第24話 【金剛水の間の獄卒】
タヤユガダンジョンは、現実世界の神奈川県にある田谷の瑜伽洞という人工洞窟が元ネタだと言われている。
現実世界の瑜伽洞には、
真言密教の地底伽藍であったり、
サラスヴァティを祀る場所であったり、
豊富な地下水源は水の神の恩恵だと言われたり、
と様々な伝承がある。
ゲームデザインの際に、こういった伝承要素を組み込んであるというのは至極自然なことで、リリプラ内においてもタヤユガダンジョンはある種、特別な地として冒険者達に扱われていた。
「着いたな…」
綠水達はタヤユガダンジョンの入り口に立っていた。
ダンジョンの入り口は、古い石造りで扉などはない。
大人ひとりがやっと入れるほどの大きさの入り口は、まるで冥府へと開いた口のような不気味な雰囲気を湛えている。
「よし、行こう!」
リーダーの号令でパーティーは、ひとりひとり順番に石造りの入り口をくぐった。
入り口から数歩進むと、徐々に通路がひらけてくる。
壁と天井には曼荼羅や梵字、そして、龍や獅子や虎などが浮き彫りレリーフで施されている。
また、壁には火のついた松明が随所に設置されており、ダンジョン内はそれなりの明るさを保っている。
松明は魔力を帯びているということで、風が吹いても、水をかけても、その灯った火が消えることはなかった。
ゆらゆらと揺れる松明の演出効果で、浮き彫りレリーフが、まるで命を宿しているかのような迫力を見せる。
「うぅぅ…
ぼぅーとしたこの暗さ…
俺、苦手なんだぁ…」
ダンジョンを進みながら、以蔵がポツリと呟いた。
先頭の綠水にシータが続き、その後ろにクミルファス、殿が以蔵という隊列でパーティーは進んでいたが、以蔵は不安げにクミルファスのドレスの端を掴んでいる。
「なんや、以蔵ちゃん?
キミ、めっちゃ強いのに暗いとこが怖いんか?
子どもやな〜」
「違うよー!
怖いんじゃなくて、苦手なだけっ!」
からかうクミルファスに以蔵は拗ねたような態度をみせる。
「だらしないなー以蔵ちゃん!
ええか?
フランスマップのアンピール・ド・ラ・モールちゅうダンジョンなんか、壁や天井が人骨で出来てるらしいで?
こんなんで怖がってたら、うちがアンピール・ド・ラ・モールに遠征するとき、連れて行ってあげへんで?」
「じ、人骨!ひいっ」
人骨と聞き、小さく飛び跳ねて驚く以蔵を見て、クミルファスはケタケタと笑い声をあげた。
そのとき、先頭の綠水が歩みを止めた。
「しっ!」
パーティーはまだダンジョン内の通路を歩いていたが、この先はひとつ目の広いドーム状の空間に出る。
「この先…
モンスターの気配がある!」
綠水は慎重に歩みを進める。
「俺と綠水が先に入ります!」
シータは後ろの2人にそう声をかけると、綠水とともにドーム空間に飛び込んだ。
---カサッ
---カサカサカサカサッ
---ガサガサガサガサ!!
何かが地を這う不気味な音がドーム空間に響いている。
「大百足か…」
魔法使いは、手に持つ樫の杖を高々と掲げた。
杖の先端にはめ込まれた七色水晶にポゥと光が灯ると、ドーム空間が隅々まで明るく照らし出された。
「多いっ!!」
通路内で待機していたクミルファスが照らし出されたドーム空間に目をやり、驚きの声をあげた。
冒険者の背丈を軽く超える長さのムカデが地面で大量に蠢いている。
重なりあい、縺れあい、ムカデは50匹近くいるように見える。
「なんでこんなに湧いてるんや!?」
「ん?
いつもこれくらい湧いてるよ?
始まりの日以降、潜る冒険者が激減したからじゃないかなあ…」
驚くクミルファスに綠水は平気な顔でサラリと返す。
---ザザッ!
先鋒の綠水とシータは左右に散って大百足どもの前に展開した。
「ファイヤ!アロォー!」
闇夜の鴉の右手の周りに6つの炎が渦巻き、矢の形に変化する。
「ファイヤ…
アイス…
アローッ!!!」
神速の魔導師は涼しい顔で、超短文詠唱の魔法を多重詠唱してみせる。
右手に6つの炎の矢、左手に6つの氷の矢が形を成す。
---シュン!
---シュンシュン!!
---シュンシュンシュン!!!
綠水とシータの魔法の矢は、一斉同時に術者の手を離れて、敵に向かって注ぎかかった。
---ドッ!ドゴオォォオ!!
大百足の塊に魔法の矢が命中し、大きな破壊音と土煙りが上がる。
パリーーーン!!
同時に、黄色の結晶が土煙りの中でいくつも弾け飛んだ。
ふたりの魔法の矢は、一撃確殺で18体の大百足を滅した。
次の瞬間、綠水とシータは既に、残った大百足の群れの中に飛び込んでいた。
魔法剣士の黒剣が何体もの大百足を薙ぎ払い、
魔法使いの左右の手からは矢継ぎ早に色とりどりの四元素魔法が紡がれる。
瞬く間に、大百足の大群は掃除し尽くされた。
「ふえぇぇぇ…
キミら、エグいなぁ…
40匹以上おったのに、3分とかかってへんやん!
カップ麺つくってるヒマもないやん!」
鮮やかすぎるふたりの殲滅戦を控えて見ていたクミルファスは、口をあんぐり開けて目を白黒させている。
「まあ、レベル10台だから…」
綠水は事もなげに言うが、レベル10相当のモンスターでも群れをなして襲ってきた場合には一筋縄ではいかないはずだ。
このふたりの冒険者は、レベルという数値以上に、何度も死線を超える経験をして、実戦力を高めてきたのだろう…とクミルファスは感じた。
「さあ、まだ1層だ!
先を急ごう!」
綠水はなおも先頭で、ドーム状の広間から次の通路に進み入った。
タヤユガダンジョンは、軟岩シルト層の舌状台地の地下に多層の立体構造で広がっている。
一層一層は、いくつものドーム状の広間を曲がりくねった通路が結ぶような形の造りをしており、それが何層、何十層と地下深く続いていく。
地下に進む階段は各層に一箇所しかないが、途中で道がいくつも枝分かれしているために、階段を見つけ出すのがまずひと苦労だ。
大百足のいた最初の広間から奥は、通路が枝分かれし始め、いよいよ迷宮の体をなしてくる。
タヤユガダンジョン内でモンスターは、ほとんどが広間に湧くため、綠水達は少々遠回りをしてでも、出来るだけ広間を通らないルートを選択した。
何度もタヤユガに潜り、ダンジョン内を完璧にマッピングしている冒険者にとって、踏破済みのゾーンを進むのは造作もない作業だった。
綠水達は、大百足以降、ほとんどモンスターに遭遇することなく、4層から5層に降りる階段前まで到達した。
「さ…
こっからやな…
みんな5層にまで行ったことはあると思うけど、マッピングはどこまで進んでるん?」
階段を降りる前にクミルファスがパーティーメンバーに確認してきた。
「オレは、奥の“金剛水の間”までかなあ…
そこまでは、全ルートマッピングしてる」
綠水の言う“金剛水の間”は、タヤユガ1層から5層までに存在する広間の中で、最大の規模のものだ。
金剛水の間は、壁面全体から滝のように水が湧き出ており、流れ落ちた水が広間の中に地底湖をつくりあげている。
広間は高さ10メールほどあり、天井一面に悍ましい地獄絵図が浮き彫りされている。
始めてこの広間を発見した冒険者が、レイドゾーンを発見した!と勘違いしたほど壮大で荘厳な広間だった。
「俺も綠水と同じです…
金剛水の間にはレベル50の牛頭と馬頭が出ますから…
安全マージンを考えると、金剛水の間の突破はなかなか…」
シータも綠水と同じく、金剛水の間までしかマッピングしていないということだった。
「せやな…
あいつら必ず湧いとるからなあ…
うちは、まだゲームやった頃、たまたま牛頭と馬頭が湧いてないときに金剛水の間に入ったことあってな〜
で、そのままぴゅぴゅーっと広間を駆け抜けられたことがあんねん!
せやから、金剛水の間の奥もちっとはマッピングしとるけど…
ちゅうても、6層への階段はまだよう見つけてへんから、何の足しにもならんわなぁ…」
クミルファスは、そういうと5層に降りる階段に歩み寄った。
「とりあえず、金剛水の間やな!
うちは運がええからなあ!
今回も、牛頭と馬頭がおらんことを祈って…
ほな、行こかっ!!」
景気よく盛り上げるクミルファスを見て、パーティーリーダーは確実に彼女の方が相応しい…と思う綠水だった。
クミルファスの運のおかげか、一行は5層に降りてからも、モンスターと戦闘になることなく順調に進んで行く。
モブモンスターであってもレベル40以上になると、かなりハードな戦闘になる。
通路から広間に入る際には、モンスターの有無を確認し、湧いている場合は通路を戻り別ルートへ向かう。
綠水達は、できるだけモンスターとの遭遇を避けるべく、慎重にタヤユガ5層を進んだ。
慎重の上にも慎重を重ねて進む綠水達の目の前に、やっと金剛水の間の入り口が見えてきた。
5層に入ってから金剛水の間に到着するまで、既に、1層から4層を踏破するのと同じくらいの時間を費やしていた。
「………
こっからやと、よう見えんけど…
もしかしたら牛頭も馬頭も湧いてへんのちゃう?」
通路内から金剛水の間を覗き込んで、クミルファスが言う。
「どっちにしろ、ここを抜けないとこの先には進めない…
みんな!行こう!!」
綠水はそう言うと、静かにゆっくりと金剛水の間に足を踏み入れた。
先頭は綠水、殿は以蔵、
先ほどからの隊列を変えず、周囲を十分に警戒しながら広間内を進む。
辺りにモンスターの気配はなく、壁から流れ落ちてくる水の音だけが喧しい。
広間の中にも魔力を帯びた松明は随所に置かれているが、金剛水の間があまりにも広いために、柱の陰や岩の陰といったところが暗闇となり、ところどころに死角が生まれている。
---ぴちゃ…ぴちゃ…
---ぴちゃぴちゃ…
不意にパーティーの進行方向の先から、何かを舐めるような音が聞こえた気がした…
---ぴちゃ!
---ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ!!
今度は、はっきりと聞こえた!
前方にある、ひときわ大きな岩の向こうから聞こえてくる!
「…………け…て…
………す…けて…
……たす…けて…」
ぴちゃぴちゃと何かを舐めるような音に混じって、人の声までもが届いてきた。
パーティーに嫌な予感が走る。
「あそこだ!」
大きな岩から人の足が見えているのに綠水が気づいた。
岩の向こうに冒険者が倒れているのだろうか。
綠水達は、急いで大岩に駆け寄った。
「「「「!!!!」」」」
綠水達が助けようと駆け寄った“足”には“上半身”がついていなかった…
慌てて辺りを見回すと、少し離れた暗闇の中で何かが動いているのが見てとれた。
「……たすけ…て!
……助けてっ!!!」
なんということだ!
綠水達の目に飛び込んできたのは、“足”のない冒険者の“上半身”だった。
しかも、上半身だけの冒険者に3匹のモンスターが群がっている…
レベル42相当の“小鬼”が2体、
レベル45相当の“悪鬼”が1体、
牛頭と馬頭の取り巻きと言われる、下級獄卒達だ。
「うっ!」
クミルファスは右手で口を押さえて嘔吐きを堪えた。
2匹の小鬼が冒険者の腹わたから流れ出る血を舐めている…
悪鬼は冒険者の上半身から引きちぎった腕を喰っている…
涙を流しながらも、最早自分で動くことのできない冒険者に視線を乗せると、残り僅かにまで削られ切ったHPバーが見えた。
「オオォォォォオッ!」
綠水は叫びながら抜剣すると、捕食者どもに向かって駆け出した。
辺りは生臭い匂いで充満していた。
今さら助けられるとも思わなかったが、放っておくことは出来ない。
綠水達パーティーは避けるべきだった5層での戦闘を開始した。