SS4(下)
魔甲人形や石像鬼といった物質系の魔物に、持久力という概念はない。
いや、あるのかもしれないが、過去の実例により、魔物を動き回らせて、弱り切ったところを叩くという戦法が通用しないことは分かっていた。
ゆえに魔法で殲滅するか、物理攻撃で体力を削り切るか、魔核を破壊して一気に片をつけるしかないのだが。
魔核の破壊は運に頼ることになるし、深階層のしかも階層主ともなれば、その体力は膨大である。
しかも全身鉄板鎧を身につけているので、防御力が異様に高い。
ギフトを載せていない通常攻撃ではほとんどダメージを与えられなかった。
それでも、短期間で上級冒険者となった三人の少女たちは、経験不足を補うセンスと息のあった連携で、戦いを優勢に進めていた。
このまま焦らずに、体力を削りとっていけば、問題なく勝てるだろう。
だが戦いが長引けば、他の魔物が集まってくる危険も大きくなる。最悪、魔群祭が発生し、逃げ場すら失うことになる。時間をかけて倒せばよいというものではないのだ。
地下八十階層への到達を目標としている彼女たちにとって、この苦戦は敗戦に等しいものだった。
「ちっ、やるしかねぇ」
ゆえに、ティアナの決断に、マリエーテもカトレノアも反対することはなかった。
「“魔花狂咲”」
このギフトは、使用者の筋力と瞬発力を爆発的に向上させる代わりに、使用者の理性を失わさせる。
ティアナの気配が――神気の性質が変わった。
触れた者をすべてを切り裂くような、鮮烈な気配。
通常であれば、マリエーテとカトレノアを遠ざけるところだが、ティアナはそんな指示を出さなかったし、二人もまた動かなかった。
身体が頑強になる“恵体”とともに、ティアナの精神の支えとなっていたアクティブギフト、“魔花狂咲”。
クラン本部の地下訓練所で何度も練習を重ね、少しずつ制御できるようになってはいたが、制御できたのは二割がせいぜいといったところ。
あとの八割は仲間を襲おうとした。
実践に強いティアナの性質に望みを託して、今回、最終テストを行うことになったのだが、再び理性を失うようなことがあれば、このギフトを封印することをロウが決め、ティアナもまた了承していた。
このギフトを、失うわけにはいかない。
目の前に強敵がいる。
精神状態は最高。
これならば――
だが、ティアナには誤算があった。
“魔花狂咲”によって生まれるもうひとりの自分――彼女は“獣の心”と呼んでいる――もまた、強敵を前に興奮で打ち震えていたのだ。
だめだ。手綱を握らないと。
ティアナは“獣の心”に抗い、無理やり押さえつけようとした。しかしそれ以上の反発力を持って、“獣の心”が抵抗する。
我知らず、口から唸り声が漏れた。
「がるるっ」
「ティ――」
「負けちゃだめっ!」
分かってる。分かってるよ。
焦る気持ちが空回りする。
ティアナの持つ手綱を引きちぎるかのように、“獣の心”が爆発した。
「だめか」
ティアナの異常を察知したロウが、飛び出した。
シェルパであるロウが、今回“ドク”としてパーティに参加したのは、暴走したティアナへの対策のためだった。
冒険者レベルとともに基本能力が上がっているティアナが“魔花狂咲”を使った場合、“剛力”の仮面を身につけたロウでなければ、穏便に取り押さえることができない。
それほどまでに、ティアナは強くなっていたのだ。
理性を失った――ように見えるティアナは、真っ直ぐ魔甲人形へと突っ込んでいく。
マリエーテとカトレノアを狙わないのは、ふたりよりも魔物の方が強敵と判断したため。
楽観視はできない。
“獣の心”を宿したティアナは、瞬発力で魔甲人形を圧倒した。
力もほぼ互角。
まるで浅階層に棲まうのろまな石人形とでも戦っているかのように、相手の攻撃をひらりと交わし、連続で拳を叩き込んでいく。
ティアナの武器は、両手にはめた手甲。素材は重幻鉄だ。重く硬い金属の拳は、魔甲人形の鎧をぼこぼこに変形させる。
だが――
これじゃ、だめだ。
消えかけようとする意識の中で、ティアナは思った。
これじゃ、醜悪鬼の二の舞だ。
最初は勝っていても、持久力が尽きれば、いずれ攻撃を食らって、負ける。
このままじゃ、だめだ。
こいつを、ねじ伏せなければ。
しかし、強敵と相対し、拳を交えることに喜びを感じている“獣の心”は、頑として言うことを聞かない。
ふと、ティアナは気づいた。
そもそも、こいつはオレだ。
オレの中の、もっとも尖った一面だ。
こいつの行動は、オレの願望そのものといっていい。
今の状況は、オレが一番望んでいることなのに、こいつを押さえ込めると考える方が、おかしいのではないか。
それよりも、同じになれば――
しかしここで理性が働いた。
本当に、“獣の心”に自分を預けてもよいのか。
仲間たちを傷つけたりはしないか。
オレは、元のオレに戻れるのだろうか?
それは、ティアナが感じた本能的な恐怖だった。
ティアナの理性は今後の展開を推測する。
このままでは、たとえ戦いに勝ったとしても、ロウは自分を――“魔花狂咲”を決して認めないだろう。
このギフトは、封印される。
自分の誇りそのものといえる、唯一無二のギフトを。
それで、いいのか?
答えは自然と出ていた。
ふん、くれてやるよ。
オレの心を――
その瞬間、ティアナの動きが変わった。
カウンター気味に合わせようとしていた魔甲人形の攻撃を、ティアナは動きを止めることで躱した。
大きく態勢を崩した魔甲人形の脚の部分に、蹴りを叩き込む。
「“脚刃”!」
この攻撃に、マリエーテやカトレノアのみならず、ロウも驚き、思わず足を止めた。
“魔花狂咲”中のティアナが他のアクティブギフトを行使するところを、初めて見たからである。
魔甲人形は膝を折って倒れ込んでくる。ティアナは拳を突き上げ、その顎の部分に叩き込んだ。
「“昇撃”!」
魔甲人形の巨体が、上方に向かって跳ね飛ばされる。
ティアナもまた、跳躍した。
敵の攻撃を躱し拳を叩き込むという単純な動きなどではない。それは、修練を積み重ねることで彼女がようやく習得することができた、必殺の三連連華だった。
「“爆裂拳”!」
背中から地面に落ちた魔甲人形は立ち上がろうともがいたところで、腹部が爆発四散する。
両手を地面に降ろすと、魔甲人形は動かなくなった。
「ふーっ、ふーっ、ふっー」
興奮した猫化の動物のように、荒い息をつくティアナ。
「テ、ティ?」
「待って。まだ、分からない」
“魔花狂咲”は敵を倒した後が問題なのである。
マリエーテとカトレノアは油断なく身構えていたが、ティアナは俯いたまま息を整えるだけで、仲間に襲いかかろうとはしなかった。
「これは、大丈夫なんですの?」
「さあ?」
勝った――
この時、ティアナの精神は歓喜のただ中にいた。
強い敵、倒した。オレ、強い。やった、やった。これで、褒めてもらえる。
うん?
同時に、ティアナは違和感を覚えた。
オレは、何を考えているんだ?
いつも、ダメ出しされた。
がっかりさせてばかりだった。
でも、やっと成功した。
強い敵を倒し、仲間を襲わなかった。
やった、これで、褒めてもらえる。
あの人に――
おい、待て。
不吉な予感に寒気を感じたティアナの後方に、その人物がやってきた。
「よくやったね、ティアナ。まさか、“魔花狂咲”中にコンボを繰り出すとは、驚いたよ」
振り返れば、そこには不気味な髑髏の仮面と黒色のコートを身につけた男、“骸骨の騎士”様がいた。
褒めて、褒めて。
ば、馬鹿。
もっと褒めて。
ま、待て!
「これで、パーティ戦略も広がるね。一度本部に戻って――」
不意に、ティアナはロウに飛びかかった。
いや、その胸に抱きついたという表現が正しいだろう。
思わず尻餅をついたロウの腹部に、ティアナは頬を擦りつけた。
「……ぐるぐる、るる」
喉の奥から、まるで猫科の動物が甘えるかのような音が漏れる。
なっ――
マリエーテ、カトレノア、トワの三人が駆け寄ってきて、大騒ぎとなった。
「……ティ。何やってるの?」
まるで凍りつくような声で、マリエーテが聞いてくる。
違う、オレじゃねぇ!
いや、オレだけど、本当のオレじゃねぇんだ!
「これは、甘えているようですわね。獣は、自分より強い獣に従うといいますから。そういえば、ティはロウさん――いえ、“骸骨の騎士”様に憧れていましたわね。なるほど、そういうことですか」
カトレノアがにまにましながら分析する。
や、やめろ。
オレは、あんな冷血な鬼シェルパ野郎に憧れたことなんか、一度たりとも――褒めて、もっと褒めて。
「おほっ。普段はツンツンしてる娘が、デレデレする構図。実に愛らしい。これは、描かねば」
トワが荷物からスケッチブックを取り出している。
描くな。
こんなオレを、描くんじゃねぇっ!
「ま、危険がなければいいんじゃないかな。今日のティアナはよくやったしね」
ロウが話をまとめ、よしよしとティアナの頭を撫でる。
ティアナの心の中に、これまで感じたことのない暖かな気持ちが溢れかえった。
もっともっと。
や、め、ろっ!
ティアナは頭を思い切りロウに擦り付けると、その手をペロリと舐めた。
「ふ、不倫――」
これまで聞いたことのないような、怒れるマリエーテ声。
その瞬間、ティアナの羞恥心が限界を超えた。
“獣の心”がはじき飛ばされ、一気に我に返る。
ロウの膝の上で。
舌を出しながら。
「あ……へ?」
数瞬後、彼女は――
本当の意味で、“生き恥”というものを知ることになる。