(3)
本日は新しいメンバー候補が二人もいるということで、“暁の鞘”の事務所前に集合し、案内人ギルドには寄らず、直接迷宮砦へと向かう予定となった。
「は、はじめまして。ノルドです。女神さまのお導きに従って冒険者の道を志しました。レベルは三ですが、実際に迷宮に潜行するのは、その、初めてです。でも、やる気はあります。みなさん、よろしくお願いします」
やや紅潮した顔で、ノルドが挨拶をした。人の良さそうな顔立ちで、鼻の頭にはそばかすが浮かんでいる。少年から青年へと移り変わる、微妙な年頃の顔だ。
ぱちぱちと、まばらな拍手が送られる。
皆の視線が次の人物に移ったが、そこにいた小柄な少女は、まるで狐に見つかった鼠のようにびくりとして、素早く母親の背中に隠れた。
「こ、こらっ。ちゃんと挨拶なさい!」
本人以上に恥ずかしそうに、サフランが叱りつける。
「……トアです。ちっす」
顔を覗かせたのは、独特の風貌を持った少女だった。やや釣り上がり気味の目は異様に大きく、瞳が少し金色がかっている。短めの髪は灰色で、ふわふわとした綿毛のよう。
「……はぁ。昨日までは楽しそうにしてたんだけど」
申し訳なさそうなサフランに、ロウが微笑む。
「仲直り、できたみたいですね」
大喧嘩をして部屋に閉じこもってしまったという娘を、どうやら連れ出せたようだ。
ひとつため息をついて、サフランが代わりに紹介した。
「娘のトアよ。冒険者レベルは二。ギフトは“探索”と“予感”――だそうだわ」
ギフトの情報は、冒険者用の装備一式と引き換えに無理やり聞き出したらしい。
“探索”とは魔物が発する魔気を感知するギフトで、パーティにひとりでもいると、迷宮からの生還率が飛躍的に高まるといわれている。
ふむと、ロウは首を傾げた。
「しかし、“予感”というのは恩恵辞典にも載ってませんよね。効果は?」
「それが、よく分からないの。この子、致命的に説明が下手だから。嫌なことが起きそうになると、ざわざわするらしいのだけど」
母親の背中からロウの方を睨みながら、トアががるると牙を剥いた。
「すでにっ。このお兄さんから、ざわざわしてる」
「では、こちらも自己紹介をしましょうか」
「む、無視?」
攻略組族代表のシズに始まり、戦闘要員のマリエーテとカトレノア、支援要員のロウ、タエ、プリエ、御者兼庭師のハリスマン。
そして最後に、
「お手伝いのミユリと申します。今はお茶汲みしかできませんが、いつかきっと皆さんのような冒険者になりたいと思っています」
かつてのユイカの活躍と、教団による布教活動により、ミユリの名前と特徴はかなり知られていた。黒い髪に黒い瞳という特徴は、この国では珍しい。
「ミ、ミユリって、まさか――ひょっとして、神子さま?」
敬虔な大地母神教の信者であるノルドが身じろぎした。
こういった反応には慣れているのか、ミユリは気を害した風もなく、にこりと微笑み返した。
天使の微笑みに、ノルドは真っ赤になってたじろいだが、はっと気づいたように、マリエーテの方に視線を移した。
「と、ということは、こちらがまさか――妹神子さま? “妹神子の邂逅”で。ジルワン中央広場で、お話を語られた」
「ちっ」
来てやがったのかという感じで、マリエーテが舌打ちした。
最近では、噂ばかり先行しその実在さえ疑わしいとされているミユリよりも、聖事に顔を出して寄進集めに勤しんでいるマリエーテの方が、王都での影響力は大きくなっているようだ。
「お、お会いできて光栄です。その、もしよろしければ、妹神子さまの祝福を――」
マリエーテはすっと手を差し出した。
「金貨十枚」
「……え?」
一方のトアは、おもちゃに興味を示した子猫のように、ミユリに向かって突進した。
「くわっ、なんだ――このありえない造形!」
奇声を発しながらミユリの周りをくるりと一周すると、大きな目をいっぱいに見開いて懇願する。
「触ってもいい?」
「え? あ、はい」
両手で頬をつまみ、左右に引っ張る。
「い、いひゃい、れす」
「匂いも嗅いでいい?」
「――ちょ、ちょっと貴方!」
たまらず、カトレノアが助けに入った。
「不敬もいいところですわよ」
「ふむ。この金髪巻き毛も、なかなか。伸ばしてもいい?」
「お断りですわ!」
ぱんぱんと手を鳴らす音が、しまりのない空気を切り裂いた。
「迷宮探索は、遊びではありません」
眼鏡の奥で、シズが目を細めていた。
「まがりなりにも、今日一日、あなたたちはパーティメンバーとなるのです。互いに敬意を持って接するとともに、秩序ある集団行動を心がけなさい」
「……」
「お返事は?」
「は、はいっ」
豪華な装飾が施された馬車に、マリエーテ、カトレノア、ノルド、トアの四人が乗り込む。
ロウは御者席――ハリスマンの隣に座った。
「みなさん、いってらっしゃい」
「よりよい冒険の成果を期待しています」
ミユリが少し羨ましそうに、そしてシズが生真面目に声をかける。
「頑張るのは、ぼちぼちでいいからね。みんな、無事に戻ってくるんだよ」
「すぐにお風呂に入れるようにしておきますから。挫けないで下さいねぇ」
タエとプリエの言い回しが微妙なのは、マリエーテとカトレノアがぼろぼろになって帰ってくるのを知っているからだろう。
「ああ、あの子にもようやく友達ができて。一緒に外出するだなんて」
そんな中、サフランはひとり感涙に浸っていたが、急に馬車の窓が開いて、トアが顔を出した。
「友達ちがう!」
ぴしゃりと窓が閉まる。
「トア。迷宮では、ロウ君の言うことをしっかり聞くのよ。身勝手な行動はしてはだめよ。それから、お友達にはちゃんと気を遣って――」
再び窓が開いて、
「お母さん黙って!」
ぴしゃり。
「それでは、出発しますぞ」
朝一番ということで、人通りは少ない。元執事とは思えないほどの見事な操縦で、豪華な馬車は目的地に向かってスムーズに進んでいく。
「いや、それにしても懐かしいですな」
御者席では、ハリスマンとロウがほのぼのと会話をしていた。
「新しい仲間を迎え入れる時というのは、互いに緊張し、胸が高鳴るものです」
「お酒でも飲めたなら、話は早いんですけどねぇ」
「なに。冒険者としての資質も人としての本質も、ともに潜行すれば分かること。皆さんはまだお若いのですから、すぐに打ち解けるでしょう」
「だと、いいのですが」
ロウが御者窓を開けると、車内の空気は張り詰め、しんと静まり返っていた。
マリエーテは基本無口である。トアは醜態を見せたことで渋面になっているし、ノルドは妹巫女を意識して、かちこちに緊張している様子。カトレノアは社交的かつ物怖じしない性格だが、十五歳の少女ひとりでは少々荷が重いようだ。
「ノルド君。もしよければ、冒険者を志した理由を聞いてもいいかな?」
「あ、はい」
おおよその事情は聞いているが、あえて問いかけたのは本人の緊張をほぐすためでもあった。
「僕の家は、丘区で治療院を営んでいまして」
たとえ回復系の魔法ギフトがなくても、優秀な医士はたくさんいる。ノルドの両親もそうだった。
だが、実力で頑張ってきた医士だからこそ、回復系魔法のすごさ、あるいは理不尽さを理解していたのだろう。
息子のために私財を叩いて強制レベリングをさせたことが、結果的にあだになった。
少なくとも両親にとっては。
「土属性の魔法ギフトを取得した時に、大地母神さまに御言葉をいただいたんです。これを用いて、味方を守り、魔物を倒せと」
おおよそ大地母神は、ギフトを授けた冒険者たちに同じような言葉をかけるのだが、ノルドは天啓を授かったと認識したようである。
やや表情を曇らせて、ノルドは言った。
「両親を悲しませていることは分かっています。でも僕は、迷宮で自分自身を試してみたいんです!」
おそらく彼は、善良な両親によって真っ直ぐに育てられたのだろう。魔法ギフトを取得していなければ、よい医士になっていたに違いない。
自分の道を進みたい気持ちと、両親への罪悪感が、七対三くらいだろうかと、ロウは分析した。
「ありがとう、ノルド君。素晴らしい動機だね」
ちらりと視線を移すと、トアが牙を剥いてこちらを睨んでいた。
絶対に聞くなよ、ということらしい。
ロウはにこりと笑った。
「トア君は、どうだい?」
「……っ」
「部屋に閉じこもってばかりで学校にも行かないって、お母さんが心配していたよ。先ほどから見ていると、君たちはずいぶん仲がよさそうだったし。もしかして、お母さんを安心させるために冒険者になったのかな?」
「ち、ちがっ」
ぎゃーぎゃー喚きながら全力で否定すると、トアは周囲の仲間たちの唖然とした様子を見て、はっとしたように口を噤み、うぐぐと唸った。
「……魔物」
ぼそりと呟く。
「魔物が、どうかしましたの?」
カトレノアの問いに、トアはそっぽを向いて答えた。
「ボクは、魔物が好き。だから、冒険者になった」
「え、そんな……理由で」
驚いたのはノルドである。敬虔な大地母神教の信者である彼にとって、地下迷宮に棲まう魔物たちは、滅ぼすべき存在でしかないのだろう。
「あら、よいのではありませんこと?」
カトレノアが澄まし顔で言った。
「迷宮に入る理由は、ひとそれぞれですわ。たとえそれがどんなに身勝手で、幼い理由だったとしても」
「そ、それはそうですが」
珍しく、マリエーテが質問した。
「トア。地下第八十階層の魔物に、興味はある?」
「……あ、ある」
「見たい?」
「見たい――どころか、触りたいし、匂いも嗅ぎたい」
「そのためなら、死んでもいい?」
「いい」
「分かった。歓迎する」
何を言われたのか分からないという顔で、トアがきょろきょろしている。
これはまた突き抜けた子が現れたなと、ロウは苦笑した。
「さあ、迷宮砦についたよ」
ふたりのおおよその性質は分かった。あとは“暁の鞘”にとって必要な人材かどうかを試すだけである。
「先に言っておくけれど。今回は別に、冒険者になるための試験というわけじゃないんだよ。特にノルド君は初めての潜行ということだし。肩の力を抜いて、慎重に迷宮探索をしようか」
地下第一階層に足を踏み入れた時には、光苔の幻想的な美しさに思わず感嘆の声を漏らした。通路や広間を歩いている時には、周囲を警戒するとともに、自分が冒険者になったことを実感することができた。螺旋蛇道を降りる時には、一度も戦闘がなかったことに対して、拍子抜けするとともに不安にすら思った。
そして今、ノルドは地下第三階層にいる。
「な、なんだ、これは」
北部領域――通称“犬頭人の巣窟”。
「おーほっほっほっ!」
腹を見せ、すがるような目で助命を訴えかけている“犬頭人”の腹部に、鋭利な薄曲刀の切っ先が突き刺さった。
『ギュエアアアア!』
思わず耳を塞ぎたくなるような悲痛な叫び声が、小さな広間中に響き渡る。
「あらあら。いい声を上げる犬コロですこと」
カトレノアは武器を短刀に持ち替えると、甲高い笑い声を上げながら“犬頭人”に飛びかかり、その頭部を滅多刺しにした。
「ほうら、見つけましたことよ」
その中に手を突っ込み、魔核と呼ばれる石の結晶を抜き取る。魔物が滅する時に発する大量の黒い霧に包まれながら、カトレノアは魔核を高く掲げると、恍惚とした声を上げた。
「まったく――何も感じませんわ。ああ、なんて素晴らしいことでしょう。おーほっほっほっ!」
上品なお嬢様だと思っていたのに、これではまるで――邪悪な魔女である。
一方のマリエーテはというと、まるで庭に生えている雑草を刈り取るかのように、次々と犬頭人たちを葬り去っていた。
「……また壊れた。脆い。雑音がする。人形のくせに、生意気な」
ぶつぶつと呟きながら、無表情に短刀を振るい続ける少女は、かつてジルワン中央広場で見た聖なる妹巫女などではなかった。まるで鬱陶しいからという理由で蟻を踏みつける――残酷な子供だ。
隣を見ると、さすがにトアも衝撃を受けているようだった。
「信じられない。なんて、ことを」
「あ、トアさん」
ふらふらと頼りない足取りで、殺戮現場へと向かう。
「それ、ボクもやっていいの?」
「もちろんですわ。マリンさん」
「分かった」
マリエーテが気合らしきものを入れると、広間から逃げ出そうとしていた最後の犬頭人がぱたりと倒れた。
ロウの話では、神気を発して犬頭人の戦意を喪失させるためには、冒険者レベル三が必要なのだという。
レベル二のトアでは、同じ真似はできない。
「時どき反撃してくるから、あまり不用意に――」
「うっ、はぁあ」
トアは仰向けに寝ている犬頭人に飛びかかると、白いもふもふとした胸に手を置いた。
「あ、やべっ」
突然犬頭人が大口を開けて、トアの手に噛み付こうとするが、その前にトアは手を引いていた。
「へぇ」
と、感心したような声を出したのは、ロウである。
「人の話は最後まで聞く。カリン」
「まったく、世話が焼けますわね」
暴れる犬頭人の右腕をマリエーテが、そして左腕をカトレノアが踏みつけた。
これで、哀れな魔物は身動きが取れない。
「うほぉお!」
トアは興奮したように雄叫びを上げながら、魔物の胸に思う存分頬擦りする。
「な、中身も見ていい?」
その後の惨殺ショーから、ノルドは目を背けた。