(10)
「うおぉぉぉぉっ!」
直線的な、しかもフェイントすら交えない攻撃は、単順にタイミングの勝負となる。
間合をはかり、猪のような突撃をあっさり躱すと、ハリスマンは木刀を振り下ろした。
「いでっ」
一度動きが止まれば、あとは技術の勝負となる。ハリスマンの木刀が縦横無尽に振るわれ、赤毛の少女は抵抗するまもなく打ち据えられた。
痣くらいは残るだろが、ヒールポーションを飲めばすぐに回復する程度には手加減している。
「……ちちっ」
たまらず後退したティアナは、顔をしかめながらも口元には笑みを浮かべていた。
「へへ、つえーな。別格だ」
再び拳に力を込めて、飛びかかってくる。
「その心意気やよし」
これ以上は大怪我をさせるかもしれないと判断したハリスマンは、木刀を投げ捨て、素手で相手することにした。
躱す、カウンターで合わせる。足を払って転がす。掴んで捻り上げ、投げ飛ばす。
「す、すげー。じいさん、やるなー」
だが、起き上がるたびにティアナは元気になって、襲いかかってくる。
「――ふむ」
頭のよい娘だと、ハリスマンは評価した。
猪突猛進のようで、同じ間違いをくり返さない。
それに、適応力も高い。
迷宮内の環境に合わせるため、この地下室には光苔のエキスを撒いてあるが、それだけではなかった。床のレンガを抜いたり、逆に置いたりしているので、足元が平坦ではないのだ。だというのに、この赤毛の少女はまるで野山を駆ける野生の動物のように、全力で動き回っている。
言葉で諭さなくても、拳を交えるだけで強くなっていくタイプだと、ハリスマンは思った。
実力差があっても物怖じしないし、痛みを怖がらない。身体能力も高く、このまま真っ直ぐ伸びてゆけば、よい戦士となるだろう。
――だが。
何かが、足りないような気がする。
「すげぇ、すげぇ。まったくかなわねぇ。どうしてそんなに強いんだ、じいさん」
目をキラキラと輝かせている赤毛の少女は、自分の力のなさを悔しがっていない。単純に強い相手に憧れ、心から称賛しているように思えた。
「ティアナ殿、もう終わりですかな? なんでしたら、アクティブギフトを使っても構いませんぞ」
「へっ、言ったなぁ? 知らねぇぞ」
ティアナがガチンと両手の拳を合わせる。
再び突進。
だが、今度は拳を振るうと見せかけてしゃがみ込み、足払いをかけてきた。
自分がやられたことを、すぐに学習して取り込む。
「はっ!」
だけではない。
ジャンプして躱したハリスマンを追撃するように、瞬時に軸足を変えたティアナが、斜め上方に蹴りを放つ。
ハリスマンは靴の底で防御し、さらに後方へと飛び退いた。
流れるような動きで立ち上がった赤毛の少女が、一気に間合いを詰める。
「“爆裂拳”!」
白い手袋をはめた掌で、微妙に力を逃し威力を吸収しながら、ハリスマンはティアナの連打を受け止めた。
「う、うそだろ?」
自慢の拳が無効化されたことに、さすがに驚いたのか、ティアナが目を丸くする。
「――ふむ」
掌を見てその衝撃を確認しつつ、ハリスマンは何か検討するかのように頷いた。
「よいギフトではありますが。時間制限があるがゆえに、威力よりもスピードに偏るきらいがありますな。焦らぬことが肝要かと」
「すっげぇ!」
赤毛の少女は興奮したように、ハリスマンの強さを褒め讃えた。
「じいさん、年寄りなのにすげぇな。別格だ。オレが知ってる中では、三番目に強いぜ」
「ほう、ちなみに上の二人は誰ですかな?」
「一番は髑髏の騎士さまで、二番が醜悪鬼だな」
「では、四番目は?」
「オレ」
赤毛の少女にとって“強さ”とは、今の自分が基準になっているようである。
「じいさんはもと冒険者で、十三レベルなんだろ? それじゃあしょうがねぇ。今のオレじゃ敵わないけど、いつかきっと勝つぜ」
武人の卵としては逸材かもしれない。だが、迷宮内で臨機応変に対応しなければならない冒険者としてはどうかと、ハリスマンは考えた。
自分の知る冒険者たちと比べると、この赤毛の少女の精神は、どこか平坦で、底が浅いように思える。
底を、割ってみるか。
ちらりと視線を走らせると、模擬訓練の様子を見守っていたロウが、微笑みながら頷いた。
こちらは違いなく曲者だ。
あるいは試されているのは自分の方かもしれぬと、ハリスマンは苦笑した。
「カレンお嬢さま」
別格の相手だと負けても悔しくはないようだが、同格の相手の場合はどうか。
ハリスマンはふたりに手合わせするよう指示したが、ティアナが難色を示した。
「オレは、強いやつと戦いてぇんだ」
「あら、本人を前にして、ご挨拶ですわね」
カトレノアは余裕の笑みで挑発した。
「こう見えても、わたくしのレベルは五。貴方よりもふたつ上でしてよ?」
「で、でもよう」
「ぐずぐず文句を言うのは、勝ってからになさい」
ぶんと木刀を振って、カトレノアは話を打ち切った。
重石を入れた背負袋を下ろしたとはいえ、カトレノアは迷宮探索と訓練の後である。明らかに重い足取りに、ティアナは鼻白んだようだ。
「なぁ、こいつに勝ったら、じいさんがまた相手してくれるのか」
「むろん、かまいませんとも」
少しやる気を取り戻したティアナに、カトレノアが鼻を鳴らす。
「ずいぶんと自信がおありのようですわね?」
「あんたらの、さっきの戦いを見てたからな」
「では、ひとつ賭けをしましょう。少々ありきたりですが、負けた方が勝った方の言うことを、ひとつだけきくというのは?」
「へ、おもしれぇ」
さらにやる気を取り戻したティアナは、胸の前で両の拳を打ち鳴らした。
ハリスマンが審判となり、二人が互いに距離をとって対峙する。
「――では、始めっ!」
悠然とした構えで佇んでいるカトレノアに、ティアナが訝しげに聞いた。
「さっきみたいに、ばたばた動き回らないのか?」
「貴方、お馬鹿ですわね」
「あん?」
「あれは深階層に棲まう魔物相手の戦い方。貴方のような猪には不要ですわ」
「そうか、よっ!」
不意を突くように、ティアナの身体が沈み込んだ。
一気に間合いを詰め、右の拳を――
しかしその動きを予測していたかのように、カトレノアは回転しながらティアナの右側方に身体を躱すと、流れるような動きで木刀を振るった。
カトレノアの木刀がティアナの首に軽く触れ、それから一気に引かれる。
「勝負ありっ!」
「……」
拳を宙に突き出したままの格好で、ティアナは硬直していた。首に摩擦による赤い筋が浮かび上がる。それは真剣であれば首を切り落とされていたという証拠だった。
カトレノアは試合後の一礼をすると、貴淑女たる優雅な微笑を浮かべた。
「では、失礼いたしますわ」
予想通りの結果に、ハリスマンはふむと頷いた。
「では、次にマリン殿」
「お兄ちゃん」
ふたりの戦いをつまらなさそうに見ていたマリエーテがロウに聞いた。
「これって、意味あるの?」
「冒険者たちも善人というわけじゃない。特に迷宮内で窮地に陥ると、常軌を逸した行動をとることだってある。相手の食糧やポーションを奪いにかかったりね。そんな時、マリンだったらどうする?」
「分かった。やる」
マリエーテは迷宮探索を行うために命を懸けている。迷宮内だけでなく訓練中も。そのことを、ハリスマンは肌で感じていた。迷宮探索には不必要と思われる対人戦については、いまいち身が入らないようだったが、兄の説明で考えを一変させたようだ。
「急所への攻撃は禁止とします。これはあくまでも訓練ですからな」
「……はい」
一瞬の間を置いて、マリエーテは承知した。
「ふたりとも、開始の位置へ」
首を傾げるような仕草をしながら、ティアナがふらふらと移動し、マリエーテと対峙する。
「さ、さっきのやつより、ちっこいな」
「私のレベルは四。あなたよりひとつ上。手加減は無用」
「――では、始めっ!」
先ほどの戦いの時よりも、ティアナの気迫は薄れていた。その視線や表情には、明らかに迷いが見て取れた。おそらく自分の動きが読まれていることを察したのだろう。
今度は慎重に、少しずつ間合いを詰めていく。
「“幽歩”」
マリエーテがぼそりと呟いた。
自分自身と装備品の音を消す、支援系のアクティブギフト。足音も衣擦れの音も、そして剣の風切り音さえも無音になる。
反動をつけることもなく、下半身の瞬発力だけで、マリエーテは突進した。予備動作がない。たとえ身構えていたとしても、相手からすれば不意打ちになる。
「――シッ!」
その突きには、明らかに殺気が込められていた。
木刀の切っ先が赤毛の少女の喉を貫く幻影を、ハリスマンは見た。攻撃を止めようと、反射的に身体が動いたくらいだ。
「勝負ありっ!」
しかし実際には木刀の軌道は不自然に変化して、ティアナの首の側面を通過していた。わずかに掠ったようで、またもやティアナの首に赤い筋が浮かび上がる。
「ギフトの使用は、禁止されていない」
マリエーテは一礼すると、戦いの余韻もなく、すたすたともといた位置に戻る。
やや苦笑気味にカトレノアが出迎えた。
「学生時代は、わたくしもあれによくやられましたわ」
「カレンにはなかなか通用しなかった」
「それはもう、必死に対策を練りましたもの」
これもまた予想通りの結果だった。
赤毛の少女は、正規の訓練を受けていない。身体能力とセンスだけで戦っている。
そのことをハリスマンは見抜いていた。
伸び代が大きいともいえるが、幼い頃より剣術の師について学んできたマリエーテやカトレノアからすれば、隙だらけの素人だ。間合いやフェイントの駆け引きもなく、攻撃のタイミングも読みやすい。
しかしそれは、あくまでも対人戦に限ってのこと。魔物相手の戦闘であれば、ティアナは自分のレベル以上の活躍を見せるだろう。
そのことをマリエーテもカトレノアも分かっている。だからこそ二人は勝ち誇った様子もなく、ティアナを下に見ることもない。
分かっていないのは、“強さ”をひと括りにしているティアナ本人だけだろう。
俯きながら、赤毛の少女は両眼を見開いていた。僅かに口を開けて、ぶつぶつと何やら呟いている。
己の弱さを自覚してこそ訓練にも身が入るし、身体だけでなく精神も鍛えられる。鼻っ柱をへし折られた弟子をどう慰めようかと検討していたハリスマンは、不覚にも気づかなかった。
赤毛の少女はゆっくりと周囲を見渡した。
その視線に留まったのは、こちらに背を向けて座り込み、色のついた石を眺めている少女、トワだった。
少し首を傾げるようにして、瞬きもせず、一歩、二歩と近づいていく。
「いけないっ、姫さま!」
メルモの声で、ようやく異変を察知する。
「……ティアナ殿?」
赤毛の少女の神気が膨らみ、爆発する瞬間、
「ぎょわああっ!」
トワが傍に置いていた小弓を掴んで飛び跳ねた。くるりと一回転しながら矢を引き抜くと、
片足立ちになったところで撃ち放つ。
「死ねっ、死ねっ!」
第二矢、第三矢。
ちょうど飛び出した瞬間を狙撃され、ティアナは躱すことができなかった。
額、喉、鳩尾と、次々に矢が当たる。
矢尻が丸く布で包まれているとはいえ、近距離からのダメージは大きく、ティアナは床の上に蹲った。
「何すんじゃ、われー!」
威嚇するノラ猫のように、トワが牙を向く。さらに矢をつがえトドメをさそうとしたところで、いつの間にか傍にやってきたロウが、その腕を抑えた。
「いい反応だったね。ご褒美をあげよう」
トワがくわっとシズの方を見た。
その眼光の鋭さにシズは驚いたが、ひとつため息をつくと、懐からワイン色をした岩石の欠片を取り出した。
「し――辰砂っ!」
ためらうことなく小弓を投げ捨てると、トワは飼い主に餌をちらつかせられた家猫のように、まっしぐらに駆け寄っていく。
目の前で展開された一方的な攻防に、ハリスマンは冷や汗をかく思いだった。
床の上で痛みを堪えているティアナに目をやる。
同年代の少女たちに負けたことの悔しさをバネに、そして生来の素直さを武器として、這い上がってくれたらよいと考えていた。
だが、底が抜けた先は――闇だった。
何故、無防備なトワを襲おうとしたのか。
意味が分からない。
床の上で呆然としているティアナに、ロウが言った。
「トワのレベルは二。君よりひとつ下だよ。しかも冒険者になってから、ひと月も経っていない」
「う、嘘だ……」
「チームの中で一番下というのは、落ちつかないよね?」
そんな理由でと、ハリスマンは目を見開く。
「だったら、俺と勝負しようか」
“勝負”という言葉にティアナが反応した。瞳に理生の光が戻り、血色を取り戻す。
ロウはティアナの前でうつ伏せになった。
「さ、左手を出して」
「……え?」
「俺はシェルパだから、武器の扱いがあまり得意じゃないんだ。だから、腕相撲で勝負しよう。どうだい?」
単順に力と持久力の勝負である。
「よ、よし。やってやる」
ティアナもまたうつ伏せになり、左腕を出した。
「ではハリスさん。審判をお願いします」
「か、かしこまりました」
先ほどとは別の種類の戦慄をハリスマンは覚えた。
ひとは己に理解できぬ存在を怖れ、距離をとろうとする。実際ハリスマンも、ティアナの指導は自分の手には余るのではないかと考えていた。
だがこのおさげの青年は、何食わぬ顔で少女の闇をさらに覗き込み、掻き回そうというのだ。
奇妙な展開に、マリエーテ、カトレノア、メルモ、シズがやってきて、ふたりを取り囲んだ。
「おふたりとも、よろしいですかな?」
「いつでも」
「お、おう」
「では、初めっ!」
ふたりの手の位置は、動かなかった。
「八、九……両手だと、十六ってところかな」
余裕の表情で、ロウが何ごとかを計っている。
「君の利き腕は左だよね? 俺の利き腕は右なんだ。男女差と年齢の差があるから、ちょうどいいハンデなると思ったんだけど。う〜ん」
「――っ」
ティアナは激昂した。
先ほどまでの衝撃を忘れたかのように、顔を真っ赤にして力を込める。
「お、十七、十八……。君のレベルと年齢を考えると、かなりの筋力だね。ひょっとすると、特殊なギフトを持っているのかな?」
ふたりの手の位置は動かない。
「こ、の、野郎ぉ〜」
ティアナの腕は震えていた。
そのうち持久力が尽きてきたのか、ふたりの手の位置が動き始めた。
明らかに、ティアナが押されている。
自分が負ける運命を悟ったのか、ティアナ顔が恐怖に歪み、瞳の光が消えかける。
脆いと、ハリスマンは思った。
あまりにも脆すぎる。
「君の“強さ”は、それだけかい?」
と、ロウが問いかけた。
「試合のルールは知っているよね?」
急所への攻撃は禁止。それ以外はない。
言葉の意味を理解したのか、ティアナは闘志を取り戻し、ぐっと奥歯を噛み締めた。
「……知ら、ねぇぞ」
彼女が最後の拠り所としていた力。これがある限り、本当の負けを、本当の弱さを認めることはなかったのだろう。
だがもう、出し惜しみをしている余裕はないようだ。
「どうなっても、知らねぇからなぁあ!」
怒りにまかせて、ティアナは叫んだ。
「“魔花狂咲”っ!」
意識を失うか持久力が尽きるまで、筋力と瞬発力が二倍になるアクティブギフト。
頭や全身の動きまで使って、押し戻す。
「三十八っ」
――ことはできなかった。
手の位置は中央に戻らない。それどころか、じわりじわりとさらに腕が傾き、ついにはティアナの手の甲が床についた。
その後、理性を失った赤毛の少女は、ロウに首根っこを掴まれ、床に押さえつけられながら、じたばたともがき続けるのであった。




