「蒼の剣士」外伝 〜 近衛騎士団の長い日 〜
(1)
ヴィサン、グロワール宮殿
近衛騎士団、道場…
「やれやれ、分が悪いことだ」
ラスカー卿の嘆き節が聞こえる。第二中隊は後三名。最も少ない。ジェットが「よおーし!」と嬉しそうに声をかける。第五中隊は残り四名。
しかし、そのジェットの顔が硬直する。
次に闘場に上がったのは、マイアであった。
「ち、お馬鹿隊か、厄介な…」
マイアは剣を構える。隙のない、良い構えであった。彼女の他に、第一中隊の残りは、ギュンター・クリスティン・イレーネ、そして聖十字教国から帰国したベルンハルトであった。
ギュンターが言う。
「おい、マイア」
「はい」
マイアは剣を構えたままで答える。
「…お馬鹿の恐ろしさを、教えてやれ」
「はっ」
マイアは返事と共に攻撃を仕掛ける。
「チッ…こいつ!」
第五中隊のアンドレは、両手持ちの長剣を腰だめに構え、突きで牽制する。マイアの構えには、毫の乱れもない。
アンドレが、突いた剣を左に払う。マイアは剣で受けず、ギリギリの間合いで躱す。アンドレは振るった剣を引き戻す。
その瞬間、勝負はついていた。
一瞬で間合いを詰めたマイアの一撃が、アンドレを打ち倒していた。峰打ちながら、勝負は明らかであった。実戦なら、アンドレの首は胴体から離れていただろう。
しかし、勝ったマイアにリーシェは短く一言言う。
「左足」
マイアはリーシェに向かって、申し訳ございません…と、頭を下げる。
リーシェは憮然として、再び闘場に眼を向ける。第一中隊の席に、凄まじい緊張感が走った。何度言えば分かるのだ…?と言わんばかりのリーシェの厳しい視線が、闘場の上のマイアを突き通さんばかりに注がれた。
「…これでは、油断は期待できないな」
ラスカーは溜息をつく。
「萎縮することを期待するべきだな」
グリムワルドが笑う。ヴェスタールは頷く。彼の隊も力を付けており、まだ4人を残している。
「にしても、ギュンターの奴、いつもながらいやらしいオーダーで来る」
グリムワルドは吐き捨てるように言う。
「ベルンハルトとクリスティンを残しておいて、先に自分が抜けるだけ抜く、と」
ヴェスタールは言う。グリムワルドは頷く。
「あいつ」
とグリムワルドはベルンハルトを見て言う。
「聖十字教国にいる間に、物凄く受けが上手くなりやがった」
先回の手合せで、最後に残ったのは第三中隊のグリムワルドと、第一中隊のクリスティンとベルンハルトの三名。ギュンターは他の隊の副長格を六人抜いて根こそぎ倒し、ラスカー卿には敗れたものの、ラスカーとヴェスタールとジェットを倒したグリムワルドとクリスティンが三十分以上の激闘を演じ、彼女は敗れたものの、ベルンハルトがグリムワルドの攻撃を受け付けず、魔法の矢を連発してグリムワルドを闘場から押し出したのであった。今回はマイアとイレーネまで残っている。このままでは、先回の手合せとなんら変わりのない結果に終わってしまう。
「ぐう…」
苦しげに呻いて、第二中隊のジョシュア・マルマリスが前に崩れ落ちる。懐に踏み込まれたマイアの、剣の柄での一撃を鳩尾に喰らったのであった。リーシェはマイアに頷く。ホッとした表情を見せるマイアに、リーシェは言う。
「今の足捌きなら、隙はない。だがさっきのような癖足では、各国の一流の使い手には手も足も出ないぞ」
「はい」
マイアは顔を引き締めて答える。これで第二中隊はあと二人。ラスカーは深い溜息を漏らした。
「カール!カール・スヴェート!」
グリムワルドの大音声が響く。
「ここに」
側に控えたカールにグリムワルドは言う。
「行け。負けは許さん」
「はっ」
グリムワルドは表情を改めて言う。
「くれぐれも、油断はするな。奴らは確かにお馬鹿だが…それは、単にペーパーテストの出来が悪いというだけで、奴らが『弱い』訳ではない」
「はっ、肝に命じます」
比較的新参ながら、その腕と高い能力を評価され、カールはアルトワ家の護衛士隊から近衛騎士団に入団して、めきめき力を付けていた。いまや第三中隊の副長格の一人として、活躍していた。
リーシェが苦笑する。
「…言ったそばから、一流どころだよ、マイア」
「光栄です」
マイアは剣を構える。これを抜けば三人抜き。彼女は騎士礼を取り、構えに入る。
その表情に、緊張が走った。
カールがその剣に気を込める。
すると…
彼の刃は次第に透明になり、ついには全く見えなくなった。
グリムワルドの斧と同じく、ブラグステアードの作になる魔剣「蜃気楼」。敵は間合を測れず、面白いように倒されるのである。流石にマイアも間合を詰めることができない。
カールが仕掛ける。金属音が響き、二本の剣が弾ける。リーシェは面白いものを見るような微笑を浮かべて、二人の手合せを見ている。
「よお」
グリムワルドはリーシェに尋ねる。
「何だい、グリムワルド」
「あの剣だが」
リーシェは頷く。グリムワルドは、そうか、やっぱりな…という顔になる。
見かけが透明になっているだけで、リーシェには剣が完全に見えている。
「まだまだ気の絶対量が足りないね」
「何ができる?」
「後で見せるよ」
リーシェは笑って言う。
マイアは首の後ろに冷たい汗を感じた。
できる。
このままではやられる。
しかし、ここで自分が負けるわけにはー
「あ…!」
カールの見えない剣が、彼女の剣を打ち落としていた。
リーシェが声をかける。
「そこまでだ、マイア」
マイアは一礼して、悄然と席に戻る。
ヴェスタールが静かに言う。
「スィンバーン」
「は」
「行けるか」
「お任せを」
その言葉にグリムワルドの顔色が変わる。
リーシェは笑って言う。
「計算が、狂ったかい?」
グリムワルドは唸ったきり、声が無い。
第一中隊は四人残し。第二中隊は二人しか残っておらず、第三中隊はカールを入れて三人。第四中隊も、今出たスィンバーンを入れて三人。第五中隊も三人。最も不利なのは第二中隊だが、ここで仮に負ければ、負けた方がかなりの劣勢に立たされることになる。逆に勝てば、明らかに他隊より一人多くなる。グリムワルドはそう考えてカールを送り出し、何人か抜かせようとしたのだった。
しかし、ヴェスタールはそれを許さなかった。カールの表情に驚愕が張り付く。スィンバーンは、カールの剣がまるで見えているかのように戦っていた。マイアが一つずつ剣で受けざるを得なかったカールの攻撃を、スィンバーンは剣で受けず、見切って躱し的確に反撃を加えていた。
「やりますな」
ラスカーが賞賛の言葉を口にする。リーシェは前を向いたままで言う。
「今はまだ敵わないさ。順当だ」
「何が足りない」
グリムワルドが無念さを押し殺して言う。
「あの剣を全て使いこなすには、残念ながら剣気の絶対量が足りない」
リーシェは前を向いたままで言う。
「虚と実を使い分けることで、敵を混乱させて勝つ…という剣だから、混乱しない相手、つまり超一流の敵にはあまり効果が期待できない剣だ。過信せず、実の剣技も磨かないといけないね」
「地力が、まだ足りねえのか」
「スィンバーンだよ」
リーシェは二人の戦いを見ながら言う。
たちまちカールは闘場の隅に追い詰められた。マイアとの戦いで、予想外に剣気を消耗したらしく、カールは押されていた。
カールはフェイントをかけ、何とか闘場の中央に回り込もうとする。しかし、スィンバーンは素早い突きを三発放ち、カールが動くことを許さなかった。
完全に戦いをコントロールするスィンバーンが、肩口に剣を構える。
その剣が、左右に二度閃く。二発を何とか受け切ったカールを、見えない三発目の一撃が吹き飛ばす。
スィンバーンの得意技、『スパルビエロ(灰鷹)』である。簡単に躱すことは至難の技であった。グリムワルドの顔が歪み、ヴェスタールの顔に安堵の色が浮かぶ。
ジェットは苦吟すること暫し、一人の騎士の名を呼ぶ。
「ヴィクトール…ヴィクトール・クラムニック」
「は、ここにおります」
「頼む、負ければ最下位まである」
「お任せを。第五中隊を最下位にはさせません」
スィンバーンの顔が一気に引き締まる。これあることを明らかに意識していた顔である。
「今回も、好勝負になりそうだね」
リーシェは機嫌の良さそうな顔で言う。ギュンターが言う。
「次、誰を出せばいい」
リーシェはギュンターに言う。
「見てから決めていいよ。今回の指揮は、任せた」
「緊張するぜ、全く」
クスリ、と笑うクリスティンに、リーシェは静かに言う。
「よく見ておくんだ、クリスティン」
「は、はい」
「ギュンターが何を考え、誰を出すか…君にも、学んで欲しい」
「はい」
比較的有利な立場にある第一中隊の席にも、異様な緊張感が漂っていた。
ヴィクトールが闘場に上がる。彼のロタールから、赤い炎が吹き出し、それが黄色から白、そして青白く染まる。王宮に初めて赴き、リーシェに打ち倒された時と比べ、格段の進歩を遂げていることは、誰の目にも明らかであった。残ったメンバーから見て、ここで負けた方がかなりの劣勢に立たされる。第四、第五どちらの中隊にとっても、負けられない一戦であった。
「参ります」
ヴィクトールが声をかける。
「いつでも」
スィンバーンが応じた。彼の剣も、白銀の光に包まれる。
二本の魔剣が、正面からぶつかり合った。
(2)
ラスカー卿は肩で息をしていた。グリムワルドの巨大な気を受け流し、闘場を転がり、必死に戦う。しかし、十五分戦った直後の彼は、大きく消耗していた。
グリムワルドも完全に本気である。
負けた方が、最下位。
グリムワルドにとっては初めての経験であった。
順番にもよるが、ここまで第三中隊が追い詰められたのは、これが初めてのことである。
隊員たちは祈るような表情で、グリムワルドの戦いを眺めている。
「おわっ!?」
グリムワルドが汗で足を滑らせる。
すかさずラスカー卿が衝撃斬を放つ。グリムワルドはありったけの気を放ち、それを弾き飛ばす。
「死んだかと思ったぜ」
「やりますな、流石に」
ラスカーは揶揄する。グリムワルドは斧を立てる。
「あと四人抜かなきゃならねえんで、本気出すぜ。死ぬなよ、ラスカー卿」
グリムワルドの戦斧に膨大な気が集められる。斧が徐々に赤熱し始めた。
グリムワルドは、集めた巨大な気の塊を、ラスカー卿に叩きつける。
完全に本気の一撃だ。
ズシン…と、闘場の床が揺れる。
見ていた騎士達は、目を疑った。
ラスカーは吹き飛ばされもせず、その場に立ち、グリムワルドを見据えていた。鎧の肩当てや前立はボロボロになっている。
「…完全には防げなかったが、何とかなるものだな」
大半の騎士達は何が起こったかわからない様子であったが、各隊の隊長クラスは理解した様子であった。
グリムワルドの気の一撃を、ラスカーは剣先に全ての剣気を高密度に集中させることで文字通り「切り裂いた」のであった。
ラスカーの剣気の密度がグリムワルドのそれに少しでも劣っていれば、恐らく彼は闘場の壁まで吹き飛ばされていたことだろう。しかし、グリムワルドの使った技は、あまりにも高密度に気を集めすぎると躱される恐れが高い大技である。
グリムワルドは肩で息をしながら、ラスカーを賞賛する。
「そんな手で、来るとはな」
「息が上がっていますぞ、公爵」
ラスカーも肩で息をしながら、グリムワルドを揶揄する。
「ならば何度でも、行くまでだ!」
グリムワルドは再び膨大な気を集める。
「やらせん」
ラスカーは素早く気を集中する。彼は剣を腰だめに構え、グリムワルドに突進した。
「!?」
虚を突かれたグリムワルドの動きが、一瞬止まる。
闘場の空気が、ビリビリ…と振動した。
ラスカーがガックリと膝をつく。
グリムワルドは場外に尻餅をついていた。
ラスカーの放った突きが、グリムワルドの受けた斧ごと彼を場外に落としていた。それまでラスカーが一度も見せたことのない技であった。
「お見事です、ラスカー卿」
「お目汚しでした、団長」
ラスカーはようやく立ち上がる。リーシェは言う。
「師兄の『閃撃』に匹敵する突きです。よく、グリムワルドに対してあそこまで踏み込めたと思います」
「恐怖との戦いでした」
グリムワルドは立ち上がる。
「あんなのを隠し持ってるとはな」
リーシェは頷く。
「僕も知らなかった。…次あたりから、そろそろ僕も入ってみようか」
その言葉に、各隊の隊長に戦慄が走る。リーシェは笑って言う。
「みんな、何をそんなに怖がるんだい?あの突きなら、当たれば僕だって無傷では済まないよ。グリムワルドの一撃だってそうだ」
「次は、最下位返上するぜ」
リーシェは頷く。
「グリムワルドに負担がかかると、危ないからね。第三中隊の諸君の健闘を祈ろう」
ヴェスタールが闘場に上がる。ラスカーは苦笑いして言う。
「本当にキツイな。次から次へと」
ヴェスタールは騎士礼を取ると、剣を構える。たちまちラスカーは押されて場外の境界線を背負う。
ヴェスタールが左手をついて、遠い間合いから突如足払いを仕掛ける。
「くっ」
荒い息の下から、ラスカーは宙へ跳んで逃れる。
しかし次の瞬間、左右からヴェスタールの連続攻撃がラスカーを襲う。やっとのことで着地したラスカーに、ヴェスタールの連続攻撃が炸裂した。闘場のど真ん中に、大の字になって倒されるラスカー。
「流石に、これは、無理だ」
ラスカーは息を切らせ、起き上がれずに言う。ヴェスタールは手を貸して立たせると、再び一礼する。
「ゆっくりお休みください。だいぶ気楽に戦えます」
ジェットが闘場に上がる。
「これはついてるぜ。俺にもチャンスがありそうだ」
ジェットの大剣が白く輝く。二人は騎士礼を取ると、気合一閃、斬り結んだ。
グリムワルドのかげに隠れて目立たないが、ジェットの膂力も凄まじいものがあった。間合のさがあり(ヴェスタールは長剣、ジェットは両手剣)、ヴェスタールはなかなか攻められない。
さらに、ジェットは時折剣気による攻撃を混ぜ、ヴェスタールの消耗を誘った。
しかし劣勢に立たされたヴェスタールの顔には、微かな笑みが浮かんでいた。
ジェットの大剣が上段から振り下ろされる。ヴェスタールは体を開いて躱す。
「目が、慣れてきたかな」
ヴェスタールはそういうと、一度息を整える。ジェットの表情が強張った。
「これならどうだぁ!」
ジェットは横殴りに剣を振り回す。ヴェスタールはギリギリで剣先を見切って躱すと、一気に間合を詰める。
その瞬間、ヴェスタールは足を止め、床に転がった。
彼の頭上を、今左から右に通り過ぎて行ったはずのジェットの大剣が、先程の倍近い速さで逆方向に通り過ぎていった。
当たっていれば、胴体を両断されていただろう。勿論即死である。
リーシェは苦笑する。
「殺しちゃダメだよ、ジェット」
「そんな余裕は、もうねえよ」
ジェットは再び剣を構える。
縦の攻撃は躱されると見たジェットは、横の攻撃を織り交ぜ、ヴェスタールを自分の間合に呼び込んだ。その上で、ヴェスタールの踏み込みよりも明らかに速い攻撃を一つ「見せた」のである。
ヴェスタールが立ち上がり、わずかに後退する。
「…勝負あったな」
ギュンターが呟く。クリスティンが頷くのと同時に、ジェットの凄まじい連続攻撃がヴェスタールを襲った。ヴェスタールは三発目以降を躱せず、受けた剣ごと左方場外に押し出されてしまった。唇を噛むヴェスタール。ジェットは大剣を肩に担ぎ、言う。
「らしくねえな、ヴェスタール」
ヴェスタールは頷くと、一礼して席に下がる。ジェットは第一中隊の勝ち残りに声をかける。
「どっちが来る?」
リーシェは傍のベルンハルトに視線を向ける。ベルンハルトはリーシェに尋ねた。
「どこまで」
リーシェは笑って言う。
「いい機会だ、何でもありで倒しておいで」
ジェットはリーシェに言う。
「言うじゃねえか、リーシェ」
リーシェはジェットに言う。
「ベルンハルトは強いよジェット。用心するといい」
ベルンハルトが闘場に上がる。彼は騎士礼を取ると、剣を抜く。ロタールの片手半剣である。
「…いい剣気だね」
ベルンハルトはリーシェの言葉に小さく頷くと、剣気を解放する。闘場を押しつぶすか、というレベルの重圧が広がった。ジェットの顔色が変わる。
「…こりゃ、大変だな」
グリムワルドもかくや、というレベルの剣気である。ベルンハルトの剣は、一瞬で紅蓮の炎を纏う。
「凄いな」
ギュンターの言葉に、リーシェは頷く。
「義兄上お許しになったマスターの名に、偽りなしだね」
クリスティンは戦慄する。彼女の震えに気付いたリーシェは笑って言う。
「恐らく、今の近衛騎士団ではベルンハルトが僕の次に強い」
ベルンハルトは笑って言う。
「魔法なしではアルトワ公には敵いません」
リーシェは言う。
「遠慮は無用だ」
「はっ」
ベルンハルトは短く諾うと、剣に気を集中する。『クリムゾン・ストライク』と見たジェットは、気の集中が終わる前に、と速攻を仕掛ける。
しかしベルンハルトは文字通りあっという間に剣気を集中し終えていた。しまった、という表情でジェットが足を止める。無言でベルンハルトは剣を振り下ろした。
「ぐわっ!」
初撃を何とか受けたジェットの顔が歪む。重い、凄まじく重い一撃である。しかし、ジェットの表情にさらなる絶望の色が浮かぶのに、時間はほとんどかからなかった。
ベルンハルトの剣に込められた気は、放たれていない。
初撃は単純な上段からの攻撃でしかなかった。動きの止まったジェットに、ベルンハルトは横殴りの一撃を放つ。闘場の幅一杯程の火柱が、横殴りにジェットを襲う。
「ぐう…っ」
ジェットは彼の大剣にあらん限りの気を込め、何とか両断されることは免れたが、火柱の陰から放たれた五本の魔法の矢までは躱せなかった。まともに魔法を受け、ジェットは闘場に大の字に倒れる。
「…畜生、バイアーム」
何とか立ち上がったジェットに、リーシェは言う。
「『死の雲』でなくて、よかったね、ジェット」
「即死だな、間違いねえ。こりゃ強いわ」
リーシェは厳しい顔で言う。
「本来、聖十字教国の宮殿騎士団の手合せは、何でもあり、が基本なんだ。死ぬような魔法は、ダメだけどね」
「神聖魔法も、使えるのか」
グリムワルドはベルンハルトに尋ねる。ベルンハルトは短い答える。
「いささか」
「ならば、傷を負わせても回復出来るな」
ベルンハルトは頷く。
「マリュー猊下には、まだまだ敵いませぬが」
リーシェはにっこり頷く。
「ベルンハルト、クリスティンともひと勝負してもらうよ」
既に第一中隊の優勝は決定しているが、リーシェはベルンハルトにそう命じた。
ベルンハルトは頷く。
「直接の手合せは初めてですが、凄い気ですね」
リーシェは頷く。
「第一中隊の成長株に、君の見立てもお願いしたくてね」
「では」
クリスティンは武者震いした。
目の前の相手は、紛れもなく超一流の騎士。しかも、リーシェが才能を認めて留学させ、マリューがマスターを許した腕の持ち主である。
さらに、現役の中隊長をほぼノーダメージで倒したばかりであるのに、息一つ切らせていない。どちらかというと、自分達より、リーシェの妻フェリアや、リーシェ本人に近い所にいる人物のようである。
クリスティンの剣を一瞥して、ベルンハルトの顔色が変わる。
彼は自らの剣に気を込めると、クリスティンに斬りつけた。
ゴウッ…という音とともに、ベルンハルトの剣が纏った炎がクリスティンを襲う。見ていた騎士達の大半が一瞬息をのんだ。
しかしクリスティンは全くの無傷でそこに佇んだままであった。
攻撃を仕掛けたベルンハルトの騎士服の袖口が、縦に裂ける。
「後の先」
ラスカー卿が感心したように呟く。クリスティンは剣に自らの気をゆっくりと込めていく。剣が白銀に輝きはじめた。両者の剣気がぶつかり合う。
白銀と紅蓮の気が激突したその表面を、細かい稲妻が幾筋も踊り狂う。
ベルンハルトは素早くルーンを唱える。
彼は剣を一振りして、クリスティンに直径二メートル程の火球を叩きつける。
クリスティンは短く気合をかけ、剣を二度振る。二筋の白銀の光条が、ベルンハルトの放った火球を打ち砕く。クリスティンは三度剣を振るうと、ベルンハルトを同じ光の矢で攻撃する。ベルンハルトは魔法の盾で難なくそれを弾く。見ている騎士達は声もない。
「長くなりそうだね」
リーシェはゆったりと寛いだ様子で二人の手合を眺めている。
「どの位かかりそうだ」
グリムワルドの言葉に、リーシェは苦笑して答える。
「さあ…クリスティンの気が尽きるのが早いか、ベルンハルトの魔力が尽きるのが早いか…」
ギュンターが言う。
「ベルンハルトの勝ちだな」
「そうだよね」
リーシェは溜息をついて言う。
ベルンハルトが剣に気を集め、魔法でなく剣技中心の攻撃に切り替えた。クリスティンはその技を防ぐにも剣気を使わざるを得ない。
「…よく、持たせている」
ギュンターが、目を細める。クリスティンは気の消耗を抑え、必要最小限の気でベルンハルトの剣の放つ炎を防ぐ。彼女は肩で息をしていたが、まだまだ戦えそうであった。
ベルンハルトが息を入れる。
「お見事」
クリスティンはにっこり微笑む。
「聖十字教国の宮殿騎士団では、私は副長格で戦っていた」
クリスティンの顔が一気に引き締まる。
「私を倒せれば、宮殿騎士団でも五本の指には入れるだろう」
「参ります」
クリスティンはありったけの気を剣に集める。リーシェが叫ぶ。
「西席、全員退避!」
クリスティンは目の前の相手の背後の騎士達が左右に分かれたのを確認すると、白銀の気を纏った剣で袈裟がけに斬りつける。
「てえええええぇい!」
ズシン…
重い衝撃音とともに、闘場の石畳に深々と斜めの裂け目ができる。
ベルンハルトの左の肩口が、血で赤く染まっていた。
しかし彼は静かに剣を鞘に収め、一礼する。
クリスティンは闘場にひれ伏していた。
リーシェの厳しい声がクリスティンに浴びせられる。
「何度言えば分かる?…そんな捨身の攻撃を、いつ教えた」
クリスティンは跪き、項垂れる。
「実際の戦場で、君の相手が『最後の一人』であるとは限らない」
「その位に」
肩口の傷を魔法で癒しながら、ベルンハルトが短くリーシェに取りなす。
「まだまだ伸びます」
「…だから言うのさ」
リーシェはやるせなさそうに言う。
ベルンハルトはクリスティンに言う。
「大技を使うなら、必ず仕留める。できなければ、隙を生じ、斬られるからだ」
「はい」
「倒せる保証がないなら、とにかく時間を稼ぐことだ。強い味方が、来てくれる可能性が増す。例えば、団長が来るまで持ちこたえれば、我々の勝ちだ」
クリスティンははじめて顔を上げ、ベルンハルトの言葉に頷いた。
リーシェはクリスティンを下がらせ、ベルンハルトに言う。
「…久しぶりに、どうだい、ベルンハルト」
「ありがたき幸せ」
ベルンハルトは騎士礼を取り、再び剣を抜く。リーシェは二振りの蒼の剣を抜き放った。
二人の身体から、蒼と白の剣気が脈を打つように迸り出る。ベルンハルトのロタールが、炎を吹き上げた。
「ハアッ」
短い気合の声と共に、ベルンハルトが文字通り烈火の如き連続攻撃を仕掛ける。かなりの手練相手でも、必殺の一撃になりうる攻撃を、ベルンハルトは繰り出し続けていた。しかし、その顔色が変わる。
「厄介だからね、剣だけにしておこうか」リーシェの周りを、薄緑色の風の精霊が飛び回っていた。
「詠唱破棄、ですか」
「神聖魔法を詠唱破棄で使うのは、かなり難しいからね」
リーシェは小さな衝撃斬を放つ。ベルンハルトは自分も同じ技をぶつけ、相殺する。
「お見事だ」
「まだまだです」
グリムワルドはベルンハルトの気の密度に戦慄する。完全に中隊長格の密度だ。いや、自分よりも高い可能性すらある。
ベルンハルトは剣に気を集中する。長く伸びた炎の刃で、リーシェを再び攻撃する。
リーシェはその刃を左手の長刀で巻き込むように受ける。ベルンハルトの目が驚きに満たされた一瞬に、リーシェの右手の大刀が閃く。鋭い金属音と共にベルンハルトは三メートル程後方に飛ばされて着地する。
「そんな受けをなさる方は、あちらにはおりません」
「義兄上の受けは、もっと剛直だからね」
言うなりリーシェは音もなくベルンハルトに近づく。
ベルンハルトの剣が、虚空をむなしく斬りはらう。その瞬間、リーシェの峰打ちがベルンハルトを闘場に打ち倒していた。
幻影斬。
リーシェをリーシェたらしめている技。
「だいぶ、腕を上げたね」
ベルンハルトは立ち上がり、騎士礼を取る。
「まだまだです」
リーシェは傍のギュンターに言う。
「ギュンター」
「は」
「どうかな」
ギュンターは頷いた。リーシェは満足そうに微笑むと、ベルンハルトに言う。
「明日付で、君は第一中隊の隊長代行だ。頼むぞ、ベルンハルト」
「は、全力を尽します」
リーシェは四人の中隊長を側に招き、言う。
「僕の留守中の指揮権は、グリムワルド、ラスカー卿の順で」
「委細承知」
「お任せ下さい」
リーシェは二人の言葉に頷いた。
「留守中の参謀は、いればソシエール公、いなければベルンハルトとギュンターに。ジェットとヴェスタールは基本、前線だからね」
「承りました」
「了解」
(3)
クリスティンは溜息をつきながら、ちびりちびりとワインを飲んでいた。
いつもなら、元気出しなよ、の一言をかけるマイアとイレーネの二人も、同じようにワインをちびりちびりと飲んでいる。
「…思った程には、閣下を理解していないのだな」
ベルンハルトはクリスティンにそう言った。
「あたしは、馬鹿ですから…」
「人の気持ちを理解するのは、理性だけの働きではないよ」
ベルンハルトは穏やかに言う。
「隊長代行、この子は団長のことが好きなんです」
「マイア!」
クリスティンはたじろぎ、抗議の声をあげる。
「ならば余計に見えづらいのかもしれない」
「何がです」
「閣下のお気持ちが、だ」
クリスティンは黙ってベルンハルトを見つめる。
ベルンハルトはグラスのワインを干すと、クリスティンに言う。
「閣下はなぜ、君が捨て身の攻撃を使うのを好まない?」
「それは、…当たらなければ隙が大きくて―――」
ベルンハルトは溜息をつく。
「ハズレだ」
ギュンターがベルンハルトに言う。
「ベル」
「何です、ギュンター殿」
「…哀れだから、教えてやってくれ。見ていられない」
ベルンハルトは溜息をつき、静かに言う。
「それに頼れば、君を死なせることになるからだ」
クリスティンはベルンハルトを真っすぐ見つめる。
「閣下は、君に生き残って欲しいと思っている。―――それは、他の多くの仲間達にも言えることだが。だから、マイアの癖足にも厳しい」
「それで…」
ギュンターは一口鶏肉を齧ると、呑み込んでから口を開く。
「リーシェは、俺やベルが一流の騎士と勝負をすることは許す。俺は自分より強い相手とは絶対に戦わねえ――逃げる。だから、必ず生き残る。ベルンハルトは、自分より強い相手と戦っても、自分の身を守り、粘って時間を稼ぐことができる。だから恐らく、フィルカスと戦うことも許されるだろう」
ベルンハルトは頷く。
「はい。マリュー殿には、フィルカスと対峙することを許されておりました」
ギュンターは頷く。
「リーシェは、グリムワルドがフィルカスと戦うことを望まねえ。グリムワルドには、お前に似たとこがあるからだ」
クリスティンは唇を噛む。
「無様でもいい。最後に生き残って、立っていた奴が勝者だ」
「おっしゃる通りです」
ベルンハルトはギュンターの言葉に頷く。
「―――今後しばらくは、第一中隊が最強である期間が続く。だがな、その間に他の隊も力をつけてくる。いつまでも俺たちが一番じゃいられねえだろうさ」
クリスティンの左目から、一筋涙が零れて落ちた。
「クリス」
「ごめん、マイア」
クリスティンは目の前のワインを一気に干す。
そして絞り出すように言う。
「…強くなりたい。お側で戦うことを、許されるように」
ベルンハルトはクリスティンに酒を注ぎながら言う。
「君はもう十分強い。しかし学ぶべきこともまだまだある。焦ることはない、生き残ることを最優先にして、受けを大いに学ぶことだ」
テーブルを囲んで飲んでいる騎士達に、穏やかな優しい声がかけられる。
「皆様、もう少しお酒を召し上がられますか?」
「ああリリー、そうしてくれ」
ギュンターはそう言ってリリーの方を振り向く。その隣に、リーシェの姿を認めたギュンターは、リーシェに言う。
「今回の手合わせの寸評を、と思ってな」
「若手たちのお守、ご苦労様」
リーシェは頷くと、七番の端の席に腰を下ろす。ベルンハルトはリーシェの座る場所を作るべく、右に少し詰めた。
「済まない、ベルンハルト」
「林檎酒でよろしいですか」
「そうだね」
リーシェは琥珀色の酒を一口飲む。まず彼はベルンハルトに言う。
「留守を任せることに、もう不安はないね」
「まだまだです」
「少なくとも」
とリーシェは言葉を切る。
「マウ師兄とアルファナイツ、そして魔導部隊だけなら、数にもよるけれど、ベルンハルトとグリムワルド、アーク様がいれば足りるだろう」
「男爵夫人もいれば、心強いな」
ギュンターの言葉に、リーシェは苦笑する。
「受けは上手になったが、いかんせん血の気が多いからねえ」
リーシェは次にクリスティンに目をやる。
「クリスティンは、どうやら次の段階に入れそうだ」
「次…とは?」
「敵の攻撃を受けるときに、自らの気で弾くのではなく、受け流す…という練習だ」
リーシェは一口林檎酒を飲むと、ベルンハルトに言う。
「君の攻撃を彼女が受けるとき、常に剣気を使っていたよね」
「はい、見事な技術でした」
「その時に使う気を、できる限り減らす練習をするんだ」
クリスティンは頷いた。理由は分かり切っている。それによって気の消耗を抑え、戦える時間を伸ばすためである。
「魔法無しで来る相手なら、大抵の相手に互角以上の勝負ができると考えます」
「フィルカスには」
ベルンハルトは少し考えてから答える。
「悪霊に狼狽しなければ、互角に戦えると」
リーシェは満足そうに言う。
「通常のアルファナイツなら、大抵倒せそうだね」
「は」
リーシェはベルンハルトの短い答えに 頷く。「いずれにしても、明日からまた訓練だ。今夜は皆ゆっくり英気を養っておいてくれ」
「はい」
リーシェはそう言って席を立つ。リリーが側に歩み寄る。
「お帰りに?」
リーシェは頷く。
「…少し、酔ってしまった」
「九時のステージが終わりましたら、伺いますわ」
「馬車を迎えに寄越すよ」
「はい。後程」
二人は短く会話を交わすと、軽く口づけをして、リーシェは店を出て行った。
クリスティンはリーシェの姿を目で追っていた。彼の姿が見えなくなると、彼女は深々と溜息をつきながら、酒を飲み干すのだった。
二十二時五十分…
エッシェントゥルフ家上屋敷…
館の入り口の車寄せに、馬車が一台静かに滑り込んできた。すぐに伶人達が駆け寄り、馬車の扉を開け、踏み台を据付ける。
差し伸べられた伶人の手を取り、優雅に馬車から降りたリリーを、メイドが館の中に案内する。
「お帰りなさいませ、マダム・リリー」
「もう、お寝みに?」
「いいえ、まだです」
リリーはそのメイドの答えに頷くと、階段を上り、リーシェの居間に向かうのであった。
同時刻…
王都ヴィサン、グロワール宮殿
近衛騎士団屯所…
美しい月の光が差し込む窓辺。
寝間着姿のクリスティンが、ベッドの上で丸くなって眠っていた。
その口元が、微かに動く。
リーシェさま…。
クリスティンは再び静かな寝息を立て始める。
閉じられたその目から、涙がひとしずくこぼれ、彼女の頬を伝った。
同時刻…
アルトワ大公家上屋敷…
グリムワルドは自分の戦斧を眺めながら、じっと考え込んでいた。彼の側にある小さなテーブルにマリエルがそっとブランデーのグラスを置く。グリムワルドはそれに気付くと、苦笑して礼を言う。
「すまんな、マリエル」
マリエルは彼女らしく、愛らしい微笑を浮かべて頷く。
「アレクシスは」
「寝ましたわ」
「そうか」
グリムワルドは頷くと、ブランデーを軽く一口含む。
「あなたも、お疲れでしょう?お休みになられませ」
「そうだな」
グリムワルドはそう言って席を立つ。彼は戦斧を壁のラックにかけると、マリエルに腕を与え、部屋を出ていった。
その夜、ヴィサンの空には、美しい月が出ていた。青白い月光の中、深夜のグロワール宮殿は暫しの静寂に包まれていた。