(4)
無限迷宮の地下第二十階層。
適正レベルは四。
ここは初級冒険者たちにとって、最初の壁となる階層である。また、その南西部領域には、それほど強くないわりに、高い経験値を内包する魔核を持つ光精霊玉が出現することで知られていた。
「ふ〜ん。地下二十階層っていっても、あんまり代わり映えはしないんだな」
両手を頭の後ろに組みながら、パーティの先頭を無警戒に歩いているのは、燃えるような赤毛の少女である。
正確な年齢も本当の名前も、タニスは知らない。
ただ、彼女の無鉄砲な性格とだけは知っており、いつも手を焼かされていた。
「なぁ、翼竜。やっぱりさ、階層主ってやつと戦うのは――」
「だめに決まってるだろう」
これである。
「それと、俺はタニスだ。変な名前で呼ばないでくれ」
彼女は仲間たちを、自分が勝手につけた魔物名で呼ぶ癖があった。
理由は、何となく強そうだから。
そして彼女自身は、呆れたことに迷宮最強の竜と名乗っている。
恥ずかしいからやめてくれと、タニスや他のメンバーたちは何度も懇願したのだが、この脳筋少女は口では分かったと言いながら、次の瞬間には忘れてしまうのだ。
「いいかい、ドラン」
苦肉の策で魔物名を短縮した愛称で呼ぶと、タニスはまるで数を子供に教え込む父親のように言い聞かせた。
「俺たちのパーティレベルは、三。そしてこの階層の適正レベルは、四。普通に探索するだけでも厳しいんだ。そして階層主のレベルは、適正レベルのふたつ上――つまり、六だ。分かるね?」
「ああ」
少女は虚空を睨みつけるような表情になった。
「つえー奴と戦えるってことだろ。わくわくするな」
「――違う!」
「無駄だぜ、タニス」
ため息をついたのは、遊撃手である。ぶっきらぼうな口調だが、意外と気配りのできる性格で、自然とメンバー間の調整役に収まった。
その彼が、すでに匙を投げている。
「そいつは、“ 炎渦の蛾”だ。強い魔物と戦って死にたいのさ」
「……」
無言のまま頷いたのは、重戦士だった。
彼はひと月前の迷宮探索で、左の頬に傷を負っていた。
それは赤毛の少女のせいだった。
あろうことか、少女はシェルパとの契約を勝手に変更して、メンバーに内緒で地下第九階層の階層主――屍霊鬼のいる領域へと案内させたのである。
かろうじて戦いには勝ったものの、重戦士は顔に消えない傷を負ってしまったのだ。
この無骨な重戦士が、実は繊細な心を持っていることを、タニスは知っていた。
だから赤毛の少女が「その傷、ごつい顔に似合ってるぞ」などと無邪気に褒め称えた時には、真っ青になったものである。
「今回は、だいじょうぶだと思いますよ」
タニスと同じ職種の軽戦士が、丁寧な口調で解説した。
「魔物図鑑によれば、“関門”は自分の持ち場を離れないはずですし。狩場からはかなり離れています」
生真面目で努力家、しかも研究熱心な彼は、何とかして赤毛の少女の戦闘スタイルをパーティ戦略の中に組み込もうと試みたものの、残念ながら果たせなかった。
「それに、シェルパさんとの契約の内容は事前に確認済みですから。ね?」
「いくら違約金を積まれたって、承知しませんよ」
今回雇ったシェルパが、不満げにぼやいた。
「適正レベル以下の探索ってだけでも危険なのに。ましてや階層主と戦うだなんて。勘弁してください」
その態度に、タニスは冷や汗をかく思いだった。
実力のある若手のシェルパへの指名が何度も断られるのは、ひょっとすると“悠々迷宮”の悪い噂が広まっているからではないかと懸念していたからである。
契約違反を重ねた冒険者パーティは、依頼拒否者名簿に登録されて、二度とシェルパを雇えなくなるという。
もしそうなったら、王都での冒険者家業は廃業するしかない。
「す、すみません。絶対に、無理はしませんので」
本来、立場が下であるはずのシェルパにぺこぺこと頭を下げながら、タニスは冒険者としての自分の矜持が、情けなくしぼんでいくのを感じていた。
男だけの四人パーティに赤毛の少女を加入させることについては、様々な葛藤があった。
パーティの解散の理由は“冒険性の違い”というのがお約束だが、メンバー間の男女関係のもつれというのも多い。
たとえば二人の男性メンバーがひとりの女性メンバーに好意を抱いてしまった場合、どちらが勝ったとしても、パーティの存続は難しくなる。
だが少なくとも、こと赤毛の少女に関しては、恋愛ごとに関するいざこざとは無縁だった。
見栄えはいい。顔の作りは整っているし、背が高くスタイルがよいのでドレス姿が似合うだろう。
しかし少し付き合ってみれば、そんな幻想は一気に崩れてしまう。
少女の中にあるのは、自分が強くなることへの渇望だけだった。服飾や装飾品よりも武器や防具に興味を示し、迷宮探索以外では訓練と鍛錬ばかりに時間を費やしているようだ。
確かに、戦闘能力は飛び抜けている。
身体能力も高く、優秀なアクティブギフトも取得している。
しかし、性格があまりにも極端すぎた。
ひと言で言い表すならば、戦闘狂である。
浅階層であれば、個人プレイも通用するかもしれない。だが中層以降になると、魔物たちが強くなり、パーティの連携なくしては戦いを切り抜けることは難しくなる。
このままでは、“悠々迷宮”が解散する前に、パーティが全滅するのではないか。
そんな不安、あるいは不満を抱いているのは、タニスだけではなかった。
それこそ何度も少女を除いた四人で話し合い、解決策を見出そうとしたのだが、結局のところ、同じ結論に行き着いてしまう。
――あいつを、パーティから除名するしかない。
口に出して意思を示したわけではないが、皆がそう考えていることは明白だった。
それを決断し本人に伝えるのは、リーダーであるタニスの役目だった。でなければ、遠からず“悠々迷宮”は瓦解してしまうだろう。
『みんなの気持ちは分かったよ。次の迷宮探索が終わったら、ちゃんと決断を下すから』
そう言ってタニスは、他のメンバーたちを納得させたのである。
今回、まだ見ぬ階層に潜行したいという赤毛の少女の意見を採用したのは、贖罪の意味も兼ねてのことだった。
ようするに、最後の思い出づくりというわけだ。
とはいえ、生きて帰らなければ意味はない。適正レベル以上の階層を歩きながら、タニスは右腕に嵌められた腕輪を左手で押さえた。
それは、悩めるタニスが冒険者ギルドでパーティ相談役を申し込んだ時に、ロウという青年から借り受けた腕輪だった。
“探索の腕輪”という魔法品物で、魔力を込めると“探索”のギフトが発動する。
魔物が発する魔気を感知するギフトだ。
『あそこなら、きっと役に立つよ』
ロウはそんなことを言っていたが、確かにこれがあれば危険を事前に察知して避けることができる。危険な階層へ赴くタニスへの“お守り”なのだろう。
「そういえば、酒場で妙な噂を聞いたんだが」
狩り場への道すがら、遊撃手が話題を振った。
さすがに気まずさを感じているのか、今回の探索は会話が少ない。少しでも雰囲気を和らげようと、遊撃手が無理やり話題を振ることが多かった。
「浅階層に、髑髏の騎士が現れるらしいぜ」
驚いたように軽戦士が問いかける。
「それってまさか、骸骨騎士ですか?」
骸骨騎士は深階層に現れる魔物である。そんな魔物が浅階層に現れたら、初級冒険者たちなど一瞬で全滅させられるだろう。
苦笑するように、遊撃手は首を振った。
「いや、髑髏の仮面を被った冒険者らしい」
その冒険者は風のようなスピードで浅階層を駆け抜けていく。魔物とも戦うらしいが、全滅させることもなく、途中で戦いに飽きたかのようにどこかへと走り去っていくのだという。
「ああ、そいつのことなら、うちのギルドでも噂になってますよ」
会話に入ってきたのは、意外なことに今回初顔合わせのシェルパだった。
「いえね、これは最近うちに入った新入りから聞いた話なんですが。どうやらそいつは、浅階層にいる魔物たちの“間引き”をしているのだとか」
「間引き?」
迷宮探索に使う言葉ではないと、タニスは驚いた。
「何のために?」
「さあ。何やら難しいことを言ってましたが、冒険者ギルドの改革の一環、とかなんとか」
意味不明である。
赤毛の少女が振り向き、にやりと笑った。
「そいつ、つえーのか?」
「君ね……」
迷宮内で他の冒険者に戦いを挑んだりしたら、除名などでは済まない。
いつもなら口を酸っぱくして注意するところだが、もうそんな必要もなくなるのだからと、タニスは気持ちを切り替えた。
「そんなことより、ドラン。ここにいる光精霊玉もなかなか手強いぞ。君は、硬いやつと戦いたいって言ってたろ?」
「ほんとか? よーし、殴るぞー」
三回の戦闘を経て、“悠々迷宮“は今回の探索の目的地である“光の墓場”へと辿り着いた。
まるで水晶のような灰色の鉱物が、地面から無数に突き出ている。
シェルパによると結晶鉱石ではないようで、苦労して持ち帰ったとしても換金はできないそうだ。
タニスは気合をいれて宣言した。
「みんな。狙うのは、光精霊玉だけだ。よい“実りの時間”を過ごそう!」
“光の墓場”はとても広い――向こう側の壁が見えないくらい広大な広間である。ただし、水晶柱が乱立しているので、迷路のようだった。
「いたぜ」
“聞き耳”というギフトを持っている遊撃手が、いち早く魔物の姿を発見した。
光苔よりも明るく、そして青く発光する球体。大きさは大人がぎりぎり抱えられるくらいか。
博識な軽戦士が解説する。
「打ち合わせでも説明しましたが、光精霊玉は硬く、しかも“浮遊”のギフトで浮いてますので、ダメージを与えにくい魔物です。こちらに気づくと“雷衣”というギフトを――」
「うおりゃああ!」
赤毛の少女が突進した。
「あの馬鹿!」
「……」
遊撃手と重戦士が慌てて少女の後を追う。
こうして、せっかく立てた作戦も戦術も無駄になり、“悠々迷宮”の面々は、意図せぬ泥沼の戦いへと引きずり込まれるのである。
タニスと軽戦士も走り出した。
「へん、トロイやつだな」
少女の武器は、拳。
指先から肘まで覆う鋼鉄の徹甲を身につけている。
まるで野生の肉食獣のようなしなやかな動きで間合いを詰めると、体重を乗せた一撃を放つ。
――ガキンッ。
しかし光精霊玉は空中を滑り、打撃は受け流された。
「手応えがねぇ。なら――」
再び間合いを詰め、連打を叩き込む。
その瞬間、光精霊玉の表面に幾筋もの稲妻のような光が走って、
「ぎゃっ!」
衝撃を受けた少女は、地面に転がった。
「クラッチ――つうか、引っ込んでろ!」
ようやく追いついた遊撃手が怒鳴りつける。
重戦士が魔物の反対側に回り込む。
二人は光精霊玉を挟み込むようにして、慎重に間合いを測りながら攻撃を開始した。
身体の表面に稲妻を纏う“雷衣”は、長くは続かない。
その効果が切れたところを見計らって、交互に攻撃する。
焦らず確実に。
少しずつダメージを蓄積して。
「“岩砕斬”」
最後は重戦士による戦斧の一撃で、トドメを刺した。
頭痛を堪えるような仕草をしながら、軽戦士が解説する。
「このように、時間をかけて戦えばノーダメージで倒せる相手です。ポイントは、表面に走る稲妻の色ですね」
白から黄色に変わりしばらくすると、“雷衣”が途切れるのだという。
「ふ〜ん」
赤毛の少女は地面の上に胡座をかきながら、つまらなさそうに呟いた。
シェルパが専用の道具を使って、光精霊玉の体内から魔核を取り出す。
みなが集まり、感嘆の声を上げた。
浅階層の魔物の魔核は団栗くらいの大きさなのだが、それよりもひと回り大きく、なおかつ色も濃い。
慎重に戦えば、命の危険はない。
しかも、競合する冒険者も少ない。
よい狩場だと、タニスは思った。
問題は、魔物の出現率だ。光精霊玉は希少魔物というわけではないが、常に単独で行動する。
しかも周囲は、灰色の水晶柱のせいで見通しが悪い。
ああ、そういうことかと、タニスは理解した。
“探索の腕輪”は、使い方によっては魔物を探すこともできる。
「発動――“探索”」
合言葉を唱えると、身体の中からごっそりと、何かが抜かれる感覚を受けた。
腕輪に大量の魔力を奪われたのだろう。
一日に何度も使える力ではない。
「こっちだ」
確信を持って、タニスはパーティの先頭を歩き出した。