻撃力を大幅にブーストする旋律。
次々と発するミンストレルのスキルエフェクト。
綠水もそれに続いてエンチャントスキルを発動させる。
「水よ…劔を捲き込めっ!
ニクス・ファング!!」
まず、綠水自身の黒剣を渦巻く水流が包み込む。
さらに続けて、綠水は以蔵の日本刀にも水の精の力を付術した。
戦闘準備完了!
パーティーリーダーが指示を出す。
「まず、他の5体が追いつく前に、あのデカい馬頭をやるぞ!」
魔法剣士と魔法使いが、狙うべき馬頭に向かって駆け出した。
サムライは間合いをとったまま、姿勢を低くして抜刀の機会を待つ。
シータの魔法で腕を貫かれた手負いの馬頭は、その巨体を怒りに任せて暴れ回している。
狙いも定めず怒りにまかせて丸太のような腕を振り下ろして襲いかかってくる。
シータは右肩を引く体捌きで、振り下ろされる腕をギリギリに躱し、モンスターの懐に入った。
通常の魔法使いであれば、こんな間合いで敵と戦うことはない。
魔法使いは、インテリジェンス(知性)とデクスタリティ(器用さ)を優先するステ振りをし、魔法威力と詠唱速度を高めるのが王道だ。
そうすると当然、バイタリティ(体力)に振るだけのアビリティポイントの余裕はなくなるので、一発でも攻撃力を食らえば瀕死の重傷…ということになる。
そんな紙装甲の魔法使いが近距離戦をするなど、本来あってはならないことだ。
愚の骨頂といえる。
しかし、シータは武闘家のような体捌きで敵との間合いを詰め切る。
もちろん彼も、バイタリティ(体力)にステ振りはしていないので、紙装甲なのに違いはない。
シータはデクスタリティ(器用さ)を捨て、インテリジェンス(知性)とアジリティ(敏捷性)に極振りするという特殊なステ振りをしている。
敵の攻撃をギリギリで回避しながら魔法を撃ち込むという戦い方…
こんな特攻まがいの戦術をとるのは、他には聞いたことがない。
シータの二つ名、神速の魔導師は、彼のそのような戦い方が恐れ、讃えられ、誰ともなく呼ぶようになったものだった。
神速の魔導師は、左右の手を馬頭の腹に当てると…
「アイス…
ロック…
アロォォォー!!」
氷の矢と岩の矢を同時にゼロ距離で発動させた!
綠水は、シータが岩石の棘で壊した方と逆の腕を狙って黒剣を振るう。
---グオォォォォォオ…
馬頭は、その巨躯を仰け反らせて悶えた。
「いまだっ!」
綠水が、そう叫んだときには、既に以蔵の神速抜刀が発動していた。
---シャァァァァァイィィィン!!!
ブーストされ、いつも以上の速さで鞘走る刀。
その刀身は全く視認できない。
綠水がエリアル・レインフォースで風に乗ったときでもこの速さは出ない。
---ズバッ!
一刀目が両膝の腱を斬り断つ!
堪らず両膝を地面につく馬頭。
返す刀の二刀目が胴を下から上に斬り裂く!
そのまま三刀目で馬頭の両眼から光を斬り奪う。
四刀目!
五刀目!!
六刀目!!!
神速の刀撃が馬頭の全身をなます斬りに刻む。
1秒間に六連撃!!
---パリィィィーン!
馬頭は断末魔の叫びすら許されず、赤い結晶を弾け飛ばして消滅した。
敵を1体撃破。
だがしかし、綠水達パーティーに安堵の色は浮かばない。
綱渡りのようなギリギリの戦い…
綠水もシータも以蔵も激しく肩で息をしている。
それでも、休んでいる暇はない…
残りの牛頭馬頭が一団となって、こちらに突っ込んでくるのが見えた。
「残り5体…
あれを1体1体散らして削っていく余裕も戦力もない…
オレが5体全部を釣るから!
クミルファスはオレにヘイトを集中させてっ!」
塊になって突っ込んでくる5体の牛頭馬頭に向かって駆け出す綠水。
「綠水ちゃん!
いくらなんでも5体とか無茶やっ!」
「クミルファスさん…
このパーティーにはタンクが居ない…
綠水の言うこの策が、いまの最良だと俺も思います!
俺と以蔵が短時間で狩り切りますから、
信じてヘイト管理を!!」
シータと以蔵も飛び出す。
「……死なさん
死なさんで!綠水ちゃん!!
敵意の諧謔曲!」
旋律に導かれて、牛頭馬頭どもの敵意が壁役の魔法剣士に集中する。
綠水のステ振りは、ストレングス(力)とインテリジェンス(知性)を優先しつつ、バイタリティ(体力)とアジリティ(敏捷性)、デクスタリティ(器用さ)にもアビリティポイントを割くというバランス型だ。
多くのMMORPGにおいては、賛否両論あるものの、役割に応じたステータス極振り、またはそれに近いものが好まれる。
バランス型のステ振りは、攻撃も守備も中途半端になり凡庸なキャラクターが出来上がってしまい、パーティープレイにおいては、いわゆる“地雷”認定されてしまうこともある。
ソロでリリプラの世界を生き抜く綠水は、
どんな敵にも“負けない”こと!
どんな局面でも“死なない”こと!
“勝つこと”よりも、それらを最優先してバランス型を選択した。
ステ振りで足りない部分はエンチャントスキルや装備で補い、さらに人並み外れた洞察力と判断力をもってして、バランス型を万能型として昇華させてきた。
野生のカラスは、桁外れの観察能力と推論能力と問題解決能力を持つと言う。
綠水の二つ名が闇夜の鴉というのは、まったくもって言い得て妙だった。
「悪意の絡みつく蔦!!」
綠水は5体の牛頭馬頭のど真ん中に突っ込みスキル発動させた。
ミンストレルのスキルに重ねて、モンスターどものヘイトをさらに集中させる。
「あのバカっ!
タンクでもないソロが、何でヘイトスキル持ってんだ?
ホント、バカのくせに…」
駆けるシータはいつものように毒づいたが、その表情はいつものように涼しげなものではなかった。
「バカ綠水…
お前だけ逝かせる…かよ…」
シータの呟きが、金剛水の間に小さくこだました。