SS6 記者の憂鬱
重厚な雰囲気を纏う屋敷の屋根の上には、分厚い灰色の雲が幾重にも折り重なり、風に乗って激しく流れていた。空気は湿っぽく、どこか落ち着きのない感じがする。
「ついに、この時が来たわね」
決意めいた呟きを漏らすと、グリミィ女史は愛用の梟熊の羽を使ったペンの先を、目の前に佇む建物の正門に向かって突きつけた。
その姿は、これから魔王の城に乗り込もうとする勇者のようにも見えたが、彼女は“月刊冒険王”という雑誌の記者である。
「そうっスね。ようやく取材許可がおりました。まさか、先輩に指名がくるとは」
同行していた小太りの男、モスもまた感激していたが、
「見てなさい。このあたしが、貴方たちの秘密を暴いてやるんだから」
続くグリミィの言葉に、思わずずっこけそうになった。
「何言ってるんスか! ボクたちは、取材に来てるんスよ」
「そうよ」
グリミィは羽ペンを手の中でくるりと回すと、革製の筆箱の中に丁寧にしまった。
「モス君も知ってるでしょ? “暁の鞘”の、黒い噂を」
それは、今王都で最も注目を浴びている冒険者パーティの名であり、そのパーティが所属するクランの名でもあった。
パーティメンバーは四名。全員が十代半ばのうら若き乙女たちで、冒険者になってまだ一年ほどのルーキーだ。
だというのに、彼女たちは今月発行された冒険者番付表において、“探索者四枚目”に、突如として躍り出たのである。先月まではランク外だったはずなのに。
地方の迷宮を踏破すれば、一気にジャンプアップすることもありえたが、“暁の鞘”は王都の無限迷宮のみを活動の場としてるらしい。
「深階層で絶え間なく狩りを続けるか、それとも階層主を次々と撃破するか……。それくらいしないと無理よね?」
「まあ、そうスね」
「怪しいわよね?」
思わず頷きかけたモスだったが、慌てて首を振った。
「怪しくなんかありません! そもそもボクたちは、取材をさせてもらう立場なんスよ。謎に満ちた魅力的なパーティである彼女たちの姿を、少しでも世間の皆さまに知ってもらうために――」
「ふふっ、知らしめてやるわ。彼女たちの秘密をね」
「いきなり核心に迫らなくてもいいんです!」
まるで今後の展開を暗示するかのように、暗い空からぽつりぽつりと雨が降り出す。
ぶるりと、モスは震えた。
「いいっスか、グリミィ先輩。今回の記事は、必ずスクープになります。そのことが約束されている、奇跡的な取材なんです。無難にいきましょう、無難に。“暁の鞘”と良い関係を築くことができれば、次も指名してもらえるかもしれません。そうなれば先輩の、記者としての信頼や名声は一気に高まるはずです。出発前に、編集長も言ってたじゃないっスか。くれぐれも、先方に対して失礼のないようにって――」
「ふふ、分かっているわ。さあ行くわよ!」
ちっとも分かっていない顔で不敵な笑みを浮かべると、グリミィ女子は、門の前についていた呼び出し鈴を高らかに鳴らすのであった。
私が、しっかりしないと。
メルモは気合を入れて、客人を迎える準備を整えていた。
彼女は仕えるべき主人であるティアナといっしょに、攻略組族“暁の鞘”に加入した。生まれ故郷では道先案内人として実践も経験していたが、まだ十五歳になっていない彼女は、法律の制約がある王都では活躍の機会がない。
同僚――といってよいのか、メイドのタエとプリエは、メルモにとても優しくしてくれる。二人は家事のプロであり、テキパキと仕事をこなす。特に料理は見た目も味も量も文句なしで、メルモは毎回感動してしまう。
銀髪の紳士ハリスマンは、何でもできる。御者に庭師に剣術の指南役。引退する前は冒険者として名を馳せ、そのレベルは十三だったという。しかし、そんなことを鼻にかけることもなく、物腰穏やかで、言葉遣いも丁寧だ。
みんな、素敵な大人で、仕事もできて、クランに欠かせない人たちばかり。
彼女が生まれ育った場所、地方の貴族であるリィズ家では、迷宮攻略という実戦で役に立たない者は、人として扱われなかった。人として生きていくためには、文字通り命を懸けて頑張らなくてはならなかった。
しかし今は。
こんなにも穏やかで、お腹いっぱいご飯が食べられて、素敵な人たちに囲まれて。
それなのに自分は、ほとんどお役に立てなくて。
メルモは申し訳なく思う気持ちと、どこか落ち着かない不安な気持ちで、押し潰されそうだった。
そんな時、降って沸いたように機会が訪れた。
“月刊冒険王”という雑誌の記者がこの本部に来て、マリエーテ、カトレノア、ティアナ、トワの四人にインタビューをするらしい。
これまで秘密裏に活動してきたパーティ“暁の鞘”は、無限迷宮の地下二十一階層での狩りを終え、強制レベリングの“第三フェーズ”に入っていた。深階層で様々な魔物と戦い、実戦経験を積むのだ。
これまで無視してきた成果品も回収することになり、実績点がつく。いよいよ表舞台に立つ時が来たということで、今後は様々な広報活動が始まるとのこと。
その第一歩というべき“月刊冒険王”の取材だったが、直前でスケジュールがかち合ってしまった。
シズは支援者が主催するお茶会、ロウは冒険者ギルドで重要な会議、ハリスマンはボルテック商会で所用があるらしい。
『まあ、今回の取材は、どのみち……』
『そうですね。タエさんとプリエに任せても、問題はないでしょう』
『――あ、あのっ!』
反射的にメルモは手を上げていた。
『そのお仕事、もしよろしければ、私に任せていただけないでしょうか。せ、精一杯、頑張りますから!』
自分でもびっくりするくらいあっさり了承されて、メルモは戸惑いつつも、大きな使命感を胸に計画を立てた。
まずは門の前で丁寧にお出迎え。その後、客人をハリスマンが造り上げた美しい庭園に案内して、お茶を飲みながら穏やかに取材を受ける。
最初は、クランの紹介。これはメンバー勧誘用のパンフレットを流用すれば問題はない。問題があるとすれば、インタビューの方だが、お嬢様育ちのカトレノアがいるので心配はないだろう。
先方が本部の見学を申し出てきた場合は、一階の共有部分のみを案内する。二階、三階の私室やあの場所は案内しない。
最後にはお土産を渡して、更なる好感度のアップを狙う。
完璧だ。
シズの影響か、メルモは細かな時間配分を、手帳の中に書き記していた。
経験のない者の、ありがちな失敗だった。
相手のいる仕事である。段取りなどは、その場で相談しながら決めればよいことだし、ポイントだけ抑えて、あとは流れに任せてもよかった。だが、失敗をしたくない思いが先行し、行動を細分化しすぎた。
精密な機械仕掛けほど、ひとつ歯車が狂っただけで大きな影響が出るもの。
突然、空が曇り出した時点で、メルモは軽いパニックに陥った。
「ど、どうして? さっきまで、あんなに晴れていたのに」
おろおろしているうちに、雨が降り出す。
「いけない! テーブルクロスが」
真っ白な絹製の、たぶんびっくりするくらい高級な――
メルモは中庭に飛び出すと、テーブルの上に敷かれていたテーブルクロスを回収した。
タイミングの悪いことに、その時、来客を知らせる呼び鈴が鳴った。
雨の中、客人を待たせるわけにはいかない。焦ったメルモは足元が疎かになり、派手に転んでしまった。
「ふ、ふえ……」
「あらあら、大変。メルちゃん、だいじょうぶ?」
ここで、出迎えをプリエに任せてしまえばよかったのだが、
「ご、ごめんなさい。あとで、ちゃんと洗いますから」
平謝りしながら汚れたテーブルクロスをプリエに渡すと、メルモは本部の正門へ急いだ。
「はぁ、はぁ。お待たせ、いたしました!」
「どうも。“月刊冒険王”のグリミィです」
「モ、モスです」
「ようこそ、お越しくださいました。クラン“暁の鞘”は、お二人を心から歓迎いたします!」
記者たちがぎょっとしたのは、可憐なメイド服姿の少女が、涙目になりながら鼻血を垂らしていたからである。
「ふぇ……」
「よしよし、えらいえらい。メルモちゃん。よく泣かなかったわねぇ」
祖母が孫を慰めるように、タエがメルモの頭を撫でる。
「メルちゃん。無理をしてはダメよ」
こちらは母親が娘を優しく嗜めるかのように、プリエがメルモの鼻頭に指先を当てる。
「だいじょぶです。私、ちゃんとできますから!」
ここで諦めてしまっては、仕事を任せてくれたシズやロウに顔向けができない。
幸いなことに怪我はなく、鼻血もすぐに止まった。メルモは気を取り直すと、記者たちが待つ応接室に入った。
「お待たせいたしました」
再び鼻血少女が現れたことに、グリミィとモスは意表をつかれたようだ。
「あいにく、当クランの代表が席を外しておりまして。今回の取材の担当を務めさせていただきます、お手伝い要員のメルモと申します」
ぺこりと頭を下げてから、メルモは手帳を取り出す。
「ではまず、本日のスケジュールを簡単に説明させていただきます」
当初の計画通りに、パンフレットを使ってクラン“暁の鞘”のことを説明しようとしたところで、出入り口の扉がバンと開いた。
「おい、メルモ。いつまで待たせんだよ!」
入ってきたのはティアナだった。
「プリエ姉が特製のお菓子を作るっていうから、大人しく待ってたのに。ぜんぜん呼びにこねぇじゃねぇか!」
「はわわっ……」
メルモの計画は、がらがらと音を立てて崩れ落ちた。
「――ん? なんだ、こいつら」
「き、昨日、説明したじゃないですか。記者の方ですよ!」
「記者ぁ? あんまし強そうじゃねぇな」
「ティ。いいかげん、相手を強いか弱いかで判別する癖、おやめになったら?」
次いでやってきたのは、額に手を当て、頭痛を我慢するような仕草をしているカトレノア。
「ごめん、メル。野生児は我慢できない。勝手に飛び出していった」
さらに、マリエーテが入ってくる。
「野生児って、もしかしてオレのことか?」
「そう」
「……そうか」
「何を照れてますの? 褒め言葉ではありませんことよ」
「ふわぁ」
マリエーテはトワの手を引いていた。徹夜で絵を描き上げたらしく、大あくびをしている。
四人の少女たちがソファーに座った。
不機嫌そうなティアナ、ため息混じりのカトレノア、興味なさそうに窓の外を眺めているマリエーテ、そしてテーブルの上に突っ伏しているトワ。
「――で? これは、なんなんだ?」
ティアナの問いかけに、メルモは泣き出しそうになった。
昨日の夜も、今朝も、散々説明したはずなのに、何も残っていない。
ふと見れば、グリミィと名乗った女性記者が、目をギラつかせながら大きな取材帳に何やら書き込んでいた。
おそらくは、最悪な第一印象を。
「失礼いたします」
いたたまれない空気を救ったのは、応接室に台車を運んできた、タエとプリエだった。
爽やかな香りの紅茶と、見目麗しい魅惑的な焼菓子がテーブルの上に並べられる。
メルモの計画では、茶菓子はもう少し後に出てくるはずだったが、気を利かせてくれたのだろう。
「ど、どうぞ。遠慮なくお召し上がりください」
ほっと安堵したところで、メルモはお腹が締めつけられるような感覚を受けた。
まずい。
お腹が、鳴っちゃう。
実は、昨日の夜から緊張していて、まともに食事が喉を通らなかった。
ただでさえぐだぐだなのに、これ以上失敗するわけには……。
ここでメルモは、はっと気づいた。
お腹が空くから、お腹が鳴るのだ。
だったら、お腹の中に食べ物を入れてしまえばいい。
「あ〜ん……んん〜っ」
明らかに応接室の空気は和んだが、それは紅茶と焼菓子のためだけではなかった。
大好きなものを幸せそうに食べる少女の姿は、森の小動物が一所懸命木の実を頬張る様子にどこか似ていて、なんとも微笑ましい。
皆ににまにまと見つめられ、グリミィ女史には取材帳に「腹ペコのメイドさん」などと走り書きされていることなど、この時のメルモは知るよしもなかった。
メルモが心配していたのは、個性豊かな“暁の鞘”のパーティメンバーが、インタビュー中に思わずボロを出すことだった。ゆえに、クランの説明などで文字数を削る。また、インタビューの前には禁止事項を伝えて、プライベートな質問はなしにする。
その予定だったのだが、焼菓子に気を取られているうちに、主導権を奪われてしまった。
「本日はお忙しい中、お時間をいただきまして、ありがとうございます。我々“月刊冒険王”は、冒険者である皆さんのことを読者の方にお伝えするために、こうして取材を行わせていただいております」
グリミィは自信に満ちた表情で、四人の少女たちを褒め称えた。
曰く、ここ十年ほど、王都の冒険者たちの実績が芳しくなく、人々は英雄を求めていた。最近さまざまな冒険者パーティが台頭し、冒険者番付表を賑わせている。
そして今、新しい世代を象徴するかのような、新進気鋭の若手冒険者パーティが現れた。
「それがあなたたち、“暁の鞘”です」
名前と顔を知られていながら、謎に包まれた四人の少女。その実力を疑う者は多かったが、今月の冒険者番付表で、ついに“探索者四枚目”にランクインした。
「今や王都では、あなたたちの話題で持ちきりです。一躍時の人ですね。すごい。素晴らしい。最高!」
警戒心の強い年頃の女の子たちが、こんな見え透いたお世辞にのせられるわけがない。
そう考えたメルモだったが、
「そ、そうか。まいったぜ」
褒められ慣れていないティアナが、てれてれと頭をかいた。
グリミィ女史は、標的を赤髪の少女に定めたようだ。
「では、まずティアナさんに、冒険者になった経緯などをお聞ききしてもよろしいでしょうか?」
「ああいいぜ」
事前にメルモは、生家であるリィズ家のことは話さないようにと念を押していた。ティアナとしても、辛い過去を口にする気はないようで、二つ返事で引き受けてくれた。
「まーなんつうか、詳しいことは言いたくねぇんだけどよ。いろいろあって、メルモと二人、田舎の実家から飛び出してきたんだ」
うん、それくらいでいい。
「それは、ご苦労されたことでしょう」
「ああ、右も左も分からなかったし、最初はな。でも、“眼帯”のおっちゃんが身分証を偽造してくれたから――」
「ストーップ!」
一番大切なところが隠されていない。
思わずメルモは立ち上がり、両手を大きく振った。
「も、申し訳ありません。その、“暁の鞘”に入る前のことは、あまり語りたくないと本人も申しておりますので。どうか、別の質問に……」
ちらりとグリミィの様子を伺うと、これはいいことを聞いたという顔で、取材帳に書き綴っている。
「では次に、マリエーテさんにお伺いします」
「なに?」
「大地母神教団では“妹巫女”として、ご活躍されているようですが。祝福を授かる際には、高額な寄進が必要という話があります。本当でしょうか?」
「うん。一回、金貨十枚」
あまりにもあっさりと答えたので、メルモは反応することができなかった。
「そ、それが、クラン“暁の鞘”の、秘密の資金源になっているのね?」
「少し違う」
冷静にマリエーテは指摘した。
「あくまでも私は、教団の看板娘。私が稼いだお金は、教団のもの。そして教団から改めて、クランに資金援助がなされる」
「なぜそのような流れに?」
「税金がかかるから」
「スト―――ップ!」
かなり手遅れだったが、ここで再びメルモが立ち上がった。両手を握りしめ涙目になりながら、必死に訴えかける。
「今回は、当クランの運営に関わる取材ではないはずです。質問は、冒険者パーティに関することに限ってください。お願いですから、そんなにいっぱい書かないでくださいっ!」
それにしても、この女性記者の質問はおかしい。取材というより取り調べだ。このままでは、“暁の鞘”どころか、大地母神教団にまで被害が及んでしまう。
「では次に、カトレノアさん」
「あら、わたくしに死角はなくてよ?」
悪い意味で純粋なティアナとマリエーテとは違い、カトレノアには一般的な常識がある。上流階級の令嬢として社交会にもデビューしていることだし、無難にこなしてくれるはず。
縋りつくような視線を向けるメルモに向かって、カトレノアは自信ありげに頷いてみせた。
「カトレノアさんは、ボルテック商会のご令嬢と聞き及んでおります」
「あら、お詳しいこと。もっとも、隠しているわけではありませんけれど」
「冒険者パーティ“暁の鞘”は、番付表にランクインする前から、すでに名を知られていました。それは“迷宮カード”に要因があると考えられます」
「そう、ですわね」
トワが気まぐれで描いたマリエーテの似顔絵をもとに、ロウとカトレノアの兄であるアルベルトが商品化した、子供向けの絵札である。手の平サイズでお手頃価格。迷宮に関する版画絵と説明文が想像力豊かな子供心をくすぐり、爆発的なヒットを飛ばしている。
「中でもカトレノアさんのカードは、種類が豊富で、色数も多いようですが」
「……っ」
カトレノアはついと目を逸らした。
「また、マリエーテさんとカトレノアさんがペアで描かれた“マリ・カレ”カードも数が多いですね。これはいったい、どういう――」
「な、なんのことでしょうか。わ、わたくしは、知りませんわ! 恣意的な目的で商品の構成を変えるなど、商売人としてあるまじき行為。まあ、冒険者であるわたくしには関係ないことですけれど。おーっほっほっ!」
語るに落ちるとはこのことである。
前者は妹を溺愛するアルベルトが暴走し、後者はマリエーテ大好きなカトレノアが同じく暴走した結果なのだが、身内と自身の恥なので、どちらも認めるわけにはいかない。
メルモが望みを託したカトレノアは、あっという間に撃沈され、以降は「ノーコメントですわ」と、力なく呟くのみ。
「ああ、“迷宮カード”といえば」
グリミィ女史が、甘いものを食べてようやく目覚めた感じのトワに聞く。
「トワさんのカードだけは、何故か後ろ姿ばかりだそうですが、理由があるのですか?」
「別に。描いても面白くないから」
「描く? 面白く、ない?」
トワは大きなため息をついた。
「だいたいね。ボクは、あんな札絵の原画なんか描きたくなかったんだ。ただ、魔物の絵が死ぬほど描けて、みんなに見てもらえるっていうから――」
「ちょ、ちょっと待って」
グリミィ女史は目を丸くした。
「“迷宮カード”の挿絵は、あなたが描いていたの? 人物像の描写や構図に定評があり、そのデフォルメは芸術の新たなる扉を開いたとされる、謎の原画師」
「ちがう!」
トワはムキになって言い返した。
「ボクは、リアル嗜好の魔物画家だ。人物像なんて、ただの手慰みさ。構図? 画布の大きさが足りないから、窮屈な配置とポーズになっただけ。デフォルメなんて、臨場感を捨て去るようなもの。ボクが描きたいのは――って、聞いてるのかい?」
「モス君、やったわ。これは大スクープよ!」
「グリミィ先輩、落ち着いてください。これだけの情報、先方の許可なく公開するわけには」
「はわわっ……」
メルモはパニック状態に陥っていた。
トワが“迷宮カード”の原画師である件は、まだ公表されていない。今は迷宮攻略に集中すべき時期であり、不用意な注目を避けたいという理由からだ。
そのことはトワも了承していたはずだが、単に自分の名声に無頓着なだけのようである。
その後も、メルモの苦悩は続いた。
グリミィがトワの描いた絵を見たいと要求し、トワはあっさり了承。アトリエと化した地下訓練場を案内することになった。
ここは、メルモが絶対に案内したくない場所だった。
訓練中の障害物として利用されている複数の魔物の石膏像と、壁一面に貼られた魔物たちの絵。ゆらめくランプの灯りに照らし出されたそれらは、不気味以外の何ものでもない。
トワが嬉々として魔獣の素晴らしさを力説し、ティアナとカトレノアがしみじみと、どこか懐かしそうに初期訓練のことを語り合う。マリエーテは兄の考えた訓練メニューがいかに素晴らしいかを力説し、そのおかげで、四人の少女たちが薄暗い地下に閉じ込められ、凄惨極まりない生活を強いられていたことが明るみになった。
グリミィ女史は、何故か恍惚とした表情になり、笑いを堪えるように口元を歪めながら、ものすごい勢いで羽ペンを走らせていた。
「ほ、本日はどうも、ありがとうございました。あの……そのっ。いえ、なんでもありません。これ、お土産です」
帰りがけにメルモが渡したのは、“迷宮カード”の限定版 “暁カード”のセットである。かなり希少なカードで喜んでもらえると思ったのだが、今となってはいわくつきの贈り物になってしまった気がする。
客人が帰ると、たまらずメルモはタエとプリエに泣きついた。
「ぜ、ぜんぜん、ダメでしたぁ」
「おお、よしよし」
「だいじょうぶよ、メルちゃん。だって、メルちゃんは頑張ったんだから」
そして、その日の夜。
ロウとシズに一部始終を報告して、メルモは裁定を待った。
クラン“暁の鞘”の広報活動に失敗したのだ。叱責は覚悟の上だったが、
「メルモ君、お疲れさま。大変だったみたいだね」
「え? あ、はい」
「本来ならば、年上であるあの娘たちがしっかりしなくてはならないのだけれど」
予想に反して、二人は困ったような表情を浮かべつつ、メルモを労ってくれた。
「いえ、でも。このままでは……」
「問題ないよ」
ロウはメルモの頭を撫でると、
「今後は、マリンたちが単独で表に出ることも多くなるからね。自分たちの言動が、所属する組織に対してどういう影響を及ぼすのか、経験しておくのも悪くないさ」
問題大ありですと、メルモは思った。
「……何よ、これ?」
刷り上がったばかりの“月刊冒険王”の最新号を前に、グリミィは打ち震えていた。
自分は今話題の冒険者パーティの取材を、確かにした虚構に彩られていた彼女たちの姿を直に見ることができたし、さまざまな秘密を暴いた――はず。
だというのに、
「あたしの記事は、どこにいったの?」
「見開きに、あるじゃないっスか」
同じく最新号を確認していたモスが指摘した。
確かにある。
“暁の鞘”の特集記事だ。
しかしその内容は、四人の少女たちの爽やかな紹介と、今後の活躍をふんわりと匂わせるような、面白くもなんともない持ち上げ記事だった。
「冗談じゃないわ!」
グリミィが憤慨した理由は、その記事の最後に、取材者として彼女の名前が載っていたからである。
だが、記事の内容に見覚えはない。自分の知らないところで差し替えが行われたのは明白だった。
「ちょっと編集長に確認してくる」
「あ、ちょっと待ってくださいよ」
編集長室の仕事机の上に最新号を広げ、思い切り文句をぶつけると、彼女の上司は深い深いため息をついた。
「お前なぁ、あんな記事が採用されると思ったのか?」
「だ、だって」
確かに過激な記事だとは思ったが、予想に反して彼女の原稿は、素通りしたはず――だった。
「あんなもんはボツだ、ボツ! お前、“神子さま暗殺未遂事件”のこと、知らんのか?」
編集長はぎろりと部下を睨みつけた。
「ああ、確か、一年前くらいにあったやつっスね」
答えたのは、モスである。
大地母神教の象徴たる神子、ミユリが、冒険者育成学校のカリキュラムである実地訓練中に命を狙われたのだ。この事件の詳細は教団から公式に発表され、世間に大きな衝撃を与えた。
「神子さまが狙われた原因は、“王都雑報”に掲載された、とある記事だった。あそこの編集長がどうなったか、お前、知ってるか?」
「いえ、知りませんが」
「王都追放だよ」
「マジっすか?」
「それだけ教団の力は強いってことだ」
今回の取材対象である“暁の鞘”には、“妹巫女”たるマリエーテがいる。人気という点においては露出の少ないミユリを上回っており、今や教団の最重要人物といえるだろう。
そんな彼女と教団の金の繋がりを指摘した暴露記事など、冗談でも載せるわけにはいかない。
「あの“王都雑報”でさえそうなんだ。“月刊冒険王”なんぞ、下手したら編集部が吹き飛ぶぞ。お前、全員を路頭に迷わせる気か?」
編集長の怒りは収まらなかった。
「しかも、ボルテック商会にまで喧嘩を売るような記事を書きやがって。毎回広告を載せてくれる大口の上顧客だぞ、あそこは!」
「っスよねぇ」
年下の同僚にまでジト目で見つめられ、グリミィは焦った。
「そんな。記者が、社会権力に屈するっていうんですか?」
「うちは、大衆娯楽雑誌だ!」
「ひぃ」
あまりの怒声に、グリミィは竦み上がった。
「いいか、よく聞けよ。教団を通じて、先方から通達があった。今回の取材内容が、たとえ噂として流れたとしても、容赦はしないと。私は、すべて忘れるつもりだ。だからお前たちも忘れろ。それから取材帳を出せ。この場で燃やす」
「そ、そんな」
「これ以上逆らうなら、お前はクビだ!」
記者の命ともいうべき取材帳は、暖炉の中で油をかけられ、燃やされ、灰になった。
もちろん記憶には残っているが、表に出る機会はないだろう。
すっかり意気消沈するグリミィに、モスが言った。
「これはもう、最初から記事は出来上がっていたみたいっスね」
「だったら、なんで取材なんかさせるのよぅ」
「さあ。形式だけでも整えたかったんじゃないっスか?」
あるいはと、モスは考えた。
グリミィは尖った記事を書くことで有名な記者である。大物冒険者相手にも容赦はしないし、媚びることもない。
実態の掴めない“暁の鞘”を、あのグリミィ女史が取材して、彼女たちを褒め称える記事を書いた。
その信憑性は確かなものだと思われるだろう。
今回の件は、すべて仕組まれていた。
そして先輩は、悪名を利用されただけではないのか。
もちろんモスは、大人の事情に口を挟むつもりはなかった。そういうこともあるのだから気をつけようと、今後の糧にするつもりである。
「先輩、元気出しましょうよ。“暁の鞘”以外にも、有望な冒険者はいますから」
「いないわよぅ、そんなの」
完全にいじけてしまったグリミィを慰めながら、モスはふと思う。
先輩が書いた記事の原稿は、どうなったのだろうかと。
やはり編集長が、暖炉の中で燃やしてしまったのだろうか。
彼の予想は外れた。
グリミィ女史の原稿は、そのまま“暁の鞘”の代表たるシズの手に渡り、世間知らずの四人娘にマスコミの怖さを教えるための、貴重な教材になったのである。




