(16)
――十月後。
無限迷宮の地下第六十三階層。
適正レベルは、十一。
七つの通路が合流する迷宮泉に、斥候役を努めていた遊撃手が、“韋駄天”というギフトを使って高速で戻ってきた。
「よう、お疲れさん」
パーティのリーダーがねぎらいの言葉をかける。
「どうだった?」
「やっぱり、いましたぜ」
「そうか」
遊撃手の報告に、迷宮泉で休んでいた他のメンバーたちの間に緊張が走った。
冒険者パーティ“ゆずり葉”は十人もの大所帯である。メンバーの年齢は二十代前半から四十歳。パーティメンバーは同年代の同性で固める、というのが原則だが、このパーティは年代もばらばらで、女冒険者もいる。メンバー間の関係が比較的良好なのは、最年長で面倒見のよい熟練リーダーの人徳によるところが大きい。
「前回の討伐報告から、ちょうど半月。そろそろだとは思っていたが」
遊撃手が確認してきたのは、北側の通路の先にある広大な広間の様子だった。
天井が高く、ほのかに黄色く光る枯れ草で覆われた幻想的な空間で、“夢野原”と呼ばれていた。
この広間の中心部分には小高い丘があり、そこを寝ぐらにしている固定階層主が――
「獅子鷲か」
鷲の頭と羽根、そして獅子の身体を持つ魔物である。
階層主のレベルは、その階層の適正レベルよりもふたつほど上とされている。
つまりは、十三。
上級冒険者のパーティが、遠征を組んで討伐に臨むほどの強敵である。しかも獅子鷲は、飛行系の魔物だった。対策なしでは返り討ちに合うだろう。
「どうする、リーダー。やるなら、覚悟を決めるけど」
若い軽戦士が鞘を掴んでカチャリと鳴らした。
「おい、何発撃てそうだ?」
熟練リーダーは女魔法使いに問いかけた。
「二発はいけそう。でも、私の土属性魔法は、獅子鷲と相性が悪いから」
定石としては誰かが囮となって獅子鷲を地上に引きつけつつ、羽根を切り落とすか、攻撃魔法で殲滅するというもの。
だが、空中に逃げられてしまえば厄介だし、油断していると地上からも別の魔物たちが襲いかかってくる。
「マナポーションの在庫は?」
パーティの物品管理も兼ねている遊撃手が、肩を竦めた。
「聞くまでもないでしょう。そもそも、一本しかなかったんですぜ?」
その虎の子も、運悪く遭遇した魔群祭から逃れるために、女魔法使いが“土塊櫓”を連発し、魔力を回復させるために使ってしまったのである。
今回の迷宮探索の収支を頭の中で計算して、熟練リーダーはため息をついた。
「……帰りのことを考えると、なぁ」
そこで若い軽戦士が提案した。
「確か、迷宮泉には、緊急時に利用できる補給物資があるのでは?」
一部の例外を除き、迷宮泉には魔物は近寄らない。冒険者たちにとって貴重な休憩場であり避難場所になっているわけだが、最近ここに、冒険者ギルドが案内人ギルドの協力を得て、補給物資が常備されることになったのである。
パーティを導く役割を担う熟練リーダーも、そのことは承知していた。
「物資の利用を希望する場合には、シェルパに申請するんだったか。どうやればいいんだい?」
今回雇ったふたりのシェルパ――逞しい体格のモヒカンの男と禿頭の男は、可愛らしい刺繍の入ったエプロンを身につけて料理を作っていた。
「へい」
「少々お待ちを」
ふたりが頷き合い、モヒカンが少し場所を移動する。目印になっているらしい特徴的な石を移動させると、その下の板を取り外す。地面に穴が掘ってあり、頑丈そうな木箱が収められていた。木箱の中身は補給物資である。モヒカンのシェルパは、同じく箱の中に保管されていた説明書きを、たどたどしい口調で読み出した。
「――では。こ、これより“迷宮泉倉庫”の利用方法について、ご、ご説明をいた、いたし、ます」
説明を要約すると、迷宮泉に備蓄されている補給物資は、不測の事態により食料やポーション類が不足して帰還すら困難となった冒険者パーティのためのものとのことである。
「自力で地上に帰還できると、担当シェルパが判断した場合には、補給物資の無償でのご、ご提供は、いたしか――ねます?」
ふむと、熟練リーダーは考え込んだ。
「有償ならできるのか?」
「へい、こちらで」
モヒカンが物資の価格表を渡してきた。
“ゆずり葉”のメンバーたちが熟練リーダーを囲む。それは、階層に応じた物資の価格表だった。当然のことながら階層が深くなればなるにつれて、価格は高くなる。
それが深階層ともなれば……。
「マナポーションが、銀貨八枚? 高っ!」
女魔法使いが悲鳴を上げた。
「いや」
だが、苦労人の熟練リーダーは、ものの価値と、こういった運用を成り立たせるための労力について理解があった。
「この階層でこの価格なら良心的だろう。ポーションには使用期限があるし、定期的に運び込むだけでもひと苦労だ」
「……うっ。そう、かも」
「それに、緊急時には無償で提供されるのだろう?」
二人のいかついシェルパが、こくこくと頷く。
ならば、文句のつけようがない。
これまで、冒険者ギルドのやることだからと、あまり重要視していなかったが、これはよいと熟練リーダーは評価した。頼れるもののない迷宮内で得られる安心感が違ってくる。ポーションの使い惜しみなどでメンバーに犠牲が出たら、後悔してもしきれないのだから。
獅子鷲と戦うことのリスクと得られる成果――魔核や一定の確率で残される成果品を頭の中の天秤にかけて検討した結果、今回は獅子鷲の討伐を諦めようということになった。
「すまんな。もう少し余裕があれば、“獅子鷲討伐者”の箔をつけてやれるんだが。魔群祭がちと痛かった」
「いえ、とんでもない。リーダーの判断ですから、お気になさらず」
この若い軽戦士は上昇志向が強い。だが“ゆずり葉”の実力は、地下第六十五階層がせいぜいである。
熟練リーダーとしては、彼がある程度の経験と実力をつけた時点で、本物のトップのパーティに移籍させるつもりだった。
“ゆずり葉”の実力は下がるが、また中級冒険者たちを加入させて育てていく。それが、“ゆずり葉”の活動方針であり、熟練リーダーの、冒険者としての生きがいのひとつなのだ。
「よしみんな! 今日はしっかり食ってしっかり寝て、帰還の準備をしようや」
「了解!」
地上にある迷宮門を潜るまでが冒険である。“ゆずり葉”のメンバーたちは、決して油断することなく、今回の冒険の総括や世間話をしながら寛ぎ始めた。
「そういえば聞きましたかい、リーダー? クサコとカーヤの話」
パーティ内で二番目の年長者である遊撃手が、まるで我が子の活躍を喜ぶ親のように、熟練リーダーに話題を振った。
「おう、聞いた聞いた。あいつら頑張ってるみたいだな」
クサコとカーヤはもと“ゆずり葉”のメンバーで、“卒業”後はいくつかのパーティを転々としていたのだが、最近よいパーティに巡り合えたらしい。
「確か、“無頼者”と、“賽の目”だったか。なんでも、番付表に載りそうな勢いらしいじゃないか」
「最初はうさんくさいと思ってやしたが、パーティ相談役も、役に立ったみたいで」
「パーティ相談役? ああ――」
これもまた、熟練リーダーの記憶にあった。冒険者ギルドのロビーに貼り紙があり、一読して鼻で笑ったものである。
冒険者ギルドは、冒険者たちが命を懸けて持ち帰った商品を買いたたき、転売し、莫大な利益を上げているだけの商売人にすぎない。そんな輩が冒険者に助言などできるものかと。
少なくとも“ゆずり葉”には必要はないと、熟練リーダーは切り捨てていた。
「あんなものを頼ったのか」
「リーダー、知らないんですかい?」
情報通の遊撃手は呆れたようだ。
「“無頼者気取り”と、“賽の目次第”だけじゃありやせん。“遮二無二”も、“迷宮鼠”も、現時点の“勇者”である、“蒼天明光”も、パーティ相談役を利用したって噂ですぜ」
「そうなのか?」
最近、王都の冒険者ギルドは賑わっている。一年ほど前くらいまでは冒険者たちの質が落ちたと言われ、実際その実力は地下第七十階層へ到達するのが精々だったが、最近は新進気鋭のパーティが次々と現れて、かつての――初代“宵闇の剣”という絶対的なカリスマパーティが健在だったころの勢いを取り戻しつつあった。
「上だけじゃありませんよ」
やや憮然とした様子で、軽戦士が話に加わった。
「“魔引き”のおかげで、初級冒険者たちの生還率も向上してますし。今は中級冒険者たちが、ものすごい勢いで迫ってきてるんです。こっちも、うかうかしていられない」
“魔引き”とは、最近新たに加えられた冒険者ギルドの依頼案件である。その内容は、上級冒険者パーティが浅階層に潜行して、魔物たちの数を減らすというもの。特定の路順にいる魔物を全滅させる掃討とは違う。あえて、魔物を残すのだ。
昔気質の熟練リーダーとしては、過保護に過ぎると憤慨したものだが、覚悟も実力も伴わないままに運悪く魔群祭などに出くわして全滅する初級冒険者パーティが激減し、次世代の冒険者を生み出す苗床となっているようだ。
「いわゆる、ギルド改革ってやつか」
現冒険者ギルド長、ヌークが提唱したとされる改革。ギルドと冒険者が互いに信頼関係を持ち、ともに手を取り合い、無限迷宮の踏破という大目標のために邁進するという、吐き気がするような綺麗ごと。
長年に渡る失望が積み重なっていたため、熟練リーダーはその活動を評価することはなかった。いや、見て見ぬふりをしていたのだ。
だが、今回ばかりは認めざるを得ない、のかもしれない。
浅階層の“魔引き”による初級冒険者たちの生還率の向上、緊急時に補給物資を利用できる“迷宮泉倉庫”の設置、パーティ相談役による人材斡旋やパーティ戦略の見直し、迷宮情報の一般解放、処女潜行限定のシェルパの強制貸与、冒険者育成学校の特別顧問による“賢者合宿”、“迷宮カード”による住民への啓蒙活動等々……。考えてみれば、ここ一年ほど冒険者ギルドが行ってきた施策の数々には、目を見張るものがあった。
「やつら、たぶん来ますよ」
「ああ、あれな」
考え込んでいる熟練リーダーの前で、若手の軽戦士と遊撃手が頷き合っている。
「お、有望な若手か?」
才能のある冒険者を育てるという、もの好きなパーティを立ち上げただけあって、熟練リーダーはその手の話に目がなかった。ただ、口下手で人の名前を覚えるのが苦手なので、遊撃手に頼りきりになっているのだ。
「今、やばい連中がいやして。どうせ、リーダーは知らないと思いやすが」
「……」
ひとり時代に取り残された気分になり、熟練リーダーは必死に自分の記憶を掘り起こした。先日、冒険者ギルドのカウンターで、受付嬢に若手の有望なパーティのことを聞いた時に、名前が出たような気がする。
「分かった、あれだろ。悠々……なんちゃらってやつ」
「違いやす」
あっさりと否定されて、熟練リーダーはがっかりした。
「噂を聞く限り“悠々迷宮”はまだ三十階層そこそこ。まあ、全員が十代後半ってことを考えれば、将来有望には違いありやせんが、深階層に来るにはあと二、三年はかかるでしょう。もっと若くて、やばいやつらがいるんですよ」
遊撃手は懐から数枚のカードを取り出した。掌よりもひと回り小さなサイズで、表面には人物像が、そして裏面には説明書きが、版画刷りされているようだ。
「こいつらです」
「お前なぁ、迷宮探索に不要なものは持ち込むなと、あれほど――」
「うわぁ、すごい。“マリ・カレ”もあるじゃないっすか。かなり希少なカードっすよ!」
話に飛び込んできたのは、“ゆずり葉”に加入したばかりの、新入りの軽戦士だった。
騒ぎを聞きつけて、他のメンバーたちも集まってくる。
「なになに、“迷宮カード”?」
「最近、流行ってるよなぁ」
「オレも甥っ子に買ってきてくれって頼まれてるんだけどさ。冒険者だからって手に入るもんじゃないんだよ」
「ああ、リーダー。“迷宮カード”っていうのはっすねぇ」
頼みもしないのに、新入りの軽戦士が説明し出した。
“迷宮カード”とは冒険者ギルド公認のカードである。カードゲームなどで使えるわけではない。内容は冒険者や魔物や、品物類の絵と、その説明である。冒険者ギルドの狙いとしては、自分たちの仕事を地域住民に知ってもらい、世間の理解や支持を得ようというものであったが、商売熱心なボルテック商会と組んだことが功を奏したのか、これまでのところ予想外の売上げを出しているようだ。
「やけに魔物だけがリアルというか、おどろおどろしくて。やっぱり人気なのは、冒険者っす。てきとうに描いているようで、心に響くっていうか、見ていて飽きないっていうか」
このカードのずるいところは、目当てのカードを狙って購入することができないということだ。五枚セットで販売されており、中身が見えないようしっかりと包装されている。ゆえに、目当てのカードが出る前に、かなりの数のハズレカードを所有することになる。
「番付表に載っている冒険者パーティはもちろん、実力のあるパーティには、冒険者ギルドからお声がかかるらしいっす。ひょっとしたら、ウチもいけるかもしれないっすね」
「ああ、それならあったぞ」
何気なく、熟練リーダーは答えた。
「報酬を出すから、モデルになってくれませんかって」
「――え?」
メンバー全員の視線が集中する。
「そ、それで、どうしたんすか?」
「そりゃあ断わったさ」
「なんで!」
「……なんでって」
“迷宮カード”の裏面には、その冒険者のレベルやギフトなどの情報が掲載されるからである。
「そんな大切な情報を、晒すわけにはいかんだろう?」
周囲から盛大なため息が漏れた。
「え? 違うのか?」
「まあ、一年前だったら、そうだったんですがね」
遊撃手が説明した。
冒険者パーティはメンバーの入れ替わりが激しい。いらぬ注目を集めると、よからぬパーティから勧誘されたりもする。ゆえに、自分の情報を秘匿する者も多かった。
だが、今ではパーティ相談役がいるので、強引な勧誘合戦はなくなった。再就職先は自分で探せるし、冒険者ギルドは各パーティの実力はもちろんのこと、その評判までシェルパや他の冒険者たちを通して仕入れており、下手な行動をとると死活問題になるからだ。
「それに、やっぱり。どんな形であれ、自分の生きた証ってやつを残したいやつは多いですよ」
「わ、分かった。今度誘われた時には、ちゃんと話を聞いて」
再びメンバーたちの猛抗議を受けた熟練リーダーは、自ら冒険者ギルドに赴いて、断ったはずのモデルの件をお願いすることになった。
「それで? その、“マリ・カレ”ってのは、どんなやつなんだ?」
「やつじゃありやせん」
遊撃手から渡された四枚の“迷宮カード“を、熟練リーダーは確認した。
「パーティ名は“暁の鞘”。同名の攻略組族に所属しているパーティでやす。メンバー構成は四名で、年齢は十六、七。全員がうら若き女冒険者――というか、子供ですぜ」
新入りの軽戦士の話によれば、マリエーテとカトレノアという魔法使いコンビが一番人気なのだという。
「ふたりで“マリ・カレ”っす。カードの種類も多いし、やけに、版画絵に気合が入ってるんすよねぇ」
愛する妹のために二人の兄が膝を突き合わせてあれこれと話し合い、採算度外視で超豪華な“迷宮カード”を作成している事実など、誰も知らない。
「この娘たち、少し調子にのってない?」
二十代の半ばに差し掛かろうという女魔法使いの呟きに、内心男たちは冷や汗をかいた。
「も、もちろん、ティアナちゃんとトワちゃんも人気っすよ。トワちゃんは何故か、いつも後ろ姿っすけど」
そんなことはどうでもいいと、熟練リーダーは考え込んだ。
「性別や年齢なんぞあてにはならんぞ。“死霊使い”なんかは、二十歳前で“東の勇者”に君臨していたからな。同じような化け物が現れたのかもしれん。で、こいつらの実力は?」
答えたのは、若手の軽戦士である。
「信じられないことですが、もう深階層に潜行しているらしいです」
「何だと?」
“迷宮カード”にはすべての情報が記載されているわけではない。本人たちが秘匿しているギフトもあるだろうし、パーティ戦略などは、遠征で同行でもしない限りは分からない。
「よほどのギフトがあるのか、それとも」
“ゆずり葉”のメンバーたちが、一斉に身構えた。
迷宮泉に繋がる通路から、物音が聞こえたからである。
「お仲間ですぜ」
遊撃手が肩の力を抜く。
先に迷宮泉で休んでいる者たちを驚かせないために、あえて足音や装備品の音を立てながら近づいてくるのは、冒険者としてのマナーなのだ。
間もなく現れたのは、大荷物を担いだひとりのシェルパと、四人の少女だった。
「うん?」
ちょうど四枚の“迷宮カード”を持っていた熟練リーダーは、思わず見比べていた。
燃えるような赤毛にすらりとした長身。口元にはどこか少年っぽい不敵な笑みを浮かべる少女。
やや癖のある薄茶色の髪に、まるで人形のような冷ややかな眼差し。他人を寄せつけない厳しさと美しさを併せ持つ少女。
豪奢な金髪の巻き毛と青色の瞳。明らかに上流階級然とした、優美な佇まいの少女。
顔の大きさのわりに不自然なほど大きな目。そして腰まで届く灰色の髪を緩い三つ編みにしている小柄な少女。
容姿だけでなく、明らかに注文発注と分かる装備品まで同じだ。
「どうも、“暁の鞘”です」
「あ、ああ。“ゆずり葉”だ」
初対面の場合は、まずリーダー同士がパーティ名を名乗り合う――はずであったが、相手は何故かシェルパが出てきた。
穏やかな笑みを浮かべたおさげ髪のシェルパは、他のメンバーにも会釈をした。あまりにもタイムリー過ぎる出会いに、“ゆずり葉”のメンバーたちは硬直してしまう。
次いで、ふたりのいかついシェルパたち。
「先輩方、お食事ですか?」
「うむ」
「お前もいっしょにどうだ?」
「いえ。ここには、ちょっと立ち寄っただけですので」
モヒカンと禿頭のシェルパは、両腕を組んでうんうんと頷いている。
おさげのシェルパは再び熟練リーダーに話しかけた。
「“ゆずり葉”さん。この先は“夢野原”だと思うのですが」
「ああ、獅子鷲が再出現していてな」
「討伐されるのですか?」
「いや。消耗も大きいし、今回は見送ることにした」
「そうですか。では、お先に」
おさげのシェルパは四人の少女たちに合図を送る。
唐突に現れた“暁の鞘”は、そのまま北側の――“夢野原”へと繋がる通路へと姿を消していった。
その、気負いもなくあまりにも自然な行動に、熟練リーダーはそのまま見送ってしまう。
「リ、リーダー。いいんですかい?」
「いいも悪いもないだろう」
「ですが、あの先には――」
「うわっ、本物の“マリ・カレ”だ。やばい」
「ちょっとあんたは黙ってなさい」
女魔法使いが警告する。
「あの娘たち、まだ冒険者になって一年かそこらの素人のはずよ。しかも標準パーティ。間違いなくやられるわ」
「だが……」
迷宮内の行動はすべて自己責任。いらぬお節介は焼かないというのが原則である。だが相手はあまりにも幼く、迷宮探索というものに対して無知のような気がした。
それに“ゆずり葉”は、才能ある若き冒険者を育て、新たなる舞台へと旅立たせるという、酔狂な目的を持ったパーティである。
その時、通路の奥から、甲高い、獣と野鳥を掛け合わせたような咆哮が響いた。
間違いない。獅子鷲だ。
熟練リーダーは覚悟を決めた。
「ちっ、いくぞ! あの嬢ちゃんたちを、迷宮泉に連れ戻すんだ」
「了解!」
たとえ縄張りを侵された階層主といえども、迷宮泉までは追っては来ない。
勝算はないが、負けない算段ならあった。
十名の冒険者たちが通路を掛けぬけ、広場にたどり着く。
見渡す限りの――地中奥深くであることさえ忘れてしまいそうな、壁さえ見えない黄昏色の平原。頭上には空はなく、夜空のような闇が広がるだけだ。
その闇の中に、一体の獅子鷲が羽ばたいていた。
鷲の頭と獅子の体。その武器は鋭い嘴と鉤爪。何よりも巨体で突進されると防ぎようがない。
広間の入り口に一番近い位置にいたのは、灰色の長い髪の少女、トワだった。
小弓に矢をつがえ、引き絞っている。
他の三人の少女たちは、まっすぐに獅子鷲の元へと向かっていた。
「馬鹿なっ、策もなしに」
へろりと、力のない山なりの矢が放たれた。
弓術士。
人気のない職種である。魔物に追加ダメージを与えるアクティブギフトは、直接触れているものにしか作用しない。放たれた矢はただの矢。すばしっこい小さな魔物を狩るのであれば別だが、中階層以降ではまるで役に立たない。
しかし、矢が獅子鷲の真上にたどり着いたところで、不可解な現象が起こった。
空中に、光り輝く魔法陣が展開されたのである。
硬質な音とともに魔法陣が砕け散ると、蜘蛛の糸のような巨大な網が現れ、獅子鷲の体を包み込んだ。
『ギョエアアアアッ!』
羽根の動きを阻害され、身動きもとれないままに、獅子鷲が地上へと落下していく。
「……なっ」
何が起こったのか、熟練リーダーには理解することができなかった。
「ま、魔法? いつの間に!」
他の三人の少女は走っている。とても魔法陣を描ける状況にないはずだ。
思わず隣にいた女魔法使いを見ると、彼女もまた信じられないように目を見開いていた。
「まさか、遺失品物! 矢の先に、“神の手”ファーのナイフを」
魔法陣の描写もなく魔法ギフトを発現させる魔法品は、他にない。
「そんな、ありえない!」
ある時期から、遺失品物の相場は一気に跳ね上がった。
今では金貨三百枚でも購入できないだろうとさえ言われている。
そんな貴重な魔法品物を、初手から――
さらに驚愕すべき現象が起きた。
地上に落ち、魔法の網に絡まれてもがき苦しむ獅子鷲の左右から、薄茶色の髪の少女と金髪の少女――マリエーテとカトレノアが襲いかかった。
武器は、腰のベルトから引き抜いた、短刀らしきもの。
今度は別々の魔法陣が浮かび上がる。
「“地雷砲”に、“鎌鼬”――」
だけではない。
もはや判別が不可能なくらいの数の攻撃魔法が、一気に叩き込まれる。
土煙がおさまると、そこにはほとんどの羽を失い、傷だらけになった獅子鷲――らしきものがいた。
ぐらりと、巨体が傾く。
赤毛の少女ティアナが、正面から突進する。空中にジャンプして、首の部分に蹴りをたたき込んだ。
何らかのアクティブギフトが発動し、もはやぼろぼろになっていた獅子鷲の頭部が、胴体から切り離された。
赤毛の少女は崩れ落ちる獅子鷲の胴体を土台にして、再度ジャンプ。そのまま空中で、獅子鷲の頭部に両手の拳による連打を叩き込む。
少女が着地すると同時に、獅子鷲の頭部が爆発四散した。こちらも何かのアクティブギフトなのだろう。最後に残された濃い紫色の結晶――魔核が落ちてくる。
その魔核を、ティアナはその場でキャッチした。
「ああああああっ!」
叫びながらティアナに突進したのは、最初の矢を放ったトワである。
「ボクのもふもふに、なんてことを!」
ティアナが長い手を伸ばして、トワの頭を押さえつける。トワが何やらわめきながら短い腕を振り回したが、ティアナには届かない。
一方、獅子鷲の胴体があった場所には、いつの間にかおさげ髪のシェルパがいた。
何やら指示を出しているようだ。
マリエーテが棒らしきものを取り出して、魔法陣を描く。何らかの魔法が発現すると、マリエーテとカトレノアはそれぞれの武器を拾い集めて、ティアナとトワを呼んだ。
熟練リーダーと、“ゆずり葉”のメンバーたちは、ただただ立ち尽くしていた。
“夢野原”に、魔物の姿はない。
「リーダー、あれって」
「……」
女魔法使いの問いかけに、熟練リーダーは答えなかった。
彼は思い起こしていた。
それは、彼が冒険者として全盛期だったころ。
十年と少し前の出来事。
黒髪黒目の、ぞっとするほど美しい女冒険者が率いる冒険者パーティの戦いを目の当たりにした時に、若き日の彼は諦めた。
自分が頂点に立つことをだ。
彼女は無限迷宮の最深部にて果てたが、あの時と同じ――いや、それ以上の衝撃を熟練リーダーは受けていた。
「……新しい時代が、来たのかもしれねぇな」
遠い視線の先で、おさげのシェルパがこちらを振り向き、一礼する。
それから彼らは、誰も阻む者のいない広場の奥へと姿を消した。
第七章 了
 




