(12)
翌日から、“暁の鞘”のパーティメンバーは四人――標準パーティとなった。
また、純粋な戦士系メンバーの初めての加入でもあった。
冒険者の中では、強力な攻撃手段を持つ魔法使いがとかく注目されがちだが、魔法ギフトは発動が遅い上に魔力を大きく消耗するので、回数にも制限がある。
戦闘の花形といえば、やはり戦士系の職種なのだ。
生まれ育った特殊な環境のせいか、あるいは本人の資質によるものか、ティアナには人型の魔物への心理対策など不要だった。
魔物は魔物、倒すべき相手だと割り切っているし、そもそも罪悪感というものがない。ただ黙々と作業をこなしていく。
実のところ、もっと強い魔物と戦わせろとわがままを言われると考えていたロウは、興味深い眼差しでティアナを観察していた。
「何か心境の変化でもあったのかい?」
「ふん。今のところ、オレが一番よえぇからな。少なくとも模擬戦であいつらに勝てるようになるまでは、黙って従うさ」
強さとは何かを成し遂げるための手段でしかない。自分の中で価値観を変化させた赤毛の少女は、現時点での自分の弱さを認め、前に進もうとしている。
「ふ〜ん」
子供の成長を喜ぶ親のような笑みを向けられて、ティアナは居心地悪そうに視線を外した。
「……んだよ、文句あんのか?」
「いや? 君は、きっと強くなれるよ」
そう言って離れていくおさげ髪を見つめながら、ティアナは渋面になった。ひとを見透かしたような笑顔が苦手だと感じたからである。
“暁の鞘”の本部に戻ってからの訓練では、ハリスマンを相手に前衛の三人で接近戦を挑む。
その際には、ひとつルールがあった。
決して同時に攻撃しないこと。
深い階層に潜む魔物の中には特殊な能力を持つものもいる。前衛が同時に状態異常などに陥った場合、立て直すことが難しくなるからだ。それに、常に位置を変えつつ戦い続けるのは、持久力を高める効果もある。
そうロウに説明されて納得し、とにかく言われる通りやってみようと決意したティアナだったが、半月ほども経つと愚痴をこぼし出した。
「持久力ばっか鍛えて、本当に強くなれんのかよ」
訓練後の地下室である。
質素ながらも、よい食材と手間隙をかけた料理を平らげ、四人の少女たちは思い思いの時間を過ごしていた。
あぐらをかき頬杖をつきながら、ティアナは投げやりなため息をついた。
「迷宮でも荷物を背負いながら走らせるし、魔物の魔核もオレたちに取らせるし」
隣で上品に水出しのお茶を飲んでいるカトレノアに疑念をぶつける。
「そういうのは、シェルパの仕事じゃねぇのか?」
「さあ、どうなのでしょう。わたくしは、他所さまのことはよく存じ上げませんので」
カトレノアとて疑問に思わないではないのだが、 “暁の鞘”の――つまりロウの方針に口を出すことはなかった。別に不満を我慢しているわけでもない。
「なあ、カレン。最初から思ってたんだけどよ、いっこ聞いていいか?」
「よろしくてよ」
「なんでいつも、そんなかたっ苦しい喋り方なんだ?」
「……」
カップを受け皿に着地させると、カトレノアはひとつ息をついて、
「貴方の話し方が、砕けすぎているのですわ」
「え、そうなのか?」
「ティ。仮にも貴方は、貴族家の令嬢なのでしょう? 少しは外聞というものを気にされてはいかがですの?」
「が、がいぶん?」
「他の方が貴方を見て、どう思うかということです」
ボルテック商会の令嬢として淑女たる教育を受け、また自分を律し続けてきたカトレノアは、男勝りの――いや、男そのものといったティアナの言動に、お節介とは承知しつつも危機感を覚えていたのである。
このまま大人になったら、この子はどうなるのかと。
「貴淑女たるもの――いえ、そもそも淑女は床の上に座ったりなどしませんが。どんな時でも、決して美意識を失わないものです」
あぐらをかいて頬杖をつくなど言語道断と、カトレノアは切り捨てた。
「んなこと言われてもなぁ」
「頭をかかない」
髪は美しく見せるもの。自然な動作によってさらりと揺らすことはあっても、手でかき回してはいけないのだ。
「これは、ちょうどよい機会かもしれませんわね」
嬉々として、カトレノアはティアナの矯正にとりかかった。
「お、おい」
座り方、姿勢、首の角度、そしてティーカップの持ち方。マナー教師よろしく勝手にティアナの身体を動かして、無理やり苦しい姿勢を取らせる。
ティアナは意外と押しに弱いらしく、激しく戸惑いながらもされるがままになってしまう。
「こんな感じですわね」
「ぐっ……。こんなの、オレには無理だって」
「わたくし!」
自分をオレなどと呼ぶ淑女はいない。
「ほら、お言いになって」
膝を少し崩すようにして座り、やや小指を立ててティーカップを持ちながら、ティアナが口を開く。
「わ、わたく――」
そこまでが限界だった。
「言えるか恥ずかしい! そんな女みてぇなこと!」
「貴方は、十四歳の女の子でしょう!」
姉妹と表現するには少し荒々しい二人の様子を、少し離れた場所でマリエーテがぼんやりと眺めていた。
ひとり冒険者の登録をして、単独で無限迷宮に挑もうとしていた頃であれば、こんな馬鹿騒ぎなど無視していたに違いない。
迷宮攻略に不必要なものは、すべて切り捨てるべきだと考えていたからだ。
そうでなければ、奇跡などに手が届くはずがない。目の前に立ちはだかる絶望的な壁を乗り超えることなど、到底できはしないのだと。
しかし、兄が復活し“暁の鞘”の体制が整うにつれて、マリエーテの意識も少しずつ変化していった。
今の自分には、三人の仲間――と呼べる存在がいる。
それぞれが別の目的を持ちつつ、何故か行動を共にしている、不思議な関係。
ふっと肩の力が抜け、無意識のうちに口元が綻ぶ。
「こら、お待ちなさい。このわたくしが、淑女の美意識というものを――」
「もう勘弁してくれ!」
我慢の限界と逃げ出したティアナは、スケッチブックに木炭を走らせているトワの背中に隠れた。
迷宮探索の休憩中や訓練後、トワはずっと絵を描いている。そのほとんどが、黒い霧を吹き出しながら息絶えていく魔物の様子を描いたグロテスクなものばかりだったが、今回のモデルは違った。
「へえ、トワ。お前、まともな絵も描けるんだな」
目の下にクマを浮かべ、こくりこくりと半分居眠りしながらトワが描いていたのは、
「これ、マリンだろ?」
「……う〜」
「マリンさん、ですって? わっ」
遅れて追いついたカトレノアが、両手を口元に当て、スケッチブックを凝視する。
それは、荒いタッチながらも繊細な曲線で描かれた、透明感あふれる少女の絵だった。
優しげな眼差しが向けられる先には、いったい誰がいるのか。そして儚げな微笑は何を意味するのか。思わず想起せざるを得ない、謎めいた少女の横顔。
カトレノアはティアナを押し除けると、トワを後ろから、スケッチブックごと抱きしめた。
「わっ、わっ」
「って〜な。何すんだよ」
「ト、トワ。この絵、わたくしにくださいな」
「――んあ?」
ようやく意識がはっきりしたのか、トワが自分の絵を確認する。
少し首を傾げて、
「……失敗作。ぽいっ」
無残にもページを破り、丸めて投げ捨てた。
「ああ〜っ!」
淑女の美意識とやらはどこへやら、カトレノアは床の上に四つん這いになると、涙目でスケッチを伸ばしていく。
「失敗作とおっしゃいましたわね? 投げ捨てましたわね? では、これはわたくしがいただきます。文句は言わせませんことよ!」
「カレン」
いつの間に目の前にいたのは、マリエーテだった。
絵の中の少女とは違う、仮面を被ったようないつもの無表情で、すっと手を差し出す。
「……没収」
「そ、そんなぁ」
結局、何度も頼み込んで、カトレノアはマリエーテの許可をもらい、この絵を大切に所有することになるのだが、それが後に王都中の子供たちの間で大ブームを巻き起こす“迷宮カード”の最初の一枚になることを、この時は誰も予想すらしていなかった。




