(2)
「今日も、ぼろぼろね」
王都の空区にて治療院を営んでいるサフラン女医は、このところ常連となっている二人の少女を見下ろしながら、ため息をついた。
彼女の前に座っているのは、ふたりのうら若き冒険者だった。
冒険者育成学校を卒業してからまだ半年にもならない十五歳の少女で、ともに希少な魔法使い系の職種を持つ。
マリエーテとカトレノアである。
「主治医として忠告しておくけれど。迷宮探索というのはね」
当たり前すぎて誰も口にしないであろう忠告を、サフランはするはめになった。
「毎日するものじゃないのよ?」
迷宮内では常に緊張に晒され続ける。また魔素が充満しており、体調にも影響が出る場合がある。一度迷宮探索を終えたら、二、三日は休暇を取って体力と精神の回復に努めるというのが、冒険者の常識だった。
いや、それ以前に。
何が嬉しいのか、にこにこと笑顔を浮かべている金髪碧眼の美少女と、無表情だがどこか神秘的な雰囲気を持つ可憐な少女が無限迷宮に入り浸り、ふたりそろって傷だらけになっているのは、かけがえのない青春の時間の使い方として、間違っているのではないか。同じ年頃の娘――しかもかなりの問題児である――を持つ親としては、他人ごととは思えない。
治療の準備をしていると、カトレノアが興奮したように報告してきた。
「サフラン先生。今日は、すごい発見がありましたの」
「へぇ、どんな?」
「わたくし、人型の魔物にとどめを刺す時に、どうしても気負ってしまう悪癖があったのですけれど。笑いながら突き刺せば良いことに気づいたのですわ。心の痛みなど感じず、それどころか逆に、素晴らしい高揚感に包まれましたの」
「……」
魔物に病気でも移されたのではないかと、サフランは本気で疑った。
「ねぇ、マリンさん。貴方もお試しになってはいかが?」
「いい。私は人型を、邪悪な人形としか見てないから。他は、ぬいぐるみ」
「そういう方法も、ありですわね」
魔物を笑いながら倒す十五歳の少女と、無表情のまま倒す十五歳の少女。ここで止めなければ、取り返しのつかないことになるのではないか。
そんな葛藤に悩みながら、カトレノアの頬に消毒液を塗っていく。
「――ちゅぅ、しみますわっ」
隣のマリエーテが顔を青ざめさせた。
傷をつけることは平気なのに、この少女は消毒の匂いと痛みが苦手なのだ。
そのことを、子供の頃からのかかりつけの医士だったサフランは、よく知っていた。
「さあ、マリンちゃん。覚悟なさい」
「先生。私は“治癒”でいい、です」
「私の魔法は高いわよ?」
「だいじょうぶ。お兄ちゃんは効率重視だから」
救いを求めるように、マリエーテは部屋の隅にいるロウに視線を送った。
このおさげのシェルパは、飲み会の帰りにいつもサフランの治療院に立ち寄って、一番高価な“浄化”の魔法をかけさせる。その理由は、酔っ払っている時間が無駄だからだという。
何とも風変わりな青年は、しかし軽く肩を竦めた。
「小さい擦り傷や切り傷は、自然に治した方がいいんだよ。無理に魔法を使うと、あとが残ったりするからね」
「あら、詳しいのね」
「副業で、少し薬学をかじっていましたから」
治療が終わると、前途あるふたりの冒険者の主治医として、サフランはロウに意見した。
さすがにオーバーワークである。
人の身体は数値だけで表せるものではないし、成長期に無理をし過ぎると、ろくな結果にはならない。
「少しは手加減なさい」
ロウは少し検討するそぶりを見せてから、ふたりの少女に微笑みかけた。
「それじゃあ、今日はゆっくり休もうか」
カトレノアが目を輝かせた。
「マリンさん、やりましたわ! 夜の訓練はなしですって。パジャマで、ベッドの上で、存分に眠れますのよ!」
マリエーテがほっと息をつく。
「さすがに三日連続はきびしかった。お風呂に入りたい」
「湯沸かしは、わたくしの魔法で一発ですわ。ですから――」
「分かってる。お風呂上がりのアイスミルクティーは、私の魔法で――」
「ちょっと待ちなさい」
サフランはにこりと笑った。
「ロウ君。夜の訓練って、何のことかしら?」
「いや、その」
「カリンちゃん、教えなさい」
迷宮内で長期間に渡って探索を行う場合、当然のことながら地面の上で眠ることになる。その行為に慣れるために、ふたりは屋敷の地下室で、迷宮探索用の装備を身につけながら眠っているのだという。
「それだけではありませんわ。時おりロウさんが、フライパンを叩きながら、わたくしたちを起こしにいらっしゃいますの」
「や、それは」
ロウは頭をかいた。
「仮に魔物に襲撃を受けた時の、心構えというか。すぐに頭を切り替えて、戦わなくてはならない時もあるわけで」
「鬼畜ね」
ひと言でサフランは切って捨てた。
「ふたりとも、それでいいの?」
もし無理やり強要させられているのであれば、“暁の鞘”への協力も考えなくてはならない。
そう考えたサフランだったが、
「とても理に適った訓練方法ですわ。それに、他の冒険者たちも同じことをされているのでしょう?」
世間知らずなお嬢さまは、不思議そうに問い返してくる。
さらにひどいのは、お兄ちゃんっ子の妹の反応だった。ふふんという感じで、何故か自慢げに褒め称える。
「大切な妹ですら、容赦なく“犬頭人の穴”に放り込む。そこが、お兄ちゃんのすごいところ」
もはや、この子たちは手遅れではないか。
治療を終えたところで、サフランは決断を下した。
「ひとつお願いしたいことがあるのだけれど。その、暁の鞘の攻略組族に」
「依頼案件ですか?」
「本来であれば冒険者ギルドを通すべきなのでしょうけど。ことがことだけに、ね」
「というと?」
それは、同業の医士からの頼まれごとだった。
その医師にはひとり息子がいた。
「ノルド君っていう十七歳の子なんだけど。真面目で、とてもいい子なのよ」
彼には医士としての素養があった。
「もちろん、知識と技術さえあれば、誰でも医士になることはできるのだけれど。やはり魔法の存在は大きいわ」
傷を癒す“治癒”や“快風”、あらゆる種類の毒を抜き去る“解毒”、免疫力を高める“抵抗”、病気を追い払う“聖炎”、そしてすべての状態変化を治す“浄化”――回復系の魔法にはいくつかの種類があるが、これらはすべて大地母神が授けてくれる魔法ギフトであり、取得できるかどうかは完全に運任せとなる。
「親御さんも彼に期待をかけていて。私財を投げ打って魔核を集めさせたのだけれど」
「魔法ギフトを得られなかった?」
「逆よ」
驚くべきことに、ノルドは冒険者としての才能もあったらしい。
「ただ、彼が取得したのは土属性だったの」
「ああ」
攻撃系と防御系の魔法のバランスのとれた土属性だが、魔法辞典に記載されている限りでは、回復系のものはない。
ノルドは自分の中で、挫折を運命へと転換させた。
「これはきっと、大地母神のお導きに違いないって。彼――冒険者になって、迷宮攻略を目指すらしいわ」
驚いたのは両親である。
頼むから、危ない真似はやめて欲しい。回復系の魔法などなくても、しっかりと知識と技術を身につけて、人々に愛される医士になって欲しい。時間をかけて何度も説得したのだが、ノルドは承諾しなかったという。
「そこで、私に相談が来たのよ。信頼の置ける冒険者パーティを紹介して欲しいって」
サフランの患者には冒険者が多い。かつての“宵闇の剣”の専属の医士であり、噂を聞きつけた上級冒険者たちが、こぞって専属契約を願い出てきたからである。
「どうかしら」
と、サフランは上品な笑みを浮かべた。
「ふたりとは歳も近いし、貴重な魔法使いよ?」
その話に、マリエーテとカトレノアがすぐさま反応した。
「悪い話じゃない」
「悪いどころではありませんわ。魔導師がひとりと魔法使いがふたりだなんて、そんな贅沢なパーティ、王都中探してもありませんことよ」
「つまり――」
一方のロウは冷めたものだった。
「信頼の置けるうちに預けて、冒険者を諦めさせたいと」
「……ただでとは言わないわ」
依頼料は、“暁の鞘”に所属する冒険者たちの治療費を、向こう一年間無償にすること。
「他人の家庭の事情にしては、ずいぶん太っ腹ですね」
「他人ごとじゃないもの」
サフランは条件をひとつ追加した。
「ついでに、うちの娘も預かって欲しいの」
サフランの娘はトアといって、十五歳だという。
将来の夢は、画家として身を立てること。
「冒険者になる必要はないと思いますが」
「問題は、題材なのよ」
サフランは諦めきったようなため息をついた。
「あの子、魔物の絵が好きなの」
きっかけは、子供の頃にせがまれて買ってやった魔物図鑑だった。それ以来、トアは魔物たちに夢中になり、勉強もせずひとり部屋に引きこもるようになった。
「私も馬鹿ね。少しでもきっかけになればと思って、冒険者ギルドに魔核集めの依頼を出したのだけれど」
どうやら、迷宮探索に有用なギフトを取得してしまったらしい。
「つい先日、珍しく外出するというから喜んでいたら。あの子、冒険者ギルドで冒険者の登録をして、その日のうちに単独で無限迷宮に潜行したのよ」
激怒したサフランは娘を叱りつけ、決定的に仲違いしてしまった。
「もう、部屋にも入れてくれないわ」
完全にお手上げである。
魔物に取り憑かれたトアは、遠からず迷宮内で命を落とすことになるだろう。
だからこそ、放ってはおけない。
「ノルド君の両親にしても、私にしても、自分の子供を危険な目には合わせたくない。できれば冒険者の道を諦めさせたい。でも、それが叶わないならば――せめて、少しでも信頼できるパーティに入って欲しい。それが親心というものでしょう?」
少しも動じることなく、ロウは言った。
「先生には、俺たちの目的をお伝えしましたよね?」
「ええ」
ユイカのことは、ごく限られた人物しか知らない。だが、“暁の鞘”の専属医士であるサフランは、ロウとシズから事情を打ち明けられていた。その上で、彼女は頼まれたのである。
少々無茶をするかも知れないが、大目に見て欲しいと。
「正直なところ、今の俺には余裕がありません」
とてもそうは見えない様子で、ロウは言った。
「必要な人やものには、時間も金も、それこそすべてを注ぎ込みますが。そうでなければ――」
この青年は、誰よりもユイカを助け出すことの困難さを自覚しているのだと、サフランは思った。
「切り捨てますよ?」
その言葉にびくりと身を竦ませたのは、マリエーテとカトレノアだった。
「わ、私は絶対に必要」
「わ、わたくしも――本日をもって罪悪感を克服しましたわ。惨殺など、へっちゃらです」
思春期の難しい年頃の子供を、よく手なづけている。
いや、躾けているといった方が正しいか。
一気に後悔の念が襲ってきたが、それでも、今後確かに訪れるであろう破滅のときよりはましだとサフランは思った。
「好きにしていいわ。ただし、命の安全だけは保証してもらうわよ」
それ以外であれば、自分が治療する。
女医の名前をゼリシアからサフランに変更しました。