毒殺にもっとも適当な
「なあ……1グラムってさぁ、10ミリグラムだよな?」
俺は急に不安になって、となりの席の佐藤に尋ねた。
「バーカ。1000ミリグラムだよ。1000ミリ!」
大げさに肩をすくめて、うすら笑いを浮かべる佐藤。
オフィス中に響き渡るような大声で、俺は間違いを指摘されてしまった。たまたま他に誰もいなかったから良かったようなものの、こいつはそんなことを気にする奴じゃない。なんど女子社員の前で大恥をかかされたか、わかったもんじゃない。
バカと来やがったか、このクソ野郎め。そう、こいつの人を小馬鹿にするような態度に、俺はついに我慢できずに毒殺することにしたのだ。
「あ、そうだっけ。あはははは……」
「お前、小学校でなに習ってたんだぁ? 笑わせんなよ、ははは」
俺は愛想笑いを返しつつ、心の中で「死んじまえ!」と吐き捨てた。
やれやれとため息をつき、視線をパソコンに戻す佐藤の横顔の憎らしいことよ。ディスプレイを眺めたまま、奴がペットボトルの栓をひらいた。
しめた!
佐藤の奴、飲むつもりだぞ。
いっひっひ。ざまあみろ。
そのペットボトルに仕込んだのはテトロドトキシン、いわゆるフグ毒だ。
俺の知る限り、毒殺にもっとも適当な代物だ。
味がしない、においがしない、なにより解毒方法が存在しない。
そのうえ、1~2ミリグラムも体内に入れば、間違いなく御陀仏の猛毒だ。
俺は念を入れて、3ミリグラムを混ぜてやった……つもりだったのだが、どうやらとんでもない間違いを犯してしまったらしい。
1グラムは1000ミリグラムだったのだ。
すなわちテトロドトキシンは、0.003グラムで十分だったのだ。
俺はうっかり勘違いし、1グラムを10ミリグラムと思い込んで、0.3グラムもペットボトルに仕込んでしまった。これでは佐藤を100人も殺せる計算になる。
毒殺にもっとも適当な量を、完全にオーバーしている。
まいったなあ、まあ、少ないよりはいいか。
あとは佐藤が苦しんで死ぬのを待つばかり……のはずだった。
「ん? な、なんだ? このにおいは! ペットボトルに何かが……」
佐藤が、悲鳴を上げる。
ちくしょう、なんてこった!
大量に入れすぎたのが、やっぱりいけなかったんだ。一口も飲ませることが出来ずに気づかれてしまった。
失敗……! 俺はパニックになった。
どうしよう、どうしよう。ええい、面倒だ!
「おい、佐藤!」
「え? なんだ……わ、わ、何をするんだ!」
「うるせえ、口を開けろ!」
俺は佐藤の手からペットボトルを奪い取り、そのまま馬乗りになった。
「うっぷ! な、何を……ゴプ、ブフ! な、や……ゴホ、や、やめ……」
「死にやがれ!」
ゴクゴク。
暴れる佐藤の口に、ボトルを逆さに突っこんで、中身を全部飲みこませた。
「ぐむ……うぐっ! ぐうう……む…………」
やがて佐藤は動かなくなった。
…
……
…………
………………
「……で、あんたが犯人に間違いないんだね?」
「はい……刑事さん、私がやりました。申し訳ありません……」
取調室で、俺はがっくりとうなだれた。
あきれた様子で、刑事がパラパラと調書をめくる。
「こんな犯行は我が署はじまって以来だよ、あんた。最終的に被害者の体内からは、致死量の100倍のテトロドトキシンが検出されたんだよ」
ギシ、とパイプ椅子を鳴らし、刑事が俺の顔を覗きこむ。
何も答えない俺に、刑事は眉をしかめて続けた。
「それで、あんた犯行から2日後に出頭してきたわけだけどさ。昨日、今日となにしてたわけ?」
隠しても仕方がない。
俺はぽつぽつと供述した。
「……はい。佐藤を殺したところを、事務所に戻ってきた横山君に……同僚に見られてしまって……それで、慌てて逃げ出しました。でも、逃げるアテなんかまったく無くて……」
「そう思うと、佐藤を殺すために、いったい自分は何をしたんだろうと、突然、空しくなりました。この半年、毎日毎日、海釣りに出かけました。フグを手に入れるためです。魚屋で買うと、犯行が明るみに出ると思って……でも、素人の僕ではさっぱり釣れませんでした」
「ああ、すいません。この2日のことでしたね。そう、10日前にトラフグをようやく釣り上げて、あとは……申しあげたとおりです」
「でも気づいたんです。フグで人生を棒に振ったのに、僕自身は、一度もフグを食べたことがない。このまま捕まったんじゃあんまりだ。そう思って、下関に行ってフグ料理を食べまくりました。薄造り、てっちり鍋、唐揚げ、白子焼き……腹いっぱいになったところで、県警に出頭したというわけでして……」
刑事は黙ってうなずき、そしてじっと俺の目を見つめてこう言った。
「……ひとつ聞かせてくれ。なんで被害者はペットボトルの異常に気付いたと思う?」
俺は叫んだ。
そう、不思議で仕方なかったんだ!
「わかりません。全然……たしかに毒の量を間違えはした! だが、テトロドトキシンは無味無臭のはずだ! 気づかれるはずがないんだ……なのに……」
俺の取り乱しように、刑事はため息をついて言い放った。
「無味無臭ったってね、フグの内臓、そのままペットボトルに入れちゃダメだよ。それも10日も前のやつ。生ゴミじゃないんだから。もっとも……人を毒殺するにしちゃ、ずいぶん適当なひとだねえアンタ」