第16話 【黒い心】
よくオンラインゲームは、『妬み嫉みが渦巻く世界だ』と穿った見方をされる。
ゲーム内での妬み嫉みは、MMORPGのジャンルに限ったことではなくオンラインゲーム全般で見られる。
ゲームの相手や仲間が“生身の人間”という特質こそがオンラインゲームの魅力ではあるが、反面、人の自尊心、虚栄心、承認欲求、優越感、劣等感、羨望嫉妬といった剥き出しの感情がゲーム内で渦巻くことになるのだろう。
現実世界でなら、誰もがそういった負の感情と大なり小なり折り合いをつけて他者と接するものだが、ことオンラインゲームになるとそうはいかないようだ。
キャラクターネームやアバターが現実世界との一線を引く“仮面”となってしまって、人々は自身の負の感情に折り合いをつけることを放棄するのかも知れない。
そして、いまのリリプラは、まさしく妬み嫉みが渦巻く世界と化していた。
誰よりも強くありたい…という自尊心に虚栄心
神々に認められたい…という承認欲求
あいつより強いんだ…という優越感
あいつより弱い…という劣等感
そして、特殊な能力を手にした者への羨望嫉妬
そういった人の黒い心が複雑に絡まり合って暗黒物質のように渦巻いている。
最早この場はゲームではないにもかかわらず、キャラクターネームとアバターという“仮面”がそう勘違いさせるのか…
多くの者が“生身の人間”に対する接し方を忘れかけていた。
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「ほんともう、こういうの勘弁してほしいよ…」
牛鬼との戦いのとき、綠水は生きたい!という一心で自力のスキル発動に至った。
綠水以外にも自力でスキルを発動させた冒険者は何人かあった。
自力でスキル発動に至った冒険者らのことを、真理に至る可能性を持つ者と評価し、預流者の才と呼ふ神がいるのは、かつてカーリーから聞いていた。
預流者の才の噂はエドの街でもすっかり拡まり切っており、綠水はひどく居心地の悪いことになっていた。
今日のようにゴロツキ冒険者に絡まれることや、
知り合いから無遠慮に助っ人を頼まれること、
遠巻きに好奇の目を向けられること、
そして、意味もなく怯えられること…
どれもこれも、なんとも迷惑な話だった。
綠水は元々かなりソロ志向が強かったが、このようなことがあってからは、以前よりも確実に意識して、さらに他人を避けるようになっていた。
「豪勢に金貨を見せびらかせた後は、クミルファスの高級店でお買い物ですかぁ〜あぁぁん??
やっぱり預流者の才様は、俺らみたいな凡人とは違うねえぇ〜
俺らにも金貨を少し恵んでくださいませんかーってな!」
ゴロツキ冒険者は、しつこく絡み続ける。
「あーはっはっはっは!
そりゃいいや!」
「そうだそうだ〜
今夜の飲み代、奢ってくださいよおぉぉぉ」
ゴロツキ冒険者の周りにいた取り巻き連中までが調子に乗ってきた。
綠水は煽りをすべて無視して、冒険者会館を後にするため正面玄関へ向かって黙って歩みを進めた。
「おいおいおいおい!
おーい?おいー?
シカトかよ?
俺ら雑魚冒険者と話すお口は持ち合わせてないんでしょ〜かっっ!?」
ゴロツキどもの挑発は一向に収まる気配をみせない。
綠水は無言のまま挑発者に一瞥をくれた。
「な、なんだよ?
や、やるってのか?
弱い者いじめか?手前ェ!
だいたい、お前らがさっさとレベル上げして、ゲームクリアしちまえば、俺らは元の世界に帰れるんだぜ?
チンタラチンタラ油売ってねえで、レベリングでもなんでもしてこいや!
なあ?救世主様よぉ?」
「あーはっはっはっは!
ちげえねえ!」
「こいつらに俺たちの気持ちなんかわかんねえよ!
何が預流者の才だ!
このバケモンが!!
お前なんか、神とかモンスターとか…
あいつらと同じバケモンだろがぁ!」
ゴロツキどもは、いままで溜まってきた鬱憤や心の奥底に隠した恐怖心を、すべて綠水にぶつけているように見えた。
綠水は最後まで一切相手にせず、無言で会館を後にした。
「けっ!
逃げやがったぞ?
大したことねえなあ!おい?」
ゴロツキ冒険者の勝鬨が聞こえる。
カウンター越しでリリアがとても心配そうな目を向けていたのがわかった…
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始まりの日以降、リリプラ内の冒険者達の生き方は、大きく2つに分かれていた。
行動する者としない者…
まさに、あの日カーリーが綠水に忠告したとおりの状態だった。
この世界に閉じ込められた約5000人の内、いまもまともにレベリングしているのは、おそらく1000人にも満たない数だろう。
ほとんどの冒険者が、システム上、HPバーが削れることのないタウンエリアに引きこもっているのがエドの街の現状だった。
おそらく他の街、他国マップ、さらには他サーバーでも似たような現状だと推察される。
とはいえ、先立つものがなければ、生きていくという最低限のことも保証されない世界であるため、そういった者たちでも、低難易度クエストやタウンエリア至近のフィールドでの低レベルモブ狩りで日銭を稼ぐことは行なっていた。
ただ、その程度の狩りでは、1日の食費を稼ぐのがせいぜいで、当然、宿賃にも事欠く者が溢れる。
結果、エドの街には路上生活冒険者が増え、環境悪化、治安悪化は最早喫緊に何とかすべき課題となっている。
治安悪化で言えば、盗品転売を目的とした万引きや追い剥ぎといった類も横行しており、このままでは街が一部スラム化する勢いであった。
綠水が冒険者会館からクミルファスの店に向かっているいまこの瞬間も、多くの路上生活冒険者が視界に入る。
一見、なんの変化もない日常の中、エドの街はゆっくりと、そして確実に黒い物に蝕まれていっている気がした。
綠水はスクルドが『“魔”が顕現するための因果律は人間の悪意、憎悪、恐怖心』と言っていたのを思い出した。
「現実世界より先に、こっちの世界が滅びちゃうんじゃないか?」
綠水は暗澹とした気持ちを振り切るように、クミルファスの店への歩みを早めた。
「兄ぃちゃん!
綠水にいちゃん!」
クミルファスの店から二筋ほど手前の路地から声が聞こえてきた。
「?
ん??
以蔵??」
建物の陰から小柄な和装少年がおずおずとこちらを覗いている。
太刀と脇差、二本の日本刀を帯に差し入れている。
サムライの格好をした少年だ。
「やっぱり綠水にいちゃんだ!」
綠水が以蔵と呼んだ少年がぴょんぴょんと飛び跳ね出てきた。
「以蔵!久しぶりだね!
……ん?」
以蔵が飛び出てきた路地の方に目をやると、以蔵の背中越しに冒険者がひとりこちらを見ている。
冒険者は綠水の視線に気づくと、軽く一礼して路地の奥へと消えて行った。
「あれは…クライド…?」
クライドは、北欧神話系ギルド【アースガルド】のギルマスだ。
彼の主神はオーディンだったが、ギルメンはオーディン帰依者に限っておらず、北欧神話の神々を主神とする者なら誰でも入団を認めてた。
なんでも、件の女神達との問答の場で、眼鏡女神スクルドに魅せられ改宗した冒険者が結構いたらしい。
【アースガルド】は元々、多くのギルメンを抱える大手ギルドであったが、スクルド改宗者達を多く併呑したこともあって、いまやエドの街の最大ギルドにまで成長していた。
「クライドと何か話してたのか?
もしかして、ギルド勧誘されてたとか?」
綠水は以蔵に尋ねた。
「う、うん…
そうそう、そんな感じ!
あはははは…」
「なるほど!
以蔵もついに帰依するのか〜
もう主神は決めたのかい?」
リリプラにおいて、スキルの源泉は信仰による恩恵、福音、加護、利益であるため、プレイヤーは通常は帰依する主神を1柱選ぶことになる。
ところが、中には何らかの理由で主神を選ばないプレイヤーも存在しており、彼らは【はぐれ】という俗称で呼ばれていた。
以蔵もはぐれの冒険者だった。
彼がなぜ主神を選ばないのか、その理由は綠水も聞いていない。
「うぅん…
ま、まだ分かんないんだー
も、もうちょっと考えてみるつもり」
以蔵は何故か歯切れが悪かった。
「…??
そかそか!
まあ、主神もギルドも、ゆっくり決めたらいいんじゃないかなあ?
いまのままでも以蔵は十分強いんだからさ!」
深く詮索すべきではないと察し、綠水は以蔵の肩にポンと手を置く。
「じゃあ、オレはいまからクミルファスの店へ行くから!
以蔵、またね!」
「あ!!
ねえ…兄ぃちゃん…
俺もついて行ったらダメかなぁ?」
以蔵は遠慮がちに言った。
「お?
ダメなわけないだろ!
じゃあ、一緒に行こう!」
綠水は快諾し、二人でクミルファスの店へ向かうことにした。
クミルファスのギルドはエドの街で様々な店を経営している。
雑貨店
武具店
薬剤店
最近では飲食店も始めたらしい。
雑貨店に到着した綠水と以蔵は、ふんだんに黒御影石をあしらった超高級志向の店舗デザインを前に圧倒されていた。
「…うわぁぁ
何度見ても悪趣味…」
綠水の口からつい本音がこぼれ落ちる。
「お店の名前もすごいねー」
以蔵は愉快げに笑っている。
【雑貨たこぱ】
すさまじいセンスの店名が名入れされた暖簾は、くぐるのを躊躇させるだけの威圧感を持っている。
「たこぱって何だろねー?」
以蔵がケタケタ笑う。
「はぁ…
気は進まないけど…行くか…」
綠水が意を決して暖簾をくぐり店内に足を踏み入れたその瞬間!
---バンッ!
「銀貨5枚だと?
ふざけるなっ!!!」
カウンターを叩く大きな音と男性冒険者の怒声が店の奥から聞こえてきた。
「うわぁ…
ここでもまたトラブル発生かよ…」
なんという、ついてない日なんだろう。
綠水は首をうな垂れながら呟いた。
2017/06/17 00:28 誤字訂正




