第17話 【ダンジョンの龍神】
「おい、あんた!
ぶざけるなよ?
なんで牛鬼の爪が10袋でたった銀貨5枚なんだ!?
あんた悪徳商人だって噂になってるぞ?」
怒声の主の冒険者は、一歩も引かず買取交渉をしている。
「あんさんなぁ…
アホなこと言うたらあかんで?
牛鬼の爪は買取希望者が殺到して相場が下がっとんねん!
レベル10程度のモンスターの、しかもレアドロやないんやから、こんだけあっちこっちから持ち込まれたら安うなって当然やわ!」
女店主らしき冒険者は吐き捨てた。
げっ…
クミルファスがいるじゃないか…
暖簾をくぐってすぐ、女店主を目にした綠水は、顔を見られないようにクルリと反対側を向いた。
クミルファスは、商業系ギルド【タコパ】のギルドマスターで、サラスヴァティを主神とする女性冒険者だ。
ミンストレルとしてのPSは一級品で、各ギルド合同の大規模レイドがあると、いつも最前線で活躍する“目立つ”冒険者だった。
綠水も以蔵も、クミルファスとは大規模レイドで何度も顔を合わせているうちに既知の仲になった。
始まりの日以降、クミルファスは戦闘を控えていたが、反面、その商才を華々しく開花させ、瞬く間にエドの街の流通の首根っこを押さえる存在となっていた。
「あんさん、もうええか?
ウチでは銀貨5枚!これ以上はびた一文たりとも出せへんからな?
ほんまやったら銀貨4枚程度にしときたいんやけど、これでもちょっとは色つけとんねやで…」
クミルファスは右手をひらひらさせながら、交渉相手に告げた。
「くっ…
この守銭奴め!
アイテム買取は別にあんたの店じゃなくてもいいんだぞ?
こっちは会館で換金してもらってもいいんだからな!」
「ああ、さよかさよか!
あんさん、どうせ冒険者会館で無下に断られたんちゃうん?
会館はもう、牛鬼の爪は引き取れんて言うとったで?」
売主のブラフはあっさりと看破される。
どうも女店主の方が二枚も三枚も役者が上のようだ。
「ちくしょう!!
あんたは鬼か!!
こっちは、ギルメン達の食い扶持を稼がないといけないのに…
お前みたいに弱者から搾取する奴がいるから、俺たちが苦しむんだ!!
ちくしょう!!
ちくしょう…」
男性冒険者は床に崩れ落ちた。
「あんなあ…
自分の甲斐性なしを棚上げして人聞きの悪いこと言うとったらあかんで?
あんさんがギルマスとしてギルメンを養わなあかんのと同じで、うちもウチの子らが魂込めて作った品物置いとるこの店で下手打てへんのや!
悪いけど堪忍してや…」
クミルファスは優しく、しかし毅然とした態度で男性冒険者に引導を渡した。
「さあ!
お客さんのお帰りやで!」
女店主の促しを受け、男性冒険者は肩を落としながら暖簾をくぐり出て行った。
肩を落として出て行った彼はこの後どうするのだろうか…?
甲斐性なしと断じられ高レベルの狩り場へ向かうのだろうか…?
ギルメンを守るために彼は無茶をするのじゃないだろうか…?
クミルファスの言っていることは正しい。
しかし、あの男性冒険者の気持ちも理解できる。
綠水はなんとも嫌な気分になった。
「おや?
綠水ちゃんやないん?
おっ!以蔵ちゃんもおるやんか!」
クミルファスが店内の綠水達に気づいた。
「や、やあ!
クミルファス、久しぶり!
商売繁盛なようでなにより…あはははは」
商談で毎度毎度やり込められてしまう綠水は、クミルファスに見つかる前に目当ての品をゲットして帰ろうと目論んでいたが、その当てが外れて動揺しまくっていた。
「クミ姉ちゃん〜!
久しぶりぃ〜」
綠水の気も知らず、以蔵は無邪気に挨拶している。
「以蔵ちゃん、ほんま久しぶりやなあ!
雷獣討伐のレイドで一緒して以来ちゃうかー?
元気そうでなによりやで!」
クミルファスはカウンターから出て来て以蔵を抱え上げる。
「姉ぇちゃん、おろしてよー!
子供じゃないんだよ!まったくもう!」
以蔵は抱え上げられたままジタバタしている。
「あはははは!
ごめんやで以蔵ちゃん!
で…
今日は、何用や?
綠水ちゃん?」
クミルファスの表情が商売人の顔に転じた。
うわぁ…
恐いなぁ…
いくらぼったくられるんだろう…
綠水は寒気がしていた。
「や…
実は、カナガワの縮地門が欲しくて、冒険者会館で聞いたんだけど売り切れちゃっててねー
会館のリリアさんが、この店ならあるって言うから…
在庫…あったりする?」
綠水は恐る恐る尋ねた。
「お?
おおおおっ?
カナガワの縮地門が欲しいって…
綠水ちゃん、もしかしてタヤユガ狙っとるんか!?」
「そそ…
タヤユガに何日か籠って、レベリングしよーかなーってね…」
「ふーん…
レベリングねぇ…」
クミルファスは綠水の傍まで、つかつかと歩み寄って来て、じぃーっと綠水の顔を覗き込んでくる。
「レベリングねえ…
なあ、綠水ちゃん?
こんな噂、聞いとるか?
最近、道に迷ってタヤユガの6層まで行ってしもうた冒険者がおったらしいなあ…
その冒険者が、なんでも6層の最奥で“龍神”を見たとか言うとるらしいやん?
なあ…綠水ちゃん…」
「は、はい?」
クミルファスの迫力に綠水はタジタジとなっていた。
「綠水ちゃん…キミ…
ズバリ!タヤユガ6層の龍神を“グランドレイド”やと見込んどるんちゃうの!?」
リリプラの仕様には、シナリオなどのストーリーはないがクエストやレイドはある。
クエストとは、冒険者会館の掲示板に張り出される“探索依頼”のことだが、実際は探索に限らず、討伐であったり、簡単なお遣いであったりと、難易度高低様々なものがある。
それに対してレイドとは、フィールドエリアやダンジョンエリアの特定の場所に配置された“強敵”を大人数で討伐する攻略戦のことだ。
リリプラではパーティーの上限人数は6名だが、これを10組束ねた60名であたる大規模攻略戦がレイドの魅力だった。
そして、リリプラには以前からレイドの中でも“神秘的存在”に挑む“グランドレイド”が存在するという噂があった…
聖獣、神獣、神霊、魔神…といった“神秘的存在”を討伐する特殊なレイド…
グランドレイド…
ただ、それは噂ばかりの話であって、いまだグランドレイドはひとつも確認されていなかった。
「うっ…
ま、まあ、それもタヤユガに行きたい理由のひとつかなぁ…」
クミルファスには隠し立てするのは無駄な抵抗だと感じた綠水は、正直に答えた。
金策とレベル上げ…と綠水が冒険者会館でリリアに伝えたのは半分嘘で、たしかに、綠水の主目的は龍神の噂の確認だった。
「せやろ、せやろー!
やっぱりなあ!
うちの目を欺こうとしてもあかんで?
しかし、龍神がお目当てとは、さすが綠水ちゃんやな〜!」
何が嬉しいのかクミルファスははしゃぎながら言った。
「ちょ!
この話、他言無用だからな!?」
なんだか色々と心配になって、綠水は念押ししたくなった。
「わかっとる、わかっとるって!
せやけど綠水ちゃん…
縮地門を売るんはええんよ!
売るんはね…
それはええんやけど、正直、タヤユガ6層にソロはちょっと無謀ちゃうか?」
クミルファスは純粋に心配してくれているのだろう。
綠水の顔を不安そうにじっと見つめている。
「………まあ、無理しないようにするから…」
「なあ?
綠水ちゃん、もしよかったら一緒に行かんか?
一緒に行ってくれるんやったら、縮地門は全部うちの奢りにしとくで?」
多忙なギルドのギルマスから思いもよらない提案がなされた。
「実は、うちも狙ってるんよ!
タヤユガは、うちの主神に縁あるダンジョンらしいやん?
となれば、レイド報酬はミンストレル系の神具やないかと踏んどるんよ!
それをみすみす見逃す手はないやろ?」
クミルファスは目をキラキラとさせながら言った。
現実世界の神奈川県には【瑜伽洞】という人工洞窟が実在する。一般には【田谷の洞窟】と呼ばれており、リリプラでの【タヤユガダンジョン】の元ネタだと言われている。
現実世界の【瑜伽洞】は真言密教やサラスヴァティに縁があるという。
リリプラの【タヤユガダンジョン】も真言密教やサラスヴァティと無関係なはずがなく、クミルファスの予想はおそらく的を射ている。
「でも、クミルファスは他のギルドから、攻略メンバーに誘われてるんじゃあ…?」
綠水は率直に尋ねた。
「んー
たしかに、昨日、イングリッドから誘われたわ…
カナガワの地脈門はあいつのとこが買い占めてるらしいから、薄々誘われる気はしてたんやけどねえ」
「なら、オレみたいなソロと組むより、イングリッドのとこに合流した方がずっと効率的だと思うけど?」
「効率的なんは、そりゃそうやねんけど…
なんか最近どこのギルドもギスギスしてて好かんねん!
ギスギスしてる連中とはつるみたくないねん!
せやから、即座に断ったったわ!
おもんないのいややねん!」
「えええ?
そんな理由で!?」
クミルファスの行動原理がオトコマエすぎて、綠水は呆れを通り越して笑えてきた。
「とりあえず、もしほんまにグランドレイドなら、仮に60人のフルメンバーで突っ込んだとしてもイッパツでクリアできるとは思えんしなぁ…
うちは、まず下見というか情報収集にいきたかったんや!
場合によっては、情報を売るっていうのもありやしな!
せやから、水面下っちゅうか、秘密裏に動きたいっていうのが本音なんよ…
ソロの綠水ちゃんと、はぐれの以蔵ちゃんなら適任やん?」
「んー
クミルファスの言いたいことはわかったけど、オレと以蔵とクミルファスの3人てのは、いくら下見でも無謀じゃないか?」
綠水は現実的な意見をさらにクミルファスに投げてみた。
以蔵は店内の棚に飾られている木彫りの人形に夢中でクミルファスの誘いが聞こえていない様子だった。
「綠水ちゃん、なにいうとんねん?
キミ、元々ひとりで行こうとしてたくせに!
アホちゃうか?」
おっしゃるとおりで、ぐうの音も出ない…
クミルファスとは口喧嘩しても絶対に勝てない…
そう思って綠水は苦笑いした。
「うひひひひ!
綠水ちゃん、参ったかっ!
て言うてもまあ、実は、もうひとり声かけとるんやけどね…
ちょうどこの後、打ち合わせするつもりやったから、そろそろ来ると思うわ」
そう言いながらクミルファスは出入り口の暖簾に目をやった。
ちょうどそのタイミングで暖簾をくぐってくる冒険者の姿が見えた。
「え!?」
綠水は、その姿を見て思わず声を出した。
クミルファスがタヤユガ探索で声をかけていたもうひとりの冒険者とは…
あの牛鬼との死闘の日に、自力でスキル発動に至った預流者の才のひとり…
神速の魔導師の二つ名を持つ冒険者…シータであった。