SS5(上)現役復帰
王都の空区の中でも、太陽城に近い位置にある一等地。
貴族や商人たちの豪邸が軒を連ねる区域だが、屋敷を構えているのは彼らだけではない。冒険者として成功し、揺るぎない名声と莫大な富を得た者も、この区画に住んでいたりする。
もちろんそのような人物は数えるほどしかないのだが、人生の一発逆転を狙う冒険者たちにとって、この地に居を構えることは成功の象徴といってよいだろう。
「えいっ」
その屋敷は他の豪邸と比べると遥かに小さく、シンプルな平屋造りで、小さな庭があるだけだった。
「やー」
その庭に、可愛らしい声と刀が打ち鳴らされる甲高い音が響いている。
相対しているのは、ひと組の母子だった。
といっても、子供は五、六歳くらいで、木刀も短く、手足もおぼつかない。
「ほらほら、もう疲れたの?」
「むー」
小さいながらも男の子だ。自分の力がまったく及ばないのが悔しいのか、半分涙目になりながら木刀を降り続けている。
金色の髪を肩のところで切りそろえている母親の名は、ベリィ。
そして子供の名は、カイ。
のんびりとした母子の時間は、来客を知らせる鐘の音によって破られた。
「ん、ちょっと休憩しよ」
「えー、まだ、かってないのに」
「お客さんだから。ほら、汗拭いて、じいじのところに行ってな」
「はーい」
不承不承といった感じで、母親似の少年は勝手口の近くにある井戸の方へと向かった。
その様子を見送ってから、ベリィは玄関へと向かった。
この区域の住人たちは執事やメイドを雇っている者がほとんどだが、ここには見かけが若い老人と、未婚の母親と少年しかいない。
料理も掃除も洗濯も家族で協力してこなしている。かつては家庭などというものとは無縁の家だったが、今は違う。
「はい、はーい」
客人の顔を見て、ベリィは不覚にも硬直した。
いずれは顔を合わせる時が来ることを、ベリィは知っていた。
だから、実際に会った時にはどんな表情を作り、どんな口調で話そうかと、事前に考えていたはずなのに。自分が思っていた以上に、心の動揺が大きかった。
「やあ、ベリィ。お久しぶりです」
玄関先には、十年以上前に、ほんの半月ほど一緒に仕事をした青年が、当時のままの姿で佇んでいた。
「ひ――久しぶり」
我ながら表情が固い。
「突然押しかけて、申し訳ありませんでした」
「別に、構わないわよ。どうせ暇だし」
十年以上振りに会う知人との会話とは思えない。もっと他に話すことがあるのではないかと、ベリィは自問した。
再会を喜ぶとか、悪態をつくとか。
「マジカンさんはご在宅ですか?」
その言葉を聞いて、ベリィは我知らず安堵した。
「抜け目のないあんたのことだから、ちゃんとスケジュールを調べてるんでしょ?」
「冒険者育成学校のスケジュールはミユリから聞いていますが、プライベートな予定があるようでしたら、また日を改めます」
「いいわよ、じいじ――ジジィも暇だし」
思わず子供に使っている呼び名を口に出してしまい、ベリィは顔を赤らめる。
「すっかりお母さんですね」
目ざとく耳ざとい青年、シェルパのロウは、そう言ってにこりと微笑むのであった。
今から十二年前。
ユイカ率いる“宵闇の剣”が地方にあるタイロス迷宮で行った計三回の潜行は、ベリィにとって苦い敗北の記憶でしかなかった。
一回目の潜行では、新種の植物系魔物、爆弾蔓によりパーティ全員が毒に侵された。
二回目の潜行では階層主の死霊魔王を倒した後、迷宮の構造が変わる迷宮改変により、パーティが分断された。
そして三回目の潜行では、町長、冒険者組合、シェルパ組合の三者による陰謀に巻き込まれ、迷宮主タイロス竜との戦いでは、激戦の末に敗れ去った。
いずれもシェルパとして同行したロウの機転がなければ、パーティは全滅していたことだろう。
そしてシェルパのロウは、迷宮主の特殊な能力により身体の通常状態を“石”に書き換えられ、物言わぬ石像と成り果てたのである。
彼が復活したことを、ベリィは父親であるマジカンから聞いていたが、自分から会いにいこうとは考えなかった。
再会の挨拶は、客室にて行われた。
御年七十を超えるという“賢者”マジカンだが、“老化遅延”のパッシブギフトにより、見かけ上は三十過ぎくらいの痩せぎすな青年である。だが髪は白く、枯れたような雰囲気を漂わせていた。
ベリィと並んで座ると夫婦のようにも見えるが、二人は実の親子だ。
「ほっ。もう少し早く会いに来ると思うたが。やけに慎重じゃったな、シェルパの小僧よ」
「ご挨拶が遅れまして。お久しぶりです、マジカンさん。それにしても、変わりませんね」
「おぬしも――といいたいところじゃが、ふむ」
マジカンが言いたいことを、ベリィは察した。
かなり昔の記憶になるが、当時のロウはもう少しひょろりとした感じだったように思う。
今は体つきもたくましく、その身に纏う神気も強い。
雰囲気がまるで、現役の冒険者のようだ。
マジカンが特別顧問として勤務している冒険者育成ではなく、直接家に訪ねてきたということは、話の内容は個人的なものなのだろう。
おそらくは、ユイカのために。
表情にこそ出さなかったが、ベリィは息苦しさを感じていた。
話は長時間に渡った。
タイロス迷宮での顛末については、かつてのパーティメンバーであり、今は冒険者ギルド長を務めるヌークから聞いていたが、やはり本人の口から確認したかった。
その後は、近況報告に移る。
これについても、マジカンはヌークから聞いていたようだった。
「おぬし、少し前に攻略組族を立ち上げたらしいの。確か、“暁の鞘”、じゃったか。実績はとんと聞かぬが」
「はい。代表はシズさんです」
これにはベリィも驚いた。
シズはベリィにとって同じ思いを共有できる数少ない戦友――と呼べる女性だった。
冒険者を引退してからは会うこともなくなったが。
“暁の鞘”に所属するパーティは、マジカンの教え子であるマリエーテとカトレノア、かつて“宵闇の剣”の専属医であったサフラン女医の娘トワ、さらにはリィズ家という貴族の娘であるティアナの四人。
全員が十五、六歳の少女だという。
「面白いことをしとるのう」
楽しげにマジカンは笑ったが、まるでままごとだとベリィは呆れた。
にこにこと微笑みながら、ロウは本題を切り出した。
「それで、今日はマジカンさんにお願いがありまして」
「……ふむ」
「ふたつあるのですが」
「遠慮がないの」
ひとつ目は、王都の冒険者ギルドに所属する魔法使いたちに、講義を行なって欲しいというものだった。
この意外な願いに、マジカンも意表を突かれたようだ。
毎月発行される“冒険者番付表”くらいは、ベリィも目を通している。ここ最近、番付の上位を占めるパーティらの実績は軒並み低い。
冒険者たちの質の向上を図りたいのだと、ロウは言った。
「おぬしはシェルパであろう? なぜゆえにそこまで冒険者ギルドに肩入れする?」
「もちろん、ユイカを助けるためですよ」
さらりとロウは言ってのけた。
ユイカを救えるかもしれない。そのことをベリィが知ったのは、半年ほど前のことである。
これもヌークからの情報だった。
地下八十階層の主、自ら“収集家”と名乗る上級魔族は、時属性の魔法を使ってユイカの時を止め、どこかへ連れ去った可能性があるのだという。
その話を聞いた時、ベリィは何故か――素直に喜ぶことができなかった。
「なるほどの。冒険者たちの実力を底上げして、地下八十階層に挑むか。少々回りくどいが、理にはかなっておる」
「どうでしょうか、マジカンさん」
「まあ、おぬしには借りもあるしな。よかろう」
マジカンはロウの要請を受け入れた。
趣味で冒険者育成学校で教鞭をとっているくらいだから、別に負担にもならない。
「で、ふたつ目はなんじゃ?」
「貴方を、うちのクランに勧誘したいと思いまして。もちろん、今すぐにというわけではありませんが」
マジカンの目が細まった。
「それは、マリンとカリンの訓練をつけろという意味かの?」
「いえ。パーティメンバーとして、です」
予想通りの依頼。
それを堂々と口にする。
マジカンは引退と復帰を繰り返し、異なる三つのパーティで“勇者”に番付された伝説の賢者である。
ゆえに、パーティ勧誘の話も多い。
しかしベリィとともに冒険者を引退してからは、そういったことに興味を示すことはなくなった。ここ数年間、勧誘目的で訪ねてくる冒険者たちは、すべて門前払いしていたはずだ。
無理だと、ベリィは思った。
子供の頃から見ていたから分かる。父親を勧誘するためには、よほどの覚悟と、実力と、そして可能性を示さなくてはならない。
ロウはさらりと告げた。
「うちのパーティレベルは、十です」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
「なん、じゃと?」
マジカンもまた、困惑した様子を見せる。
標準パーティ――つまり四人パーティの場合、四人の平均レベルが十ということだ。
冒険者になって半年かそこそこの、しかも十五、六の娘が到達できるレベルではない。
あのユイカでさえ、二年近くかかったはず。
二人の驚きをよそに、ロウは淡々と説明した。
ここ半年ほど、“暁の鞘”は地下二十一階層への潜行を繰り返し、追跡蟻の群れを狩り続けてきたのだという。
「あそこは、常に魔群祭が発生している階層ぞ。それこそ、一日中戦い続けなければ……」
マジカンも、そしてベリィも気づいた。
それを実行することができる、おそらく唯一の男が、目の前にいる。
タイロス迷宮の二回目の潜行の時、迷宮改変に巻き込まれたロウは、ベリィを庇いながら二日間も、深階層の魔物たちの攻撃を防ぎ続けたのだ。
「……恐ろしい男じゃの」
ロウは自ら条件を付け加えた。
「レベルは上がりましたが、彼女たちには実戦経験がありません。あと半年待ってください。“暁の鞘”は、必ず“勇者”になってみせます」
「……」
「そうしたら、うちに来てくれますか?」
それは、冒険者育成学校の学期が終わるタイミングでもあった。
「――ひょっ」
しばらくの沈黙を経て、マジカンは大声で笑い出した。
「ひょほっほっほっ!」
これほど楽しげな父親の姿を見るのは、久しぶりかもしれない。
「すべてを巻き込み、尋常ならざる手段をもって、目的を果たすか」
「それしか、方法がないのであれば」
「よかろう」
笑いを噛み殺しながら、マジカンは了承した。
「番付表に載ったら、呼びにくるがよいぞ」