(8)
感じのよい喫茶店の、窓際の席。
心なしかこざっぱりした格好で、四人の若者がそわそわと待っていた。
“悠々迷宮”のメンバーである。
「……なあ、タニス」
遊撃手が、少し居心地悪そうに問いかけた。
「やっぱり先に、リーダーであるお前が話をして、見極めてからの方がいいんじゃないのか?」
紅茶をひと口飲んで、タニスが答える。
「それで、ドランの時は失敗しただろう? 家を飛び出して、住む場所もないっていうから」
親切なタニスは、少女たちに宿屋を紹介し、強くなるために冒険者になったという赤毛の少女を“悠々迷宮”に招き入れたのである。
同情心から、無理やりメンバーを説得して。
「俺には、あまり人を見る目はないのかもしれない。だから、みんなで会って話そうって決めたじゃないか」
一番乗り気なのは、軽戦士だった。
「あー、魔法使いかぁ。夢が広がるなぁ。しかも土属性。知っていますか? 迷宮戦略論によれば、攻守のバランスがとれたこの属性魔法からは、数多くのパーティ戦略が産み出されたんです。ひょっとすると、“泥沼”とのコンボにもつながるかもしれません。まずはどんな魔法があるのかを――」
「あまり、先走らない方がいい」
重戦士が嗜めた。
ごつい見かけによらず甘党な彼は、蜂蜜をかけたフルーツ盛り合わせを、ちまちまと食べている。
「先方にも、都合があるだろう」
「そうだぜ」
遊撃手はいまいち乗り気に欠けるようだ。
「それに魔法使いってのは、やたらとプライドが高くて、気難しいやつが多いって聞くし」
どのパーティからも望まれる職種だけあって、利益の分配等、パーティ内で問題になることも多い。
その事実を思い出し、まだ心の傷が癒えていないメンバーたちは、気まずそうに口を閉ざした。
慌てたようにタニスがフォローする。
「こ、今回はきっと、だいじょうぶさ。信頼できる人からの紹介だから」
時間通りに、その魔法使いは現れた。
年齢は十代の後半。鼻の上にそばかすが浮かぶ、人のよさそうな顔立ち。
いわゆる普通の青年である。
想像と違う――と、“悠々迷宮”のメンバーたちは思った。
「はじめまして。ノルドといいます」
緊張したように挨拶した彼の顔は、目の下にクマができ、少し疲れているようだった。
「こちらこそ。“悠々迷宮”のリーダーをしてる、タニスです」
他のメンバーも自己紹介をする。
全員が十代の後半で、冒険者レベルも近い。だが問題は動機と、冒険者スタイルだと、メンバーたちは思った。
ということで、タニスが代表して聞くことにする。
「僕は、冒険者という存在に、ただ憧れていただけなのかもしれません」
ノルドは自嘲気味に語った。
「両親のように、回復系魔法ギフトがなくても、しっかりとした技術と知識で、患者からの信頼を得られる医士を目指した方が良かったのかもしれません。でも――」
自分は、攻撃系魔法ギフトを授かった。
「これは女神さまの啓示だと考えた僕は、冒険者を目指そうと決意したんです」
だが冒険者は、自分が想像していたよりも遥かに厳しい職業だった。
「人々の敬愛を受ける人物が所属している、とても素晴らしいパーティに体験入隊させてもらい、無限迷宮に潜行したのですが。魔物の惨殺行為も、重量を背負っての迷宮探索も、僕は彼女たちについていけなかった。笑えばいいって言うけれど――笑えないよ!」
「……」
いったい何の話をしているのかと、“悠々迷宮”のメンバーたちは首を傾げた。
「地上へ帰還した後の訓練では、鎧を着て、重い剣と盾を構えたまま、ずっとそのままの状態で立っていろって。食事は床の上だし、夜は地下室に閉じ込められる。背中が痛くてぜんぜん眠れないし、突然鐘が鳴って、訳もわからないまま戦闘訓練に――」
「ノ、ノルド君、落ち着いて」
兵士を鍛える訓練施設にでも放り込まれたのではないかと、タニスは疑った。
魔法使いはパーティの最後方にいて、攻撃魔法や防御魔法を撃つタイミングを見計らうのが普通である。
必要なのは冷静な判断力と戦況全体を見渡す視野であり、持久力ではないはずだ。
「す、すみません」
ノルドはお茶を飲んで気持ちを落ち着けると、萎えかけた決心を奮い起こすように、顔を上げた。
「僕は、冒険者に向いていないのかもしれない。でも。それでも、諦められなかった」
思い悩んでたノルドに、それならばとロウが紹介したのが“悠々迷宮”だった。
ノルドは、次でだめならば最後という悲壮な覚悟を持って、この場に現れたのである。
ノルドは知らなかった。
彼の両親が、知り合いのサブラン女医を通してロウに頼んだ依頼案件のことを。
冒険者を諦めさせるか、それが敵わないならば、信頼のおけるパーティを紹介して欲しい。
ロウは前者を試し、後者を実行したのである。
「お願いします、みなさん」
ノルドは頭を下げた。
「雑用でも何でもします。ですから、僕にもう一度だけチャンスを下さい!」
“悠々迷宮”のメンバーは思った。
なんて――腰の低い魔法使いなのかと。
しかも彼は、パーティ内で起きた問題のことで、ひどく傷ついているようだ。
自分たちと、同じように。
“悠々迷宮”のメンバーは、互いに視線を交わし合い、頷き合った。
「だいじょうぶだよ、ノルド君。悠々迷宮では、誰も君を傷つけたりはしない」
「そうだぜ。オレたちも、まだまだひよっこの冒険者だ。間違いも犯すし、悩んだりもする」
「それに、あなたが加入すれば、パーティ戦略が一気に広がります。たとえば――ちょっと、何するんですか」
「ともに、頑張ろう」
心温まる歓迎の言葉に、ノルドは涙を堪えつつ「お願いします」と呟いた。
一方、“暁の鞘”の事務所でも、新たなるメンバーの歓迎会が催されていた。
王都内にあるどんな喫茶店よりも豪華な、事務所の食堂である。菓子職人級の腕前を持つプリエが、豪華な焼菓子を準備した。
しかし魅惑的な香りを振りまいている甘い焼菓子ほどには、赤毛の少女を歓待する熱量はなかった。
マリエーテ、カトレノア、トワの三人は、連日の迷宮探索と訓練で疲れきっていたし、新たなるメンバーはロウが独断で決めたもの。
正直なところ、ああそうですか、という感じを拭えない。
また自己紹介をする赤毛の少女も、とても腰が低いとは言えない態度だった。
「オレの名前は、竜だ。強くなるためにここにきた。もし期待外れだったら出ていくから、それまでよろしくな!」
焼菓子を前にうずうずしながら、カトレノアが聞く。
「ドラゴン? そのお名前は本名ですの?」
「まあ、どっちでもいいじゃねーか」
「そうはいきません」
シズがぴしゃりと言った。
「冒険者ギルドに登録されていない名前を使うことは、今後のクランの広報活動にも支障が出ます。それに、命をかけて戦うメンバーにまで名を隠すなど言語道断。やましいことがあるとしか思えません」
「いや、なんつーか、その」
「そもそも、ふたつ名などは、他者から呼ばれて初めて根付くもの。あなたは迷宮主に匹敵するほど強いのですか?」
「……う」
つい先日、醜悪鬼相手に死にかけた身としては、口ごもるしかない。
「その通りですよ、姫さま!」
突然、食堂に現れたのは、十二、三歳くらいの少女だった。紺色のワンピースに白いカチューシャとエプロンを身につけている。いわゆるメイド服だ。
少女の後方には笑顔を浮かべているロウがいて、タエとプリエに注文した。
「あ、紅茶と焼菓子をふたつ追加で」
「わぁ、素敵な食堂。それに焼菓子だなんて! お屋敷を出てからは、一度も口に――」
そこでメイド姿の少女ははっとしたように口を閉ざすと、赤毛の少女のもとへ駆け寄った。
「姫さま! ご親切なタニスさまの計らいで、ようやく冒険者として活動することができたというのに。また勝手なことをされて!」
「し、仕方ないだろ。ここに来れば強くなれるっていうから」
「誰がそんなことを?」
「ど、髑髏の騎士、さま?」
もはや収拾がつかないと判断したのか、ロウが少女たちの間に割って入り、強制的に紹介した。
「こちらの赤毛の娘は、ティアナ・リースさん。十六歳。冒険者レベルは三で、職種は軽戦士だ」
「――なっ」
あっさり本名をバラされて、赤毛の少女が硬直する。
「そして、こちらのメイド服の娘は――」
「メルモと申します。ティアナ姫さまお付きの侍女として、働いております」
メイド服の少女が両手をそろえて丁寧にお辞儀した。
「姫じゃねー。オレは竜だ」
「またそんなことを言って!」
再び収拾がつかなくなったが、テーブル席でも疑念の声が上がった。
この国において家名を持つことを許されているのは、王族か貴族だけ。平民が望めるのは、ふたつ名くらいのものだ。
「ふむ。リース家といえば、はるか東方の、スメラキ迷宮を管理する貴族の名ですな。なかなかに勇ましい一族と聞き及んでおります」
ハリスマンが博識を披露した。
貴族は地方にて迷宮を管理する役割を担う。それだけでなく、迷宮の周囲に作られた町や村の長となり、住民記録の管理や税の徴収業務などを取り仕切るのだ。
「その貴族のお姫さまが、なぜ冒険者に?」
少し警戒するように、カトレノアが聞く。
ボルタック商会の令嬢であり、上位上流階級に属する彼女であっても、貴族階級には及ばない。
下手な対応をすれば、無礼打ちに合う危険性すらある。
文字通り、身分が違うのだ。
「姫じゃねーって言ってるだろ」
苛立たしそうに頭をかく赤毛の少女――ティアナに代わって、メイド姿の少女――メルモが答えた。
「リース家が治めるスメラキの街には、冒険者ギルドも案内人ギルドもありません」
「それで、どうやって迷宮を攻略するの?」
不思議そうに聞いたのは、マリエーテである。
王侯貴族の考えはよく分からないが、迷宮攻略を目指していることだけは確かなはず。
「リース家の血を受け継ぐお方が、パーティリーダーとなり、冒険者を雇って迷宮攻略にあたります」
そのために、リース家に生まれた子息や息女は、子供の頃から厳しい訓練を課せられるのだという。
またリース家で働く者は、そのサポート役を担う。
つまり、リース家そのものが攻略組族のような組織になっているのだ。
メルモは自分が仕える主人を、気遣わしげに見上げた。
「ティアナさまも、リース家の一族です。その、直系の……。ですが訳あって、王都へと出てきたのです」
もはや限界とばかりに、こっそり焼菓子に顔を寄せて舌を伸ばしたトワだったが、シズに見つかり、獲物を逃した蛙のように舌をひっこめた。
その様子を見て、ロウが苦笑する。
「まあ、いろいろと事情がありそうだから、食事をしながら話を聞こうか」
メルモの話によると、ふたりはリース家から家出するような形で、王都に出てきたのだという。
「冒険者ギルドの前で途方に暮れていたところ、親切な冒険者の方と出会い、宿屋を案内していただいて。それからティアナさまは、その方がリーダーを務めるパーティに加入して、冒険者としての活動をスタートさせたのです」
だが、生活感覚のまるでない主との共同生活は、悲惨をきわめた。
「初級冒険者の稼ぎじゃ、宿屋暮らしは大変だろうね」
「そうなんです!」
ロウの言葉に、メルモは思わず涙ぐんだ。
「お家賃を払うだけでも大変なのに。ティアナさまは、稼いだお金をすべて武器や防具につぎ込んでしまって。私も迷宮道先案内人として働こうと考えたのですが、王都の案内人ギルドでは、十五歳にならないと登録ができないと……」
そうこうしているうちに、屋敷から持ち出した金も底をつき、ロウが挨拶のために宿屋を訪れた時には、水しか出せない始末。おまけにお腹がぐーぐー鳴って、メルモは恥ずかしさのあまり泣いてしまった。
「強くなれば、金なんていくらでも稼げるだろ――ん?」
そんな侍女の苦労などまるで理解していないティアナは、焼菓子を口に運ぶと、
「なんだこれ。甘っ!」
衝撃を受けたように硬直し、はっと我に返ると、無心でがつがつと食べ続ける。
ロウが視線を送り、プリエが微笑を浮かべながら頷いた。
“暁の鞘”に所属する戦闘用員は、十代半ばの少女ばかりである。
彼女らの意欲を高めるためには、プリエのお菓子が欠かせない。
この娘も、甘いもので釣れそうだ。
そのようですねぇ。
というわけで、頼みました。
了解です。
――などという無言の会話が交わされたとは露とも知らず、ティアナは感激したように焼菓子を平らげた。
「その、ティアナさまには、こういった嗜好品は与えられませんでしたので」
メルモも幸せそうに焼菓子を堪能している。
「あ〜ん。……んん〜」
空になった皿に視線を落としつつ、ティアナがロウに聞いた。
「なあ、シェルパの兄ちゃん」
「なんだい?」
「ここにいたら、これ、もっと食えるのか?」
「毎日でも」
それだけではない。
食事は三食用意されるし、自室も与えられる。それに、冒険者として活動するにあたって必要となる煩雑な事務作業は、すべて支援要員が代行するのだ。
「ただ、ひとつだけルールがあるよ」
それは、クラン内では皆が対等な関係にあるということ。戦闘用員が偉いわけでもないし、支援要員がへりくだるわけでもない。
「貴族だからといって、君を特別扱いはしない。それでよければ、ここで活動するといい」
「へっ、おもしれぇ」
ティアナは挑戦的な笑みを浮かべた。
「あんな家のことなんか、思い出したくもねぇ。オレは、ただの竜だ。そこんとこ、よろしくな!」
「……」
マリエーテ、カトレノア、トワの三人が、ロウに視線で問いかけた。この赤毛の少女をどう呼べばいいのか、決めかねているようだ。
仕方なしに、ロウが調整することになった。
「ティアナという名前も、素敵だと思うけど」
「ば、馬鹿やろう!」
ティアナは真っ赤になった。
「こんな女みてぇな名前、名乗れるか!」
この場にいる全員が、あなたは女の子でしょうと、心の中で思った。
「それに、発音が。なんつーか弱っちい感じがする。弱いやつは、意味がねぇ」
「と、いうことだけど。みんな、どう思う?」
三人はそろって首を振った。
「可愛くない」
「まったくセンスが感じられませんわ」
「クサっ」
「満場一致で却下だね」
「――なっ」
赤毛の少女は衝撃を受けたようだ。
「名前は、呼ぶ方にとっても、呼ばれる方にとっても大切な要素だよ。今すぐじゃなくてもいいから、四人できちんと決めること」
さりげなくコミュニケーションの種を撒いて、あとは当事者たちに任せる。
「ああ、それから。メルモさんも“暁の鞘”のメンバーになりました。シェルパの見習いということだけど、まだ十三歳だから、しばらくはお手伝い要員かな?」
貧乏暮らしで明日の食事にもこと欠いていたメルモは“三食部屋付き”というロウの言葉に飛びついた。宿代を払えず、追い出される寸前だったらしい。
これで、リーズ家に出された条件「侍女もいっしょに」をクリアしたことになる。
「じゃあ、僕と同じですね。よろしくお願いします、メルモさん」
「あ〜……ん?」
焼菓子を食べることに夢中になっていたメルモは、隣に座っていた美少年――ミユリに初めて気づいたようで、まるで栗鼠のように頬を膨らませながら、真っ赤になった。
トア→トワに変更しました。




