SS2 ギルド改革
主導権を取り戻したロウの案内により、第一班の実地研修は進んでいく。
本来ならば一行の先頭に立つべき“悠々迷宮”の三人は、何やらぼそぼそと相談し合いながら、最後尾をついていくだけ。やる気を無くした、というよりは何かの機会を窺っている様子だった。
多少のいざこざはあったものの、第一班の生徒たちにとって、今回の実地研修は実りあるものになったようだ。
案内をしながら時おり語られるロウの話は、教科書には載っていない実践的なものばかりで、他者に対して辛口なイグナスでさえ素直に感心していた。
「さて。この先の広間で、折り返しです」
そこは出入り口がひとつしかない、いわゆるどんつきの広間だった。あとは元きた道を戻るだけなので、実質的に探索は終了となる。
だが、この場所にはサプライズがあった。
奥の壁が、キラキラと輝いている。
興味を惹かれたキャティとジタン、そしてイグナスまでもが、視線と表情の双方でロウに問いかけた。
「魔銀の結晶鉱石です」
迷宮内で算出される鉱石は、結晶の形で壁の中に埋まっている。その純度は驚異の百パーセントだ。
「お土産に、ひとつ持って帰っていいですよ」
「本当ですの?」
「オレ、いっちばーん!」
「待ちたまえ。壁を崩す前に観察したい」
基本的に迷宮内で得たものは冒険者ギルドで換金しなくてはならないが、地下一階層で算出される魔銀の結晶鉱石は極めて小さく、ほとんど価値はない。初潜行の記念にはちょうどいいだろう。
「ほら、ミユリも行っておいで」
ひとり佇み、何やら考え事をしているらしい息子の肩を、ロウはぽんと叩いた。
「……父、さま」
「できるだけ大きいのをとってくるといい。加工してペンダントにしよう。きっと、いいお守りになるよ」
「は、はい」
先ほどの鮮烈な神気には驚かされた。子供では、出そうと思っても出せないはず。まだ身体ができていないので、脅威とはみなされないだろうが。
子供はちょっとしたことですぐに悩む。幼い頃のマリエーテもそうだったし、自分もそうだったはず。
後で――夜にでも、ふたりきりで話をしよう。
だが今は、この場所にいてはいけない。
広場の奥の方で宝探しに夢中になっている四人の生徒たちを、やや離れた位置でロウが見守っている。
その後方から、ブルゥワが声をかけた。
「おい、シェルパ」
ビムとオンゴのふたりは、広間唯一の出入り口である通路を塞ぐように陣取っている。
「お前、冒険者崩れだろ?」
振り返ったロウは、逆に問い返した。
「どうして、そう思うんです?」
「シェルパということ差し引いても、並の力じゃなかったからな。レベル三か四――ひょっとすると、レベルアップボーナスで筋力を上げてるとかな」
演技などではなく、ロウは感心した。
「鋭い考察ですね」
「だが、アクティブギフトは手に入らなかった。でなきゃ、シェルパなんぞやってるわけがねぇ」
ロウは肩を竦めた。
またもや正解である。
「そういうあなたたちは、偽物でしょう」
「なに?」
困惑するブルゥワに、ロウは種明かしをした。
「実は、第一班の担当冒険者になっていた“悠々迷宮”さんは、俺の知り合いなんです。どうやら彼らには、誤った日程の連絡がなされていたようですね」
「さ、最初から、オレたちを疑ってたわけか」
「今回、担当冒険者の変更があったのは、第一班だけ。となれば、狙いは読めます」
ロウは得意げに語ってみせた。
「あなたたちの目的は、おそれ多くも、大地母神の“神子“なのでしょう」
「――っ」
ここで、ブルゥワの表情が変わった。
虚勢から、追い詰められたものへと。
「さては、誘拐して身代金をせしめる気ですね。馬鹿なまねはおよしなさい。今ならまだ引き返せます」
だが、このひと言でブルゥワは余裕を取り戻した。
「ふっ。おめでたい野郎だ」
ひとは他人の間違いを指摘したくなるもの。追い詰められていた心情が反転し、好戦的になる。
「誘拐? そんなまどろっこしい真似するかよ。第一、子供ひとり抱きかかえて、ガキどもがうじゃうじゃしてるこの領域を抜けられると思うか?」
今度はロウが動揺する素振りを見せた。
「じゃ、じゃあ、いったいどうするつもりなんですか? ま、まさか――」
「唯一の計算違いはお前だよ。レベル一のガキどもは簡単に始末できるが、その間に、お前に逃げられちゃあ困るからなぁ」
ブルゥワは腰のベルトに刺していた二本の小剣を引き抜くと、一歩踏み出した。
「わ、わわっ」
ロウが一歩後ずさる。
「知ってるか? 口は災いのもとってな」
逃げ場のないどんつきの広間。しかも相手は大荷物を担いでいて、身動きが取れない。
この状況を、ブルゥワは狙っていたのだ。
慌てたように背中の荷物を下ろそうとするロウを、ブルゥワは鼻で笑った。
「もう、おせぇ!」
「その通りですね」
その真正面に、荷物が放り投げられた。
「――なっ」
とっさに、ブルゥワは両手の小剣で防御した。
だが、その荷物は信じられない重量だった。
まるで、鉄の塊でも入ってるかのような。
小剣が弾き飛ばされる。荷物に押しつぶされたブルゥワは、蛙のような悲鳴を上げた。肋骨が折れ、肺を傷つけたのだろう。血反吐を吐きながら、苦しそうにのたうち回る。
「テ、テメェ」
「なにしやがる!」
通路の手前に陣取っていたビムとオンゴが、ロウに向かって駆け寄ろうとしたが、
「――動くな」
「従わなければ、殺します」
いつの間にかビムとオンゴの背後に忍び寄り、その首に刃物を突きつけていたのは、禿頭の男女だった。
冒険者育成学校でミユリの護衛役を務めていた、大地母神教所属の冒険者である。
「“泥眠”」
禿頭の女が指先で小さな魔法陣を描く。
魔法が発動すると、ビムとオンゴはあっさり意識を失った。二人の身体を、禿頭の男が担ぎ上げる。
「やあ、ご苦労さま」
「ロウ殿」
先ほどまでの怯えた態度はどこへやら、にこやかに出迎えたロウに、禿頭の女が苦言を呈した。
「こういうことは、困ります。もしこの者たちが問答無用で神子さまに襲いかかっていたら、取り返しがつかないことに」
「事前に説明したでしょう? そうさせないために、俺のことを印象づけて、一番の障害だと思わせると」
“悠々迷宮”を名乗ったブルゥワ、ビム、オンゴの三人は、終末思想を抱く狂信者などではなく、世俗的な悪党だった。
彼らの目的は、神子たるミユリを暗殺することーーだけではない。その後、誰にも知られず地上に帰還し、報酬を受けとらなくてはならないのだ。
「あとは、場所と条件を整えるだけです」
逃げ場のない広間。そして、大荷物を背負った間抜けな難敵。
ここで動かずして、どこで動くというのか。
納得したのか諦めたのか、禿頭の女性はひとつため息をつくと、地面に転がっているブルゥワを冷たい目で見下ろした。
「クソ虫がっ!」
容赦なく顔面を蹴りつけて大人しくさせてから、襟の部分を掴む。
「では、この者たちの処置は、お任せください」
「お手やわらかに」
異変に気づいた四人の生徒たちが、ロウのそばに近寄ってきた。
後で説明してあげるよと、ミユリに視線で伝えてから、ロウは誰もが知っている格言を口にした。
「さあみなさん、帰りますよ。地上に戻るまでが、冒険です。決して気を抜かないように」
きっかけは、王都雑報に掲載された記事だった。
内容は、昨今の王都の冒険者たちの低迷ぶりを嘆くとともに、大地母神教に反する迷宮主義者たちが、信者を増やすために、秘密裏に活動しているというもの。
ただ、最後に明るい話題にも触れていた。
それは、大地母神の“神子”たるミユリが、冒険者育成学校の四年生ながら、最初の“レベルアップの儀”で有用なアクティブギフトを手にしたこと。
かつて“黒姫”と呼ばれた勇者ユイカの血と意思を受け継ぐ神子こそが、我々の救いとなるであろう。
そういう表現で記事は締めくくっていた。
その後、ミユリの周辺で異変が起きた。
登校中のミユリを乗せた馬車が、悪漢たちに襲われたのである。
幸いなことに、御者のハリスマンのおかげでことなきをえたが、ロウは事態を楽観視しなかった。
治安のよい空区で、馬車を止めるなどという暴挙を起こす者が現れる可能性は、極めて低い。
それがミユリが乗っている馬車となれば、狙われた可能性が大である。
ロウは身なりを整えると、上流階級の紳士といった佇まいで、捉えた悪漢たちから事情を聞いた。
彼らは縋りつくように答えた。金に困っていたところ、立派な馬車が来たので、思わず襲ってしまったとのだと。
ロウは悪漢たちに同情の意を示し、二度とこのような愚かな真似はするなと誓うならば、衛兵の詰所には突き出さないと約束した。
悪漢たちは、涙を流しながら誓った。
ロウは鷹揚に頷くと、彼らにいくばくかの金を与え、解放した。
――と見せかけて、ハリスマンに尾行を依頼したのである。
仕事を失敗したことを、悪漢たちは雇い主に報告しなくてはならないはず。油断を誘うために、ロウは善良なる紳士を装ったのだ。
彼らが向かった先で待っていたのは、二十歳すぎくらいの青年だった。
ハリスマンは尾行の対象をこの青年に変更した。
所在を確認した後、ボルテック商会の力を借りて調査したところ、彼がマネルという名の、冒険者ギルドの窓口職員であること、そして狂信的とも言える迷宮主義者であることが判明した。
事態は深刻を極めた。
ロウはヌークを通じて、大地母神教団に対し、護衛の派遣を依頼した。自分の部下に裏切り者がいたことに、ヌークは衝撃を受けた。すぐさまマネルを拘束しようとしたが、ロウは反対した。冒険者ギルドの若手職員が、独断でミユリの馬車を襲わせたとは考えにくい。マネルに指示を出した黒幕がいるはずだと。
迷宮主義者たちは焦っているのではないかと、ロウは想像した。
もし仮に、ミユリがユイカのような、実力とカリスマ性を兼ね備えた存在に成長したら。せっかく萌芽しつつある迷宮主義者たちの勢いは、一気に萎んでしまうだろう。
“レベルアップの儀”は毎年行われる。やるならば、レベルの低い今のうちに――
彼らがそう考えたとしても不思議ではない。
そして今まさに、標的であるミユリが、ごく少人数で無限迷宮を探索するカリキュラム――実地研修が予定されているのだ。
ロウは自分が案内人ギルドの力を借りて、ミユリの班の担当シェルパになった。またヌークの力を借りて、知り合いであるタニスがリーダーを務める“悠々迷宮”を担当冒険者とした。
はたして、敵は動いた。
ロウの予想としては、別の班に刺客を紛れ込ませ、機を見て襲ってくるのではないかと考えていたのだが、敵はより直接的な手段を用いてきた。
“悠々迷宮”には誤った日程の連絡がなされ、当日現れたのは、見知らぬ中年の冒険者――ブルゥワ、ビム、オンゴの三人だった。
彼らを拘束するのは簡単だが、証拠がない。とぼけられ、連絡ミスと言い張られたら、それまでである。
四六時中ミユリの周囲を警戒しする体制を、長期間続けることはできない。
彼らをここで、現行犯として捉える必要があった。
精神的重圧がかかっている者は、焦らせばすぐにボロを出す。リーダーらしきブルゥアを観察したところ、感情が昂った時に漏れ出す神気の量から推測するに、レベルは三程度。弛んだ肉体やぼろぼろの装備品からして、三流以下のロートル冒険者であることに間違いはなかった。
密かに勢力を拡大しつつあると噂される迷宮主義者たちであったが、優秀な冒険者を手駒にすることはできなかったようだ。
だが少なくとも、冒険者ギルドを動かす力は持っていた。
その黒幕は――
「まさか、エチョロが関与していたとは……」
心労で疲れ切った様子のヌークが、ソファーで頭を抱えていた。
冒険者ギルド長の執務室である。勝手知ったる他人の我が家という感じで、ロウは戸棚から芸術的な酒瓶とコップをふたつ取り出すと、並々と注いで、片方をヌークに差し出した。
「大変なことになりましたね」
「なにしろ、王都中を揺るがす大事件だからな。教団の上層部は、迷宮主義者たちを徹底的に叩き潰すことに決めたようだ」
大地母神教団は、女神ガラティアの啓示に従い、迷宮攻略を目指している。迷宮は神聖なものであり、決して手を出さず終焉を待つべきなどという思想を持つ迷宮主義者たちの存在など、許すことはできない。ましてや、信仰の象徴でもある神子を狙われたのだから、当然だろう。
教団は、実行犯であるブルゥワ、ビム、オンゴの三人に続いて、冒険者ギルドの窓口職員であるマネルを拘束した。
苛烈な尋問の結果、数名の職員とともに冒険者ギルドの副ギルド長である、エチョロの関与が明るみになったのである。
今回の件を、教団は大々的に公表した。
世間の非難と怒りは、迷宮主義者たちと、冒険者ギルドに集中することになった。
「副ギルド長は、ヌークさんがギルド長に就任する前から今の地位に就いていたのでしょう? そこまで気に病む必要はないと思いますが」
「そんな単純な話ではない」
「では、どうするんです?」
ヌークは酒を呷ってから、ため息をついた。
「もはや、私が辞任するしか……」
「ぼろぼろになったギルドを見捨てて、他の人に放り投げるんですか?」
ロウの言葉は、ヌークの痛いところを突いた。
「では、どうすればよいというのだ!」
「それこそ単純な話ですよ。失った信用は、取り戻せばいいんです」
「ふん、簡単に言ってくれる」
失うのは一瞬でも、積み上げるには多大な労力と時間がかかるのが、信用というもの。その程度の常識はロウも心得ている。
「今回の件は、ヌークさんにとって、千載一遇のチャンスだと思いますよ」
「なんだと?」
慣例的に、冒険者ギルド長は、教団の高位の聖職者が就任することになっている。元勇者パーティのメンバーであるヌークといえども、現場で働く職員たちとの間には、心理的な距離がある。そのことを、頻繁にギルドに出入りするようになったロウは肌で感じていた。
職員たちはみな、諦めきっていた。仕事に対する情熱はなく、冒険者たちとは壁を作り、文句や罵声を受け流しながら、当たり障りのない事務作業だけをこなす毎日。
今思えば、副ギルド長のエチョロが、時間をかけてそのような風土を醸成していったのかもしれない。
「現場の取りまとめ役を担っていた副ギルド長がこのような状態になった今、職員の皆さんは動揺し、不安を感じているはずです」
現場の力が弱まり、トップが幅を利かせやすくなったと言ってもよい。
「失った信頼を取り戻すため――このお題目さえあれば、ヌークさんが主導権を握り、組織を動かすことができるでしょう」
「何をさせる気だ?」
「これです」
ロウが差し出したのは、分厚い書類の束だった。
「ギルド改革――に関する計画書?」
「はい。ちょうど完成したところです」
そこには、冒険者ギルドの現状と課題、そして解決策の数々が書き綴られていた。
今の冒険者ギルドがもっとも危惧すべきことは、世間の評判などではない。ギルドにとって土台というべき存在――長らく冷遇してきた冒険者たちの、信頼回復である。
そのためには何よりも、職員たちの意識改革と、体制づくりが必要となるだろう。
すでにロウは、冒険者ギルド内にコンサル部門を立ち上げていたが、それは職員たちにも認知されていないごく小規模な活動でしかなかった。ヌークとしても、ロウとの個人的な付き合いから、職権を犯さないと思われる範囲で協力したに過ぎない。
計画書の中では、実戦経験豊富な元冒険者や元シェルパを登用するとともに複数名の事務職員を配置し、正式にコンサル課を立ち上げるべきとあった。
「パーティコンサルの相談件数は、徐々に増えています。ですが、俺も本業の方が忙しくなり、手が回らなくなってきたという事情もありまして」
「なるほどな」
その他にも、死傷率が高い初級冒険者へのサポート体制の充実が目を引いた。座学や戦闘訓練については想定内だったが、初潜行限定のシェルパの無償利用は面白い。だが、案内人ギルドのメリットがないのではないか。
「実は、一定回数以上の指名依頼を受けることが、シェルパの昇級条件になっているのですが、冒険者と結託し、金を渡してまで指名を得ようとするシェルパもいて」
「噂には聞いたことがある。嘆かわしいことだが、冒険者側から取引きを持ちかける事例もあるらしいな」
「まったく、困ったものです」
自分のことは棚に上げて、ロウはため息をついた。
「昇級要件における必要指名回数を減らし、代わりに初潜行の冒険者に対するサポート回数を追加すれば、格安でも仕事を引き受けたいというシェルパはたくさんいますよ。もちろん冒険者ギルド側にも、多少の費用負担はしていただきますが」
完全に無償というわけではないらしい。だが、冒険者ギルドにとっても有益な話だった。
「案内人ギルド長との調整はついていますので、後はヌークさんの決断しだいですね」
「ふむ」
ヌークはいくつかの頁を捲り、手を止めた。
「この、“迷宮泉倉庫”というのは?」
「名前の通りです」
迷宮内における重要拠点。魔物が寄りつかず、絶好の休憩となる迷宮泉に、冒険者のための備蓄倉庫を設置する。やや割高になるが、倉庫から食料やポーションを購入することもできるし、危機的な状況であれば無償で利用してもよい。
「無人販売店のようなものです」
「盗まれるのではないか?」
「冒険者とシェルパで相互監視します。あとは罰則ですね」
「物資の補充は? このために依頼を発注するのか?」
「そんなことをしたら原価が跳ね上がりますよ。通常の迷宮探索時にシェルパたちが運搬し、補充します。冒険者のために運べる荷物の量は減ってしまいますが、そこは割り切ってください」
「保険、のようなものか」
「はい。物資についてはボルテック商会が、格安で提供してくださるそうです」
命を救う物資にボルテック商会の名前が入っていれば、よい宣伝になるだろうとのこと。
「こちらも調整はついていますので、ヌークさんしだいですね」
「……」
額に冷や汗を浮かべながら、ヌークは頁を捲った。
「お、おい。迷宮情報の無償提供。これは無理だろう」
「どうしてです?」
「ギルドの重要な収入源のひとつだ」
「評判、悪いですよ」
悩める冒険者たちのコンサルをしているロウには、冒険者ギルドの悪評ばかりが伝わってくる。
彼らは口を揃えたように言う。
ギルドは情報を奪うばかりで、ちっとも還元しないと。
「第一、冒険者ギルドは迷宮の上がりで食べているわけですから、冒険者たちの安全や支援にもっと投資すべきです。情報料を払えず探索を諦めたり、十分な対策がとれず命を落とした冒険者たちが、どれだけの稼ぎをギルドにもたらすはずだったか。数値に表れない負債を加味すれば、収支などひっくり返りますよ」
「……うっ」
「実際のところ、冒険者ギルドが迷宮内の情報を独占しているのは、己の立場を強化し、冒険者に対する優位性を確保したいという側面もあるのでしょう。組織としては安定するかもしれませんが、そのために冒険者たちとの間に軋轢を生じさせ、信頼を失っているのでは意味がありません」
「それは……そうかもしれんが」
「ギルドでは情報の管理のみを行い、閲覧自由とすれば、ある程度職員の数を減らせるはずです。今後、人手不足になることは目に見えていますから、人員は必要な部署に投入しましょう。例えば、“コンサル課”などに」
「……」
「何よりも今は、ギルドが変わろうとしていることを、冒険者たちに分かりやすく、目に見える形で示さなくてはなりません。もちろん、世間に対する宣伝活動も必要になってくるでしょう。“妹巫女”効果で、上流階級の人々には冒険者としての活動が浸透しつつありますが、中、下流階級の人々に対してはまだまだです。しかしまあ、番付表に載るような冒険者たちは、子供たちの間でも人気がありますからね。彼らの知名度を使って、何か――」
迷宮主義者の暴走、“神子”暗殺未遂事件、冒険者ギルドの信用失墜、そしてギルド改革。
すべてが繋がっているのではないかと、ヌークは疑った。
これほどの計画書を、タイミングよく準備できるとは思えない。
かつてロウは言った。
無限迷宮の地下八十階層に囚われているユイカを助け出すためには、単独のパーティでは難しいと。王都の冒険者たちの強化が必要不可欠だろうと。
そのためには、冒険者ギルドが変わらなければならない。
だが、保守的なギルドは変われない。
一度壊して、再構築しない限り。
石化から復活したロウが、ごく短期間で攻略組族“暁の鞘”を立ち上げた時もそうだった。
教団の頼みの綱だったミユリとの繋がりが切れそうになり混乱しているところに、この青年がひょいと現れて、救いの手を差し伸べると同時に、どう考えても無理のあるはずの要求――クランを立ち上げるための資金援助と人材確保――を通してしまったのだ。
そして今もまた、同じような状況で、同じような提案を。
ヌークは、はっとした。
まさかこの男、あえて迷宮主義者たちを焚きつけたのではないか。
たとえば、スパイであるマネルに、それとなく実地研修の情報を流してーー
となると、教団が今回の事件を公表したのも。
冒険者ギルドは教団の外郭団体。通常であれば、身内の恥は秘匿するはず。だが、ミユリを引き合いに出されると、教団側は弱い。
この男が、シズに依頼してーー
いやいやいや。
ヌークは酒を飲み干すと、頭を振った。
いくらなんでも、息子であるミユリを危険に晒してまでそんな真似をするはずがない。
きっと、偶然だ。
不幸な偶然が重なり、ギルドが危機に陥って、偶然ロウがギルドを救う計画書を作っていたのだ。
根回しまで万全な状態で。
きっとそうに違いない。
考えるな。
「あ、ヌークさん。お代わり、いかがですか?」
「……もらおう」
半ば思考放棄に陥りながら、ヌークはテーブルの上にグラスを滑らせるのであった。