第21話 【陽気と殺気】
日の出前、空がまだ暗く眠っている中、綠水は定宿のからすやからクミルファスの雑貨店に向かって出発した。
今日はタヤユガ遠征の約束の日だ。
クミルファスのギルドが経営する各店舗は、いずれもエドの街の一等地にあった。
今日の待ち合わせ場所である【雑貨たこぱ】は、冒険者会館から長屋街を隔てた反対側にある。
ドロップアイテムの買取などにおいて、明らかに冒険者会館を商売敵と想定した挑戦的な立地である。
からすやから冒険者会館までは、ゆっくり歩いて1時間弱の道程だったので、冒険者会館よりさらに先にある今日の待ち合わせ場所は、綠水にとっては少し遠い道のりと言える。
とはいえ、こんな時間にエドの街を歩くことは滅多にない。
まだ寝静まっている長屋街を傍目に進む早朝散歩も悪くないと思いながら、綠水は胸いっぱいに朝の澄んだ空気を吸い込んだ。
「朝の空気は美味い!
これが現実世界でないなんてなぁ…」
塵に光が散乱して空と大地がやっと少し輪郭を帯び始めた。
「いい天気になりそうでよかった」
空を眺めながら呟く綠水の目にひとりの冒険者の姿が入ってきた。
「ん?
一番乗りと思ったけど、もう誰か着いてるのか?」
目を凝らすと、雑貨店の前に長身の男性冒険者が佇んでいた。
無造作に整えられた銀髪が暁を弾いて美しく輝いて見える。
七色水晶がはめ込まれた樫の杖を携えているあたりは、なるほど魔法使いらしく見えるが、体装備はローブを羽織るでもなく完全な普段着に見える…
「けっ…
あんな変な格好の冒険者はシータしかいない!」
プレートアーマーにマジックローブという自分の個性的ファッションセンスを完全に棚上げして、綠水は吐き捨てた。
「おい!遅いぞ?
もう腑抜けているのか?」
綠水の姿を確認するや否や、銀髪魔法使いは通常運転で毒づく。
「はいはい、はいはい…
お待たせしました…よっと!」
綠水はぺろりと舌を出して謝るふりをした。
「お?
クミルファスはまだみたいだなあ?」
「クミルファスさんも以蔵もまだ見えてない…」
「そか…」
「ああ…」
マジックローブの魔法剣士と普段着の魔法使いの会話は途切れ途切れで、なんとも居心地の悪い空気が辺りを支配する。
知らない人が見れば、このふたりが時々パーティーを組んでクエストに挑むことがあるなんて信じられない雰囲気がそこにはあった。
「なあ…シータ
しつこいかもしれないけど…
クライドはタヤユガ遠征の準備をしてるんじゃないのか?」
「………」
綠水の突然の問いかけにシータは沈黙で返す。
「お前、アースガルドのサブマスに昇格ていう話もあるんだろ?
なのに、こんなことしてて、ギルド内で立場悪くならないのか?」
「ふっ…なんだ?
ソロのお前が他所の組織の俺を心配してくれてるのか?
…気色が悪い!」
「な!
だれがお前なんかの心配するかよ!」
またしても、ふたりの間に沈黙が流れる。
これがいつものふたりのペースなのだろうが、なんとも居心地悪いこと千万である。
「アースガルドが…
いや、マスターが最近少しおかしいんだ…」
今度はシータから切り出した。
「おかしい?
クライドがか?」
「ああ…
なあ、綠水…
お前には後で必ず説明するから、もう少しだけ待っていてもらえないか?」
「や…
待つも何も、お前がやりたいようにやれてるんなら、別にオレは何も言うことはないよ…」
「すまんな…」
そういえば、クミルファスも後で説明するとか、同じようなことを言っていたな…
そう思いながら、綠水はこれ以上追及するのを止めた。
「おお〜!
おるおる!!
早いなぁ〜
気合い十分やなぁ〜
綠水ちゃん、シータちゃん、ふたりとも堪忍やで!
お待たせ、お待たせ〜」
魔法剣士と魔法使いのぎこちない会話が途切れたその瞬間、真打ち登場とでも言いたげな大声が響いてきた。
目をやると、茶髪の巻き髪ロングでゴージャスすぎる橙色のフレアドレスに身を包んだクミルファスが大きく手を振りながら駆け寄ってくる。
どこからどう見ても、いまから舞踏会か晩餐会にでも出席するような格好だ。
弦楽器のヴィーナを手にしていることで、辛うじて何とかミンストレルに見えなくもないが…
「ん??
ふたりして、なにジロジロ見てんねん?
そんなにうちの姿が美しいか??」
大阪弁のお嬢様は、両手でドレスの裾をつまみ、カーテシーの真似事でふたりに朝の挨拶をしてきた。
その勢いには、綠水もシータも引きつり笑いで返すしか手がなかった。
「おやおや?
もしかして、以蔵ちゃんは遅刻かぁ〜?」
自分の遅刻はすっかりなかったことにして、クミルファスは額に手を当てて辺りを見回す。
「おかしいなぁ…
いままで待ち合わせで遅刻したことなんてなかったのに…」
綠水も辺りを見回すが、以蔵の姿はどこにもない。
「クミルファスさん、どうしますか?
定刻ですし…予定どおり出発しますか?」
「せやなあ…
せっかく以蔵ちゃんも行きたがってたんやし、もう少し待ってみよか!」
シータは置いて行くのも止むなしの表情だったが、クミルファスがそれをやんわりと制した。
そのとき…
---ニャアァァァア!
---フウゥウウウウ!
雑貨たこぱの屋根の上で野良猫が何かを激しく威嚇する音が聞こえた。
「痛っ!
痛い、痛い〜
やめろ、こいつ〜」
すっとんきょうな少年の声が屋根の上から聞こえてきた。
---ゴロゴロゴロゴロ!
---ドン!!
派手な音と共に浪人姿の剣士が降ってきた。
「きゃ!
以蔵ちゃんやん!
キミ、なにしてんねん!?」
クミルファスは、屋根から落ちてきた剣士を見て、飛び上がって驚いた。
「あ…痛たたたた…
み、みんなおはよー」
以蔵は尻もちをついたまま、3人に朝の挨拶をする。
「以蔵!?
お前、なんで屋根から降ってくるんだ!?」
綠水も大袈裟に驚いてみせる。
「日の出に遅れたらダメだと思ったら…
早く着きすぎちゃった…
で、お星様がすごく綺麗だったから、クミ姉ちゃんのお店の上に登って眺めてたら…
知らない間に寝ちゃってた〜」
屋根の上で寝ていたところ、おおかた野良猫に縄張り荒らしだと思われた…というところだろうか。
「あははははは!
以蔵ちゃん、キミ、アホちゃうか?」
「お前…まったく…
怪我はないか?」
「………ふっ」
子供のように自由すぎる侍を、仲間達は三者三様の笑顔で出迎えた。
普段着で戦いに赴く魔法使い…
プレートアーマーにマジックローブという独自センスの魔法剣士…
弩派手なパーティードレスに身を包んだミンストレル…
まるで子供のように自由すぎるサムライ…
なんとも個性的な4人パーティーには珍道中の予感しかない。
すこぶる陽気な旅になりそうだった。
「よっしゃ!
そろそろ出立しよか!
みんな、縮地門わたしとくさかい、こっちおいでや」
クミルファスは、そう言いながら自分のアイテムバッグから能縮地脈門を数枚取り出した。
「エドの縮地門を5枚、
カナガワの縮地門を10枚、
ちょっと多目に渡しとくしな!
うちの奢りやさかい、お代は気にせんでええよ!」
雑貨たこぱの店主は、気前よくパーティーメンバーに告げる。
「ありがとう!助かるよ」
綠水が縮地門の分配を受け取ろうと手を伸ばしたとき…
「あっ!
あかん、あかん!
このままじゃあ渡せんで!
みんな、我らがパーティーのエンブレムは持ってきとるやろうなあ!?
エ・ン・ブ・レ・ムッや!
忘れたとは言わせんでぇ〜?」
クミルファスはニヤニヤしながら、例の缶バッジの提示を求めてきた。
綠水とシータは顔を見合わせて、渋々と各々のアイテムバッグから絆の証を取り出してみせた。
「なんや、なんや〜?
そんなトコに隠し持っとったんかい?
キミら、照れ屋さんやなぁ〜!
以蔵ちゃんを見てみぃ!」
ご満悦のクミルファスに促されて以蔵に目をやると、はみタコ君の缶バッジが着物の帯でしっかりした主張をしている…
「い、以蔵…
それ、そんなに気に入ったのか?」
「うん!
すごくカッコイイ!!」
呆れる綠水に、きゃっきゃと歓喜の返事をする以蔵。
「よっしゃ、よっしゃ!
ほな、みんな!
渡した縮地門で早速カナガワまで飛……」
クミルファスが突として発言を止める。
刹那!
殺気?
こちらを窺う気配がある!
集まったメンバーは、タイプこそ違えど手練れの4人!
不躾な気配に反応して、目配せすらするでもなく、それぞれが同時に適所に動いていた。
散開したパーティーメンバーは全員、建物横の路地の暗がりを視線で射抜いた。
「誰や!?」
一番最初に威嚇の声をあげたのはクミルファスだった。
気配の主からの返事はない…
路地の暗がりに、鈍く光る刀身が見てとれる…
相手は冒険者なのか?
綠水達パーティーの初戦は、図らずもタウンエリアでの迎撃戦となった。




